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    sannomekun

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    sannomekun

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    アリスの夢も覚めるころ

    #類司
    Ruikasa

    類は、知っているだろうか。

    前を歩く類は、さき程からずっと押し黙ったままだ。見慣れた背中がいつもより少し早い歩調を保って、落ち葉を踏みしめて進んでいく。  

    柔らかい土に足を取られはしないかと、そうして転んでしまわないだろうかと、その背を追いながら心配でたまらなかった。

    それなのに振り返りもしてくれない。

    彼が喋ってくれないほど、司は悪いことを言ってしまっただろうか。全く覚えはないけれど。そもそも何を話していたのだったか。

    「類、」

    無言。

    「類!無視するな!」

    横に並ぼうと足を早めながら、少し声を荒げると、ようやく類はちらりとこちらを一瞥した。

    うるさいよ、と短く諫められ、それでもようやくの返事が嬉しくなって笑う。すると類は呆れたような、しかし柔らかな溜め息を吐いた。

    機嫌が悪いわけではないのかと首を傾げ、思わず歩調を緩めると、彼は合わせて足を止めた。  

    じっと訝しげに見つめられて、少し戸惑う。

    ーーご機嫌斜めじゃなかったのか

    時折本当によく分からない。

    司でこれなのだから、他の奴らなんて、もっと分からないのではないか、と。

    それは自惚れだろうか。今度こそ隣に並んで、その綺麗な顔を覗き込んで笑ってみせた。

    「何処まで行くんだ?」
    「考えていないよ」
    「見切り発車だな……」

    小さく呟くと、何が悪いのかとでも言いたそうに瞬きをしてくる。道に迷うぞ、笑って辺りを見渡せば、背の高い木々が何処までもまばらに並んでいるのが分かった。

    枝の隙間に見える空は薄い雲に覆われて、うっすらと白んでいる。日は見えない。足元も、沢山の落ち葉に埋められて、道が分かりそうなものは何もなかった。

    靴の先に乗った落ち葉を見て、よし、とひとつ息を吸う。

    「なあ、途中まで着いていってもいいか?」

    わざわざ尋ねた司を、やはり不思議そうな顔で見返したあと、類はまたすたすたと歩き出した。

    着いてこないことなんて、きっと思いもしていないのだろう。

    そういう期待を寄せられていること、意識せずとも応えていることが、時折どうにもむず痒い。

    並んで森を進んでいく。

    真っ直ぐ進んだかと思えば突然曲がったり、くるりと踵を返してみたり、本当に宛などないようだ。そのくせ、足取りに迷いは少しだってなかった。

    「類、いま何かが走ったの見ていたか?リスかもしれん」
    「見ていなかったよ。……好きなのかい?」 「いや、まあ」

    いつものように、司が何も考えずに放り投げるたわいもないことに、類が何でもなさそうに答える。

    前を向いたまま、やはりその歩調はいつもよりずっと早い。斜め後ろから、その真剣な顔をぼんやりと見上げていた。

    湿った落ち葉の上、歩きにくいだろうに何も言わないでいる。

    見れば見るほど途方もない森の中、動く物を見付けるたびに声を上げても、彼は何処か上の空だった。

    自分に纏わりつく鳥にさえ言葉のひとつも掛けてはやらない。

    前しか向けない類のこと、司はよく知っているけれど、それでもその興味を惹くものを探したくなった。

    その何かを見つけるまでは、という気が起きてきて、尚更周りをきょろきょろと見回す。

    色鮮やかな鳥も、大きなネコも、痩せたキツネも、司の指差すどれのことも類はちらりと見るだけで前へと進んだ。

    美しい花も、毒々しい色のキノコも、少し趣向を変えてみても駄目だった。

    地面に開いた大きな穴を覗き込もうとしたとき、ぐっと掴まれた手首はそのままだ。早い歩調のまま引っ張られて、前のめりになりながらも着いていく。

    「類、」

    流れる風景、木々の隙間に、それでも司は彼の好くものを探していた。

    何なら見てくれるだろうかと、何処までも真剣だ。類は変わらず前だけを向いている。何処までも当て所もないようでもあったし、何かを探すようでもあったし、何かから逃げるようでもあった。

    ふと光る何かが瞼を通り過ぎて、司は声を上げた。我ながら歓声じみた声だった。

    「類、湖がある」

    きらきらと光る水面が離れたここからでも見える。

    その隣には周りに花の植えられた、美しい洋館が立っているようだった。それでも類は目もくれずに司の手を掴んで歩き出そうとする。

    「見て行かないのか?」
    「うん」
    「なあ類、」
    「興味がないんだ」

    何度かしつこく呼んで、ようやくまた類が足を止めてこちらを見る。

    高い位置からの視線を受け止めるのにも慣れたものだった。

    「キレイだぞ、見て行かないのか?」

    目を見て改めて尋ねても、首を左右に振った。

    「興味がないんだよ」

    ーー森を歩くのに、動物にも景色にも興味がないのなら、お前は一体何を見たくて歩いているのだろう

    途方もない風景に、一体何を求めているのだろう。

    上手く笑えないまま、首を傾げる。

    「お前は、……何処まで行くんだ」
    「考えていないよ」

    繰り返した問いには、また同じ答えが返ってきた。

    あの神代類が理由もなく歩き回るということがどうにも不思議で、溜め息を吐いた。

    ーー森から出たいなら、あの湖の向こうは開けていたから、きっと出られるぞ

    やはり手首を掴んだまま歩き出した背中に掛けたそんな言葉は黙殺された。

    仕方なしに、また大人しく着いていく。

    そうこうしている内に、どんどん森が深くなるのが分かった。

    辺りに緑の葉を残している木が増えたからか暗くなってきて、空気も何処となく湿気を纏っている。今までそれなりに開けていた視界も、遠くは青と緑で塗り潰したように見通せなくなってしまった。

    「なあ、類。これ以上進むのを止めよう」

    無言。

    ついさっきまでのように、まるで聞こえないみたいに類は進んでいく。何度呼んでも駄目だ。

    嗚呼、

    「何処まで行くんだ、類」

    その迷いのない足取りを、足を止めることで無理矢理に引き止める。

    司の腕を類はそれでも離さなかった。

    目前に鬱蒼と茂る木々と、険しい顔をしているだろう司とを交互に見て、何故か少し困ったように微笑んでみせた。

    無理に笑うことなんてないのに、それは何処までも彼らしくない素振りだった。

    ーー何処までも、

    ようやくの息継ぎで、吐息のように吐き出した声は掠れていた。

    ーー君とならば、どこまでも

    そんな気取った台詞に、しかし演技の色はない。ないことが、杭のように心臓を貫くのだった。

    司が言葉を失ったのを見て、類はまた踵を返して先を進もうとする。

    咄嗟に名前を呼べば、振り返る肩越しに視線が交わった。

    ただただ怪訝な色を滲ませて、類は司を見ている。

    意味のない唇の開閉を経て、だめだ、とそんな当たり障りのない言葉が喉から零れた。

    「駄目だぞ、危ないだろ」
    「君がいるんだ」
    「……類、」

    耳鳴りに目を細める。聞き覚えのある言葉だ。

    ーーあのときも、お前は殆ど同じ台詞を言っていた

    司が居たって恐ろしいものはある。男子高校生の出来ることは、恐ろしく少ない。

    言いたいのに、それを振り翳すことに何の躊躇いもない類に、司は一瞬でも言葉を見失った。どんな言葉も不足だった。

    「司くん」

    その一瞬で向き直った類は、静かな声で司を呼んだ。

    綺麗な指が暗がりを指し示す。青にも見える深緑の木々の隙間に見えるものを、遅れて司も見詰めた。

    「……あれ」

    それは建物だった。

    およそ進んで入りたい類いのものだとは思えないものだった。

    先ほどの洋館とは比べるまでもない。

    長方形のコンクリートの箱を幾つか組み合わせたような建物の壁には、苔と蔦が生い茂っている。規則的に並んだ窓は窓ガラスが割れていて、室内は真っ黒で少しだって中が伺えない。

    「あれがどうしたんだ?」
    「あれが、いいんだよ」

    嘘だ、と笑いたくて、けれど上手く笑えなかった。

    類は至って真剣な顔をしている。

    司くん。

    呼びながら、そっと、さっきよりずっと控えめに手首を掴み直して、緩やかに手前へ引かれて、それでも司はどんな顔も出来なかった。

    様子を伺うような所作は決して類には似合わないけれど、何を求められているかはよく分かっていた。

    知らないふりは一向に上手くならない。

    乾いた笑声しか漏れない喉が不甲斐なくて、顔だけは笑えた。

    「ひとりでは、行かないのか?」

    言葉に、類はことりと首を傾げ、瞬きをし、それから静かに目を細めた。

    罪のない挙動だった。

    手のひらに僅かに力が込められて、不思議そうに名前を呼ばれる。

    「一緒に来ないのかい」
    「もしどうしても入らなければならないのなら、オレひとりがいい」
    「どうして」

    それは野暮だと笑うと、ぐっと唇を噛んだ。

    苦しげな顔だった。

    どうしたって分からないことを目の前に、類は呼吸さえ覚束なそうに、じっと司を見ていた。  

    ーーお前にはああいうところ、似合わないだろう

    ようやく紡いだ言葉にさえ類は納得出来ないと首を振る。意味が分からないと、否定する。

    「……ふたりで行けば、いいんじゃないのかい」 「だって、そういうものだろう」
    「僕たち以外のことは、僕たちに関係ないだろう」
    「だが類、そういうものだ」

    ゆっくり眉が顰められた。

    不快そうで、同時に、傷付いたようにも見える。

    類は傷付くのも上手い。そんな風に、上手いことを知っている。

    だってついこの間も目の当たりにしたばかりだ。

    司は笑って、そっと指を解いた。一歩、後ずさる。柔らかな土に踵が沈んだ。

    「司くん、」

    泣き出しそうな声に呼ばれ、それでも司は首を振る。

    容赦ない既視感に眩暈がして、しかしそれっきりだ。

    『なあ、知っているか。類』

    ーーオレもあの時、お前と同じように泣き出したかった。知らないだろう。

    指を解いて、後ずさって、首を振って、そうしながらもすぐにでも膝を付いて泣き出したかった。いっそ笑えるくらいに。

    何処か恐々と、類の指が改めて崩れかけの建物を指差す。蔦に覆われた壁はあんなにもぼろぼろだと言うのに、類は眩しげに目を細め、もう一度拙く司のことを呼んだ。

    「あれは、崩れないよ」
    「そういうことじゃない」
    「なら、どういうこと。……言わなければ、分からない」

    ーー言ってくれなければ、僕には、分からないよ

    迷子の子供のように心許ない顔をして、いやいやと首を左右に振って、また司のことを呼ぶ。

    既視感。

    どうしようもなく聞き覚えのある、その駄々にも似た言葉に、あの時と同じように首を振った。

    「ーーオレたちは、永遠じゃないんだぞ。類」

    分かるだろう。ふたりならば、どこまでも。

    司だってそんな夢みたいな言葉を吐いてみせたかったけれど、それがどんなに難しいことか、少なくとも分かっている。

    飲み込んだ言葉も、吐き出した言葉も、類を傷付けたくて、けれど思いきれなかった言葉ばかりだ。

    好きだと言われ、同じように首を振った、あのときを。

    あのときをそのまま投影して、ぎゅっと一度目を閉じた。

    そうしてそれは何処までも聞き分けがいい素振りだった。

    黙ってひとつ頷いて、浅い瞬きを繰り返し、ようやく引きつるように微笑んで、また明日と投げる。

    記憶の中のそれと一ミリも違わない。

    今にも崩れそうな廃墟を前に。

    そういう、それだけの、途方もない夢だった。  

    素知らぬ顔で、おはようと笑ったのだ。

    電柱の下、手を振った司を見て、類はそれでも微笑んだ。そうやって消化される日々に、なかったことにされた時間に、こんな夢を見るのはただの冒涜だ。

    泣きたがるのは身勝手だ。

    ーーなあ類、お前はきっと、知らないだろう

    どうかずっと知らないでいて欲しい。

    ひどいやつだったと、もっとずっと陽だまりのような場所で振り返ってさえくれればいい。

    そのためなら何だって。

    二人ならば何処までもなんて、そんなおとぎ話は、二人の前には二度と降ってこないのだ。




    夢をみた。

    アイツとはじめて会うオレは、おしゃれもなにもない、日に焼けたサンダルで、それでも果敢にフェンスをよじ登って茂みへ入っていった。

    木漏れ日の席でアイツは大勢のひとに囲まれ、わらっていたが、それでもいたく淋しそうな顔をしていた。

    さわっとした髪に白い肌で、白いシャツ。

    はじめて会うというのに、なんどもなんども見た姿だ。

    ーー近づけなかった

    どきどきしながら、喉が動くのをみていただけで。

    ーー僕はしあわせです。仕事では頼りにされているし、こんなに大勢のひとに慕われているし、僕はしあわせです。

    というようなことを、しきりにアイツは述べていたっけ。

    嫉妬のような憧憬のような気持ちで、今すぐこの場を離れたかったが、一向に場面が切り替わらないので仕方がなかった。

    当然のようにオレは受け身だった。

    ーーいまの君は栄養を与えられすぎて、白い斑点の出た植物みたいだ。

    気づいているくせに。駄々をこねたい気分だった。

    そろそろおひらき、というところでやっとアイツがオレのところへ来て、テーブルの上の果物をどっさりと持たせた。

    黄や赤や緑のまるい果物たちで、なかでもおはじきのような橙色の実なんかは、すぐにぽろぽろと腕のあいだをこぼれていく。

    「見送り、要るかい?」

    目だけで微笑んで言っていたから、このままお別れなどあんまりで、頷いた。

    狭い森のなかを、並んで歩く。

    となりを歩く、はじめて会うアイツのなにもかもをオレは知っていた。

    頬の位置にするりと長い二の腕があり、大気にゆれる髪の光り方や、ずぼんのポケットをとんとんと爪弾く仕草、自分のことも他人もきらいなのに、自分のつくったものも他人のつくったものも、手がこんでいればそれだけ熱心に気に入ってしまうこと、たくさんの詩を大切にしていること、週に一度は感傷的になってひどく落ち込むこと、オレをとても好きだったこと、など。

    明日などないくらい晴れていた。

    だけど空は見えなかったから、ただ白くかがやくいろいろの隙間の光で、そう思った。

    身体じゅうに水を浴びたみたいに、重くて、たっぷりとした気分に満たされて、幸福だった。

    なにもかもを知っていて、けれどいまは炭酸水みたいにぷちぷちと掠れてしまうアイツのとなりで、この光景だけがあたたかく、幸福だった。

    フェンスを乗り越えると、もう、すぐそこがオレの家だった。

    もくれんが青々とした葉を光らせ、瓦の屋根からは水が滴っていた。外は思ったとおりに晴れていたけれど、やっぱり空は白いだけだった。

    しょうがないね、というようにアイツはオレをみてわらって、それが別れの合図に感じ、いっぺんにつらくなった。

    おなじ気持ではないのだ。

    わがままと知っていて、それでもこの充実した空気のなかでは許されるとわかっていたから、勝手に歩き出した。

    きゅうくつな石畳の路地を、アイツはちゃんとついてきてくれる。

    そこはとてもとても狭い世界で、オレの家を一周する一本道のほかに道はなかった。

    側面にはまるでテレビゲームの背景みたいな、ぎゅうぎゅうに描き込まれているのに行き止まりのたくさんの家々の壁がずうっと続いていた。

    その閉鎖されたちいさな世界を心地よく感じた。 ゆっくり歩いて、だけどついには一周してしまった。あたたかな石畳のうえで、気づくとアイツは猫だった。



    目がさめると部屋はまっくらで、がらんとした壁に藍色の月あかりが四角く貼りついていた。  夜なんだ、と思うと、横たわっているにもかかわらずひどい眩暈がした。

    昼間からずいぶん眠ってしまった。

    カーテンもあけっぱなしで、子どものようにあつい身体で。

    淋しかった。

    いますぐあかるい石畳の路地にもどりたかったが、二度寝をすればたいてい悪夢をみるので、むりやり携帯をひらいてみる。

    あかるすぎるディスプレイの照明を閉じたまぶたに感じていると、夜のなかにいっそう独りぼっちになる。

    じん、じん、と、胸のまんなかが重くなるのがわかる。

    いますぐアイツから電話があればいいのに、と思う。

    それからすぐに、電話なんてされてもこまる、と思いなおす。

    電話など最初からかかるわけがないのに、あんな夢をみたあとはかならず、そうやって順を追って考えなくてはならない。

    ーー先にいやになったのはオレだ、

    と、そして考える。

    勝手に傷ついたような気になって、左手に掴んだままの携帯電話のキーを押す。目をとじていても間違えようのない番号。

    だれも出ないのを知っていて安心して通話ボタンを押す。

    ひと月前も、さきおとといも出なかったのだ。

    使われておりません、とメッセージが流れ、それはアイツ自身に突き放されるよりも痛い。

    けれども重くはない。

    そうして不思議と深く安堵し、眠りなおすことができる。

    長い呼び出し音。

    ーーはい。

    混乱する。

    出たのが女性だったために一瞬、よけいな嫉妬が湧き、いいや、これはもうむかしの番号で、このひとはアイツとはまったくの無関係だ、と次には自分に言いきかせる。

    ――どちらさま?

    くせのない落ち着いた声。

    「あ」

    と、オレは言った。百年ぶりにだれかと話すような気分だった。

    ――はい。

    「ああ、」

    ーーいたずらじゃないんだ

    と馬鹿みたいなことを言った。

    ――……はい。

    すこし間があって、でもさっきと同じトーンの声が帰ってくる。

    「まちがいでもないんだ」

    ――はい。

    「夢をみて、それで」

    電話のむこうでふっと相好を崩す気配がした。

    ――寝ぼけてるの?

    その言い方があまりにも親しい友人のようで、こまってしまい、次には泣き出しそうになった。相手のほうがよほどこまっているだろうに、声には一切嫌味がないのだった。

    「そうかもしれないな」

    オレの声はひどく子どもっぽかった。

    相手が黙り、オレも黙る。

    むこうがわで風の吹くような音がかすかにきこえる。 相手に電話を切るつもりのないのがわかり、話し始めた。

    「夢をみた」

    親しい友人のように。

    「あかるい午前の夢だった」

    懺悔のように、あらいざらい。

    相手は、うん、とか、そう、とか、それで、とかの短い言葉をちょうどよい錘のように話のあいだにのせていった。

    まるでオレの話が長い一枚のぺらぺらなわら半紙で、そうでもしなければ風に吹かれて舞い上がってしまうというように、ていねいに。

    ーーそれでアイツは十七歳のオレのすべてを変えてしまった。アイツの言葉はぜんぶ目新しくて、酷だった。すばらしいこともきれいなことも、ぜんぶがつらかった。持ちきれなくて泣いたこともあった。自分を見失うのがこわかったから、アイツの言葉をたくさん否定した。

    ーーそう

    ーーだがそれでも好きだった、心から。アイツの描くストーリーも言葉選びも薄暗い照明も、おろさずしまってあるとっておきの靴も。

    ーーうん

    ーーアイツの好きなものが好きだった。オレは何もしらなかったから、世界のことを。なかには勝手に染め変えて美しい不安定なものにしてしまったものもあるかもしれない。いいや、かもじゃない、いっぱいある。だがそれもたしかに受けたものだった。ほんとうは酷いことをたくさん言うヤツだった。

    ーーそうなんだ

    ーーだってオレは、だめ、だとか、君じゃいけない、なんて言われた、最初は喧嘩ばかりだった。ああ言えばこう言うヤツでな、お互いかもしれん、だがオレはアイツに惹かれて仕方がなかったから、とことん。

    ーーへえ

    ーー警戒心のつよい猫みたいだったぞ。アイツはずっと独りぼっちで暮らしていて、だれも家族がいなかった。だれのことも信じなくて、だれよりも愛情を求めていた。

    ーー見えるよ、

    ーーアイツに接する時、どんなにきびしい思いだったか、きっとオレにならないとだれもわからない。そのうちアイツもオレを好きになったが、恋人だなんて間柄じゃなくてな、よくわからないが、家族のような、兄のような弟のような、実の子どものような、とにかく恋人なんかじゃなかった。

    ーーうん

    ーー何度も何度も喧嘩になって、何度も何度も別れを言った。今度こそほんとうの終わりだ、と思って何度も別れたんだ。

    ーーうん

    だが、どう頑張ったってだめだった。

    それこそ血のつながりみたいに、切れなかった。何度もいやになりながら、切れなかった。そうやってずっとやってきて、もう五年になる。

    だんだんと司も大人になって、類を消化しはじめた。世界のことをだんだんとわかりはじめた。

    神代類の考えに頼らなくなった。

    それで、嘘をついた。

    ーー三か月前のことだ。恋人ができたと、言ったんだ。これでも切れないかもしれない、だが、今回もまた、今度こそほんとうの終わりだと思っている。

    ーーへえ

    そしていまは、過去のどの別れよりもどうでもいいと感じている。

    「ほんとうだ。それが哀しいんだ」

    ーーそれが哀しい

    いますぐむかしのように気をひいて打ちのめしてほしい。

    そうでもないと忘れそうで。

    ーーオレは、あの頃みていた世界がいちばん好きだった。

    「来世では、おさななじみになろうね、なんて、」

    どれだけ言葉を尽くしてもこの切なさが伝わる気がしなかった。

    電話の相手は一定の相槌を続ける。これほどに迷惑なことばに。

    「ほんとうは、いやだと言いたかった」

    ――うん

    子どもの言い訳のようだ、と思った。
    言えば言うほど足りなくなる。
    言えば言うほど惨めな自分をみとめてしまう。

    「夢のなかでだけ、いつもやさしいんだ」

    夜は瓶の底だ。透明の、とろりと美しい液体の底に沈んでいる。

    オレは蜥蜴だ。全身が重くて、頭のうしろがとてもつめたい。

    ――ねえ、

    はじめて相手の声から言った。

    ――ねえ、君は彼の感性に恋をしていたの

    それはとても現実的な響きで司の瓶をゆらした。

    ――そのひと自身を愛するより、もしかしたらずっと難しいことかもしれないね。でも、感性を愛することって、永遠。

    ぬるい液体が、さらりと波打った、気がした。

    深い眠りからきゅうに起こされたみたいに言葉が出ない。

    ――大事にしていればいい

    それでいい、と、どこのだれかもわからない、けれどもこの瞬間だれよりも司をしっている相手の声は言った。

    足元から揺られるような感覚があって、肌にふれるシーツのしっとりとした感じや滞った部屋の匂いや枕元の時計の針の音などがいっせいに鮮明になるのがわかった。

    塗り替わったみたいに。

    「わかった」

    と、心から言った。

    それでじゅうぶんだった。

    「こんな夜更けに、どうして付き合ってくれたんだ」

    電話のむこうで、あはは、と美しい声がわらった。ちょっとはっとしてしまうような明朗なわらい方だった。

    ――君が思っているより遅い時間じゃないみたい

    起き上がって時計をみると針は八時半をさしていた。

    ほんとうだ。

    夜の底にいるとばかり思っていたのに。

    「だが、ありがとう」

    呼吸の気配の背後で、かすかな風の音が続いている。

    ベッド脇の窓を開けてみる。

    すると家々の窓はあかるく、たしかに活気を感じた。

    匂やかな春の夜。

    ――ひとりで散歩をしていた。桜がきれいでね……ちょっと、泣きそうだった。

    おおきく息をすう音。

    その時、なにか彼女の生身の片鱗がみえた気がした。

    ーーちょうどよかったよ、だから、

    と彼女は言った。

    ――元気で。

    電話を切るともうなにもかもが正しい重さの現実だった。

    部屋は暗いままだったが空気はなだらかに動き、ざわめいていた。

    しばらくそうして含みある空気をすった。

    どこのだれかもわからない。
    だれもかれもがそうだ、と思った。

    どこのだれかもわからないひとの目を愛して、どこのだれかもわからないひとに、そして救われた、どこのだれかもわからないオレだ。

    「ごはん、食べるか」

    立ち上がって電気をつける。現実色の明かり。  そうして眠ってまた起きたら、きっとあかるい、そこはきっぱりとした午前だ。
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    PROGRESS※18歳未満閲覧厳禁※

    2024/5/26開催のCOMIC CITY 大阪 126 キミセカにて発行予定の小粒まめさんとのR18大人のおもちゃ合同誌

    naの作品は26P
    タイトルは未定です!!!

    サンプル6P+R18シーン4P

    冒頭導入部とエッチシーン抜粋です🫡❣️

    あらすじ▼
    類のガレージにてショーの打合せをしていた2人。
    打合せ後休憩しようとしたところに、自身で発明した🌟の中を再現したというお○ほを見つけてしまった🌟。
    自分がいるのに玩具などを使おうとしていた🎈にふつふつと嫉妬した🌟は検証と称して………

    毎度の事ながら本編8割えろいことしてます。
    サンプル内含め🎈🌟共に汚喘ぎや🎈が🌟にお○ほで攻められるといった表現なども含まれますので、いつもより🌟優位🎈よわよわ要素が強めになっております。
    苦手な方はご注意を。

    本編中は淫語もたくさんなので相変わらず何でも許せる方向けです。

    正式なお知らせ・お取り置きについてはまた開催日近づきましたら行います。

    pass
    18↑?
    yes/no

    余談
    今回体調不良もあり進捗が鈍かったのですが、無事にえちかわ🎈🌟を今回も仕上げました!!!
    色んな🌟の表情がかけてとても楽しかったです。

    大天才小粒まめさんとの合同誌、すごく恐れ多いのですがよろしくお願い致します!
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