王と神獣 このセカイは神獣が王を選び、王の手腕により衰退と繁栄を繰り返していた。
即位した王は不老不死になる。
噂にしか過ぎない言い伝えを信じた一部の民は、その恩恵を受けようと神獣を奉る険しい山へ登り命を落とした。
地位がゆえに助けられず、消え行く灯火に神獣は涙を流す。
「どうして、お前が泣くのだ?」
「王……」
「不老不死という幻想に取り憑かれ、無謀な行動を起こして死ぬ。滑稽ではないか」
我を楽しませる余興にもならん。と吐き捨てて、王は神獣を残して部屋を出ていった。
「オレは間違ったのか」
神獣は彼を一目見てこの国の王だと確信し、頭を垂れて誓約を交わした。
最初は政に意欲的だった彼も、十年という歳月が経てば物事を大雑把に進めるようになり、内政は混乱が起き始めている。
「ごほっ、げほっ!」
神獣は口から出た赤と、体を蝕み始めた黒に終わりが近いのだと気付く。
早く、次の王を探さなくては……。
そう考えた神獣は歩こうとするが、平衡感覚が崩れてその場に座り込んだ。
「司くーん!聞いて、聞いて……」
その時、扉を勢い良く開けて入ってきたのは軍を率いるえむだ。
「司くん!?」
「えむ……か?」
走ってきた彼女は、今にも倒れそうな神獣――司を支えるように側へ寄り添う。
「おーい、えむちゃーん!司くん見つかっ」
「ミクちゃん!ルカおねーさん、呼んできて!」
「う、うん!」
その必要はないわ」
ミクはルカを呼びに行こうとするが、ぐにゃりと伸びた影と落ち着いた声にその場に留まった。
「司くん、部屋に戻りましょう」
「ル、カ……」
司の影から姿を現したルカは、苦しそうに呼吸をする神獣を横抱きにする。
乳母であるルカから送り込まれる神気を取り込み、司の呼吸がわずかに整う。
「えむちゃん、ミク。王には知られないように、カイトくんを呼んできてくれないかしら」
「まっかせてー」
「うん! 行ってくるね」
ミクとえむは部屋を出ていくと、静かに目的の場所へと向かった。
二人を見送ったルカは、司の部屋へ向かう。
寝台へ寝かせて確認すると、司の顔色はさっきよりも良くなっているが、黒は広がっていくばかりだ。
「もう残された時間は少ないのね」
本来ならば王に容態を告げて改心してもらうべきなのだが、ルカを含めその道はありえないと分かっていた。
王が道を誤れば、神獣は病に罹り命を落とす。
そして、神獣が消えた時。
王もその立場から落とされ、消えるのだ。
たった一つだけ、神獣の命を救う方法があった。
神獣が消えるより先に王の命が消えれば、神獣は呪いのような病から逃れられる。
「私は……」
ルカは大切な子の手を握り締めた。
道を外した王であっても命を奪う事を、司は望まないだろう。
それでも、ルカが優先するのは司の事だ。
「ルカ、司くんの側に居てもいい?」
「お願い」
「リン、レン」
突然、現れたリンとレンにルカが驚く事はなく。手招きして二人を呼び寄せると、司の右手をレンへ、左手をリンに握らせた。
リンとレンは司が使役する妖獣だ。
山中で罠に掛かり、怪我で動けなかった所を司が保護して二人と契約を結んだ。
メイコという妖獣も居るが、彼女は面白そうという理由で使役される立場を選んだという経緯がある。
部屋の扉が開いて、カイトが姿を見せた。
えむとミクが居ないのは、王に気付かせないようにする為だ。
「ルカ、司くんの様子はどうだい?」
「今は落ち着いているけど、いつ急変するか分からないわ」
政を蔑ろにしている王に代わり、カイトは民たちの混乱を減らそうとしているが一時的なものでしかなかった。
もう一人、寧々という補佐官がいるが今日は朝から市場へ出掛けている。
「さて、これからの事だけど」
「司くん、居るかい?」
カイトは話をしようとするが、予定外の客人に口を閉じた。
司の部屋に入ってきたのは、王が気まぐれで雇った絡繰を作るのが得意で、弁の立つ青年で名前を類という。
司とは気が合う仲で、類の作る絡繰を見ながら二人で時間を忘れるくらい話し込む事が多々ある。
「類くん」
「もしかして、出直してきたほうが良いかな?」
いつもとは違う、暗く静かな雰囲気に類は来る時間帯を間違えたかもしれないと考えた。
「ちょうど、良かったかもしれないね」
「それはどういう意味ですか?」
「類くん、こっちへ来てほしい」
カイトに呼ばれるがまま、寝台へ近付いた類は目の前の光景に言葉を失う。
昨日まで、元気に笑顔で類を見送ってくれた司の肌は一部ではあるが黒くなり、表情は苦し気に歪んでいた。
「カイトさん、これは……」
類がカイトに尋ねようとした時、大きな音が響き大人数が叫ぶ声が全員に届く。
王はどこだ!
アイツのせいで俺の家族は死んだ!
殺してやる!
終わらせてやる!
無能な王に死を!!
口々に叫ぶ言葉は違うが、彼らの目的はたった一つ。
「術を掛けておくわ」
司の影から出てきたのは、メイコだ。
扉に近付くと、廊下からは壁しかないように見える幻覚の術を掛ける。
「えむちゃんとミクはえむちゃんの部屋に居て、同じ術を掛けて来たわ。寧々ちゃんには町に泊まるように連絡済みよ」
メイコは扉から離れると、司の側へ寄り頭を撫でた。
廊下を走る無数の足音は、部屋の前を通り過ぎると王の私室へと向かう。
一瞬の静寂が訪れ、沸き立つ声が響き渡る。
「終わったようね」
メイコが窓から外の様子を窺うと、清々しい表情で王宮から出ていく人々が居た。
王の私室から引き上げていく男達は、次の王の話をしながら去っていく。
「神獣は血が嫌いな事を忘れたのかしら」
掃除をしてくるわと言い残し、メイコは扉の術を解いて部屋を出ていった。
「いっ……あっ、ぐっ」
「司くん!?」
苦しみ始めた司に類は駆け寄るが、ルカやカイト、リンとレンは冷静にそれを見ている。
「司くんは……」
「大丈夫よ、休む準備を始めたの」
「休む準備?」
司の姿を隠すように光がその体を覆うと、それは徐々に小さくなり手のひらに収まる大きさになった。
ルカはその光を掬い上げると、首から下げていた香袋へ大切に仕舞う。
「神獣より先に王が斃れると、神獣は眠りにつくのよ。目覚めるのは五年くらい先かしら」
「五年も」
「次の王を選ぶのは、もう少し先の話になるよ」
カイトはこれからどうするのか、話し合ってくるよと言い部屋を出ていった。
好き勝手な振る舞いを行っていた役人は、除籍されるだろう。
「リン達は自由になれるけど「リンは司くんを待つよ!」
神獣が眠りについた為、使役の契約は破棄される。その場合、妖獣は自分の意思で野に戻る事も選べるのだ。
「ダメかな、レン」
「ボクも同じ気持ちだよ」
「ふふ。じゃあ、これから二人にもたくさん働いてもらわないとね」
王が居なくなった事で多少の混乱は起きるだろうが、現状より悪化する事はないだろうとルカは考えた。
「類くんは……」
「僕にも出来る事があれば、手伝わせてほしい」
「司くん!」
「司くーん!」
強い意志を灯した類の目がルカを見たその時、扉が勢い良く開きえむとミクが飛び込むようにして入ってきた。
「司くんは!?」
「ここよ」
「……そっか。司くん、お休みの時間なんだね」
ルカの差し出した香袋を撫でたえむは、少しだけ寂しそうに笑う。
「えぇーい!」
「わっ!ミクちゃん?」
体当たりをするように抱き付かれたえむが驚いて後ろを見ると、目を輝かせたミクが居た。
「起きた司くんがびっくりするように、頑張ろうね!」
「う、ん!」
えむは袖で涙を拭うと、カイトの所に行くのだー!と叫ぶミクに手を引かれて部屋を出ていく。
「僕もカイトさんを手伝ってくるよ」
「よろしくね」
えむとミクの後を追うように、部屋を出る類の後ろ姿をルカは見つめた。
「もしかすると……。いえ、私が決める事ではないわ」
類の真剣な目に射抜かれた時、香袋がわずかに熱を持った事にルカは気付いていた。
「目覚めには五年も掛からないかもね」
ルカは乱れたままの寝台を整えると、部屋の扉をゆっくりと閉めて鍵を掛けた。
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二年が過ぎた頃、ルカの持つ香袋から出された司の魂は寝台へと移動させると光を放つ。
光が収まると現れたのは、馬のような姿をした司だった。
「あと一年くらいかしら」
ルカの声に応える者はおらず、部屋には司の寝息だけが響く。
「また来るわ」
ルカは司を撫でると、部屋を出た。
時は過ぎ……。
「……あ、れ」
「ようやく、起きた? ちょっと、寝過ぎなんじゃない」
目を開けた司は、窓から入る日差しの眩しさに目を細めた。
ゆっくりと体を起こして、花瓶の花を触っていた寧々へと視線を移す。
「ね、ね?」
「おはよう」
「おは、よ……う?けほっ」
口から出た声は嗄れていて、乾いた咳が出た。寧々は水差しから湯のみへ水を入れると、司へと渡した。
「ゆっくり飲みなさいよ」
湯のみを受け取ろうとした司は、人型ではない事に気付き姿形を変化させる。
一口分だけ含んでゆっくりと飲み込む、を繰り返して司は水を飲み干した。
「そうか、王は……」
交わしていた誓約が無効になっている事に気付いた司は、深呼吸をすると寝台から立ち上がった。
「ちょっと、なにして……」
「何年経ったんだ?」
「三年」
わずかにフラつきはあるが、司は部屋を出ると執務室へと向かう。
そんな司を見て寧々は呆れたようなため息を吐いたが、凛とした雰囲気を崩さないその後ろ姿を追った。
王が不在の王宮は必要最低限の役人しかおらず、静まり返っている場所が多い。
執務室まであと少しという時、寧々が口を開く。
「アイツの最期、教えたほうがいい?」
「……いや、もう終わった事だ」
寧々が尋ねると司は少し迷ってから、首を横に振る。
「うん、分かった」
少し足を早めた寧々は司を追い抜くと、扉の取っ手を掴んで開く。
重厚感のある扉の先には、難しい顔をしたカイトや真剣に机に広げられた大きな紙を見つめるえむとミクの姿があった。
「司くん! おはよー!」
飛び掛かるように抱きついてきたえむを受け止めて、司はその頭を撫でる。
グスリと鼻をすする音に気付いたが、知らないふりをした。
「迷惑を掛けたな」
「ううん、迷惑じゃないよ。体調はどうだい?」
謝る司に首を横に振って、カイトは否定するとにっこりと笑う。
「バッチリだ。早速だが、オレは次の王を探しに……」
混乱する国を少しでも早く建て直す為には、王を即位させるしかない。
司は眠りから目覚めたばかりだが、すぐにでも王を探す旅へ出発するつもりだった。
その時、扉が開いて類が入ってくる。
「司くん、良かった。目が覚めたんだね」
「っ!」
「司くん?」
近付いてきた類から一歩半ほど距離を取ると、司は左膝を立てた状態で跪いた。
「え……」
「天命をもって主上にお迎えする。御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと、誓約を申しあげる」
紡がれる言葉に類は戸惑ったが意味を理解し、表情は真剣になり司を見つめる。
「許す」
類から承諾の言葉を聞いた司は、立ち上がると一歩近付いた。
「これから、よろしく頼むぞ!」
「司くんと一緒なら、喜んで」
司が手を差し出すと類はその手を取り、力強く握り締めた。
類が国王となってから、この国は永く繁栄する事になる。
役人の入れ換えの際にいざこざがあったが、頭と口の回る類に不正の証拠を突き付けられてしまえば敵うはずもなかった。
「類ー! 会議に行くぞ!」
私室で休憩をとっていた類の元へ、司が元気よく入ってくる。
「分かったよ」
窓から外を眺めていた類は小さく笑うと、立ち上がり司の隣へと並ぶ。
ふと見た、司の頬に泥がついている事に気が付く。
「また山に行っていたのかい?」
「うっ……」
「気を付けてね」
「もちろんだ!」
類は司の頬を親指で撫でて、泥を払い落とす。その手つきは優しく、司はその手に擦り寄った。
「君ねぇ……」
「うん?」
このやりとりだけを見ると、二人は特別な仲に見えるが恋仲ではない。
お互いに想ってはいるが、伝えなくても良いかと考えていた。
「そろそろ、視察に行こうかな」
「またお忍びか?」
類は部下を引き連れて視察を行う事を嫌い、自然な状態を見るがために身分を偽っている事がほとんどだ。
何事も起きてないから見逃されているが、その身が危険に曝されればカイトは禁止を言い渡すだろう。
「というか、気を付けるのはオレよりお前じゃないか!?」
「うん、うん。そうだねー」
「るいー!」
カイト以上に小言の多い司の声を聞き流しながら、類は部屋の扉を開ける。
「ほら、司くん」
「ぐぬぬ」
口で勝てないのを知っている司は悔しそうに唸りながら、類の開けた扉から部屋を出ると寧々が二人に向かって歩いてきていた。
「二人とも早くして」
「すまん!」
寧々は向きを変えて会議室へと向かう。
「怒られてしまったね」
司が睨み付けるようにして類を見ると、類は困ったように小さく笑った。
「新作の絡繰を見せるから、機嫌を直してくれないかな?」
「……」
司が自分に甘い事を類は知っているので、首を傾げながらお願いをしてみる。
「司くん?」
黙ったままの司に類は首を傾げた。
「視察に同行させてくれたら、許す」
ムスッとした表情とは反対の言葉に、類は頬を緩めると司の手を取る。
「もちろんだよ、じゃあ。行こうか」
「あぁ!」
類と司は皆の待つ会議室へと急いだ。