一度呪術師をやめたものの再び戻ってきた七海の歓迎会は大層盛り上がった。七海を学生時代から知っている硝子や伊地知はもちろん、補助監督や窓の面々に、つい先日任務で一緒になって懐いた琢真まで。京都にいる歌姫もわざわざ七海のために東京までやってきた。普段は絶対に集まらないような面々が一同に介するなんて、これもすべて七海の人望によるものだと思うと先輩として誇らしい気持ちになる。だけど、学生時代から七海が大好きな僕にとっては七海に好意を向ける奴らはいわばライバルだ。ライバルだらけの歓迎会で頑なに七海の隣をキープする僕を、向かいに座る硝子と歌姫が呆れて見ていた。
「五条、七海の隣譲りなさいよ。あんたはいつでも話せるでしょ」
「だめ〜。僕だって久しぶりだもん。話したいこといっぱいあるし。ね、七海」
「……別に、私はないですね」
「ひどっ!」
「あははっ、五条ざまぁ」
つれない返事も学生時代から変わらないため、今更めげたりはしないけど。あまりに変わらない態度はそのまま学生時代に戻ったような気分になる。
学生時代、僕と七海は付き合っていた。傑がいて、灰原がいて、硝子がいて。三人に見守られながら、僕と七海のお付き合いは順調だったと思う。僕は七海のことがそれはもう大好きで、四六時中一緒にいたくて、五人で過ごしているときも七海にべたべたくっついていた。七海は人前でいちゃつくのは恥ずかしいって冷めた態度だったけど、結局僕の好きにさせてくれていたからまんざらでもなかったんだと思う。
順調なお付き合いに影が差したのは、僕が高専三年生、七海が二年生の夏。灰原がいなくなって、傑もいなくなって。僕は唯一稼働している特級呪術師として、それまで以上に忙しくなって、七海は七海で灰原を失ったショックからしばらく塞ぎ込んでしまった。僕は自分の忙しさにかまけて七海の心のケアをろくにせず、時間が空いたら七海に会いに行って任務のストレスを発散するようにヤることだけヤって。それでも七海は拒否するどころか自分から求めてくることさえあったから、僕はますます調子に乗って何度も七海を求めた。七海が限界だったなんて気づきもせずに、腰ばかり振っていたのだ。
灰原も傑もいなくなったけど、七海はずっと僕のそばにいてくれるんだと思っていた。それが僕の思い上がりだと知ったのは、七海が高専を卒業する直前。
「私、呪術師にはなりません。高専を卒業したら大学に編入して就職します」
「は?聞いてないけど」
「言ってませんから」
「なんでそんな大事なこと言ってくれねーの?俺たち付き合ってんのに」
「……ごめんなさい」
それはどういう意味で言った『ごめん』だったんだろう。
明確な別れの言葉はなかった。僕は七海のことがやっぱり大好きだったから自分からは絶対に別れを切り出したくなかった。七海からも別れの言葉を言われることはなかったから、僕と同じ気持ちだったら良いのにな、なんて期待して。七海の気持ちがわからないまま、僕たちは離れた。
何度か連絡はしたけど、七海からは一度も返事が来なくて、悲しくてつらくて、でもどうしても七海を忘れられなくて、連絡先を消すこともできずに数年が経った頃。七海から連絡が来たのは、まさに青天の霹靂だった。任務ですぐ電話に出られないことだってままあるのに、七海からの電話はすぐに出られた。これってもうやっぱり運命なんだと思う。呪術師に復帰したい、と申し出た七海にあれこれ手配して、いざ再会したときの感動を僕はたぶん一生忘れないだろう。七海は見た目が変わって驚いたでしょう、なんて謙遜してたけど、とんでもない!たしかに昔のような線の細さはなくなっていたし、ブラック企業の激務にやられて顔色は悪くなっていたけれど、僕の大好きな七海のままだった。
七海が卒業して会わなくなってからもずっと僕は七海が好きだった。
明確な別れの言葉はお互い言わなかったけど、七海は僕のことまだ好き?僕のこと恋人だって思ってくれてる?
再会してからずっと聞きたくて聞けない言葉がずっと喉の奥につっかえている。
宴もたけなわ。盛り上がった歓迎会は席時間がきて名残惜しさを残したままお開きとなった。なんとか時間を捻出して参加した人も多くいたため、二次会はやらずにそのまま解散となった。
「硝子と二次会するから七海も来なさいよ!」
「すみません、庵さん。明日も早いので今日は帰ります。また誘ってください」
「えー!」
ぶーぶー文句を垂れる歌姫と七海のやりとりにあれ?と思う。伊地知から聞き出した七海のスケジュールでは、明日は休みのはずだった。そもそも今回の歓迎会は主賓である七海のスケジュールを考えて今日になったのである。緊急の任務でも入ったのだろうか。これからもう一軒行こうよ、と誘うつもりだった僕は内心がっかりしてしまう。
まあいいか。呪術師に復帰した七海とは、これからいくらだって会う機会はあるし。そう思い直して、歌姫と硝子を見送る七海を見つめる。少し酔っているのか、目元を赤く染めた七海はなんだか色っぽくてどきどきした。七海は自分を変わった、と言うけれど、やっぱり全然変わってない。僕の好きなかわいくてきれいな七海のままだ。
七海に挨拶をして参加者達が散り散りになっていく。気づいたら店の前には僕と七海しかいなかった。
「五条さんは帰らないんですか?」
「あ、うん。帰るよ。明日も任務だし」
七海と離れがたくてぐずぐずと残っていたが、明日も任務だ。七海も明日早いって言ってたし今日はもう帰るしかないだろう。タクシー呼ぼうかな、とスマホを手に取ると、七海がそれを制する。
「五条さん、実は私の家ここから近いんです。少し寄っていきませんか?」
七海の家ってこの辺なんだ。歓迎会の場所を決めたのは伊知地だ。伊知地は知ってたのかな。だとしたらちょっと妬ける。伊知地マジビンタ。頭の中がさわがしい。明日早いんじゃなかったの、とか。どうして僕を誘うの、とか。家に行くって期待していいの、とか。言いたいことはたくさんあったけど、僕の口から出てきたのは至ってシンプルな言葉たち。
「え、い、いいの?!」
「はい、大したもてなしはできませんけど」
「い、行く!」
明日の任務のことなんて頭からすっぽり抜けて、僕の頭の中は目の前で微笑む七海でいっぱいになった。
「一人暮らしにしては広い部屋だね」
七海の家は本当に近かった。歓迎会の店から五分もかからない場所にある十階建マンション。2LDKの部屋は七海らしく整理整頓されて、家具もシンプルなもので統一されている。高専の頃の七海の寮の部屋も物が少なくて、いつもきれいに整理整頓されていた。同じ空気を感じる部屋はなんだか懐かしくて居心地が良い。
「アナタの住んでる部屋の方が広いでしょう」
「そんなことないよ。僕ほとんど高専の寮で寝泊まりしてるし」
都内にマンションは持っているが、高専から遠いためあまり帰っていない。ほとんど寝に帰っているだけなので、高専の寮の部屋で十分なのだ。せっかくのマンションがもったいないですね、と笑いながら、七海は冷蔵庫を覗き込む。
「何か飲みますか?オレンジジュースならありますよ」
「酒飲みの七海の家にジュースがあるって変な感じ」
言いながら、二人掛けのソファーに腰を下ろす。
学生時代から硝子や傑に飲酒を教えられた七海は酒飲みだ。さっきの歓迎会でも随分飲んでいた。ちらりと覗いたキッチンには食器棚のとなりにワインセラーが並んでいたし、自宅でもよく晩酌するんだろう。そんな七海の家にオレンジジュースなんて可愛らしい飲み物があるのはなんだか意外だった。
七海はオレンジジュースを手に取ると楽しそうに笑った。
「ふふ、五条さんのために買っておいたんです。アナタ昔から下戸でしたから」
僕のためってどういうこと?いつもはよく動く口がうまく動かなくて、グラスに注がれるオレンジ色をじっと見つめた。
「はい、どうぞ」
グラスを手渡される一瞬、七海の指先が僕の指先に触れた。その瞬間、ぶわりと身体が熱くなって一気にグラスの中身を飲み干す。アルコールは一滴も入っていないはずなのに、頭がくらくらして、もう我慢できなくなってしまった。
「……七海、僕まだ七海のこと好き」
言っちゃった。本当はもう少し外堀を埋めて七海が断れない状況を作ってから告白したかった。勢い任せの告白は学生時代を思い出す。七海と付き合うときも、シチュエーションなんて無視して衝動的に告白してしまった。あの時から変わってないな、僕。七海のことになるといつもなりふり構っていられなくなってしまうのだ。
「七海はどう思ってるかわかんないけど。僕は別れたつもりないから」
私たち、別れてますよね。
私今付き合ってる人がいるんです。
もし、もしも万が一そんなこと言われたらどうしよう。暴れて七海の部屋めちゃくちゃにしちゃうかも。昔よりずっとまるくなったと言われるけれど、僕の本質は変わっていない。自分の思い通りに物事を進めたいし、やっぱり正論なんて嫌いだし。欲しいものはなんでも手に入れなきゃ気が済まない。
僕は最強だけど、望んだものはなんでも手に入るわけじゃないことは今までの人生で何度も思い知った。でも、七海のことだけはどうしても諦められなかった。
「五条さん」
七海が僕の名前を呼ぶ。ごじょうさん。低い声で僕の名前を呼ぶ、その優しい響きが大好きだった。もう一度呼んで欲しいな。一度と言わず、何度でも。
「アナタ、結構鈍いですね」
「え?」
呆けた声を出す僕に七海が笑う。輪郭をなぞるように頬に手を添えられ、キスがしたいなあと思った。
「家に誘った時点で気づかないんですか」
「え???」
「そのつもりで誘ったんですけど」
とんでもないことを言い出す七海をそのまま押し倒してしまいたい衝動に駆られるが相手は酔っ払いだ。
「で、でも、七海酔ってるし…」
「アレぐらいで酔いませんよ」
「メールしても返事返ってこなかったし」
「それは…ごめんなさい。アナタに合わす顔がなかったんです」
連絡、嬉しかったです。はにかむように笑う七海は、やっぱりあの頃とちっとも変わってないない。大好きで大切な僕の七海。
「……僕たち、まだ恋人同士?」
おそるおそる尋ねる。だって僕の勘違いだったら最高にダサいし。珍しく自信のない僕に、七海はふっと噴き出した。
「五条さんがよければ」
「いいに決まってるじゃん!」
抱き着いて、そのままソファーに押し倒す。それなりに大きなソファーだけど、平均よりずっと背が高い僕と七海が二人で転がるにはちょっと小さい。僕たちのサイズに合うソファーを新調したいな、なんて気が早いことを考えながら、僕は七海の鼻先に自分の鼻先をくっつけた。
「ねえ、キスしていい?」
返事の代わりに唇にやわらかい感触。触れた唇はほのかにアルコールの匂いがして、僕の方が酔っ払ってしまいそうだった。
「ふふ、私からしちゃいました」
ぺろりと舌を出す七海のかわいさったら!そんなのどこで覚えてきたの?!と問い詰めたくなるがとりあえず今は目の前の恋人を堪能する方が先である。
「なぁな〜み〜!」
離れていた間、言えなかった分たくさんたくさん名前を呼んで、キスをして、大好きを伝えるよ。七海大好き。戻って来てくれてありがとう。ずっとずっと愛してるよ。