ドアのベルが鳴る。その音を見事に聞きつけた少女は遊んでいた人形を放りだして玄関へとかけていく。その後ろを母親である晶が必死に追いかけた。
「おかえり、パパ! おじさんもいらっしゃい!」
玄関先にいる二人の男性に少女は元気に挨拶をする。パープルの長い髪をたなびかせながら、少女は片方の男性に抱きついた。
「おやおや」
抱きつかれた男性――シャイロックは困ったように笑いながら少女を抱きかかえた。満更でもなさそうな笑みを浮かべて隣にいる男をちらりと見た。
「どうしました、ムル」
「……え? いや、え……?」
彼にしては珍しく混乱しているらしい。彼らしくもなく言葉の歯切れが悪くて、その大きな瞳を一層大きくして少女を見つめていた。
「久しぶりですね。ところで私はあなたの父ではありませんよ」
「知ってるわ。なかなか家に帰ってこないどこかの誰かさんへの当てつけよ」
まだ十になったかならないかぐらいの幼い少女は、シャイロックに抱えられながらムルを睨んだ。そんな少女にシャイロックと晶は苦笑いを浮かべる。困惑しているのはムルだけだった。
「ママだって寂しがってるのに、帰ってこないんだもの。シャイロックおじさんの方がよっぽどこの家に出入りしてる」
「お兄さんですよ」
「はは、怒った? シャイロック、おじさんって呼ぶと怒るね。年齢気にしてるの?」
「手を離しますよ」
ほんのりと圧を感じる笑顔をうかべるシャイロックを見て少女はキャッキャっと無邪気に笑った。こうして嫌なところをいちいちつついてわざと怒らせようとするところは父親にそっくりだった。
「冗談! でも、滅多に帰ってこない父親よりも定期的に会いに来てくれる知り合いの方に私が懐いたとしてもおかしくはないと思うの。ね、どう思う? ムルおじさん?」
「……まぁ、遠くの親類より近くの他人とはよく言ったものだね。わかった、もう少しこまめに帰ってくるようにするよ」
「期待しないわ。その前にママに『寂しがらせてごめんね』とシャイロックに『いつも代わりに様子を見に行かせてごめんね』を言ってね」
ムルと少女の間で鋭い視線の応酬が交わされる。それが一通り終わったあたりで少女はシャイロックから降りた。バタバタと廊下を落ち着きなく走り回って、リビングへ続くドアを指さした。
「シャイロック、こっち来て! 見せたいものがあるの!」
呼びつけられたシャイロックが少女の元に向かう。そっと手を繋いだ少女に引っ張られるようにして、彼らはリビングの奥へと消えていった。
そんな彼らの背中を見つめていた晶の肩に何かが触れる。ふと気がつけばすぐ隣にムルがいた。
「ごめんね、晶。寂しかった?」
「……はい。でも、ムルの集中力がすごいことは知ってるので大丈夫ですよ」
「きみは聞き分けが良すぎる。ちゃんと自分の心を守ってる?」
「守ってますよ。自由にしているあなたが好きなので、その邪魔はしたくありません」
「……参ったな」
ムルは乱雑に晶の頭を撫でた。ぐわんぐわんと頭を揺らされて、混乱すると同時に晶は温かさに包まれた。
「……おかえりなさい」
「ただいま」
彼の腕の中で、晶はそっとその温度を感じるように目を閉じた。
「ね、パパとママ、うまくいってるかな?」
「いってると思いますよ。あの二人はなんだかんだ良い関係性を築いていますから」
「ふふ、なら良いのよ。ところでシャイロック、どうして私を降ろしたの? もしかして腰が限界だった? 歳なの? 腰は大丈夫?」
「ふふ、その喧嘩定価で買いましょうか?」
「子供相手に大人気ないね!」
ヒソヒソとリビングの隅で、青年と少女もまた笑いあった。