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    jooo_taros

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    jooo_taros

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    高専五七。七海の17歳の誕生日の話。

    五条悟は悩んでいた。
    もうすぐ七海の誕生日である。付き合ってからはじめての誕生日ということもあり、五条は何としても二人の思い出に残るようなプレゼントを贈りたいと思っていた。しかし、七海に聞いてもなんでもいいです、なんて気のない返事だし、しまいには五条さんの誕生日ろくにお祝いできなかったので何もいらないです、と言い出す始末だった。五条の誕生日前後はお互いぎくしゃくしていてろくに話もできなかったし、なにより繁忙期で顔を合わす時間もなかったので仕方がなかったと思う。その後のバレンタインに誕生日もかねてプレゼントをもらったので五条としては全くもって気にする必要はないと思うのだが、七海はいつまでも気にしているらしい。どこまでも真面目なところも好ましいが、それはそれとして七海がなんと思おうが五条は絶対に七海の誕生日をお祝いしたかった。そんなわけで、迫りつつある七海の誕生日プレゼントについて五条は悩んでいたわけだが。
    「傑」
    悩んで悩んで悩んで、五条は結局親友に相談することにした。悔しいが夏油は五条よりモテるし、女性との経験も豊富だ。それに、七海のこともよく分かっている。
    「なに?」
    部屋に遊びにきた五条などお構いなしにゲームをしていた夏油は視線をテレビの画面に向けたまま返事をした。コイツちゃんと聞いてんの?と思いつつ、ここで変に突っかかって喧嘩をするわけにもいかないので、そのまま話を進める。
    「……あのさ。誕生日に指輪あげるのってどう思う?」
    コントローラーを操作していた夏油の指が止まり、テレビからはゲームオーバーの文字と共に気の抜けた音楽が流れた。しかし、それまでつまらなそうにゲームをしていたはずの夏油は、気持ち悪い笑みを浮かべながら五条へ顔を向けた。その顔は見覚えがある。面白いおもちゃを見つけた時の顔だ。
    「へえ〜。悟、七海に指輪あげたいんだ」
    ニヤニヤと笑いながらあの悟が七海に指輪ねぇ、と呟く夏油は、きっと一年生の時のことを思い出してる。
    七海がまだ入学する前。高専一年の頃の五条はそれはもう女癖が悪かった。言い寄ってくる女に対して来るもの拒まず、去るもの追わず。少しでもうざいことを言われたら即切り捨て。泣かせた女は数知れず。あまりの暴君ぶりに夏油にすら苦言を呈される程だった。
    あの頃は、どうせ将来は家が決めた適当な女と結婚するもんだと思っていたので、それまでは好きにしてやると思っていた。幼い頃からチヤホヤ甘やかされて育ったため、世界のすべては自分の思い通りになると信じて疑っていなかったし、そんな自分が誰か他人を好きになるなんて考えられなかった。
    一年後、入学してきた七海に出会ったときの衝動は忘れられない。自分と同じ日本人離れした見た目に、生意気そうに釣り上がった目。大人びているが、まだわずかに幼さが残る丸い頬。すべてに目が惹いて、どきどきした。今まで相手にしてきたのは女だけだったので、まさか自分が男に一目惚れするなんて思わなかった。
    なんとか気を惹きたくてちょっかいをかけまくっていたら、ある日本気で嫌な顔をされて落ち込んだ。
    同級生の灰原の前では笑うのに、五条の前ではいつもむすっと不機嫌そうで、なんとか笑わせてやりたくて四苦八苦して。
    それが今では恋人同士で、七海も五条を好きだと言ってくれて、ハグもキスもセックスもしてるなんて奇跡だ。五条は、この奇跡を一時のもので終わらせたくなかった。
    「……もうすぐ、七海の誕生日じゃん。それにアイツ最近二級に昇格したし。なんか、記念になるようなもんあげたいなって」
    「ふぅん。それで指輪ね」
    身につけるものなら他にいくらでもあるが、あえて指輪にしたのは五条なりの理由があった。
    「アイツは俺の家のこととか気にしてるみたいだけど。俺、卒業しても七海と別れるつもりねーし。だから…指輪渡したら少しは安心してくれねえかな」
    付き合うようになってから五条は何度も好きだと伝えているが、七海はあまり好きだと言ってくれない。付き合い始めてから半年経ってようやく七海から好きだと言われたときは思わず泣いてしまうほど嬉しかった。卒業したら五条が五条家の当主となるのは周知の事実だ。七海が五条の立場を考えて、ずっと付き合い続けるのは難しいと考えていることは薄々気づいていた。
    「……悟、ほんとに七海のこと好きなんだねえ」
    「はあ?当たり前だし」
    七海が好きだ。それは、五条の中で揺るぎないものだった。はじめて好きだと伝えたとき信じてくれなかったのは堪えた。そのあと衝動的にキスをして七海を泣かせてしまってからは、これ以上七海の嫌がることをして嫌われたくないと本気で思った。七海が自分と同じ気持ちだと知ってからは、できるならずっと自分のことを好きでいて欲しいし、好きでいさせると決意した。我ながら愛が重過ぎる自覚はあるが、付き合いが長くなればなるほど想いは強くなるばかりだった。
    「指輪、いいんじゃない。でも、あんまり高いものだと七海が引いちゃうからほどほどにしなよ」
    「ほどほどって?」
    「私たち、まだ学生なんだよ。まだ正式にプロポーズするわけじゃないんだから。ファッションリング程度の値段のやつにしなよ」
    指輪は給料三か月分、なんて見たからその通りにしようと思っていた五条にとって、夏油の助言は衝撃だった。なるほどしかし、自分の価値観が一般家庭出身の夏油たちとズレている自覚はある。ここは夏油の助言通りにした方が良いだろう。
    七海の細く長い指にはどんな指輪が似合うだろう。シルバーよりプラチナの方が似合いそうだな。五条が贈った指輪をする七海を想像しただけで胸が熱くなる。誕生日までに七海にぴったりの指輪を探さなければ。任務、任務の日々の中で術式の研究に後輩の指導。それからはじめての恋に奮闘する高専3年生の五条の毎日は、忙しいながらも充実して満ち足りていた。


    ⬜︎⬛︎⬜︎

    左手がくすぐったい。違和感を感じて目を開けると、慌てた様子の五条と目が合った。
    「な、ななみ起きたの?」
    「……はい。五条さんはまだ起きてたんですか?」
    任務のあと五条の部屋に呼び出され、セックスをした。任務で疲れていたこともあり、終わったあとはすぐに眠ってしまったらしい。時計を見れば丁度日付を超えたぐらいの時間帯だった。五条だって任務で疲れているはずなのにまだ寝ないのか。眠気でぼんやりしたまま目の前の男を見上げると、優しく頭を撫でられた。
    「ん、いや、もう寝るよ」
    寝る前にもう一回ヤる?と布団越しに腰を撫でられて身体がびくつく。正直、翌日に任務がなければ受け入れても良い申し出だったが、あいにく明日も朝から任務がある。少しだけ寂しさと物足りなさを感じるが、今日はこのまま大人しく寝るべきだろう。
    先日、七海は灰原と揃って二級に昇格した。昇格してからは、座学はほとんどなくなり以前よりもっと忙しくなった。加えて、二年生に進級したことにより一学年下に後輩が入ってきたため、今度は七海たちが去年の五条たちのように後輩を指導する立場になった。五条は特級の任務で日本のみならず海外まで出張で飛び回るようになり、二人で過ごす時間を捻出するのはなかなか難しい。それでも五条はマメにメールや電話で連絡をくれるし、お互い寮にいる日はどちらかの部屋で過ごすのが当たり前になりつつあるので不満はない。ついこの間も夏祭りデートをしたばかりだ。呪術高専に入学すると決めた時は考えもしていなかったが、我ながら高校生らしい十代の恋をめいっぱい楽しんでいると思う。
    (……いつか別れるのに)
    五条が好きだ。そして、五条もまた七海が好きだと言ってくれる。しかし、お互い想い合っていればどんな障害だって乗り越えられる、なんて浮ついたことは考えていない。五条は呪術界を束ねる御三家のうちのひとつ、五条家の次期当主である。呪術高専を卒業すれば正式に当主となり、その強さから呪術界を牽引する立場になる人だ。非術師家庭出身で家柄もなく、そもそも同性の七海と五条がいつまでも恋人同士でいられるわけもない。いずれ別れる時が来るとわかった上で五条とお付き合いをはじめたものの、交際期間が長くなればなるほど離れがたくなっている。しかも、五条は自分の立場をわかっていないのか、卒業したら同棲したいなんて夢みたいなことを言い出す始末だ。
    どうせ五条家の当主になれば自分の立場を自覚して七海に別れを告げてくるのは五条だ。七海の存在は学生時代の淡い思い出の一部になって、五条の心のすみっこにでも残ればそれで十分だと思っている。なので、五条が七海のために何かしてくれたり、考えてくれたりするのは嬉しくて、同時にちょっとだけ切なくもなる。
    「七海、もうすぐ誕生日じゃん」
    「はあ、まあそうですね」
    七月三日は七海の誕生日である。まだ付き合っていなかった頃、名前のまんまじゃん!と五条にゲラゲラ笑われた時は心底ムカついたが、一年経ってまさかベッドの中で誕生日の話をする関係になるなんて思わなかった。五条からは何度も欲しいものはあるか、としつこく聞かれていたものの、特に欲しいものはなかったし、なにより半年前の五条の誕生日になにもお祝いできなかった負い目があるため、特別なことは望んでいなかった。しかし、五条はどうしても特別なことがしたいらしい。
    「俺、その日休み取るからさ。オマエも休み取れよ。前の日の夜からホテル泊まってお祝いしよ」
    「わざわざホテルに泊まるんですか?別にいいですよ。お気遣いいただかなくても」
    「だめ!付き合ってはじめての誕生日じゃん。ちゃんとお祝いしたい」
    七海の誕生日前夜に五条と二人揃って外泊なんて。いかにも過ぎて五条の同期である二人からからかわれるのは間違いないだろう。いつものように寮の部屋で過ごすだけで十分なのに。そもそも、七海はともかく突発で任務が入ることも多々ある五条が希望通り休めるのだろうか。自分の誕生日のために五条に無理をして欲しくない。しかし、いつもの茶化すような言い方ではなく真剣な五条の様子に、七海は頷かざるを得なかった。
    「……わかりました。休み申請しておきます」
    七海の返事に五条は嬉しそうに笑う。自分の誕生日でもないのに、七海以上に待ち遠しそうにしている五条がかわいくて、好きだなと思った。
    「よっしゃ!あと三日の夜は傑たちが誕生日会開いてくれるって」
    「そんな、いいのに」
    「最近五人で集まれてなかったじゃん。また繁忙期になるし。集まれるときに集まらねーと」
    確かにその通りである。特に五条と同じく数少ない特級の夏油とは最近はあまり顔を合わすことができていなかった。繁忙期の前に久しぶりに五人で集まりたいと思うのは七海だって同じだ。その口実が自分の誕生日になっただけだと思えば悪くない。
    「……そうですね」
    五条とはじめてのお泊まりデートに、五人揃った誕生日会。十七歳の誕生日はきっと特別な日になる。その予感に胸を弾ませる恋人の姿を、五条はいとしげに見つめていた。



    七海の誕生日が間近に迫ったある日。
    久しぶりの灰原との合同任務はあっという間に終わり、補助監督の迎えを待ちながら近くのコンビニで買ったアイスを二人で食べているときだった。
    「そうだ!七海、誕生日プレゼントは何が欲しい?」
    自分の誕生日でもないのに、灰原はなんだか楽しそうだった。いつも明るく元気な友人を微笑ましく思いつつ、七海は静かに首を横に振った。
    「特になにも。お気遣いなく」
    任務の報酬で欲しいものは自分で買える。誕生日をお祝いしてもらうだけで十分だ。プレゼントは必要ない、と主張するも灰原はそれで納得しなかった。
    「だめだよ!ちゃんとお祝いしたいし」
    五条と似たようなことを言うな。灰原の方がずっと素直でひねくれていないが、五条と灰原は実は似ているところがあるかもしれない。
    大きな口を開けて、食べかけのアイスを一気に口に入れる。もごもごと口を動かしながら、灰原は楽しそうに続けた。
    「なんでもいいよ!最近たくさん任務行ってるからお給料もたくさんもらってるし!」
    「じゃあ、高専近くのパン屋で…」
    「食べ物はだめ!」
    「なんでもいいって言ったじゃないですか」
    「ごめん嘘ついた!食べ物以外で!」
    高専近くにあるお気に入りのパン屋で昼食でも奢ってもらおうと思ったが、あっさりと却下されてしまった。食べ物以外、と言われてしまうとますます悩んでしまう。
    欲しいもの。好きな作家の新刊…は既にネットで予約済だ。新しいTシャツと靴下。灰原のセンスに任せたらド派手なものをプレゼントされそうだな。しばらく悩んだあと、七海はゆっくりと口を開いた。
    「うーん……じゃあマグカップが欲しいです。この間落として欠けてしまったので」
    高専に入学する際に自宅から持ってきて使っていたマグカップを先日うっかり落としてしまい、縁の部分が欠けてしまったのだ。代わりに今は元々寮にあった、おそらく卒業生が置いていったのであろうマグカップを使っているが、自分のものが欲しかった。
    七海のリクエストに、灰原はちょっとだけ不満気だった。
    「もっと高いものでもいいのに」
    「なんでもいいって言ったのは灰原でしょう」
    「うーん。わかった、マグカップね!七海にぴったりのもの探してみる!」
    楽しみにしてて!と笑う灰原が眩しい。自分の誕生日プレゼントのために一生懸命になってくれる灰原の心遣いが嬉しくて、七海は誕生日がますます楽しみになった。




    七海よりも周りの方がそわそわと落ち着かないままやってきた誕生日前日。誕生日当日は希望通り休みを取れたものの前日である今日は夕方まで任務だった。五条も前日から休みを取りたがっていたものの、結局指名の特級任務が入り渋々任務に出かけて行った。
    「すぐ終わらせて戻ってくっから!」
    鬼気迫る勢いでそう宣言した五条とは、任務が終わったあと都内で待ち合わせてホテルに向かう約束をしている。任務を終えて一度高専に戻った七海は私服に着替えてから待ち合わせ場所に向かった。任務が終わったあと七海から一度五条へメールを送ったが、彼からの返事はない。嫌な予感がしつつ約束の時間の数分前に待ち合わせ場所へ着くが、しばらく待っても五条は現れなかった。
    予定より任務が手こずっているのだろうか。無下限術式がある五条に限って瀕死の怪我を負うなんてことはあまり考えられないが万が一のこともある。鳴らない携帯を手にしたまま、七海はその場でじっと待つことしかできなかった。
    日は落ちてきたものの肌にまとわりつくような外気が気持ち悪い。せっかく高専に戻って一度シャワーを浴びたのにじんわりと汗でべたつく肌が気持ち悪かった。
    (本でも持ってくれば良かったな…)
    部屋に積んだまままだ読めていない小説の山を思い出す。ぼんやりと五条待ったままどのぐらいの時間が経っただろう。手に持ったままの携帯が震えた瞬間、七海はすぐさま携帯を開いた。
    着信は電話ではなくメール。相手は予想通り、五条だ。
    「悪い、まだかかりそう。先にホテル行ってて」
    急いで打ったのだろう。要点だけ書かれたメール本文の下には五条が予約したらしいホテルの住所が書かれていた。ホテルはここから歩いて行ける距離だ。メールを送る余裕があるのなら、ただ単に任務が長引いているだけなのだろう。五条の無事にほっとして、七海は言われた通りホテルに向かうことにした。
    (……学生が泊まるようなところじゃない)
    五条に指定されたホテルに辿り着いた七海はまずその外観に驚き、案内された部屋にまた驚いた。最上階のスイートルーム。七海の誕生日に泊まる部屋だ。さすがに任務で地方に出張に行った際に泊まるようなビジネスホテルではないとは思っていたが、まさかここまでなんて。
    七海の実家のリビングよりも広いメインルームに、普段暮らす寮の部屋の倍はあるベッドルーム。ベッドはキングサイズで、平均より背の高い七海と五条が両手を広げて横になってもまだ余裕がありそうなでかさだ。ベッドは当然のようにひとつ。五条とは既に何度もソウイウコトをしているのに今日ここで五条と二人で寝るのか、と考えるとなんだか恥ずかしくなってしまう。
    はじめて泊まるスイートルームに好奇心のまま見て回ったところで一息つく。大きなソファーに膝を折って座り、窓から広がる景色を眺めた。最上階なので、都内の景色が一望できる。夏の夜は日が落ちるのが遅い。まだ日が沈み切っていない空は薄紫に染まっていて綺麗だった。五条から連絡が来てからさらに数時間は経っているが、まだ時間がかかっているのか追加の連絡はない。お互いの任務で約束がドタキャンになるなんていつものことだ。気長に待とう。
    夏の終わりに五条と付き合いはじめてから、もうすぐ一年になる。はじめから卒業までに別れることになるだろうとは思っていたものの、そもそも一年も続くなんて予想外だった。
    付き合うようになってから、五条は優しい。七海を気遣ってくれるし、たくさん好きだと言ってくれる。五条が好きなのは七海だって同じだ。誠実に愛を伝えてくれる彼の気持ちに応えたい。しかし、五条との付き合いが長くなればなるほどいずれ訪れる別れが怖くて、五条のことをこれ以上好きになりたくなかった。
    気持ちが強くなれば、その分別れも辛くなる。いつか五条から別れを切り出されたとき、みっともなく泣いて縋ってしまいたくない。物分かりの良い後輩を演じて、笑って彼との別れを受け入れなければいけないのに、今の七海はそれができる自信がなかった。都合が悪いことにはすべて蓋をして、いつまでも五条の恋人でいられたらいいのに、なんて馬鹿なことを考えてしまう。そんなの、できるわけがないのに。
    (……これ以上考えるのはやめよう)
    せっかくこれから五条と過ごす予定なのに後ろ向きになるのは良くない。思考を分散させるように頭を振って、携帯を見る。が、五条からの連絡は未だになかった。この調子なら、もしかしたら日付を越えるまで来ないかもしれない。
    七海はしばらく考えたあと、五条を待つ間に風呂に入ることにした。夕方まで任務だったので汗を流したかったし、きっと今夜は五条と身体を重ねるだろうから準備もしておきたかった。
    荷物を抱えてバスルームへ行くとこれまた広い。寮の大浴場程ではないが、五条と二人で入っても十分過ぎるぐらい大きなバスタブはジェットバスだ。いつも任務で泊まるホテルは狭いユニットバスなので、改めてとんでもないところに来てしまったと自覚して頭がくらくらした。慣れない丸い大きなバスタブにどぎまぎしながら浸かって、身体の隅々まで念入りに洗う。
    五条を受け入れる準備をするのは何度目だろう。そこで、もう両手で数え切れない回数に達していることに気づいて居た堪れなくなった。はじめは緊張しながらおそるおそるだった準備も、今ではすっかり慣れてしまった。
    ゆっくりと時間をかけて準備をしたあと、バスルームを出ると見慣れた背中が視界に入った。五条だ。七海が風呂に入っている間にホテルに来たらしい。ぼんやりと立ったままの五条に後ろから声をかける。
    「五条さん、お疲れ様です」
    七海の声に反応して勢い良く振り返った五条は、七海を目にした途端深い息を吐いた。
    「いた……」
    「いますけど…?」
    先に着いてると連絡していたはずだ。何を当たり前のことを言っているんだ、と首を傾げる七海に、五条は小さく笑って抱きしめた。
    「部屋にいないから待ち切れなくて帰ったのかと思って焦った……」
    「すみません、先にお風呂入ってました」
    「うん、良い匂いする」
    首筋に顔を埋めた五条が、すん、と鼻を鳴らす。いくら風呂に入ったばかりといえ匂いを嗅がれるのは落ち着かない。
    「ちょっと、嗅がないでください」
    「うん……」
    頷く五条に普段の覇気はない。予定よりずっと遅くなってしまったことを気にしているのだろうか。ぎゅうぎゅうと七海を抱きしめたまま、なかなか離れようとしない恋人の背中に腕を回す。
    「……帰るわけないでしょう」
    「…うん、待たせてごめん」
    「いえ。任務お疲れ様でした」
    特級である五条が担う任務だ。難易度も相当のもに違いない。五条に限って怪我をするなんてありえないが、無事に戻ってきてくれて良かった。労わるように背中を撫でて、五条の体温を確かめる。手のひらにじんわりと伝わるあたたかさがいとしかった。
    「七海」
    しばらく無言で抱き合ったあと。ふいに名前を呼ばれ顔を上げると、いつになく真剣な顔をした五条がじっと七海を見つめていた。
    常日頃から思っているが、改めて見ると本当に整った顔をしているな。何も覆われていないその顔にどきどきしながらそんなことを考えていると、小さく息を吐いた五条がゆっくりと口を開いた。
    「誕生日おめでとう」
    「……あ、もう日付」
    時刻はいつの間にか0時を過ぎていた。七月三日。七海の十七歳の誕生日である。そして、十七歳の誕生日は、七海にとって恋人がいるはじめての誕生日でもあった。
    「プレゼント、受け取ってくれる?」
    柄になく緊張した面持ちの五条がポケットから取り出したのは、随分小さな箱だった。七海の目から見ても分かる上質なベルベット張りの小箱の中身が何か想像して、七海は思わず小さく首を振る。
    「……これは、」
    受け取れない、受け取ってはいけない。顔を強張らせる七海に、五条は遮るように続ける。
    「もうすぐ付き合って一年じゃん?それにオマエ最近二級に昇格したし…なんか記念になるもんあげたくて」
    箱が開く。中は七海の予想通り、指輪だった。照明の光に反射してきらきらと光る指輪の輝きは、今の七海にとっては眩し過ぎる存在だった。
    「………」
    普段から軽々しく同棲したいやらずっと一緒にいたいやら口にしている五条のことだ。この指輪だって、いつもの思いつきで深い意味はないのかもしれない。しかし、世間一般的に指輪を贈る際に込める意味を考えれば、軽率に受け取るのはあまりに浅はかなことだと七海は分かっている。指輪をもらっても、後から辛くなるだけだ。
    差し出された指輪は、五条の手の中で所在なさげに光っている。手を引っ込めたまま首を振る七海に、五条は今にも泣き出しそうな声で言った。
    「俺は!七海のことすげえ好きだし!」
    「はい、五条さんの気持ちは分かってます。でも…」
    でも、受け取れない。そう伝えようとするも、五条の言葉に遮られてしまう。
    「卒業しても、これから先もずっと七海と一緒にいたいと思ってるし。指輪はその証っていうか……」
    言葉が途切れたところで、指輪を持つ手が震えているのに気づいて視線を上げると、情けなく眉を下げた五条と目が合った。
    「お願い。受け取って」
    「……受け取れません」
    「…………七海。頼むよ」
    縋るような声に、七海は五条にはじめて好きだと言われたときのことを思い出した。あの頃の五条は、強引で、一方的で、七海の気持ちなんてお構いなしにキスをしてきた。不遜で傲慢で七海はからかわれてばかりで、それでも五条が好きで、だからこそ彼の気持ちを信じられなかった。
    あれから一年が経とうとしている。去年の終わりにお互いの気持ちを言葉にして確かめ合ってからは特に、五条は七海の気持ちを優先して気遣ってくれるし、たくさん好きだと言ってくれる。
    たとえば。呪術師とか御三家とか同性同士とか、七海の頭の中にあるいろんなしがらみが全てなかったら。七海はきっと喜んで目の前に差し出された指輪を受け取っていた。将来の話をする五条の話に耳を傾けて、自分も五条と同じ気持ちだと、高専を卒業した後も五条と一緒にいたいと本当の気持ちを伝えていた。そもそも高専を卒業したら別れるつもりで付き合ってなんかいかなかった。
    指輪を差し出されたとき、本当は嬉しかった。だって五条が好きなのだ。好きな人に指輪を贈られて、まるでプロポーズみたいなことを言われたのだ。嬉しくないわけがない。なのに、素直に喜べない自分が嫌だった。すべてをかなぐり捨てて五条に身を委ねたかった。
    受け取れません。口から出さなければいけない言葉が出てこない。代わりに手を伸ばしてしまったのはほとんど無意識だった。ほとんど重さを感じない小さな指輪は、七海の手の中で控えめに光っている。
    「手の感覚が鈍るので、普段はつけられませんけど」
    「…っ、い、いいよっ!俺とデートの時につけてよ」
    「……………わかりました」
    しばらく悩んだあと、七海は小さく頷いた。五条はきゅっと唇を噛み締めると、おずおずと七海の手を取って左手の薬指の根元を撫でる。
    「あ、あのさ。指輪、つけていい?」
    「……はい」
    再び指輪を手にした五条が七海の手に触れる。普段鉈を握る手は傷だらけで、触り心地なんて良くないはずなのに、五条は酷く丁寧に七海の手を扱った。わずかに震えながらゆっくりと左手の薬指の根元まで指輪を通す。ぴったりと嵌ったそれに指輪のサイズなんていつの間に測ったんだろう、とぼんやりと思った。
    「ふふ。やっぱり俺の見立て通り、すげえ似合ってる」
    「……ありがとうございます」
    「受け取ってくれてありがと」
    七海、大好き。抱きしめられて、耳元で囁かれる。とろけるような甘い声は少しだけ上擦っていた。七海を腕の中に閉じ込めるようにぎゅうぎゅうと抱きしめてくる五条に、七海もまた五条から離れたくて背中に腕をまわした。
    「私も……」
    どうして、好きだけじゃだめなんだろう。
    五条のことが好きなのに。指輪だって嬉しいのに。受け取った瞬間から、いつか五条と別れたときのことを考えて怖くなる。
    五条が好きだ。しかし、好きの一言はやっぱりなかなか言えない。口にすればするほど、もっともっと五条を好きになって、離れられなくなりそうだから。
    言葉の代わりに七海からキスをする。一度触れてしまえばもう止まらなくなってしまって、ぴったりとくっついたまま二人でベッドにもつれ込んだ。


    その日の夜は、何度果てても五条はなかなか離してくれなかった。いつもよりずっと執拗に攻められて、七海がもう無理だと懇願しても許してくれなかった。しかし、指輪を確かめるように左手の薬指を撫でて嬉しそうに笑う五条を目の当たりにしてしまうと七海も五条がもっと欲しくなってしまって、最後はお互いがお互いを求め合うように抱き合った。
    「七海、大好き。愛してるよ」
    十代の自分達が口にするには少し背伸びをした愛の言葉も、五条が口にすると様になるのはどうしてだろう。蒼い瞳で七海をまっすぐ見つめる五条のとろけるような笑顔がいとしくて、同時に切なかった。



    次の日は一日デートをした。任務の呼び出しの電話が掛かることもなく、言葉通り一日中五条とデートをした。二人で服を選び合って、カフェでお茶をした。既にプレゼントはもらっているはずなのに、五条は買い物中に七海が手に取ったものを片っ端から購入しようとしてくるので止めるのが大変だった。
    デートの最中、今日はつけてて、と五条にお願いされて昨夜からつけたままになっている指輪が目に入る度にむず痒い気持ちになった。
    それから、日が暮れ始めた頃に高専に戻ると、寮の談話室は七海の誕生日会のための準備が整えられていた。
    「おかえり、七海。悟も」
    単独任務ばかりで疲れが溜まっている様子だった夏油も、今日は休暇だったらしい。久しぶりにゆっくり休めたのか顔色が良い。おだやかな笑顔を向ける先輩の姿にほっとしながら、七海は夏油の元へ駆け寄った。
    「あ、ありがとうございます。私のためにわざわざ…」
    「私の誕生日だって祝ってくれたじゃないか」
    「…でも、夏油さん疲れてるのに」
    「俺だって任務続きで疲れてますけどォ〜?」
    夏油との会話に割って入ってきたのはもちろん五条だ。七海の肩に顎を乗せた五条は、あからさまに拗ねた様子で七海を後ろから抱きしめる。今更夏油相手に嫉妬する必要なんてないのに。
    「五条さん、重いです」
    「悟、デートは楽しかったかい?」
    「モチ!なー、七海」
    「ちょ、くっつかないでください」
    ご機嫌に笑いながら、後ろからぎゅうぎゅうとくっついてくる五条を押し返していると、左手で光るそれに気づいたのか夏油が目を丸くする。
    「本当に渡したんだ、指輪」
    「あ?あたりめーだろ」
    「なに、アンタ七海に指輪あげたの?」
    「わっ、本当だ!七海似合ってるよ!」
    目ざとく指輪を見つけた夏油に家入と灰原が反応して全員の視線が七海に集まる。
    「指輪とか重過ぎ」
    「えー!素敵じゃないですか!」
    「ふふ。受け取ってもらえて良かったね、悟」
    三者三様の言葉を受け止めながら、七海は恥ずかしくて仕方ない。しかし、それでもなお今日だけは指輪を外す気にはどうしてもなれなかった。からかわれても指輪を外そうとしない七海に後ろの五条がニヤニヤと笑う。
    「五条キモ」
    「浮かれ過ぎ」
    「面白い顔してますね」
    「オマエら酷くね?」
    それから、誕生日プレゼントとして夏油と家入からはスニーカー、灰原からは七海のリクエスト通りマグカップをもらった。マグカップはなんと五条の分まであった。青と黄色のペアマグカップを五条は大層気に入り、夏油と家入はげらげらと腹が捩れるぐらい笑った。
    「二人で使って欲しくて選びました!」
    「気が利くじゃん」
    「ナイスチョイス灰原」
    口を開けて笑いながら親指を立てる夏油と家入に反し、七海はため息を吐くしかできない。指輪にペアのマグカップなんて。どこの浮かれたバカップルなんだ。今すぐ使いたい!と騒ぐ五条を止めることもできず、七海は頭を抱えた。
    「ごめん、七海。嫌だった?」
    これが夏油や家入からのプレゼントならば、七海をからかうために選んだものだと断言できた。しかし、相手は灰原だ。七海の顔を覗き込んだ灰原は、悲しげに眉を下げていた。きっとからかうつもりなんて一切なく、純粋に七海に喜んで欲しい一心で選んでくれたに違いない。七海の親友は、人をからかうことに生き甲斐を感じるような先輩方とは違うのだ。
    「……いや、ありがとう灰原」
    「うん、たくさん使ってね!」
    ぱあっと表情を明るくさせる灰原に七海も自然と笑顔になる。
    後輩二人の微笑ましいやりとりを見守っていた三人の先輩もつられて笑顔になった。最近は全員多忙でどこか殺伐とした雰囲気が漂っていた寮内が穏やかな雰囲気に包まれる。
    プレゼントのお披露目が終わったあとはみんなでケーキを食べた。大きなホールケーキも食べ盛りの十代の若者五人で分ければあっという間になくなった。久々に五人で集まったため、みんな浮かれていたのだろう。七海の誕生日会は日付が変わる直前まで続き、最後は灰原が寝落ちしたためお開きとなった。



    恋人がいて、親友がいて、信頼できる先輩がいた17歳の誕生日は、特別な記憶として七海の頭に強く残っている。

    あの時はまさかこれが五人で過ごした最後の日になるなんて思いもしなかったから。






    end

    年内に完成させたかったので、最後駆け足になってます。あと誕生日エッチは力尽きました…
    今書いてる話は6月のじゃがバタで本にする予定なので、R部分はそこで補完します。

    このあとは原作通りに話が進みますが、最後はハッピーエンドです。



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