邪魔しないで登場人物
※たぶんボーダーのない世界線です
犬飼澄晴……社会人。一人暮らしで黒猫のしーちゃんを飼っている。辻ちゃんの先輩。
しーちゃん……犬飼澄晴の飼い猫。真っ黒な毛並みとスレンダーな体型が魅力。甘えたがりで来客は苦手。
辻新之助……社会人。一人暮らしで犬のスミさんを飼っている。犬飼先輩の後輩。
スミさん……辻新之助の飼い犬。金色の毛並みで愛想がよく賢い。犬飼先輩とも表面上仲は良いが真意は謎。
※以下、本編※
今夜のメニューは色々悩んで、クリームシチューにした。
「ナァン」
キッチンに設置してあるペットゲート越しに黒猫のしーちゃんが、おねだり声で鳴いている。
「良い匂いする? 後でしーちゃんにも茹でササミあげるよ」
「ナァン」
後でじゃなくて、今がいいと言いたそうにしーちゃんは鳴いているけどゲストを待たずに食べさせるわけにはいかない。
おれはゲートに隙間を作らないように慎重にキッチンを出ると、時間を確認してコートを羽織った。
「しーちゃん、おれ迎えに行ってくるからいい子で待っててね」
念のためしーちゃんをケージの中に入れようとしたけど、チキンの良い匂いが気になるのかだいぶ抵抗された。
「いってきます」
としーちゃんに手を振ってみたけどふてくされてケージの隅に丸まってる。ごめんね、帰ってきたらまた出してあげるからさ。
まだ夕方の時間帯なのに、外はもうだいぶ暗くなっていた。日が短くなってくると冬が近づいてくるなあ、と感じる。
風もしっかり冷たくなってきて木枯らしと言ってもいいくらいになってきた。
駅の改札口が見えるところで待っていると、人並みの中に黒くて真ん丸の頭がのぞく。そのうちに見慣れた背格好が見えるようになって、おれが手を振るとキョロキョロと周囲を見渡していた顔がぱっと明るくなった。
「辻ちゃん、お疲れ〜」
「わざわざ迎えに来てもらって、すみません」
「いいって、これくらい」
お泊りセットの入ったいつもより大きなカバンを持つと辻ちゃんはいつものように、
「あの、自分で持ちます」
と言ってくれる。
「いいの。おれが持ちたいんだから」
辻ちゃんが細身でもひ弱じゃないのは十分知ってるけど、こんな時くらいはカッコつけさせてほしい。
「ありがとうございます」
恋人がはにかんだ顔でお礼を言ってくれるんだから、これくらい当然でしょ。
「今日はスミさんはお留守番? 」
辻ちゃんも犬を飼ってて辻ちゃんは『スミさん』と呼んで可愛がっている。
「ペットホテルに預けてきました。ひと晩くらいなら、家で留守番させてもいいんですけど俺だけ楽しむのも悪いかなと思って」
「なるほど。それなら寂しくないね」
「はい。よくお世話になってるので、もう実家みたいにくつろいでると思います」
「ははは」
出かける前にケージに入れてきたしーちゃんのことが脳裏によぎる。あんまり怒らないでいてくれると嬉しいんだけど。
マンションのエントランスで辻ちゃんが、
「これ、ペットの足洗い場ですか? 」
と一角を指さした。
「そう。うちは完全室内飼いだけど、犬飼ってる人とかは便利だよね」
「いいなあ。室内に上げる時また拭かないとなんでしょうけど、砂とか泥汚れを流す場所があるのは羨ましいです」
「今度スミさんも連れて来なよ」
「しーちゃんとケンカしないですか? 」
他愛もない話をしながらエレベーターで上がり、部屋のドアを開ける。
「どうぞ」
「お邪魔します」
辻ちゃんの上着を預ってハンガーにかけていると、遠目にリビングのケージが見えたようで辻ちゃんがソワソワし始める。
「あの、俺、犬飼ってるから、嫌われたりしないですか? 」
「うーん、しーちゃんお客さん苦手だから最初は逃げると思う。姉ちゃん達が遊びに来た時もずっと隠れてたし」
「そうですか」
会う前からしょんぼりされるとおれもかわいそうになってくる。後ろから頬にキスして、
「まあ、何度も遊びにきてよ。そのうち慣れるかも」
と前向きな言葉で慰めた。
辻ちゃんがあわあわと手で頬を押さえて、
「そ、そうします! 」
と言ってくれたので改めて唇にバードキスをした。
「しーちゃん、ただいま〜」
おれの緊張を悟られないよう、なるべくのんびりした声で挨拶しながらケージを開けると、しーちゃんはパッとこちらを向いてそのまま一目散に走り出した。
ダダダダダ……! という足音だけが残されておれは苦笑した。
「はは、やっぱり最初は逃げた」
振り向くと辻ちゃんは残念なようなホッとしたような表情をしてる。恋人のペットに会うなんて、恋人の家族に挨拶するのと変わらないから緊張したんだと思う。
「あの、これお土産です」
「ありがと。立派なぶどうだ。デザートに食べようか」
「はい。あとしーちゃんにも」
猫用の液状オヤツをもらった。これはあとで辻ちゃんからしーちゃんに食べさせてもらったりしたいけど、今日はまだ無理かもしれない。
「これ、しーちゃんも大好きだからきっと喜ぶよ」
辻ちゃんを洗面所に案内しておれも手洗いうがいを済ませたら、いよいよ料理の仕上げにかかる。
「辻ちゃんは座って待っててよ」
「そんな、手伝います」
しーちゃんはリビングから逃げ出しちゃったし、一人でダイニングチェアに座らせておくのも暇かもしれない。
「ありがと。じゃあバケット、トースターで焼いてくくれる? もう切ってあるやつ買ってきたから」
「はい」
その間に冷蔵庫からキャロットラペを出して、小さなココット皿に入れIHの加熱スイッチを押す。同じく冷蔵庫から出してきた鱈は塩コショウをして、薄力粉を降った。
魚好きなしーちゃんには塩コショウ無しでスチームケースに入れてレンジで加熱すれば蒸した鱈になる。
トースターでパンの焼き加減を見ている辻ちゃんには次の仕事を頼むことにした。
「カトラリー並べてくれる? そこの一番上の引き出し 」
「あ、はい。ここですか? 」
「そう。スプーンとフォークとナイフね」
辻ちゃんが二人ぶんピックアップしていくのを横目に見ながらフライパンにバターを落としてムニエルを焼き始める。
シチューが温まってきた頃なので大きめのスープカップによそっていく。レストランみたいに順番にサーブしたいところだけどそれだと一緒に食べられないから今日は一度に出してしまうことにしてる。
トースターの焼き上がりの音で辻ちゃんが戻ってきた。
「バケットはこっちのお皿に盛ってね」
「はい」
普段チーズなんかを乗せてるカッティングボードを渡す。全部は乗り切らないだろうけど、見た目重視ってことで。
ムニエルも無事焼き色がついたので白ワインを振って最後蒸し焼きにする。
トトト……、と軽い足音が聞こえてくる。しーちゃんがキッチンにやってきたようだ。
でも、辻ちゃんの姿を見つけるとまたパッと寝室の方へ逃げて行ってしまった。
お皿に鱈のムニエルとキャロットラペの入ったココット皿、仕上げにベビーリーフと薄切りのレモンも添える。
「辻ちゃん飲み物何がいい? 無糖の炭酸水とリンゴジュースあるけど」
「あ、じゃあリンゴにします」
飲めないわけじゃないけど、おれも辻ちゃんもあまり酔うのが好きじゃないから二人の時はノンアルコールが多い。グラスをふたつ出して、
「了解。あとおれやるから座ってていいよ」
と声をかけた。
「ありがとうございます」
スマートスピーカーから適当な音楽を流せば食卓の完成だ。
「さ、召し上がれ」
「いただきます」
食事の間はにぎやかにしてるから、しーちゃんはここまで来ない。
ケージの中に用意したごちそうの様子を伺いに来たのは、おれ達がデザートのぶどうを味わってる頃だった。
「……、あ、今来てます」
「うん。後ろ向いちゃダメだよ」
しーちゃんを気にしないように辻ちゃんの口にぶどうを一粒、滑り込ませる。辻ちゃんは目を丸くしておれを見て、それからモグモグと口を動かした。
後ろでちゃくちゃくと、小さな舌がほぐしたササミや鱈を味わう音がする。
辻ちゃんの喉がこくんとぶどうを飲み込んだのを見計らって肩を抱く。 「キスしていい? 」
「邪魔しないように、ですか? 」
「邪魔されないように、だよ」
しーちゃんが食事に夢中になってくれたおかげで、ぶどうみたいに瑞々しい唇をおれは存分に味わうことができた。
END