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狗巻家の先祖は神社の庭師をしながら各地を回っていた。
その中のひとつ、金沢のとある神社で庭を整えていた時に二匹の白い蛇と出会う。その神社は蛇を祀っており、その白い蛇も悪さをしなかったのでそのまま住まわせておいた。庭師としてはいつもなら噛まれてはたまらないと追い出してしまうのだが、なぜだかそうする事ができなかった。そんな時、神社の神職たちが騒いでいた。何があったのかと聞けば、若くして官職につく才を持つ菅原道真という青年がこの神社にやって来ると言う。ただ、狗巻は庭師だ。和歌を詠む事もお金を動かす事もしない。だから菅原道真という者が如何に優れた者か想像する事もできないのだ。
その日も庭の手入れをしていた。生垣に生えた枝を美しく、且つ病気になりにくく、樹木を育ちやすくするように剪定をしていた。
「貴方はここの神職の者ですか?」
黙々と作業をしていた狗巻に声を掛けた人物が居た。神社の神職では見ない服装をした男は、迷ってしまったんだと困って声を掛けたという。
「私はただの庭師ですので木々の事しか解りませんが、この整えた木に沿って行けば入り口です」
狗巻は揃えられた木々を眺めた。こうやって整えた木々も生き物なのだから、時間が経って形が崩れてしまうだろう。だがそれは狗巻の誇りだった。病気にならず元気に成長をさせる事が役割だからだ。
「貴方はこの役割に誇りを持っていらっしゃるんですね。ありがとうございます。これで迷わずに進めそうです」
そう言って男は去っていった。
翌日、狗巻は昨日とは反対側の木を剪定していた。この時には金沢に来て五日目であった。
「この神社にいる白蛇の兄弟を見守ってくれてありがとう」
声を掛けてきたのは昨日道に迷っていた男だった。名を聞けば男は菅原道真という。
「ここら辺じゃあ、貴方の話題で持ちきりですよ。こんな田舎になんのご用ですか」
「あら、私がここに居ては迷惑でしょうか」
手元の仕事を黙々とこなす狗巻に菅原は構わず話かける。邪魔をされなければいいかと狗巻は話に付き合った。
「それで先程のあの兄弟蛇、随分と人間が好きらしい。私ともすぐに仲良くなってくれたよ」
「蛇が?」
「ええ。蛇が。あの子たちはとても良い子だ。貴方が守っていてくれたんですよね」
狗巻はあの白蛇達の巣穴を隠れるように周りの木々を剪定していた。お陰で白蛇達はまだ神職達には見つかっていないようで、朝になると狗巻の前にひょっこりと現れる。だが菅原にはバレてしまったので一瞬狗巻はヒヤリとしたが、菅原は大変白蛇たちを可愛がっている様子だった。
「貴方は優しいですね。人間というものは姿形が違うだけで忌み嫌う」
「私はただアイツらが何もしてこないからしないだけだ。立派な事じゃぁない」
「立派な木の根に穴を開けられたのに?」
ここで狗巻は菅原が少し苦手だと思った。菅原はふわふわとした雰囲気の癖に確実に狗巻の性質を見通している。狗巻はそれが勝手に自分を曝け出しているような気がして落ち着かなかった。
「また明日来るよ」
そう言って帰るのも狗巻にとっては少し憂鬱だった。この男にいつまで付き合わなくてはならないのかとため息が出るのだから。
それから数日、決まって菅原は狗巻の元に現れた。白蛇達も慣れた様子で菅原の貴族の広い袖に入り、出ておいでと言うと二匹揃ってひょっこり顔を出した。狗巻は初めこそ驚いたものの、あまりに自然に振る舞う菅原に毒気を抜かれ大笑いをした。大人しくしておくんだよと言い聞かせ、そのまま出かけていった日も多く日中に白蛇達を見ることが少なくなった。寂しい気持ちもあるが、菅原の言っていたように人間が好きならあいつらにも良いだろうと狗巻は仕事を黙々と進めた。
ある日菅原は二匹の蛇に「梅」と「松」と名前を付けていた。
「目が赤い方が梅で、緑が松だよ」
菅原が並ぶ白蛇を指差した。だが狗巻にはどちらがどちらか判らなかった。
「君の目は、そうか。なら春に咲く梅の花が梅の目、そこの生垣の葉が松の目だ」
そう言ってこれなら判るだろうと菅原はころりと笑う。狗巻はそうだなと言って梅を撫でた。
狗巻が金沢へ来て半月、この神社での仕事が終わった。いよいよ別の地域へ行く時だ。菅原へ挨拶でもしようと、いつも会う蛇の巣穴へ向かった。するとやはり菅原は居て、手に乗せた蛇の兄弟を眺め時々相槌を打っている。時々菅原が話しかけると、今度は白蛇が相槌をするかのように菅原の唇を長い舌でチロリと舐めていた。狗巻がしばらくその様子を眺めていると、菅原は狗巻に気がついて微笑み掛けた。
「もうここでの仕事は終わったらしいね。この子たちが喜んでいたよ」
「ああ、はい。その挨拶をしに来たんだけど、あんた本当に蛇と話してたんですね」
菅原は涙を流して大笑いした。
「私の事をあんたと呼ぶのも貴方くらいですし、本当にこの子たちと話しているのを信じるのも貴方くらいです」
「そりゃあ大変失礼しました」
ただのしがない庭師の狗巻には、菅原はただの人間だ。この神社では会話をする人間は少なく、普段あまり話をしない狗巻には退屈なようで楽だった。けれど菅原が来たことにより、案外自分は話す方だと狗巻は気がついた。
「今日、私は岐阜の方へ向かいます。短い間でしたけど色々気づかせてもらいました」
挨拶のついでに巣穴の様子を見に来たのだと狗巻は足元に伸びた枝をひとつ鋏でパチンと落とした。その狗巻を見た菅原はふぅん、と顎に手を当てて思い立った。
「感謝されるような事はしていないのだけどな。まあこの際その感謝をありがたく受け取っておいて、貴方にひとつお願いがある」
出会ってからいつもふわふわと笑っていた菅原が初めて見せた真剣な顔に、今からどの様な話をされるのだろうかと狗巻は身を硬くする。菅原はそこまで硬くならないでくれ、と言いながらもやはり先を見る目をしていた。
「私もあと数日すれば都に戻る。ただこの子たちは連れて行けない。だから貴方にこの子たちを連れて行ってもらいたい」
「それだけ?」
とんでもないことを頼まれる気がしてごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めた狗巻は拍子抜けして聞き返した。
「それだけ」
表情を崩さない菅原もつられて唾を飲んだ。
「いいけれど、こいつら多分寂しがってるぞ」
それは解るのか…と呟いた菅原に耐えられなかった狗巻は、人生で一番笑った。その様子に菅原は納得がいかないと口を尖らせたが、すぐに話を戻した。
「人間というものは形が違うだけで忌み嫌う生き物だ。けれど貴方は違う。この母の鼓動を知らぬ子たちに愛を与え、人間とはこんなにも優しく寄り添うものだと教えてくれたから私はこうしてこの子たちに触れる事ができる」
別れが近い事を悟った白蛇たちが菅原の手の中でその手の主を見つめていた。蛇は瞬きをしない。ましてや口角も上がるわけもない。なぜ解るかと言えば、蛇の舌の動きと視線で狗巻は彼らの心の内を少し覗いたように感じたからだ。
どうか頼まれてくれないだろうかと菅原に差し出され、狗巻は白蛇の兄弟を引き取った。
そして白蛇の兄弟は狗巻の元で二十年生きた。狗巻も白蛇が亡くなってから数年後に亡くなった。
狗巻が世を去り、何代かすると狗巻の家は庭師ではなくなっていた。その頃になると不思議な子供が産まれた。その子供は口と舌に模様があった。一族は首を捻った。なにかの疫病か、化け物か、医者や寺に聞いても分からなかった。だがその子供はすくすくと育っていき、その推測は消えた。その子供は世間とは隔離されて育てられ、やがて青年になり学びを喜びにした。大変才のあり、占いに興味を示し身近な者をよく視ていた。青年の占いはよく当たる。良い事も悪い事もその青年が言うことは全て本当に起こるのだ。そうなってしまえば世間から離されていた青年の噂はじわじわと広がり、人々が殺到した。青年は喜んだ。人と出会い話す喜びを知ったのだから。そうなってしまったからなのか、始めはただ視るだけだった占いの筈が頼まれれば“まじない”をするようになった。狗巻の“まじない”は必ず叶った。それは例え、誰かを殺してくれという願いすらも叶えてしまった。
狗巻家は危惧した。ここの模様は疫病でも、化け物でもない。この“まじない”もただ視るだけには収まるはずがない。この青年には“呪い”が刻まれている。いや、“呪いそのものだ”と。そして誰かがこう言った。
「あの白蛇の呪いだ」