誕生日の翌日 今日は雲ひとつない青空だった。街路樹はいっせいに新しい葉を出し、街のそこここで花が咲いている。ぽかぽかとした日差しが春らしくて、犬飼の誕生日にふさわしいと辻󠄀は思った。
「え、辻󠄀くんその服で来たの? 」
ところが、氷見は待ち合わせ場所で目を丸くした。
「うん。暖かいから、いいかなって」
薄手のシャツ一枚の辻󠄀に、
「今日は夕方から冷え込むって」
と端末に天気予報を表示して見せた。
「本当だ」
「そのままだと寒いよ」
氷見は春らしい見た目のアウターの中に、キルティングのライナーを付けてきたという。
しかし、今から服を買うわけにもいかない。帰りの寒さは我慢するしかない。
「いたいた」
数メートル先から二人を見つけた犬飼が片手を上げた。
「犬飼先輩」
「辻󠄀くん、こんな薄着で来てます」
「あ〜この後冷えるんだっけ? 」
犬飼にも天気予報の画面を見せると、
「毎年この時期って、急に寒くなる日があるんだよ」
と苦笑した。
例年と同じように二宮に誕生日肉に連れてきてもらったのは、鳩原の件を意識したくなかったからだ。
みんな例年と同じように犬飼の誕生日を祝い、例年と同じように焼肉を食べた。
焼肉屋を出ると、昼間の陽気が嘘のように気温が下がっていた。
繁華街の電灯に照らされた夜闇には厚い雲がかかり始めている。
「気をつけて帰れよ」
「誕生日肉、ごちそうさまでした」
「二宮さんも、お気をつけて」
氷見を最寄り駅まで送ると、二宮ともそこで別れた。犬飼は自分のジャケットを脱ぐと、両腕を擦りながら歩いている辻󠄀に、
「辻󠄀ちゃん、唇真っ青だよ」
と笑って自分のジャケットを羽織らせた。
「すみません」
一枚羽織っただけでも暖かさが違う。そういえば冬の初めにもマフラーを借りた。
「それ、肩幅合いそうならあげる」
犬飼の急な申し出に辻は慌てて上着を脱ぐ素振りを見せた。
「え、そんな、洗って返します」
「いいって」
今にも降り出しそうな天気に、辻󠄀の心がざわつく。
「先輩、明日の防衛任務ですけど」
「うん」
「加古隊と合同なので、その……」
「大丈夫。フォローするよ」
こんな小さな約束で犬飼を引き留められるのだろうか。冷たい風が通り過ぎる。
「……もし、犬飼先輩がこっそり鳩原先輩を探しに行くなら」
辻󠄀の声がわずかに震える。
「協力者が必要なのでは? 例えば、腕の立つ攻撃手とか」
その震えが怒りでも落胆でもなく、覚悟を決めるためのものだと気づいて犬飼の口角が上がった。
「自分で言っちゃう? 」
「これでも、マスタークラスなので」
辻はポケットの中でトリガーを握り締める。風に乗って花びらが足元でくるくると回っていた。
「気持ちだけもらっておくよ。もう二度と、あんな二宮さんは見たくないから」
犬飼の口から二宮の名前が出て、辻の手から少し力が抜ける。
「そういえば、辻󠄀ちゃんからまだプレゼントもらってないな〜」
重い空気を振り払うように犬飼がおどけてみせた。
「今、あげたじゃないですか」
「え〜? 辻󠄀ちゃんの気持ち? 」
重くない? と言われたが辻󠄀は歩くスピードを緩めなかった。
明日も変わらず、隣を歩けると信じて。
END