②五条とお付き合いをはじめたものの七海には今までの人生で交際経験がない。付き合い始めたカップルが何をするのかわからなかった。しかも相手はあの五条である。ドラマや小説にあるような高校生がするデート(映画やショッピング)で満足するとは思えなかった。
五条家のお坊ちゃんである五条が満足するデートなんて七海には想像もつかない。そもそも二人とも普通の高校生ではないため、やれ授業だ任務だと邪魔が入って、付き合い始めてから二人で過ごす時間すらまともに取れないでいた。
五条と付き合い始めたことすらまるで夢物語のようで現実味がない。ふわふわと浮ついていたのははじめの数日だけで忙しい毎日に辟易していた頃、五条からメールが届いた。
『七海、次の休みいつ?』
高専の寮内に五条の姿はない。今日は日帰りで地方の任務に出ていたはずだった。任務は終わったんだろうか。次の休みを間違いなくしっかり確認してから、七海は返事を打った。
『お疲れ様です。任務終わったんですか?
土曜日です』
『終わった。今から帰る。
俺もその日休み取るから二人でどっか出かけねー?』
『お気をつけて。
わかりました』
楽しみにしてます、と付け加えようか迷って、やめた。突然決まった五条と出かける約束に、自分ばかり浮かれてるみたいで恥ずかしく感じたのだ。休みの日に五条と二人で出かける。これはすなわちデートである。頭の中に浮かべたデートという単語に、七海は改めて五条とお付き合いをしていることを自覚した。今まで夏油や家入、灰原を含めた五人で出かけたことは何度もあったし、五条と二人の任務帰りに買い食いをしたこともあった。しかし、休みの日を合わせて二人でどこかに出かけるなんてことはもちろんはじめてだ。そこで七海ははっとする。
「何を着て行けば……」
休みの日に出かけるのだ。さすがに高専の制服というわけにはいかない。何度か見たことがある五条の私服はどれもハイブランドのものばかりで、任務で報酬をもらっているとはいっても高校生の七海が手を出せるような代物ではなかった。
一時は預金を下ろして新しい服を買おうかと思ったものの、事情を知った夏油や灰原から「悟(五条さん)なら七海がどんな格好でも気にしないよ」と説得を受けた七海は、結局持っている服の中から一番気に入っているベージュのシャツに細身のジーンズを合わせた格好で落ち着いた。
デート当日。待ち合わせ場所である男子寮の入口に行くと五条が先に待っていた。任務や五人で出かけるときはいつも遅れてくる五条が先に待っているなんて思わず、七海は自分が待ち合わせ時間を間違えたのではないかと慌てたが、七海を見つけた瞬間ぱっと顔を明るくさせる五条に自分の心配は杞憂であると悟る。同時に五条の、七海に対する好意を垣間見て柄にもなく胸がときめいてしまった。
「七海!おはよ!」
「…おはようございます。五条さん、早いですね」
「別に、そんな早くねーだろ」
いつも遅刻してくる五条が約束の時間前に待ち合わせ場所にいるだけで十分早いと思ったが、せっかくの良い雰囲気に水を注したくなかったので口には出さなかった。
七海の姿を頭のてっぺんから足先まで見つめて、五条は小さく笑った。
「私服、見慣れないから変な感じ」
「……おかしいですか」
「いや、好き」
「えっ」
さらりと言われた言葉に困惑する七海を置いて、五条が行くぞ、と歩き出す。慌てて後ろに着いて行くように歩くと、不満げな顔で五条が振り向いた。
「おい。隣、歩けよ」
「あ、はい」
五条の背中を見て歩くことが当たり前だった。なぜなら、彼の隣には決まって親友である夏油がいたからだ。しかし、今この場に夏油はいない。七海は、五条と二人きりなのだ。
黒いシャツに同じく黒のスキニーを履いた五条は、脚の長さをこれでもかと見せびらかすような格好だった。全身黒ずくめのシンプルな格好なのに、誰よりもキラキラ光って見えるのは惚れた欲目だろうか。
どきどきしながら五条の隣に並ぶ。改めて肩を並べると頭ひとつ分高い背丈に驚いた。七海も背は高い方だが、五条は規格外だ。下から見上げても整った顔立ちに見惚れていると、視線に気づいた五条が目線を下げる。
「なんだよ」
「いえ。あの、どこに行くんですか?」
「ナイショ」
行き先を教えられないまま電車に乗ってたどり着いたのは、カフェが併設されたベーカリーだった。店の前からは焼きたてのパンの匂いが漂っていて、七海の食欲を刺激する。事前に五条から朝食は軽めに摂るよう言われていたため、食事に行くのだろうと予想していたが、まさか七海の好みに合わせてくれるなんて。
目を輝かせる七海に、五条は言い訳するように早口で言った。
「この間任務の帰りに見つけてさ〜。オマエ、パン好きって言ってたし。別にオマエが好きそうだから選んだわけじゃねーけど!あ、あとコーヒーの種類も多いって。俺はコーヒー飲まねえけどオマエは好きだろ?いや、別にオマエのために選んだわけじゃねーんだけど!」
「五条さん、ありがとうございます」
「あ……いや、うん。べつに」
五条が七海が喜ぶだろう、と思って連れてきてくれたその気持ちが嬉しかった。素直に礼を伝える七海に、五条は手を首の後ろにまわしながらぶっきらぼうに返事をした。照れ隠しのようなその態度がかわいくて、七海はますます五条のことが好きになった。本人には絶対言ってやるつもりはないが。
ふんわりと小麦の香りが漂うベーカリーの店内は、それだけで七海のテンションを上昇させた。種類豊富なパンの数々にうんうん悩んでようやく厳選したパンは五つ。五条の言う通りコーヒーの種類も多く、それも七海を大満足させた。
「オマエ、よくそんなに食えるな」
テーブルに着くと皿の上にこんもりと山になったパンに五条が目を丸くした。
「アナタこそ、甘いものばかりで飽きないんですか」
惣菜パンと菓子パンを半分ずつ選んだ七海と違い、五条が選んだパンは見事に甘いものばかりだ。それに加えて飲み物はホットココアである。見ているだけで胸焼けしそうなラインナップに顔をしかめるが、五条は大きく口を開けて砂糖がたっぷりかかったシナモンロールにかぶりついた。
「ぜーんぜん。俺、三食甘いもんでもいいし。七海、これも美味いよ。オマエも食べる?」
「……一口だけ」
実はシナモンロールも気になっていたのだ。欲望には抗えず、五条の言葉に甘えることにする。普段より素直な七海に五条は嬉しそうに笑うと、シナモンロールを一口大に千切って目の前に差し出す。
「ん、」
「自分で食べれます」
「まあまあ。はい、あーん」
むっと顔をしかめるが、五条は手を引っ込めようとしない。仕方ないな、とため息を吐いてぐるりと店内を見渡す。店には五条と七海以外はいなかった。店員も奥に引っ込んでいるのか姿は見えない。それをきちんと確認してから、七海は仕方なく口を開けた。
「ん、美味しいですね」
想像通りの美味しさに満足して頬が綻ぶ。味わうようにゆっくり咀嚼したあと、顔を上げるとほのかに頬を赤くした五条と目が合った。
「……オマエ、それ俺の前以外では絶対すんなよ」
「はあ?しませんけど」
「ならいいけど」
俺もそっちのクロワッサンちょうだい、と強請られ、何か言われる前にさっさと千切って五条の皿の上に置いてやる。やはり不服だったらしい五条に文句を言われるが無視してコーヒーを啜った。
からかわれるわけでもなく、五条と二人きりで騒がしいながらも穏やかな時間を過ごす日が来るなんて思わなかった。食事中、五条は終始ご機嫌で、それは七海も一緒だった。この時間が終わって欲しくなくて、普段より時間をかけて食事をしたなんて五条が知ったらどう思うだろうか。
それぐらい楽しくて終わって欲しくなかった。
しかし、自分達は普通の学生とは違うのだ。
ふいに五条の携帯が鳴る。画面を見た瞬間顔をしかめる五条に、デートの終わりを察した。緊急性の高い任務の可能性もある。出たくない、と渋る五条に早く出るよう促すと、案の定任務の呼び出しだったらしい。なんで。今日は休みだったろ。傑に行かせろよ、とぎゃんぎゃん文句を言いながら最終的にわかった、と返事をして通話を切った五条はあからさまにしょぼくれていた。
「……任務、呼び出された」
「やっぱり忙しいですね、五条さん」
さすが特級呪術師である。五条にしかこなせない任務もあるのだ。今までも授業の最中や出かけている途中に五条や夏油だけが呼び出されることは度々あったため、七海にとっては慣れたものだったが、五条は納得できないようだった。
「あーもう。なんで今日に限って」
慌ただしく帰り支度をして、ベーカリーを後にする。初デートは結局たった数時間だけのものになってしまった。制服に着替えてから行くらしい五条と共に寮に戻ると、夏油も家入も灰原も任務で出払っているらしく随分静かだった。
「……あの、五条さんの部屋、」
五条の部屋の前で別れるかと思いきや、五条は部屋まで送ってく、とそのまま奥にある七海の部屋まで足を進めた。
「そこまでしていただかなくて結構ですよ。早く任務行ってください」
「俺が送りたいだけだし。……少しでも長く一緒にいたいって思っちゃだめかよ」
たった数メートルの距離だ。時間にしたら一分にも満たない。案の定、あっという間についた自室の前で、二人は名残惜しげに足を止める。ドアノブに手をかけたものの、なかなか部屋の中に入ることができなかったのは七海も五条と同じ気持ちだったからだ。
「……それは、私もそうですけど」
「えっ」
「あっ、今のはなしで!」
思わず出た本音は五条にしっかり届いてしまったようだった。かぁっと顔を赤くする七海に負けないぐらい五条の顔も赤くなる。
「もー。オマエ、不意打ちで可愛いこと言うなよな」
「可愛くありません!」
「かわいいよ、七海は。すげえかわいい」
さらり、と五条の左手が七海の髪を撫でた。頬にかかった髪の毛を耳に掛けられる。いつも呪霊を難なく祓う指先がやさしく七海の頬を撫でる日がくるなんて。
サングラス越しに見える五条の瞳が細くなって、七海へそっと近づいた。
「……七海、キスして良い?」
「この間は許可なくしたじゃないですか」
正直、伺いを立てられずにこのままキスをされると思っていたので、律儀に聞いてくる五条に拍子抜けしてしまった。意地悪な返事を返せば、五条はあの時のことを思い出したのか苦い顔をする。
「あっ、あのときは、いや、で、でも……もう、オマエに嫌われるようなことしたくねーから」
「いいですよ」
しどろもどろになりながら随分健気なことを口にする五条に、七海は小さく笑った。別に許可なんていらないのに。あのときと違って、五条と七海は恋人同士なのだから。
「キス、してください。五条さん」
そっと目を閉じて、少しだけ見上げるように顔を上げる。が、ここまでお膳立てをしたにも関わらず五条はなかなかキスをしない。
「……五条さん?しないんですか?」
「す、するするっ!する!」
慌てて触れた唇は震えていて、五条も緊張することなんてあるんだな、とぼんやり思った。まるで嵐のようなはじめてのキスと違って、二度目のキスはぽかぽかとあたたかくて、ほのかに甘い味がした。