遠くから子供の泣き声が聞こえる。次第に近づいてくるその声に、神妙な顔つきでダイニングチェアに腰掛けていた晶ははっと立ち上がった。転がるように玄関先へ向かう。ドアの鍵を開けようとして、その前に誰かの魔法が発動した。
「《アドノポテンスム》」
ドアが勢いよく開く。一気に外の寒気が家の中に入りこみ、晶は震え上がった。
「ブラッドリー!?」
「おらよ」
懐かしい顔の魔法使いはその腕の中にいた少年を晶へ渡す。少年は晶の顔を見て、既に涙や鼻水でぐちゃぐちゃな顔を一層歪ませた。
「ままぁ」
晶にしがみつく少年を見守りつつ、ブラッドリーは一歩玄関先に踏み込む。指を鳴らして彼はドアを閉めた。入りこんだ雪も軽く片付けてから、呆れた顔で晶を睨みつけた。
「てめぇのガキぐらいてめぇでしっかり面倒見とけ。迷子になって殺されかけてたぞ。で。オーエンは?」
「すみません、ありがとうございます……! オーエンならこの子を探しに出ました」
「ふぅん。だったらはじめから目を離すなって伝えとけ。助けるのはこれっきりだぞ」
不機嫌そうに肩の雪を払い落とす。すっかり溶けて水滴と化したそれはブラッドリーの手を濡らした。
同時に不思議に思う。まさか、自分がオーエンの子供を助ける日が来るとは。
――こいつ、あのオーエンの子供じゃね? うまく使えばオーエンに一矢報いてやれるぜ。
そんな下劣な会話を聞いてしまったのも、見覚えのある子供を見かけてしまったのも偶然だった。あたりにオーエンも晶もいない。不安そうな顔であたりを見渡す少年のことをブラッドリーは無視しようとして……踵を返した。
見殺しにするのも気が進まなかった。今回だけだからな、と心の中で悪態をつきながら彼はその子供のところへと向かう。そして、下劣な奴らを蹴散らして、少年を抱えながら箒を飛ばしたのである。
「ちょっと、帰ってきて――……なんでお前がここにいるんだよ」
勢いよくドアが開かれる。その事を予測していたブラッドリーはドアに当たらないように避けて、ドアを開けた張本人を睨む。
「ぱぱ!」
「オーエン、おかえりなさい」
呑気そうにしている妻子を見て、オーエンは怪訝そうに顔を歪めた。しかしそれも一瞬のことで、は、っと鼻で笑った。
「もしかしてブラッドリー、きみが誘拐でもしたの? ふぅん、人身売買にまで手を出してたんだ」
「バカ、もう二度と助けてやらねぇぞ」
「助けてなんて誰が言った?」
「こいつが」
ブラッドリーが晶の腕の中を指し示した。涙で濡れた瞳をキラキラとブラッドリーに向けており、オーエンは笑みが崩れた。
「お前北の魔法使いなんだからもっとプライド持てよ。何簡単に助けを求めてるんだよ」
「北の魔法使いなのに他人に助けを求める事が出来る。こいつの強みだろ」
ブラッドリーが鼻で笑う。そんな彼を横目でじとりと睨みつけながら、オーエンはため息をついた。
「本当にお前は晶みたいに甘ったるい性格をしてるよ。母親に似すぎじゃない?」
「見た目はオーエンそっくりですよ」
「なおのこと悪い」
オーエンは少年のデコの上で指を弾く。ぱちん、と小さな音を立てたデコピンに、少年は再度泣き出しそうに顔を歪めた。
「僕にそっくりなんだから、これからもこういったことは起こる。自分の身は自分で守れるように厳しく教えこんであげるよ」
「手伝ってやろうか?」
「黙ってろよ。お前に任せたら知らない間に盗賊になってるだろ」
「いいじゃねぇか。一人前の盗賊にしてやるよ」
「すみませんブラッドリー、盗賊はちょっと……」
泣き出しそうにしていた少年はキョロキョロと大人たちの会話を聞く。ピリピリしていて、けれどもどこか気を許しているような三人に、少年はへらりと笑った。