君を知らずに100年生きるより③ 守一郎について、自分が学園で1番彼を知っているのだ、という自負がある。何故なら同室だからだ。彼が忍術学園に来てから、誰よりも共に過ごしていた。彼の人生を鑑みると、もしかしたら学園ではなく、世界で1番かもしれない、とも思っている。
しかし、守一郎にとっては、小さな世界から出て、出会った同い年の友人など自分が初めてだろうし、きっと自分の感じているたくさんの中にいる一人の守一郎と同じ感覚ではなく、守一郎にとってはこれから出会う世界の初めての一存在が自分なのだろう。いわば卵から出て初めて見たものを親だと思う雛と同じだ。
だから、沢山のことを手を引いてあげなければいけないのだと思っていた。ユリコにだって、そうやっていつも色々な世界を見せているのだから。それは、「恋」についてだって同じはずだ。
「まずは、寝る時の衝立を無くしてみないか?」
「いいけど…」
恋人ごっこを提案してから、妙に狼狽えている守一郎を尻目に、三木ヱ門は何らかの具体的な行動を起こすべく頭を悩ませていた。一緒にいる?委員会や火器の手入れ、各々忙しくしている時以外はなんとなく一緒にいる。昼食を一緒にとる?お互い忙しくしているのに、負担になって守一郎が「恋」を嫌がっては本末転倒だ。
そこでひらめいたのが、衝立を無くす、ということだった。
その話を持ちかけた時には、既に布団も敷かれていて、三木ヱ門は二人を隔てるように置かれていた衝立を押し入れの前まで運んでいった。それでも結局、することは眠ることだけで、恋人は案外難しいなと思ったりしていた。
「火を消してもいい?」
「ああ」
衝立が無くなっただけで、別に布団をくっつけている訳でもないのに、いつもより数倍近い気がした。布団にはいって、「おやすみ」と挨拶をして、どうせだからと仰向けにしていた体を守一郎の方に向けると、彼はまったく微睡みもせずにこちらをみつめていて、目が合った。
「眠らないのか?」
「何だかさ、勿体ないような気がして」
何だか、ちょっと分かるような気がした。このそわそわと浮き足立つような感覚は、まるで守一郎がこの部屋にきた時のようだった。
「前はさ、真ん中に布団を敷いていたんだ」
「うん」
おもむろに三木ヱ門が話し出すと、守一郎は静かに相槌を打った。みんな、彼を声が大きくてやかましいというけれど、よく通る声は、石火矢の爆発音の中でも自分の耳によく届いて、三木ヱ門はそれがいっとう大好きだった。
「押し入れも全部、自分だけで使えたし、どんなに汚くしても迷惑をかける相手もいなかった。」
「便利だった?」
「そりゃあ正直ね。でも、委員会から帰ったら部屋は真っ暗で、2人分のおかえりが聞こえてくる後輩を見送って、静かな長屋に帰ってきたんだ。別にそれがどうって、思ったことは無かったんだが」
「うん」
「1人分の場所を開けるために掃除をしてからの方が、ずっと楽しい」
「…そっか」
二人で寝そべって目を合わせているのは、何だか不思議な感覚だった。きっと普段だったらこんなことは話さないだろうに、なんだか、ころんと、心が無防備に転がり出たような気分だった。
でも、向かいで守一郎が嬉しそうに目を細めているから、それで充分な気がした。
「三木ヱ門」
「なんだ?」
「次の休みにさ、団子屋さんに行こうよ。しんベヱからさ美味しい団子屋さんの話を聞いたんだ。少し歩くけどさ。」
「そっか、じゃあ…」
「ふたりで行こうよ」
みんなも誘って、と言おうとした三木ヱ門の言葉を遮ったのは守一郎だった。そうだった、私たちは今、恋人なのだった、と役割を思い出して「うん」と返事をした。
「三木ヱ門はしたいことある?」
「したいこと…」
休みの間にしておきたいことは、山ほどある。火器の手入れに散歩、新しいものは無いか武器を見に行ったり。でも、守一郎の目を見ていると、いつもとは違うことだって過ぎる。
美味しいお茶屋さんに連れて行ってやりたいと思う。素敵な雑貨を見て、彼の南蛮鉤を入れる皮の入れ物なんかを見繕ってやりたいし、古書店で為になった本なんかを教えてやりたいと思う。一緒にしたいこと、が、自分の中に増えている事に気づいた。
「いっぱい、ある…だから、次の次の休みも……」
一緒に街に行こう、そう言い終わる前に意識が遠ざかっていった。眠りに落ちる感覚の中で、それが何だか勿体ないように思う。もう少しだけ、起きていたかったと、強く思う。
「おやすみ、三木ヱ門」
もう瞼が上がらないから、と顔の横の手を守一郎に向けて伸ばそうとしたけれど、途中でぱたんと床におちてしまったのが手のひらの冷たい感覚で分かった。でもしばらくして、手が温かいもので包まれて、それがどうしようもなく心地よくて、少しだけ泣きたくなった。
目が覚めると、左手が守一郎に握られていた。二人して、布団からはみ出て、顔すら寄せあっていて、それがむず痒かった。
起こさないようにそっと手を引き抜いて、周りの様子を伺うといつもより早くて冷たい朝の空気が突き刺さって、守一郎の温かい体温が既に少し恋しくなってしまった。
つい、手を伸ばして頭を撫でると、自分とは違う少しだけ硬い髪がさらさらと流れた。楽しみだな、なんていう気持ちと、ほんの少しの罪悪感。それを振り払いたくて、顔を洗うために井戸へと向かった。
「おはよう、三木ヱ門」
「あ、タカ丸さん。おはようございます。」
「今日は早いね」
「タカ丸さんこそ。」
まだ寝巻きではあるものの、あとは着替えるだけといわんばかりに身支度が終わった様子のタカ丸に声をかけると、彼は「髪結いの朝は早いからね。」と笑っていた。それから、三木ヱ門が顔を洗い終わるのを待っていたらしく、手ぬぐいで顔を拭っていると、ちょいちょいと手招きをして自分の前に座らせた。
「早起きした子の髪は特別に結ってあげよう」
「え、それは有難いですね」
タカ丸の雰囲気は不思議で、自然とこちらも解けていくような感覚がある。だから、つい、何かを話してしまうのは仕方ない気がした。
「タカ丸さん、私…の友人があることをし始めたんです」
「ふむふむ、なにをし始めたの?」
「恋人ごっこ、というやつで」
「へぇ!初めて聞いたごっこ遊びだねぇ」
「そう、なんですよ!えっと…友人の、友人が、そりゃとてもいいヤツで、その人が恋愛に興味を持っているようで」
「ほう?」
「だからあの、友人は彼に協力したくてそういう経験のためにごっこ遊びを提案したんです。」
「そっか」
「でも、わた…友人は、何だか迷ってるみたいで」
言葉が、難しいな、と思った。昨日の今日でやめるとは言いきれないけれど、昨日の夜の浮ついた気持ちが一晩たって落ちついてきて、今は後悔すらしている。さっき目覚めて、手を握って、守一郎に触れた時に、「こんなことしなければよかった」と思ってしまった。
「どうして、迷ってるの。」
「何だか、悪い気がしてるんです。私が、誰かのあるべき席を奪ってしまったような気がしてしまって…」
目頭がじわっと熱を持つ。泣くな、泣くな、と自分に言い聞かせた。泣いてしまったら、何かが手遅れになってしまう気もするし、何かを認めなければならないような、そんな恐ろしさがある。
「守一郎は、とても優しくて、いいヤツです。きっとみんなが彼を好きになる。だから、私は守一郎に、誰かと幸せになって欲しいと、本当に思っているんです。」
「誰かと、なんだね?」
タカ丸はまるで確かめるみたいに繰り返した。それに三木ヱ門は「はい」と返事をした。だって、自分はひとりでずっとずっと、平気だったから。
守一郎の明るい「おかえりさない」も、気持ちが綻ぶような温かい体温も、一緒に迎える穏やかな朝も、自分は運が良くて、偶然、享受できただけのもので、きっと彼に用意された人と彼は、将来幸せな家庭を築くのだ。だから、今だけ、練習だけだからと思ったのに。
(知ってしまうのがこんなに怖いなんて、しらなかった。)