読書 駅や現地で待ち合わせすることも多いけど、寒くなってきたこの頃はカフェで待ち合わせすることにしている。
どっちかが早く着いても暖かい場所で待てるし、待ち合わせ場所で簡単に今日行きたい場所や見たいショップの打合せもできるから。
寒さに首を縮めて、ポケットに手を入れたまま歩く朝、ガラス越しに恋人の姿を見つける。彼はまだこちらに気づいていない。
視線は手元に落ちていて、少し目を伏せた横顔を艶やかな黒髪がそっと覆っている。すっと伸びた背筋やゆるやかに反った肩の姿勢が良くて綺麗だな、といつも思う。
片手で楽々つかめるだろうサイズの文庫本を折り曲げたりせず両手で開いているのが彼らしい。
一枚の絵画みたいな絵になる姿を遠くから眺める度に、ちょっと遅くきてよかったなぁなんて口元に笑みが浮かんでしまう。
ずっと見ていたいけど、ガラス越しにあと数メートルというところまで近づいたところで見つかって、辻が読んでいた本から顔を上げる。
犬飼も軽く手を振ってカフェ店内に入っていく。カウンターで簡単に注文して、辻の隣へと座った。
「おはよ、待たせてごめんね」
「おはようございます。まだ約束した時間前ですし、俺が早いだけなので」
電車が遅れたら、とか待ち合わせ場所まで迷うかもしれないので、とか言って辻は大抵待ち合わせ時間より早めについている。
犬飼もそれを見越して早めに到着することはできるのだが、待ち合わせで自分を待っていてくれる、というのが好きで待つのが大変な場所でなければ時間通りに行く方が多い。
「何読んでたの」
「あ、えっと、犬飼先輩には関係ない本、です」
「なにそれ。余計気になるじゃん」
カバーのかかった本をさっと隠そうとするので、犬飼は身を乗り出して閉じようとする本のすき間から左上のタイトルだけ読み取った。
「『これで完璧!女性との接し方』ふふ、ハウツー本? 」
「笑わないでください! こっちは必死なんです 」
「そうだね。ごめん」
さっきまで絵画みたいだ、なんて見惚れてたのにだいぶ俗っぽい本を読んでいたと知るとつい笑いがこみあげる。
「というか、辻ちゃんは別に接し方がマズいんじゃなくて、女子に緊張するのが悩みなんだから、それだとちょっとズレてない? 」
辻の本にはページの端を折った後も、マーカーでラインを引いたり付箋をつけた跡もなく、新品同様きれいだ。
「う……。でも、『女子に緊張しなくなる本』なんてないですよ、きっと」
「まぁね。そういうのは動画の方が手っ取り早くない? 」
「動画でもいいですけど、文字の方が頭に残りやすいので」
「へぇ、辻ちゃん文字優位なんだ」
最近電子書籍の読み上げ機能を愛用している身からすると、わざわざ紙の本を開いて丁寧にページをめくっている姿はそれだけでちょっとロマンティックだ。
「優位かはわかりませんが、記憶に残りやすいのは文字の方ですね」
「じゃあ、今度から辻ちゃんには通話じゃなくて、メッセージにしようかな」
細身のボールペンを取り出すとペーパーナプキンを一枚取って、そこにさっとハートマークを描く。
「こっちの方が記憶に残るでしょ? 」
驚いた辻は目を丸くして犬飼を見つめた。ぱちくりとまばたきして、赤くなった顔を隠すように横を向く。
「そういうのは……絶対忘れないので、ちゃんと口で言ってください」
辻の表情を見て犬飼も満足そうに微笑む。
「犬飼りょーかい」
今日は途中で書店に寄ろうと思う。一冊選んで言ったら、辻はどんな本を渡してくれるだろうか。
END