ポッキーゲーム「煉獄千寿さんだよね、ちょっとお話してできる?」
放課後、教室を移動しようとして扉を開けると、待ち受けていた高等部の女子生徒数人に囲まれた。またか、と心の中で小さなため息をついて振り返る。千寿にとっては時々訪れる風景だ。
用件は皆一緒──同じ学園で教鞭を取る兄、杏寿郎のこと。明朗闊達で爽やかな好青年、老若男女誰とでも分け隔てなく話ができる兄は、よくもてる。他校の女生徒から声をかけられたこともあるくらいだ。ファンクラブがあるとかないとか、学園内の有名人である杏寿郎を兄としている以上、降りかかるあれやこれやは千寿には避けられないものであった。彼女はいるのかに始まり、手紙を渡して欲しいだの、プライベートを教えて欲しいだの。教師ではなく一人の男性としての姿をあの手この手で聞き出そうとしてくる。マスコミの相手をする芸能人もこんな感じなのだろうか……心の中では辟易としつつ「煉獄先生の妹」という立場で兄の評判を落とすことはあってはならない。ただ千寿も内心は複雑だった。何が悔しくて自分の恋人の情報を根掘り葉掘り聞こうとする者の相手をしなければならないのか。
杏寿郎と千寿が懇意にしていることは二人だけの秘密、自分達の仲を公にすることはできないからこそ、余計に悔しさが募る。杏寿郎とてそんな千寿の気持ちは充分に汲み取っているつもりだ。バレンタインのチョコレートに始まり、生徒からの私的な物は一切受け取らないことに決めている。もし受け取ったとしても、同僚の教師に検閲としてチェックしてもらい、単なるお礼状であれば受け取るスタンスを徹底している。やるのなら皆等しく、不公平が生じれば噂は一瞬で広がるからだ。
兄のことを尋ねられた時の返事は想定問答として用意してある。当たり障りなく、波風立てぬ回答……加えて相手に興味が無いことを暗に
示すために。
ふと、この前の出来事を思い出す。兄にお見合いの話が舞い込んできたときだ。近所の人や、どこから聞いてきたのか父の会社関係から時折そういった話がやってくる。一時期は何件も同時に来たことがあった。「◯◯会社の重役のお嬢さんで……」「地元では名士で代々伝わる◯◯家の……」相手の情報を話す父の側で千寿が俯きがちにしているのに気づいたのだろう、杏寿郎は姿勢を正し、両親を見据えて静かに申し出た。
「俺は今誰とも結婚するつもりはありません。申し訳ありませんが、今後このような話は全て断ってください」
息子が余りにもキッパリと断ったので両親も驚いていたが、本人を尊重しそれ以降の話は無くなった。
「ね、お願い。お手紙を渡してくれないかな?煉獄センセ絶対受け取ってくれないんだもの。笑ってはぐらかされちゃった」
「すみません、兄からそういうものは一切受け取らないと強く言われていまして……だから私に渡されてもお渡しができないんです」
いつものように、穏やかな笑顔でやんわりと断る。押し切ろうとする相手には口調は優しく、それでいて毅然と断わるようにしている。
──お家ではどんな話をするの?
──兄とは時間が合わないので……恋人ですか?兄のプライベートについては私は承知していません。そう言った話はしないんです。
返答としては苦しいかなぁと思いつつ、なんだ、妹なのになんにも知らないのね、といった顔をして去ってくれればしめたものだ。
もちろん千寿は全てを知っている。寝る時はスウェットが多いが、たまに母親が買ってきた肌触りの良いパジャマを着る事もあること。家での仕事のお供はコーヒーとほうじ茶。母の買ってきた和菓子を食べてしまい時々怒られていること、風呂は烏の行水……豪快そうに見えて、千寿にりんごを剥いてくれる時は必ずうさぎさんにしてくれること。湿気の多い日は2人して朝は髪の毛がもさもさしていること──
(ひとつたりとも、あなた達には教えてあげない)
帰宅して部屋着に着替えると、千寿はころんとベッドに転がった。枕元のテディベアを抱きしめ、あれで良かったのかな、と想定問答のやり取りを反芻する。好きな人のことを知りたい気持ちは千寿だってわかる。でも今日は久しぶりに気疲れしてしまった。
(宿題をする前に少し休もうかな……)
千寿はそっと目を閉じた。
***
夕方、机に向かっていると、兄が帰宅した音が聞こえた。女生徒にも伝えているように兄の仕事は忙しく、夜が遅い時も多い。今日は早く終わったのだろうか。暫くすると部屋をノックして杏寿郎が顔を出した。
「千寿、ただいま!土産があるんだが良かったら一緒に食べないか?」
参考書に付箋を貼って杏寿郎の部屋に行くと、ベッドに座るよう促された。兄は椅子に腰掛け、目の前の机には紙袋が置いてある。
「今日は何の日か知ってるか?」
「11月11日…何かありましたっけ」
「これだ」
渡された紙袋を除くと、細長い箱がいくつか入っている。
「今日はポッキーの日らしいんだ。企業も毎日色んな記念日をよく考えるものだな。それはデパートの地下で売ってる高級版ポッキーらしい。発売されてから大分経つが、今も人気なんだな。土産に貰ったんだ」
夕飯前だが少しなら大丈夫だろう?とチョコレートのポッキーの袋を開ける。二人して一本ずつかじり、目を合わせる。
「ん、美味しい!」
「確かに美味いな…さすがデパートで売っているだけあるということか」
いつも食べているものとはチョコレートも濃厚でプレッツェルの香りも違う。大切に食べようと思っていると、兄が何やらポッキーを手に持ち、千寿を見つめてきた。
「ほら、先を咥えて」
そう言ってプレッツェルの部分を咥えると、早くと言わんばかりににこにこと微笑む。いわゆるポッキーゲームというやつだ。
──そうか、兄はこれがしたかったんだな。道理で普段ならポッキーの日なんて単語は絶対に出てこないはずだ。
兄とは何度も至近距離で顔を見つめているのに、いざとなると気恥ずかしくなり顔が熱くなっていく。焦点はどこに合わせたらいいのか……千寿は遠慮がちにぽきりと食べ、先を咥える。では俺の番、、とした杏寿郎が、持ち手のプレッツェルから大きくかぶりつく。喉につかえないかとハラハラしたその瞬間、そのままポッキーを全て奪い去るように食べ、杏寿郎の唇が覆い被さった。
あっという間の出来事に、千寿も目を丸くして杏寿郎に向き直る。
「あっ、あにうえ〜っ!!フライングですよ、もう!」
本当なら千寿の番なのに、残ったポッキーを奪い去られていきなりキスをされたので、流石に驚いてしまった。
「ハハハ!すまん、千寿が可愛らしくて……我慢できなくなってしまった!」
「せっかちなんですから…」
千寿をなだめるように優しく抱きしめると、頭をポンポンと撫でられる。
「今日、千寿のところに高等部の生徒が行っただろう?」
「……ご存知だったんですか」
「前から何度も来ていたんだ。その度に断っていたんだが、、嫌な思いをさせたな、すまなかった」
「私からもちゃんと断りました」
抱きしめていた腕をほどき、千寿の頬と唇に触れると、もう一度口づけをする。
「ありがとう、俺の全てを知っているのは千寿だけで良い」そう言って、杏寿郎は千寿を強く抱きしめたい
──煉獄センセ、付き合ってる人いないの?
──いますよ。恋人を前にした兄の表情(かお)、眉根を下げてとっても優しそうな目をするんです。あなたたちは一生見ることはないでしょうけれど──。
おわり