Rewinding × Rewinding📼はじまり
「なんだ、これ?」
「Cassette tapeだよ。もしかして、イサミは使ったことがない?」
スミスから渡された掌に収まる長方形の箱状の物体。受け取りながら訝し気に呟いたイサミであるが、スミスの指摘に一層眉間の皺を深めるのであった。
「俺が訊いてるのは渡してきた理由だ」
カセットテープくらい知っている、と不機嫌さを隠さず、イサミは胸前で腕を組んでスミスから顔を背けるのであった。
スミスがイサミに手渡したのは一本のカセットテープである。最低限の知識はあるものの、イサミも私生活で使用したことがない記録メディア。
旧型の媒体を突然渡してきて理由が分からないまま、イサミは思い浮かんだ憶測を苦々しく吐き出した。
「……記憶にまで、影響は出てねぇよ」
「それは喜ばしい報告だ。けど、そういった話じゃないよ。そもそも、俺の個人的な申し出だから」
「アンタの個人的な申し出?」
上層部は無関係だと断言され、益々動機が分からないとイサミはしぶしぶとスミスへ視線を戻す。スミスは、もう片方の手に持っていたカセットテープの再生機をイサミに見せるのであった。
こちらも掌に収まるサイズであるが、最新の――現在彼らが使用している物資に比べれば、古めかしい機材である。
「俺達、恋人同士になっただろ」
「お、おう」
「だから、ちょっとはそういうことをしたいなって」
直球な言葉にたじろぐイサミを目を真っすぐと見つめたまま、スミスは真剣に〝申し出〟を続けるのであった。
「A面は俺、B面はイサミ。それぞれ交互にその日の事を記録して、渡し合うってのはどうだ?」
「……交換日記ってやつか?」
「Yes」
交換日記に関しても、イサミは概要のみしか知らない。スミスの説明に対して咄嗟に思い浮かんだ近しい概念であったのだが、彼があっさりと頷いた方にイサミは驚いた。スミス曰く、幼い頃から見ていた日本のフィクション作品の中で見たことがあるのだという。
「物資を勝手に使っていいのか、ヤングマリーン?」
「片面一時間、両面で二時間しか記録出来ない旧式の録音再生機だぜ? 私的に使っても、きっと見逃して貰えるさ」
イサミがワザとらしく問いかけると、スミスは見事なウィンクを添えて応える。
事実、一度に最長で一時間しかまとめて録音が出来ない記録メディアには使い道がないだろう。それならば、各自が所持している携帯端末の方が圧倒的に高性能なのだから。
「まぁ、そうだな」
――そもそも、この戦いの記録を残したところで、意味はきっとないのだろう。
胸中に渦巻く本音から目を逸らしつつ、イサミはスミスへ渡されたばかりのカセットテープを突き返す。
「イサミ?」
「俺は恋愛初心者なんでね。先にお手本を頼むぜ、Darling」
拒否されたかと一瞬沈んだスミスの表情が満面の笑顔になる様を間近で眺めて、イサミは小さく微笑むのであった。
📼XXXX年XX月XX日
現在時刻は……いや、こういう形式的なものは不要か。
こんばんは、イサミ。
君がこのカセットを再生するのは、きっと最速でも今日の出撃が終わった後になるだろうからね。
だから、挨拶は Good evening にさせて貰うよ。
昨日も今日もお疲れ様、イサミ。君のお陰で俺はカセットに録音が出来ている。
……ああ、なんだろ。変な感じだ。今すぐにでも部屋を出て、君に会いに行くことも出来るのにね。言い出しっぺは俺なのに、なんか変なというか……勿体ない、感じがする。
…………。
これは最初の録音だし、きっとこれから何度もやりとりをするようになるから、うん。
今日はここまでにしよう。
君の事を考えていたら、顔を見たくなっちゃったぜ。
これから直接言いに行くけど、ここでもしっかりと伝えておくよ。
I Love you, Isami.
📼XXXX年XX月XX日
フタフタサンマル。
ライジング・オルトスの操作にも大分慣れてきたが、烈華の時のように自分の操作が反映されないのは、やっぱり不思議な感覚だ。
でも、アンタが的確な操作をしてくれるから助かる。俺の方こそ、ずっと助けられている。ハワイに居る時から。
だから、明日もよろしく頼む。
…………。
…………。
…………。
くそ、俺に、こういうのは難しいんだよ! クレームは訊かないからな。
おやすみ、スミス。良い夢を。
📼XXXX年XX月XX日
こんばんは、イサミ。前回は素敵な録音をありがとう。思わず何回も巻き戻して、再生しちまったぜ。
なぁ、イサミ。カセットテープって、巻き戻しにも時間が必要なんだよな。当然の事だけど、巻き戻しをしている時間が凄く待ち遠しかった。直ぐにイサミの声を聞きたくて、仕方なかったよ。
……今日は、散々な一日だったな。君にも負担をかけ続けている。
でも、一緒に戦ってくれて、本当にありがとう。戦闘中、君の声が後ろから聞こえるだけで、俺は何度だって立ち上がれると思えるよ。
おやすみ、イサミ。愛してる。
📼XXXX年XX月XX日
フタヒトマルマル。
何回も巻き戻すなよ。アンタ、やっぱり恥ずかしい奴だな。
こっちこそ、悪い。オルトスと繋がっている間は全然問題ないのに、接続を切った後にどうしても片腕が動かなくなる。前は手のしびれだけだったのに、乗り降りすら不自由になって……情けない奴で、すまない。だから、アンタが補助してくれて、本当に助かってる。本当に、だ。
……スミス、お前が気にする必要なんて、何もない。俺だって、スミスと一緒に戦えて……不謹慎だが、嬉しいんだ。
…………。
おやすみ、スミス。また明日。
📼XXXX年XX月XX日
こんばんは、イサミ。
今日も何回も聞き直してしまった。
俺もまったく同じ気持ちだよ、イサミ。一人じゃなくて、君と一緒に戦えるのが、俺も嬉しい。……だから、君が気に病む必要なんて何もない。
君が望むなら、俺は何だって成し遂げて見せるよ。ライジング・オルトスで空中一回転もやってみせるさ!
それと、ちょっと時間の隙を見て医療担当者からマッサージを教えて貰ったんだ。少しでも君の体に良い効果があれば、嬉しいと思う。期待して待っててくれ。
おやすみ、イサミ。良い夢を。
愛してる。
📼XXXX年XX月XX日
イチハチマルマル。
……悪い、スミス。まだ初めて数回目なのに、渡すのが遅れちまった。
アンタがこのカセットを受け取る時、嫌な思いをしないことを祈ってる。
…………忘れてた。綺麗さっぱり。気持ち悪いほどに。
何でだろうな。俺だって、眠っちまうまで何回も、何回も巻き戻しを繰り返してアンタの声を聞いてたのに。教えたら気持ち悪がられるくらいの回数を何度も、何度も再生していたのに。
着替えようとジャケットからカセットテープが落ちてきて、思い出したよ。アンタとの約束。
コワルスキー中尉の助言を最初から聞いておくべきだった。忘れたくない事は、しっかりとメモに残しておけって。
今日からそうする。起きて直ぐに確認出来るように、上段のベッドの底に貼り付けておく。何枚も、何枚も。……もう二度と、忘れないように……。
二度と、忘れないから……。
…………ぐすっ……。悪い。
もう、忘れないから。
…………。
呆れないでまた、カセットテープを俺に渡してくれると、嬉しい。
…………。
おやすみ、スミス。
…………俺も、大好きだ。
📼XXXX年XX月XX日
こんばんは、イサミ。いや、おはようかもしれない。
もしも君が朝にこの録音を聞いているのなら、気持ち良い目覚めであることを祈ってる。
……昨夜は、すまなかった。気持ちが落ち着いていない君の部屋に押しかけてしまって。でも、俺を拒絶しないで中に入れてくれて、凄く嬉しかった。
イサミが俺の腕の中で泣いてくれて、嬉しかった。
君のプライドを傷つけてしまったかもしれないけど、嬉しかったよ。イサミ。
ありがとう、イサミ。
同じことを繰り返すけど、俺は何も気にしていない。君が生きていてくれるなら、俺も生きていける。もしも君が俺のことを忘れちまっても、俺はずっとイサミの傍に居る。ずっと、ずっとだ。
昨夜は一緒に寝ることを許してくれて、ありがとう。イサミを抱いていたからか、すごくよく眠れた。良い夢も見れた。俺と君でまたハワイに……ああ、この話は今度にしよう。
本当に、本当に素敵な夢で、直接話したいからね。
また直ぐに会いに行くよ、イサミ。
俺も大好きだ。
📼おわり
――ふと、イサミの意識が浮上する。
起きた筈なのに、視界が暗い。
目を開こうとするが、瞼が動かない。
どうして瞼が動かないのかが理解出来ず、利き手で顔に触れようとする。しかし、意図したように指先が己の顔に触れないのであった。
(ああ、違う。右腕、ないのか)
そもそも、動かす腕が無いのだとイサミはそこで気付いた。
直前までの記憶を思い返そうとするが、まるで霧が立ち込めているかのように過去の出来事の輪郭が朧げになっていた。
(ヒビキと飲みの約束を……違う、サタケ隊長に報告書を……)
日常の記憶がゆっくりと浮上してくるが、イサミは強い違和感を覚えた。日本でいつもの日々を送っていたのだとしたら、どうして自分は右腕を失い、満身創痍で倒れているのかと。
「イサミ」
知らぬ声で名を呼ばれ、警戒態勢を取ろうと左手に力を籠めようとするが、イサミの体は全く動かなかった。
「イサミ」
イサミにとって、親しい人間は僅かしかいない。
だからこそ、イサミにははっきりと分かるのだ。自分はこの男を知らないと。己の名前をこんなに愛おしそうに呼ぶ人間など――知らないと。
「イサミ」
上半身が浮上し、声の持ち主に抱きかかえられたことを察する。トレーニングを欠かさない己よりもがっしりとした腕に持ち上げられ、何かを拭い取るように頬に触れられた。
不思議と、嫌悪感はなかった。
「……どうして」
――君ならば、自分のコックピットを守れただろう。
――どうして、前席の俺を守った。
――どうして、脱出しなかった。
男の発言をイサミは全く理解出来なかった。イサミが乗るTSは烈華で、一人乗りの機体である。己のコックピット以外に守るべき箇所など無いというのに。
男に尋ねたい事は沢山ある筈なのに、分からないことばかりで、イサミの思考が纏まらない。
今の彼に分かるのは、自身が重体であること。どうやら、己を抱く男を守って負傷したらしいという憶測的状況のみだ。
故に、イサミは問いかけた。
「アンタ、無事か?」
ぽたりぽたりと、自身の頬に涙を零し続ける男は無事なのだろうかと。己は、為そうとしたことを果たせたのかと。
「……っあ……ああ、無事だ! 俺は、君のお陰で、かすり傷ひとつない」
嘘だな、とイサミは直ぐに察した。イサミ程ではないにしろ、男も怪我を負っているのは確実であった。涙で滲む声だけでなく、明らかに早い呼吸が何よりの証拠である。
痛みを耐えている。
けれども、どうやらこの男にとってはイサミの負傷の方が耐えがたいのだと、伝わってくる。
(どうして)
果たして、自分はこのような愛を向けられるに値する人間なのだろうかと、イサミは考える。せめて、言葉にせずとも愛を伝えてくれる男の顔を見たいと思った。しかし、どうしても瞼を開けられないのである。
なくなった右手の代わりに左手で顔に触れようとするが、なんとか上げられた手は顔にまで届かなかった。力が入らず、胸元へと落ちてしまう。指先が触れたのはポケット。何か、堅いものに触れた。
「あっ……」
「イサミ?」
瞬間、イサミは思い出した。
「カセットテープ」
胸元に大事に抱えていた一本のカセットテープを。
「カセット、渡さないと」
誰に渡すかは、思い出せない。それでも、渡さなければと思うのだ。
何の変哲もない黒色のカセットテープ。渡した瞬間、相手が青色の双眸を細める瞬間が、イサミにとっては掛け替えのない時間であったのだから。
「わたさ、ないと……」
指先を動かし、なんとかカセットテープを取り出そうとする。渡す為には、取り出さなければいけない。しかし、指先が満足に動かず、ポケットを開く事すら出来なかった。
「ああ、分かった」
最早、震えるしかない指先を大きな手が包み込む。
「任せてくれ。俺が、必ず渡すよ」
ぎゅっと、強く掴まれた筈なのにイサミは全く圧迫感を感じなかった。
だんだんと意識が遠のいていくイサミが感知できるのは、今も頬に降り注ぐ涙と、己の左手を包み込む男の体温だ。
――もう一度、あの青色を見られないのは悲しい。
しかし、男が渡してくれると言ってくれた。ならばきっと、彼はまた微笑んでくれるのだろう。
その事実に安堵して、イサミは細く息を吐き出すのであった。
「ありがとう」
最期の一言と共に。
📼Rewind
僅かに口元に笑みを浮かべ、イサミの手が彼の胸元からずれ落ちていく。
「イサミ」
届かないと分かりながらも、スミスはイサミの名を繰り返し呼び、その体を一層強く抱き締める。
胸に抱く体は温かい。それなのに、彼の胸元から鼓動は聞こえず、薄く開かれた唇からは微かな吐息すら聞こえない。
千切れた右腕と、右足。それらの切断面から流れ落ち、スミスの体を赤く染めていくイサミの血も温かいというのに。
「イサミ」
体を僅かに離し、スミスはそっと、愛しい人の頬を撫でる。
指先で唇に触れれば、柔らかな弾力が手袋越しでも伝わってきた。
四肢が満足に動かせなくなってきたイサミをコックピットから下ろす手伝いをする際、触れるだけのキスを何度も交わして来た。
『場所を考えろよ!』
『考えてるに決まってるだろ? ここが一番、二人きりになれるじゃないか』
『……恥ずかしいやつ』
日本語で呟かれた言葉をスミスは理解出来なかった。けれども、頬を僅かに染めるイサミが拒絶してきたことは一度もない。寧ろ、彼から唇を重ねてくることだってあったのだから。
「イサミ」
もう一度、キスをしたいと思った。
キスをして、叶わなかった〝逢瀬〟を交わしたいと、願ってしまった。
「……イサミ」
けれど、スミスの唇はイサミの唇には重ならない。
(ああ、イサミ)
だって、彼はもう――いないのだから。
(イサミ、すまない)
イサミのパイロットスーツのポケットからカセットテープを取り出し、スミスは彼の左手に握らせるのであった。イサミの最期の願いであったが、スミスには叶えることが出来なかった。
何の変哲もない黒色のカセットテープ。渡した瞬間、相手が鳶色の双眸を普段より見開き、微かに頬を染める瞬間が、スミスにとっては掛け替えのない時間であったのだから。
「イサミ」
オルトスは損傷により、既に機能を停止している。
中枢たるコパイロットが搭乗するコックピットも、唯一のパイロットも亡くなった。そして、スミスも右足を損失しているのだ。
「イサミ」
夥しい失血により、スミスの両腕にも力が入らなくなっていく。だが、決して。決して腕の中に抱いている人を手放してなるものかと、スミスは出来うる限りの力を込めるのであった。
スミスが思い出すのは、イサミとの出会いの瞬間。
旧式のTSを見事に使いこなし、スミスの追従を許さなかったパイロットの精悍な顔。
通話越しに聞こえてくる声と、青空を見上げるその横顔にスミスは一目惚れをしたのだ。
彼をもっと知りたいと、バーでは必死に声を掛けた。そこで一騎打ちの約束を取ったものの、その後に世界は一変してしまった。
変わってしまった世界で、スミスは改めてイサミを知った。恐怖心を抱きながらも、誰も死なせたくないのだと戦い続けるその輝かしさに、スミスは再度惚れてしまったのである。
(俺がイサミのようなヒーローだったなら、君を死なせずに済んだのだろうか。俺がヒーローだったなら、君を全ての苦しみから守り抜けたのだろうか)
――俺が、ヒーローだったのならば。
『――ガガピ』
スミスが意識を失う瞬間、認識したのは全く聞き覚えのない音声であった。
何度も聞いたことがあるようで、酷く不快な音声。
何と言っているか分からない筈なのに、スミスには理解が出来てしまった。
物足りない、と。
――そうして、再び時は戻る。
まるで、カセットテープの巻き戻しのように。