ブラッドとオスカーが入籍して一週間。両親や仲の良い友人に報告を済ませてようやくひと息ついた頃だった。
パトロールに出ると声を掛けられることが増えたような気がする、とオスカーは首をかしげた。今までは体格と表情から怖いと思われることが多く、人気者のブラッドどころかメンティーふたりよりも声を掛けられる回数が少なかったのだ。
「あの、オスカーさんですよね?」
振り向くと、穏やかに笑う女性が立っていた。女性だと身長差が広がる場合が多いので余計に怖がられることがほとんどだったのだが。
「はい。何かありましたか?」
「えっと……ほら、自分でお願いしなさい」
女性が背を押したのはさらに小さな──屈んでも目線が合わないような女の子だった。それでもオスカーは膝をついて、できるだけ威圧感を与えないように少女の顔を覗きこんだ。
「あの、あの、……さ、サインください……っ!」
勇気を振り絞って少女が差し出したペンと色紙。少女の母親が言うには、以前レスキュー隊の仕事をした時にたまたま通りがかった少女が「かっこいい!」とはしゃいでいたらしい。
「ありがとう。良かったらこれからも応援してくれ」
「うん! ありがとう!」
宝物のように色紙を胸に抱きしめて、少女は手を振りながら去っていった。
「──ということがありました。最近そういったことが増えたのですが、何かあったんでしょうか……」
夜の報告会は入籍をしても変わらず行っていた。ベッドについた手を重ねていることだけは今までと変わったことだ。
「以前オスカーの表情が柔らかくなったとディノが言っていたから、そのせいかもしれないな」
「あ……」
さっとオスカーの肌に朱がさした。結婚の報告の前に付き合っていることは告げていた。その時に、二人とも幸せだからなんだなとディノが言っていたのを思い出したのだ。
「顔に出ていたと思うと少し恥ずかしいですが……でも、ブラッドさまといるからだと考えれば嬉しい、です」
ふにゃりと笑う顔は、幸せを体現しているかのようだった。もともと垂れ気味の目尻が下がって、緩く弧を描く口元が可愛らしいとブラッドはいつも思う。
「……ああ、俺もだ」
どちらからともなく、唇を重ねるだけのキスをする。明日は早くから仕事だとわかっているから、それ以上が欲しくなる触れ合いはしない。
「そういえば、サインが必要な書類がある。今してもらえるか」
ブラッドが差し出した書類を断る理由もなく、オスカーはペンを受け取って自分の名前を書いた。
「どうした?」
名前を書いてぴたりとオスカーの動きが止まる。手元を見ても書き間違えている様子はない。
「あ、いえ……仕事では名前を変えていないですが、ファミリーネームの頭文字は同じなので、その……い、今さら実感というか……」
先ほどさした朱よりも濃い色がオスカーの肌に乗った。オスカーが元のファミリーネームのつもりで書いて、ブラッドと結婚した今のファミリーネームで連想したようだ。
「ブラッドさまに教えていただいたこの字を、ブラッドさまと同じ名前になって書けたのがすごく嬉しいんです」
「教えた当時は考えてもいなかったが……そうだな、こういうことを幸せと言うのだろうな」
抱きしめて、ネックレスに通した指輪に触れる。指輪に移ったオスカーの体温がじわりとブラッドの手になじんだ。
指を絡めて、頬を擦り合わせて、密やかに笑みをこぼして。その幸福は煮つめたシロップのようだった。