「どんな世界線でも犬飼澄晴は辻新之助に恋をする」1 三門大学経済学部経済学科犬飼澄晴と三門大学理学部地質学科辻新之助
適当に入ったサークルの飲み会で、あ、この子おれに気があるなってわかる子がいた。おれの隣に座ったまま移動することなく、学部の話を聞きながら何かきっかけを探っているように思える、その子。犬飼くん、グラス空だよ、次は何飲む? 気を利かせておれにそう聞いてきてくれるその子のグラスだってとっくに空になっていて、可愛いけれどそこまでピンとこないんだよな、と贅沢なことを思いながらおれは笑って答えたんだ。
「ありがと。でも、ちゃんと駅まで送ってあげたいから、お冷もらおうかな」
それが逆に印象良かったんだろう。宣言通り駅まで送り届けると、連絡先を交換して、そして、さっそくお誘いのメッセージがやってきた。
友達に、来週のマルシェでお手伝いしてるから遊びに来てって言われたんだけど、犬飼くん、一緒にどうですか?
来週の土曜日。最近リニューアルされた施設の一画でのイベントらしい。友達、ねぇ。思わず笑いそうになるのを堪えて、いいね、楽しそう、と予測変換で出てきた言葉をぽんぽんと送り返す。女の子は好きだけど、そういえば、おれ、どういう子が好きなんだろう。好意を寄せられたらそれに応える、そんな流されてばかりの恋愛とは名ばかりの束縛に、そろそろ疲れてきた頃だった。だから、その子がかなり気合を入れて巻いてくれたやわらかなブラウンの髪も、きゅっと上がって束感てやつを出した睫毛も、妙に甘い女の子の好みそうな香りも、今日はやたらと疲れてしまった。それに、マルシェって何かと調べてみれば、ミネラルマルシェ、天然石とかパワーストーンなんだもん。可愛いし、良い子そうだけど、お金かかりそうだなぁ、やだなぁ。癖になった笑みを浮かべながら何軒もテントを見て回れば、彼女は思った通り、やれこの石が綺麗、でもちょっと高い、だの、犬飼くんは何月生まれ? 私、誕生石わかるよ、だの、おれに重たい視線を何度も寄越す。その度におれは、綺麗だね、これだけ綺麗なんだから少し高くても当然だよね、なんて流していく。五月はエメラルドと翡翠だね、ときらきらとした爪を光らせて高価な石に手を伸ばす彼女を、おれは何とも言えない心持ちで眺めていた。店主との会話が盛り上がってきたタイミングで、ゆっくり見て良いよ、おれ、飲み物買ってくるね、と自然に見えるようにその場を離れることにしたんだ。だって、おれ、彼氏でもないし、そもそも彼氏だったとしても財布じゃないから。どこも人でいっぱいで賑わっていた。きらきらした石。鉱石。天然石。確かに全部綺麗だ。それでも気乗りしないのは、多分おれに余裕がないからだ。メインのお店から外れると途端に人が疎らになったから、おれは避難するつもりでそちらに足を進めた。こっちはどうやら化石コーナーらしい。女性よりも男性とか、あとは小学生くらいの男の子達が珍しそうに目当ての物を眺めていた。三葉虫にサメの歯。なんだ、こっちのほうがよっぽど珍しくて面白い。へぇ、隕石なんかも扱ってるんだ、なんてふらふらと眺めて歩いていると、とうとうテントの端にまで辿り着いてしまった。さすがにここまで来るとお客さんはいなくって、からんとしたテントの下に茶色い三葉虫が寂しそうに並んでいた。そして、その隣には、なんとなく場違いな水色の半被を着た若い男の子が立っていた。彼は他のお店の人とは違ってテントの外にいたから全身見ることが出来たのだけれど、半被の下に着ていた私服は、うわ、脚なっが。黒の細身のストレートパンツが、おそらくただでさえ長い脚をより長く見せているようだった。久しぶりにスキニーが仕事してるところ見たな、と視線を上にあげていくと、そこには少し野暮ったい眼鏡をかけた小さな顔があった。顔ちっちゃ。真っ黒な髪の毛は艶々していて、地毛が明るいおれからすればひどく羨ましい色をしていた。そして、眼鏡で隠れているけれど、絶対イケメンだ。切れ長だけど髪と同じように真っ黒な瞳は目を大きく幼く見せて、あぁ、だから女の子ってわざわざ黒のカラコン入れるんだなぁと目力アップ効果を体現していた。スッと通った鼻筋も、薄い唇も、あまりに整いすぎていた。それでいて背も高くて脚も長いとかなんなの。これ、もしかして芸能人のどっきり企画だったりする? おれは不自然にならないように周りを見回してカメラを探す。固定カメラだったらあれだけど、少なくともカメラマンっぽい人はいなそうだ。え、じゃあ何、彼、本当にただの一般人?
「こんにちは。良かったら、少し見ていきませんか?」
なんだかんだ警戒しつつも吸い寄せられるように彼に近づいてしまったおれは、しっとりとした落ち着いた声によって完全に退路を絶たれてしまった。うわぁ、声までイケメンかぁ。おれはやかましい内心とはリンクさせずに余裕そうに微笑んで彼に答えた。
「ありがとうございます」
なんとなく、逃げるなら今しか無かったのに、と思った。別に彼が芸能人だったとしても、どっきりだったとしても構わないのだけれど。それでも、なんとなく自分の中の漠然とした勘が、彼は危険だと訴えていた。
「ここは、他のお店とは違って展示だけなんですけど。触ったり出来るので、気になるものがあれば手に取って見てください」
ゆっくり、穏やかな口調だけど表情が変わらないせいでどこかロボットじみて見える彼は、ころん、と長い指先で何かの化石を撫でてみせた。良いな、何千万年も寝て掘り起こされたら、こんなイケメンに撫でてもらえるとか。別にゲイでもバイでもないけど、でも、なんとなく良いな、と思った。何でかな。ちょっとわからないけど。
「ここは、化石を扱ってるんですね」
「はい。化石だけじゃなくて、……あ、恐竜、わかります? 正確には恐竜じゃないですけど、これ、モササウルスの歯です」
これ、と言って彼はタケノコみたいなものを摘んで自分の掌に乗せておれに見せてくれた。モササウルス。なんだろう、有名なのかな。
「……ごめんなさい、マニアックでしたね。えっと、……ジュラシックワールドって見たことあります?」
「ふふっ。いえ、大丈夫。あぁ、その映画なら見たことあります」
「あれの、第一弾の映画で出てきたんですけど。水族館みたいなガラスの中にいた、大きな魚みたいな」
「え? いたかなぁ?」
「男の子の兄弟達の引率をしていた女の人が、翼竜に攫われて」
「……あぁ! あれ! 助かったと思ったらパクン、って?」
「そうです、それ。パクンてしたやつ」
「あー、そういえば確かにそんな名前だったかも」
「ふふっ。良かった。……その、最後にティラノも丸呑みしちゃったやつの歯の化石です。体は大きいんですが、歯は結構小さいんです。だいたい二センチから九センチで、数は約七十本。何度も生え変わるのと、水辺に生息していたことが関係して化石として残りやすかったんです」
「へぇ〜」
彼は淡々と、でも、きっと好きなんだろうなぁ、とわかる口ぶりでそのモササウルスとやらの説明をしてくれた。そして、触りますか? と、タケノコみたいな歯の乗った掌を差し出してきた。薄い掌だ。指も長いし、身長は同じくらいかな、と思ってたけど、地味に彼のほうが高いみたいだ。おれも結構身長もあるし、顔もそれなりでイケメン度高いかなって思ってたけど、目の前の彼は久しぶりに見た本物のイケメンのようだ。まぁ、眼鏡はちょっとださいけど。そんな彼から歯の化石を受け取ると、彼はくるりと体を反転させて何やらチラシを探しているようだった。あ、背中に何か書いてある。
「え? 三門大?」
彼の水色の半被の背には、三門大理学部地質学科、の文字。おれの呟きに反応した彼は、おれに向き合って、そうでした、と小さくひとりごちた。
「すみません、伝え忘れていました。ここは、三門大学の理学部地質学科のブースです。少しでもこういった化石だったり、地質学に興味を持ってもらいたくて毎年出店しているんです。……ただ、販売出来るほど余裕が無いので展示だけなんですが」
最後のほうは少し苦笑いにも見える表情をしていたけれど、彼は初めてかちかちに固まった表情筋をゆるめておれに笑いかけてきてくれた。口角が上がって、目尻が下がって、わ、可愛い。なんとか本音を押し留めて笑おうとしたけど、これは失敗したかも。
「おれも、三門大。経済の三年なんだけど、……そっかぁ、理系は場所離れてるから」
だから、こんなイケメンに出会わなかったのか。最後はさすがに言わなかったけれど、なんか、下心がすごい台詞みたいになってしまった。こんなことを言いたいわけじゃなかったのに。もはや特技の笑顔だってこういう時に限って上手く作れなくて、おれ、なんかおかしいや。それでも、理学部のイケメンくんは少しだけ嬉しそうに口角を上げておれを見てくれるから、だから余計に落ち着かなくなっていく。
「同じ大学の方だったんですね。……確かに学部棟離れてますし、こういうことしてるの、わからないですよね」
理系は場所が離れてるから。そこで不自然に切ってしまったおれの言葉の続きを、彼は、だからこのイベントのことを知らなかった、と受け取ったようだ。本当は全然違うんだけど。正直な話、理系学部が何しようとどうだって良いんだけど。でも、学部棟が離れていて交流が無いせいでこんな綺麗な子がいるって気づけなかったのは大問題だった。きっとそろそろおれのことを思い出した頃だろう女の子よりも、おれは目の前の美人のことが知りたかった。
「あの、さ。おれ、単位余ってて教養科目もまだ入れてるんだけど、……教養でも地質学の講義ってあるか知ってる?」
単位が余ってるのは本当。とっくに必修も必要分の単位も取り終わって、あとは周りに合わせて入れた暇潰しの講義ばかり。特別勉強熱心なわけでも地質学に興味があるわけでもなかったけれど、それでもおれは彼との繋がりのためにはこれしかないと思った。黒髪のイケメンは少し驚いたように目を見開いて、そして、きらりと黒目の奥の紫を光らせて嬉しそうに笑った。
「……あります。後期に地質概論Bっていう、うちの研究室の教授が受け持ってる講義があるんです。……興味、ありますか?」
「ほんと? やった! 興味あるよ!」
「……嬉しい。教養だとあまり人気がなくて、……あ、俺も手伝いで講義に入るので、よかったら、……あ、いや、俺がいても関係ないですね、すみません」
人形みたいな、ロボットみたいな感情の薄かった綺麗な顔が、今は興奮した様子でやわらかにほぐれて、赤らみ、嗚呼、可愛い。
「関係なくないよ。おれ、お兄さんがいてくれたほうが嬉しい。文系って理系の学部棟、なんか行きにくくて心細いんだよね。だから嬉しい。おれ、犬飼。犬飼澄晴。よろしくね」
にこり、と。意識せずとも自然とこぼれた笑みは、嗚呼、久しぶりに口から笑ったかもしれない。
「……ありがとうございます。俺、理学部二年の辻です。辻、新之助。こちらこそ、よろしくお願いします」
薄い唇がきゅ、と上がって、涼やかな目がやわらかく下がる。人って、本当に笑う時、口から笑うんだって。いつも目から笑っていたおれとは違う、本当の笑みを浮かべてくれる彼、辻くんは、なんだか笑うと子供みたい。大人っぽい、お上品な顔が嬉しそうに笑みを作ると、本当に可愛い。胸が熱くなる。どうしよう。おれ、辻くんのこと、かなり本気で好きなのかもしれない。
「……あ。俺、普段は眼鏡してないんです。手伝いに入るゼミ生、みんな黒髪なんですけど、眼鏡してないのは俺だけなので、もし顔忘れても眼鏡で判断出来るので大丈夫です」
つい今まで幼く笑っていた辻くんは、スッと表情を落ち着かせると、なんだか不思議なことを言い出した。別に冗談でもネタでもない本気の言葉は、真面目すぎて逆に愛おしい。
「あははっ。大丈夫、もし眼鏡してても辻くんのことわかるよ。……でも、念のため外してもらっても良い?」
それはちょっとした好奇心。なんで今日は眼鏡してるの、とか、聞きたいことは他にもあったけれど。彼の素の表情が見てみたかった。辻くんは、対して変わりませんよ、と謙遜してみせたけれど、黒縁のそれを外せば全然違うんだから、ほんと、辻くん、自分のことわかってないなぁ。
「……全然違うじゃん。……すっごい美人」
「ふふっ。犬飼先輩、褒め慣れてますね」
「そんなことないよ。適当に褒める時は、可愛いね、って言う」
「ふふふっ。その笑顔付きで?」
「そう。……ねぇ、辻くん、……ううん、辻ちゃん。おれね、チャラく見えるだろうけど、結構真面目なんだよ。講義の話も冗談でも、その場のノリでもないし、本気で受けたいと思ってる。それに、辻ちゃんのこと美人だなって思ったのも本当。……だから、本当にこれからよろしくね」
はい。そう笑って答えてくれた辻ちゃんにモササウルスの歯を返して、連絡先を交換して、おれは今日ここに誘ってくれた女の子の元へ帰ることにした。彼女には悪いけど、今日のこれで、遊ぶのはお終い。連絡は取るかもしれないけど、もうふたりきりで会うことは無いだろう。おれも、辻ちゃんの長い指にころんと撫でられた化石のようなのかもしれない。何千万年も寝ていた心が掘り起こされた気分だ。
「一目惚れとか、ほんとにあるんだ」
おれは、付き合う予定の無い女の子のために買ったドリンクのカップを眺めながら、なんだか皮肉めいたことを思いながら笑った。
💙💜
2 アイドル犬飼澄晴とラーメン屋バイト店員辻新之助
三門駅から歩いて数分の場所にあるにも関わらず、立地の割に客の入りが少ないのは、おそらく周囲の雑居ビルに不思議と馴染んだ店の外観のせいだろう。大衆向けの居酒屋や昔ながらの個人店、そして少し歩けば雀荘などといったいかにも夜の大人の店に囲まれた此処は、お洒落さとは程遠い、男に好まれるラーメン店だった。
「醤油大盛りと炒飯ー」
「はい」
俺がこの店でバイトとして働くようになったのは、大学に進学してからだった。実家暮らしではあったけれど、実習が多く、県外へ泊まりがけで何泊もすることのある学部だったから、さすがに親にすべてを頼るわけにはいかないと始めたバイトだった。
「辻先輩、餃子焼けました!」
「ありがとう、日佐人くん。今運ぶね」
何か講義や実習の合間に働けないだろうかと考えた時に、時給や業種以上に頭を悩ませたのが自分自身の抱える女性が苦手という欠点だった。中学生の時に女子に囲まれて以来、どうにも意識しすぎてしまい顔は赤らみ言葉が出なくなる。世の中の半分は女性だというのに、俺はその半分相手に話すことも目を合わせることも出来ない。そんな状態で出来る仕事なんてあるのだろうか。ひとりで誰にも会わない場所で出来る仕事って何だろう。そう真剣に頭を悩ませていたところに、男客しか来ないラーメン屋なんですけど、先輩も働いてみませんか、と声をかけてくれたのが後輩の日佐人くんだった。二郎系ってやつだろうかと思いながら二つ返事に店へと向かえば、なるほど、入りにくい、と思わず笑ってしまったのが懐かしい。店主の諏訪さんは一見するとぶっきらぼうで荒い印象を受けるけれど、これほど視野も懐も広い人がいるんだろうかと驚くくらい、あまりに出来た人だった。俺が女性が苦手だと告げても、万が一女連れの客が来たらお前は厨房に入って日佐人に接客やらせりゃ良い、となんでもないように受け入れてくれた。それがありがたく、嬉しかった。恩を返す、なんて言うと重い気もするけれど、それでも、自分みたいな使いにくい人間を働かせてくれた諏訪さんには恩を感じているし、時給以上に応えたいと思っていた。愛想が無いのは昔から指摘されている俺の悪いところではあるけれど、その分注文の取り方だったりとか、食器の置き方だとか、そういったところで良い印象をもってもらえればと日々自分なりに努力しているところだった。
そんなある日のことだ。普段は夕方からのシフトが多いのだけれど、この日はたまたま休講が続いたことから日佐人くんに代わって昼から店に入っていた。会社員だけでなく、学生や朝帰り風のホスト、様々な層の男性客を相手しながら気づけば十四時。忙しい時間帯を脱した頃だった。普段あまり鳴ることのない電話が鳴った。カウンターのお客さんの注文の品は既に運んであるし、今のところ追加注文は無さそうだ。俺は厨房の諏訪さんに目配せしてから受話器を上げた。
「お待たせしました。麺処七番隊です」
来店予約だろうかと手元にメモ帳を引き寄せると、小さく、繋がった、と嬉々とした声が聞こえてきた。そして。
「お忙しい時間帯に申し訳ありません。犬飼澄晴と申します。テレビの撮影許可を頂きたくてお電話いたしました」
若い男性の声。テレビの撮影依頼の電話らしかった。なんでも、いちおしグルメという番組で、地元住民のおすすめの店に赴き実際に食事をする番組らしい。話の流れからこの店が紹介されたようなのだけれど、申し訳ないことに俺はあまりテレビを見ないせいで番組も犬飼さん、という人のこともわからない。芸能人の方らしく、日佐人くんだったらわかったのかなと申し訳ない気持ちになりつつ、少々お待ちください、と一度保留にして諏訪さんに指示を仰げば、暫し考えた後、いいぜ、とカラッとした答えをくれた。店の閉じてる時間で良ければな、という言葉を受けて、俺はまた電話口の犬飼さんに向き合った。許可が下りましたので、お伝えした時間でもよろしければ是非お越しください。そう彼に伝えると、彼は本当に嬉しそうに御礼を述べ、そして、最後に少し気になることを聞かれた。
「ありがとうございます。時間内に終わるように伺いますね。……それで、あの、……今電話を受けてらっしゃるお兄さんも、お店にいらっしゃいますか?」
「俺ですか? はい、おりますが。……あ、大丈夫です、テレビで流れるまで黙ってます」
「あはは、そうじゃなくて。でも、ありがとうございます。……良かった。じゃあ、三十分後くらいに」
「はい。お待ちしております」
電話を受けた店員も立ち会ったほうが良いとか、そういうルールでもあるんだろうか。業種が違えばルールも変わるから、まぁ、きっとそういうかんじなんだろうな、とその時は思っていた。でも、実際はそんなに軽いことでは無かったようだ。
「こんにちは! 先程お電話いたしました犬飼です」
準備中の看板を見ても入ってくるのは、さっきアポ取りをしてきたテレビ関係者だけだ。元気良くのれんをくぐり、そして爽やかに笑う彼が、さっき電話で話した犬飼さんのようだった。ふわふわとした少し落ち着いた色味の金髪に、青い瞳。なんだか外国の血でも混ざっていそうな容姿の彼は、さすが、テレビに出ているだけあって格好良かった。店に来てくれるホストのお兄さん達も格好良い人が多いけれど、犬飼さんはそういう、この辺で格好良い、というかんじではなかった。諏訪さんも、おー、さすが芸能人だな、と小さくこぼすくらいだ。そんな犬飼さんは、一通り番組の流れを話して注文を済ませた後、ラーメンと餃子が出来上がるまで数分の間、おれを見てにこりと笑った。
「さっき、お電話の対応してくれた方ですか?」
「はい」
「ありがとうございました。……ふふっ」
「何か?」
「んー、……あの、……電話で声聞いた時から、絶対お兄さんイケメンだろうなって思ってたんですけど。……実際、想像の何倍もイケメンで美人で、本当にびっくりしちゃいました」
「……え? ……それは、……ありがとう、ございます?」
カメラが回っているのかどうかまでは俺にはわからなかったけれど、それでも犬飼さんは芸能人らしいきらきらとした笑顔で俺にそう言った。彼のほうがよっぽどイケメンで美人というやつだろうに。言われ慣れない言葉に詰まりながら返せば、厨房から諏訪さんがにやりと悪い顔をして彼に声をかけた。
「辻はダメだぞ。うちの唯一の綺麗どころだからな。口説きたいんだったら、仕事じゃなくてプライベートで来なぁ」
冗談なのか悪ノリなのか、なんにせよ反応に困ることを言う諏訪さんに、犬飼さんはきょと、と目を丸くしたあとにころころと笑った。
「あはは! あらら、バレちゃいました? 元々通うつもりではあったんですが、……じゃあ、辻ちゃん、……おれ、これからお店通うから、仲良くしよう?」
これも冗談なんだろうか。俺はやっぱりどう答えて良いのかわからずに、ただ小さく、はい、と頷くことしか出来なかった。その後、出来上がったラーメンと餃子をテーブルに運ぶと、犬飼さんは勘違いしてしまいそうなほどあまい顔でありがとうございます、と俺に笑いかけ、そして次の瞬間には、わぁーおいしそぉー! と無邪気に笑って箸を持った。それは多分彼のタレントとしての笑顔なんだと思った。元気で、ちょっと軽薄そうな、でも人懐こいキャラ。それがきっと、犬飼澄晴というテレビで活躍する彼の姿。じゃあ、俺に声をかけて笑みを浮かべた彼は? ホストのお兄さん達がよく話している、アフターのようなかんじだろうか。そうだとすれば、彼は男相手にも気を抜かないすごい人だ。でも、きっとそうなんだろう。犬飼さんは最後まで爽やかで、まったく嫌な印象を俺達に与えずに店を後にした。芸能人というのは、見た目も良くて気配りも出来なければならない、大変な仕事をこなすすごい人達だ。ただ。オンエアは二週間後くらいなので見てくださいね、と諏訪さんと俺に笑いかけた後。犬飼さんが俺だけに囁いた言葉だけは、彼のイメージとはまったく異なっていた。
実際のオンエアでは、トップアイドル犬飼くんも目を奪われるイケメン店員登場⁉︎ なんて大袈裟なテロップが何度も流れ、そして、店に電話してきた時の犬飼さんの様子も映っていた。一軒目のアポ取りで少し慣れたから大丈夫そう、と余裕な笑みを浮かべていた犬飼さんが、俺が電話に出るなり緊張した様子になっていくところでは、ここで犬飼くんがあることに気づく、と意味深なテロップが流れた。さらに、俺が諏訪さんに電話の内容を伝えるために保留にしている場面では、犬飼さんはカメラマンさんや他のスタッフさんにこう言っていたのだ。
「え、やばっ。聞きました? 今の店員さん、声、すっごいイケメンの声してた」
犬飼くん、イケメン店員の気配を察知。誇張にもほどがある煽りにスタジオのタレント達も悪ノリして、わかる、イケメンの声だった、なんて騒いでいる。まさか諏訪さんと話している裏でこんな話が交わされていたなんて。急に恥ずかしくなって、俺は誰も見ていないのに真っ赤になった顔を抑えて耐えるしかなかった。それなのに、番組は俺の顔出しはしないでほしいという要望には応えてくれたものの、イケメン店員、なんて文字で俺の顔を隠すのだから余計にタチが悪い。そして何より恥ずかしかったのが、店を後にしてからの犬飼さんの様子だった。ロケバスに乗り込み次の店へと向かう間も、犬飼さんは俺の話をしていたのだ。
「さっきのラーメン、本当に美味しかったですね。おれ、実はあんまり量食べられないんですけど、美味しすぎて普通に食べきっちゃいました。量も結構あったのにね。隠れ家的というか、知る人ぞ知るってかんじで、おれ、今日すごいラッキーでした。この番組に出させてもらってなければ、もしかしたらずっと食べられなかったかも。今度メンバーにも教えてあげたいな。……それにしても、あの店員さん、本当に綺麗でしたね。あれで芸能人じゃないってすごいや。……もっと見てたかったなぁ。おれ、もしかしたら——」
その後の流れなんて記憶に無かった。恥ずかしくて、恥ずかしくて、びっくりして、とにかく声も出せずに、跳ね回る心臓を肌の上から押さえ続けた。なんなんだ、あの人は。日佐人くんからメッセージが届かなければ、俺はずっとテレビの前から動けなかっただろう。それくらいの衝撃。芸能人というのは、見た目も良くて気配りも出来なければならない、大変な仕事をこなすすごい人達。犬飼さんは間違いなくそれで、日佐人くんが言うには今一番勢いのあるアイドルグループのメンバーらしい。シングルの売上もコンサートの動員数も日本で一番。そんな自分とは縁遠いアイドル。あんなに俺のことをイケメンだのなんだと扱ったテレビ番組では、諏訪さんの要望もあって店の住所も店舗外観もすべて隠した状態で放送された。人気アイドルが来た店となれば、女性ファンだけでなくミーハーな人達も訪れる可能性があったからだ。何人かはどういう情報網なのか店を見つけ出して、犬飼さんの座った席や俺のことを熱のこもった目で見つめてきたけれど、それでも心配したほどの混乱は起きずに済んでいた。諏訪さんの友人のひとりで少し小柄な男性は、格好つけてると潰れるぞ、なんてきっと諏訪さんの本心に気づいた上で揶揄っていたけれど。そう、これだけ静かでいられるのは、すべて諏訪さんの配慮のおかげだ。俺が女性が苦手だから。俺が番組内で変にいじられた上で、犬飼さんとも話してしまったから。だから店の宣伝のチャンスだったにも関わらず、秘密の隠れ家的ラーメン屋、なんて理由ですべてを伏せてくれたんだ。俺は申し訳なくて、でも、その優しさがありがたくて、何度も何度も謝った。それに諏訪さんは何でもないように笑って、でも、にやりと表情を変えて言ったんだ。
「あいつはきっとしつこいぜ。辻、謝るくらいなら、あいつのこと上手く扱ってやれよ」
「……何言ってるんですか、そんなこと出来ませんよ」
「いいや、お前なら出来る」
「な、なんで」
「まぁ、なんつーか、勘だな」
勘だと言いつつもどこか含みのある笑い方は、諏訪さんにとって確信に近い証拠だ。諏訪さんがスープの入った寸胴鍋の中身を確認して蓋を閉じてしばらくすると、チリン、と来店を知らせるベルが鳴った。あれ、まだ仕込みの時間なんだけど。せっかく来てもらったのに悪いけど店の外で待っていてもらわなければと振り向けば、そこには黒のキャップを目深に被った男の人が立っていた。そして。
「準備中にすみません。諏訪さん、昨日はありがとうございました」
「おー」
諏訪さんと親しげに話すその人。知り合いの方だったのか。なんだ、余計なことを言わなくて良かった。そう思っていたのに。彼がキャップを脱ぐと、はらりと落ちたのはやわらかな金の髪。少しぺたんと潰れているけれど、きちんと整えられた髪。青い空色の瞳に、勘違いしてしまいそうなあまい表情。
「……え」
「ふふっ。辻ちゃん、こんにちは。この前の言葉、本当にしに来たよ」
犬飼澄晴。トップアイドル。俺とは遠い世界の人。彼だった。ここは、お洒落さとは程遠い、男に好まれるラーメン店。諏訪さんには悪いけど、彼みたいな人が来る場所じゃない。それなのに、塩ラーメンお願いします、と慣れた様子で注文してから俺に近づく彼は、一体。俺は、あの撮影で彼が俺に残した言葉を改めて思い出していた。そして、実際テレビで流れた彼の言葉も。オンエアは二週間後くらいなので見てくださいね。おれ、もしかしたら。
「辻ちゃんに一目惚れしちゃったみたい」
きゅ、と細められた空色の瞳には、彼のイメージとは異なる強い意思が込められていた。
💙💜
3 飲み会常連大学生犬飼澄晴と騙され大学生辻新之助
世間ではお盆休みだと言われている期間も、学生には正直関係が無かった。親戚と会ったり、お墓参りをしたり、やることは勿論あるのだけれど、一度親元を離れて自由を謳歌してしまえばわざわざ帰るのも億劫になってしまった。ただ、交通費が痛いから年末に帰ることにする、とそこまで遠く無い嘘でも、飲み会に参加して女の子を漁っているのは少しだけ良心が痛んだ。でも、せっかく大学も無いんだから、少しくらい遊んだって良いじゃない。おれは違う大学の女の子達と話しながらも、どの子なら後腐れなく付き合えるだろうかと考えていた。そんな中、あることに気がついた。そういえば、今日は女の子の人数が少ないんじゃないか、と。いつもだったら自分のいるテーブルには女の子がたくさん寄ってくるのだけれど、今日はどうにも散っているように思えた。へぇ、意外。そこまで目立つ男っていなかったような気がするんだけど、誰だろう、もしかしておれが見落としてたのかな、それとも話し上手なのかな。おれ、顔の綺麗な子は女の子でも男でも好きだから、純粋に興味がある。おれは不自然にならないように周囲の様子をうかがって、それで、わかった。一番端のテーブル。ちょうど柱があって男の姿は見えないけれど、女の子達が楽しそうに奥に座る男に絡んでいる。可愛い〜! という笑い声は話し上手な男に対する反応では無さそうだけれど、それはそれで俄然興味がわいてきた。どういう人かな。仲良くなれると良いんだけど。おれは好奇心に負けてしまい、同じテーブルの女の子達に言ったんだ。
「ねぇねぇ。あっちのテーブル盛り上がってるよ。ちょっと見に行ってみない?」
二つ返事で着いてきてくれた女の子達と端のテーブルを目指すと、そこは思っていた雰囲気とは大分違って驚いてしまった。柱で姿が見えなかった男は、なんで気づかなかったんだろうと不思議でたまらないほど綺麗な顔をしていた。さらさらとした黒髪も、涼やかな目元も、薄い唇も、女の子で例えるなら綺麗系、清楚系に当て嵌る顔だった。わぁ。これは、おれのタイプど真ん中。すっごい好きな顔。そしてそんな美人くんは、おれが近寄るなりハッとしたように顔を上げたんだ。真っ赤な顔に、涙で潤んだきらきらと光る紫の瞳で。
「っ、……こんにちは。なんか盛り上がってるみたいだったから、楽しそうでつい来ちゃった。混ぜてもらっても良い?」
言葉に詰まるくらい動揺したけれど、おれはなんとかいつも通りやわらかく笑ってみせた。おれのことを知ってくれている女の子もいて、犬飼くんだ〜、こっち座れるよ、なんて受け入れてくれて助かった。でも。
「あ、あの! ぉ、俺、席、代わります!」
今まで女の子に囲まれて固まっていた美人くんは、突然大きな声を出して勢いよく席を立つと、おれの返事を待たずに店の奥へと向かってしまった。え、なにそれ。どういうこと。当然女の子達も困惑していて、辻くんどうしちゃったんだろう、なんて顔を見合わせていた。辻くん。美人くんの名前。おれは彼の名前を口にした女の子に近づくと、彼、どうしたの? と心配そうな顔を作って聞いてみた。
辻くんっていって、彼、今日初めて幹事の人が連れてきた子なんです。だからまだよくわからないんですが、お酒はそんなに飲んでないみたいでしたけど、もしかしたらそんなに強くないのかも。ずっと顔、真っ赤だったので。
女の子同士で確認し合いながら教えてくれたのは、彼の名前と、幹事が連れてきた子だということ。そして、お酒に強くないのかも、ということ。これは、もしかして。
「そっかぁ。……それにしても彼、すっごいイケメンだったよね? モデル? ではない? へぇ〜、あそこの大学の。え〜、それなら尚更おれも皆みたいにイケメンと喋ってみたい。ちょっと探してくるね」
マジで酒に弱かったパターンとか? おれは珍しく本音だけで言い訳すると、女の子達は笑っておれを送り出してくれた。いつもなら、酔った同性にも優しい犬飼くん、を演じるところだけど。今回ばかりはそんな必要無かった。だって、おれ、今日は女の子よりも彼のほうが気になるから。イケメンくん。美人くん。偏差値の高い私大に通う、辻くん。なんであんな可愛い顔しておれのこと見上げちゃうかなぁ。さっきから変なスイッチ入って大変なんだけど。おれはまず席から近い入り口付近を確認して、まさかなと思いながらも喫煙スペースを見て、それから男子トイレに向かった。仮に吐いてたとしても絶対連れて帰る。おれは久しぶりにギラギラとした自分の中の欲を自覚しながら扉を開いた。すると、三つある手洗器の一番奥で暗い顔をして鏡を見つめる辻くんを見つけることが出来た。吐いてるわけではなかったか。これはラッキー。
「えっと、辻、くん? さっきはごめんね、大丈夫? もしかして具合悪い?」
おれは今度は真剣に顔を作って声をかけた。彼に警戒されたくない。それに、ワンチャン、ホテルにだって行きたい。だって一目惚れなんだ。こんな美人、あんな女達に渡してたまるか。
「……大丈夫、です。こちらこそ、突然すみませんでした。……感じ悪かったですよね? ……本当にすみません」
「んーん、全然。でも、お酒酔っちゃったのかなって心配してた」
お酒苦手? なんて優しい声を意識して彼に向けると、美人くんは恥ずかしそうに小さく笑った。
「……特別強いわけではないですけど、弱くもないと思います。顔に出ませんし」
「へぇ? ……あれ? じゃあ、今って」
今度は作ることなく、本当に感じた通りにおれが不思議そうな顔をすると、彼、本当に可愛くて可愛くて、逆にイライラしてくるくらい幼く恥ずかしがるから、嗚呼、これ、マジで持って帰るわ、と心に誓ったんだ。
「……あの、……ほんと、……情けないんですけど、……ぉ、俺、……女の人が、苦手、で、……全然、喋れないし、目も合わせられないし、……顔もすぐ赤くなるし、……ほんと、……もう、帰りたい」
くしゃ、と綺麗な顔を歪めて泣き出す寸前みたいな顔でおれを見るから、嗚呼、ほんと、こいつ、イライラする。めちゃくちゃに泣かせたい。このお上品な顔、どろどろにしてやりたい。おれは完全に目の前の美人を性の対象として捉えていて、いつだったかおれよりタチの悪い奴が下半身ってムラムラ通り越すとイライラしてくるんだ、なんて言ってた意味不明な言葉が理解出来るようになっていた。ほんとそれ。今、めちゃくちゃイライラしてる。早く連れて帰りたい。それでもおれはなんとか感情を抑えつけて、とうとう顔を覆ってしまった美人くんに近づいて言葉を紡いだ。
「大丈夫、全然情けなくなんてないよ。……そっか、でも、そんなになら。……ねぇ、辻くん。一緒に抜け出しちゃおっか」
別に他には誰もいないし、なんならトイレだし、格好つける必要なんてどこにも無かったんだけど、なんとなくおれは彼に近づく理由が欲しくて、そっと耳打ちするように話しかけた。すると、彼は驚いたようにおれを見て、そして一瞬の間の後に慌てたように声を上げた。
「だ、ダメです! ぉ、俺は、良くても! ……あの、……えっと、……名前」
「あぁ、ごめんごめん。おれ、犬飼。三門の三年ね」
「……す、すみません。……その、俺はいなくても、こんなだから構わないと思いますけど、先輩は、……犬飼先輩は残ってなくちゃ、みんな、残念がると思います」
真面目でやさしい、でも自分の価値をいまいち理解できていない辻くんは、涙の余韻で瞳を光らせたままおれを見ていた。ほんと、いちいち可愛いんだよなぁ。
「……おれは女の子を集めるために呼ばれてるだけで、辻くんが思ってるほど必要に思われてないと思うよ」
「……え?」
「自分で言うけどさぁ、おれ、結構目立つじゃない? 髪の色もこんなだし、目も青いしさ、服は好きだからこれはまぁ自分で選んだ結果だけど、客寄せっていうの? そういうのに向いてるんだよ。……それに。おれ、本当はこういう飲み会には絶対来なそうな大人しい子がタイプなんだよね。ふふっ、これ、内緒ね?」
ぽろぽろ落ちる言葉は、用意していたセリフとはまったく違っていた。そんなことないよ、大丈夫だから一緒に抜けちゃおう。そう言って、なんとかして彼をこの場から連れ出すつもりだった。それなのに、実際出てきたのはおれがずっと閉じこめていた本心だ。なんで今、こんなタイミングで。おれはいつも通りに動かない体に嫌な汗をかきながらも辻くんを見つめていた。どうしよう。なんだこれ、いつものおれじゃない。
「……俺も、……大人しい人のほうが、好きです」
へにゃ、と、さっきまでとは違う恥じらった顔で辻くんは笑った。それにおれの心臓はバクバクと喧しく反応し続けるから、おれまで顔、赤くなっちゃいそうだ。
「じゃあ、決まり。鞄、椅子に置きっぱなしだったよね? 具合悪くなったってことで良い?」
はい、と今度は素直に頷いてくれた辻くんを残して、おれは宣言通りに彼の荷物を取りに戻り、ブーイングに近い言葉を受けながらも会場を後にした。何人かは辻くんを心配したていで着いてきてしまったから、おれはトイレで待たせていた辻くんに事情を説明して、具合が悪い演技をしてもらったんだ。お互いぴたりと体を寄せて、おれの右肩に顔を押しつけた辻くんの肩を支えて、よろよろとゆっくり歩いてみせる。本当にお互い全然酔ってなんかいないけど、それでもなんとなく脚が絡んで歩きにくい。こんな演技すぐにでもバレてしまいそうで、むしろ笑わないでいるほうが難しかった。店を出て飲み会のメンバーから見えなくなった頃になると、結局おれ達はふたりして吹き出してしまった。
「あはは。おっかしぃ〜」
「ふふっ。笑うの我慢するの、大変でした」
大人しそうな、お上品な顔を楽しそうにゆるめて笑う辻くんは、やっぱり可愛かった。どうするかな。成り行きとはいえ抱いた体はどう考えても男の体だったけれど、身長だって同じくらいか、彼のほうが少し高いくらいだけれど。なんか、普通に良いにおいしたな。香水とかシャンプーとかの後付けの人工的な香りじゃなくて、なんか、こう、彼自身のにおいだろうか。いや、そんなことないか。家の香りかな。すごい好きなかんじ。ホテルに連れ込みたいとか思ってたけど、いや、今でも思ってるけど、でも、おれ、やっぱり彼とは普通に仲良くなりたい。こういう気持ちになるのは初めてで、逆に今までみたいに簡単に関係を迫れない。困ったな。ほんと、好きだな。
「ふふっ。……はぁ。……犬飼先輩、本当にありがとうございました。先輩が助けてくれなかったら、俺、ずっとトイレから出てこれなかったかもしれないです」
なんとなく駅に向かってゆっくり歩く中で辻くんはおれに言った。ありがとうございますって。おれが助けてくれたって。本当は違うのにね。下心だらけで連れ出したっていうのに、彼にとっておれは救世主で、良い人だ。
「ははっ。良かった、辻くんが外に出られて。……ねぇ。もしかしてさぁ、辻くん、幹事に無理矢理連れてこられた?」
おれはずっと気になっていたことをここにきて聞いてみることにした。トイレに逃げ込むくらい女の子が苦手なくせに、どうして女の子と出会うための飲み会になんて参加したのって。それに辻くんは少しだけ苦々しい表情をして、それは、と口を開いた。
「……無理矢理、とは少し違うんですが。……実は俺、今日、誕生日で、二十歳になったんです。だから、先輩達がお祝いに飲みに行こうって誘ってくれて。俺、てっきり先輩達と飲むものだと思っていたので、……でも、お店に着いたら、その、全然違って、……だから、……無理矢理ではないですけど、……あの飲み会に参加したかったわけでも無いです」
困った顔でおれの目を見る辻くんは、本当は怒ったって恨んだって良いはずなのに先輩を責めることをしない。ただただ、話が違うからびっくりしたのだと言い張るのだ。どうやったらこんな純粋な子が育つんだろうな、と思いながらも、おれもその先輩達とやらと同じようなことをしようとしていた。
「え、辻くん、今日誕生日なの? うそ、おめでとう! ねぇ、じゃあ、おれにその先輩達の代わりやらせてよ。絶対、女の子待ってたりしないから」
おれの言葉に辻くんは小さく笑った。
「ふふっ。……それが本当だったら、着いていきます」
「本当だよ、安心して?」
辻くんは本当に綺麗な顔をしていると思う。きっと表情豊かなタイプでは無いんだろうけど、それでも、笑ったり、悲しんだり、困ったり、泣きそうだったり、色々な顔をしてはおれのことを熱くしていく。何しても綺麗で可愛い。でも、それだけじゃないんだろ、君。
「ねぇ、そういえばさ。辻くん今日で二十歳なんでしょ? いつ自分がお酒弱くないって知ったの?」
行き先を飲み屋に変えてからおれが尋ねれば、辻くんは悪戯がばれた悪ガキみたいに笑った。
「ふふふっ。高校卒業してから、家で、です。兄と飲んでました。……内緒、ですよ?」
やっぱり、ワンチャンホテル目指してみようかと、綺麗なだけじゃない彼を見てそう思った。
「わぁ、わっるいやつー。なんだ、辻くん、ってキャラじゃないんじゃん。……でも、……ふふっ、そういうとこ、おれ、好きだよ。ね、辻ちゃん」
彼の誕生日に彼氏になれたりしないかな。
ねぇ、辻ちゃん?
終