キスの意味を教えてみんなが寝静まった深夜。二人きりで寮の食堂で話すようになったのはいつからだっただろう。七海が作った簡単な夜食を二人でつつき合いながら話をする時間が七海は好きだった。夏油と二人でいるときは騒がしくて、七海をからかったり意地悪ばかりしてくる五条も、二人で過ごすこの時間はおだやかではじめの頃は調子が狂ってしまう程だった。任務の話から最近気に入っているお菓子の話まで。五条と話す内容は多岐に渡る。ぽつぽつと話をして、時折お互い無言になっても気まずさは感じない。五条と二人で過ごす時間は心地良い。五条は、灰原や他の先輩たちとは違う。変に動悸がする心臓の音も、浮ついた気持ちの意味も、七海はなんとなく気づいているがまだはっきりと言葉にしたことはなかった。
二人でわいわい話しながらインスタントラーメンを食べたあと、五条が冷蔵庫の奥から取り出したのは有名パティスリーの袋だった。
「じゃーん。シュークリーム。今日の任務帰りに買ってきた」
ふたつしかないから傑たちには内緒な、と続ける五条に、はじめから七海と食べるつもりで買ってきたのかと尋ねようとして、やめた。代わりに口から出たのはかわいくない言葉。
「この時間にシュークリーム…」
「なんだよ、食べねーの?」
「食べます」
五条が手に持つパティスリーはよく知っている店のものだ。七海がよくチェックしているグルメ情報サイトにそのパティスリーも載っていた。シュークリームが一番有名で連日行列ができる店らしい。七海はパンが好きだが、甘いものもそれなりに好きである。一度食べてみたいなと以前から思っていたが、まさか五条がその店のシュークリームを購入してくるなんて思わなかった。
即答する七海に、五条は口を開けて笑った。
「はは、さすが七海」
手渡されたシュークリームは五条の拳ぐらいの大きさだった。どうやって食べようかな、と一瞬思案して、そのまま大きく口を開けてかぶりつく。カリカリのシュー生地の中には生クリームとカスタードクリームがたっぷり入っているが甘すぎず美味しい。想像以上の美味しさに目が輝く。
「ここさあ、お前が前食べたいって言ってたじゃん。だから買ってきた。お優しい先輩に感謝しろよ」
「ほんはほほひいまひたっけ」
「言ってたわ!忘れんな!」
七海自身が覚えていないような些細なことも五条は覚えているのか。口いっぱいにシュークリームを頬張る七海に五条は目を細める。やさしい表情はいつもより大人びて見えてどきどきした。普段は五条の方が歳下に見られるぐらい子供っぽいのに調子が狂ってしまう。
「七海、クリームついてる」
「え?」
頬を指差す五条につられるようにして頬に触れるがうまく取れない。
「ちがう、そっち」
「どっちですか?」
「こっち。ほら、取ってやるから」
テーブル越し、身を乗り出した五条が七海の頬に触れる。間近に迫った青い瞳に映った自分の顔は物欲しそうに五条を見つめていた。
頬についたクリームを取るだけなら、そこまで顔を近づける必要はない。なのに、吐息が触れるぐらい五条の顔が近づいてきたとき、七海は本能的に目を閉じていた。
キスされる。
その予感は外れることなく、七海の唇にやわらかいものが触れる。はじめて触れた唇はあまくて、頭がふわふわして、このまま浮かび上がってどこかに飛んでいってしまいたくなるような
高揚感に包まれた。
「……あまい」
目を開けるとはにかんで笑う五条と目が合った。白い頬はほのかに赤く染まっていて、口元はゆるく綻んでいる。触れた唇の感触を確かめながら、七海は小さく呟いた。
「今の……」
「やだった?」
「……やじゃないです」
心臓がどきどきする。五条と、キスをした。嫌じゃなかった。嫌じゃないから困る。目の前のこの人が好きだと思った。ずっとずっと気づかないふりをしていただけで、本当はもっと前から好きだった。もしかして、と期待する。五条も七海と同じ気持ちなんじゃないかって。だって、キスをした。たった一瞬唇が触れただけだけど、確かに七海と五条はキスをしたのだ。
「七海、俺…」
五条が息を呑む。そのたった一瞬が焦ったくて、七海は思わず身を乗り出した。その続きが聞きたくて息を潜める。しかし、五条が口を開くより先に二人の間を邪魔するように携帯の着信音が部屋に響いた。
「………出た方がいいですよ」
「チッ、なんだよ」
七海に促され、五条は渋々ポケットに入っていた携帯を取り出した。画面を見てあからさまに顔を顰めるあたり、おそらく補助監督からだろう。この時間だ、きっと緊急の任務に違いない。
「なんだよ。あ?任務〜?なんで俺なんだよ。傑に行かせろよ。あーはいはいわかった。わかりました!行くっつーの。今から行くから」
不機嫌丸出しで電話に出た五条は、不機嫌のまま通話を終えた。電話を切った途端、しょんぼりを俯く。
「……ごめん、任務」
「あ、はい。お気をつけて」
この時間に急な呼び出しだ。きっと特級呪術師である五条でなければ対処できないような強い呪霊が相手なのだろう。五条に限ってありえないが、万が一のこともある。身を案じる言葉に、五条は不機嫌そうに寄せていた眉をふっと緩めた。
「俺にんなこと言うのオマエぐらいだよ」
じゃあ行ってくる。くしゃくしゃと髪の毛を撫でて五条は食堂を出て行った。あっという間に見えなくなる背中を視線で追いかけて、七海は張り詰めていた糸が切れたように深く息を吐く。
任務がなかったらどうなっていたのか。五条が言いかけた言葉はなんだったんだろう。どきどきと高鳴る心臓の音がうるさい。任務を終えて戻ってきた五条とどんな顔をすればいいのかわからなくて、七海は悶々と悩むことになった。
そわそわしながら五条の帰宅を待っていたが、
翌日の夕方になっても五条は帰って来なかった。任務が長引いているのか、それともさらに別の任務が入ったのか。顔を合わせたら、どんな反応をすればいいんだろう。元々色恋ごとには慣れていない。キスだってはじめてだった。五条の帰宅が待ち遠しくて、同時にこわい。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
気もそぞろのまま灰原と二人、食堂で夕食を食べていると夏油と家入がやってきた。やはり五条の姿はない。ひっそりと肩を落としていると、そんな事情は知らない灰原がいつものように夏油へ話しかけた。
「お疲れ様です!」
「お疲れ〜」
「五条さんはいないんですか?」
「悟はお見合いだよ」
「お見合い?!」
夏油から出てきた聞き慣れない単語に、ななみは思わず会話に割って入るように大きな声を出してしまった。
おみあい。お見合い。お見合いとは、結婚を希望する人同士が、第三者の仲介によって対面する慣習である(ウィキペディア調べ)。まだ十代、しかも結婚できる年齢に至っていない学生の自分たちには縁遠いもののはずだった。しかし、彼は呪術界を束ねる御三家のうちのひとつ、五条家の当主である。七海が考える普通とは違う世界に生きていることはわかっていたはずだったが、まさか学生の立場で見合いをしているなんて思わなかった。
「そ。御三家に縁があるお嬢さんとのお見合いで実家に帰ってるよ。戻るのは明日かな」
「見合いって……まだ高校生ですよ」
「私も驚いたんだけど、子供の頃から定期的にお見合いしてるみたいだよ。御三家ってのも大変だよね」
「はぁ……」
(キスしたのに……)
見合いは今回がはじめてではない。それがさらに七海に追い討ちをかける。定期的にお見合いを受けて、将来の結婚相手を探している五条にとって、七海とキスをしたのは大したことじゃなかったんだろう。キスをした理由なんて七海には知る由もないが、どうせ「なんとなく」とか「そこに口があったから」とかろくでもない理由に違いない。
浮かれていた自分がばかみたいだ。五条が戻ってきたらどうしようってずっとどきどきしてた。五条が七海を好きだなんて、普段の態度を考えればありえないのに。自分の好きな人が同じように自分を好きになるなんて奇跡みたいな
確率なのに。
「七海?どうかした?」
食事の手が止まった七海に、灰原が心配そうに声をかける。灰原たちは昨日の五条と七海のやりとりを知らない。五条の気まぐれでキスをしてしまったなんて知られたくなくて、七海は無理やり食事を再開した。
「いえ、なんでもないです」
食欲はすっかり失せてしまっていたが、食べないわけにはいかない。ほとんど味がわからない食事を口に入れながら、頭の中ではずっと五条のことを考えていた。
五条が帰宅したのはさらに翌日の夕方だった。お見合いのあとも五条家の者に引き止められてすぐに戻れなかったらしい。談話室で足を組む五条は任務に行ったときよりずっと疲れていて、イライラしている様子だった。五条をよく知らない補助監督や窓ならあからさまに不機嫌オーラを出す五条には近づこうともしないのかもしれないが、彼の親友である夏油が怯むわけもなく。むしろ面白いものを見つけたように五条へ話しかける。
「悟〜見合いはどうだった?」
「別に」
ニヤニヤと笑う夏油に五条は冷たく言い放つ。あまり話したくないのか珍しく口数が少ない。しかし、そんな五条にひるむことなく灰原がさらに尋ねる。
「お見合い相手ってどんな子だったんですか?写真見たいです!」
「写真なら私が持ってるよ。結構かわいい」
「あ、おい!」
「わ〜ほんとだ!綺麗な人ですね」
夏油から差し出された携帯を覗き込んだ灰原は五条の見合い相手に興味津々の様子だった。
「五条さん、この人と結婚するんですか?」
「しねえよ。っつーか断ったし!俺まだ十七だぞ」
「十八になったら結婚できるじゃないか」
そうだ。五条は七海の一つ上。十八になれば結婚できる年齢になる。五条が結婚する。いくら見合いを受けているといっても遠い未来の話だろうとタカを括っていた現実が間近に近づいているなんて。
「は、はぁ!?!?けっ、けけけっこんとかまだはえーだろ!」
顔を真っ赤にして否定しながら満更でもない様子の五条。もしかしたら結婚したいと思うような相手がいるのかもしれない。
(……いやだ)
キスをした日、どきどきして眠れなかった。五条と両想いかもしれないと浮かれて、彼の帰宅が待ち遠しかった。そのときはまさかこんな気持ちになるなんて思わなかった。
キスしたのに。あの日、あの時、五条の瞳には七海しか映っていなかった。触れた唇はあまくて、五条はいつもよりやさしかった。しかし、それもぜんぶぜんぶ七海の思い上がりだったのだ。
「……すみません、先に部屋戻ります」
心臓が握り潰されたように痛い。もうそれ以上五条たちの話を聞いていられなかった。
「あ、な、七海!」
慌てたように七海の名を呼ぶ五条の声に振り向きもせず談話室を出て行く。追いかけられたくなくて早足で廊下を歩くが、すぐに五条が追いついてきた。
「おい、待てよ!」
腕を掴まれ、仕方なく足を止める。服越しに掴まれた腕からじんわりと五条の体温が伝わってなんだか泣きそうになるが、五条の前では絶対に泣きたくなかった。七海はぐっと唇を噛み締めて五条の方へ振り返る。
「なんですか」
「あの、昨日のことなんだけど」
「……別に気にしてません。大したことじゃないですし」
そう。大したことじゃないのだ。キスなんて唇と唇が触れただけ。そこに深い意味なんてないし、別に好きな人以外とだってできる。
「面倒くさいことなんて言いませんから安心してください」
別に身体に傷をつけられたわけでもない。キスぐらいで本気になったりしないし、付き合って欲しいと詰め寄ったりするつもりはなかった。しかし、七海の言葉に五条は納得できないらしい。腕を掴む手の力が強くなる。
「ま、待てよ。大したことじゃないってなんだよ」
声を震わせる五条は今にも泣いてしまうんじゃないかと思った。言葉が出てこない七海に、五条は詰めるように続ける。
「大したことだろ!俺は…」
五条は興奮しているのか、腕を掴む力がますます強くなる。ぎり、と骨が軋む音が聞こえてくるんじゃないかと思うぐらい腕を強く握られて、七海は思わず顔を歪めた。
「痛……」
「あ、ごめ…って、おい、七海!」
手の力が緩んだ隙に七海は五条から逃げ出した。掴まれた腕はじんじんと痛い。しかし、それ以上に心臓が痛くて、七海は涙で滲む視界をそのままに廊下を走って自室に向かう。
五条に追いつかれることなく自室に辿り着いた七海は、ドアを閉めた途端ずるずるとその場にうずくまる。ついに我慢できなくなった涙が頬を伝り、七海は声を殺して泣いた。
それから、七海は徹底的に五条を避けまくった。食事は五条がいる時間を避けるようにしてとり、なるべく談話室にも行かなかった。周りは不審がったが七海と五条が喧嘩をして口を聞かない、なんてことは今までも何度かあったのでまたそんなところだろうと深くはつっこまれなかった。
少し意識して時間をずらしてしまえば、同じ高専内にいても学年が違う五条とはまったく会わない。そもそも特級呪術師である五条は任務で不在にしている日も多い。今まで頻繁に五条と会えていたのは、五条があえて七海に合わせてくれていたのかもしれない。五条に会わずに二週間が経過したとき、七海はふとそんなことを思ったが、すぐに頭の中で否定する。
(思い上がったらだめだ)
今までは偶然が重なっただけ。五条がただの後輩である七海に時間を捻出するわけがない。
深夜の食堂で二人で過ごす時間は七海にとっては特別な時間だったのに。一方通行の想いが切なくて、行き場のない悲しみを持て余すばかりだった。
深夜までかかった任務が終わってようやく寮に戻ったところで小腹が空いた七海は夜食を食べることにした。以前は深夜によく夜食を食べるために食堂へ足を運んでいたが、最近はご無沙汰である。息を潜めながら廊下を歩いて、おそるおそる食堂を覗く。明かりがついていない食堂はもちろん誰もいなくて、七海はほっと安心すると同時にわずかな寂しさを感じた。たった二週間前まではここでよく五条と二人で過ごしていたのが嘘みたいだ。
静まり返った食堂に入ると、共用の冷蔵庫の中を物色して適当に材料を見繕ってチャーハンを作った。一人分にしては少し作り過ぎたのは、いつも五条と二人で食べる量を作っていたからだ。はぁ、とため息をついて黙々とチャーハンを食べていたところで聞こえてきたのは、七海の頭の中にずっといる人の声だった。
「七海」
「っ、五条さん」
「ま、まてまて!頼むからまって、行くなよ。ちょっとだけでいいから」
五条と二人きりになりたくなくて、食べかけの食事をそのままに立ち上がる。が、五条に懇願され七海は仕方なくもう一度椅子に腰をかけた。
「……何の用ですか」
「何の用って…」
素っ気ない態度を取る七海に、五条は言葉を詰まらせる。罪悪感が胸を突くが、虚勢を張っていないと冷静さを保てなかった。五条から視線を逸らすように俯いて、仕方なく彼の言葉を待つ。
「あの日のことなんだけど」
「あの日ってなんですか」
「とぼけんなよ!あの日!お前とキスしたあの日のことだよ!」
「だから!それは別にもう気にしてません!」
「気にしろよ!俺は七海だからキスしたんだけど!」
「私だって……」
あの日。目が合った一瞬、キスをされると思った。嫌だったら顔を背ければ良かったのだ。五条だってきっと無理強いはしなかった。
嫌じゃなかった。だって五条だから。好きな人だから。だから、受け入れたのに。
「七海、俺は…」
「もういいです。聞きたくありません」
「聞けよ!」
叫ぶような強い声に肩が震える。
あの日の言葉の続き。本当はずっと聞きたかった。どうして。
「……どうして、キスなんかしたんですか」
声が震える。ぽろ、とこぼれた涙は俯いていたせいですぐにテーブルを濡らした。こぼれ落ちた涙を五条はすぐに気づいた。
「な、七海」
伸ばされた手が、そっと七海の頬に触れた。あの日とおなじだ。五条の手が触れて、顔が近づいて、それから。やさしい手つきはあの日と変わらなくて、だからこそ、七海はあさましく心臓を高鳴らせてしまう。
「やめてください」
「あっ、おれ、」
「そんなことされたら、期待する……」
おなじ気持ちなんじゃないかって期待してしまうから、もうやめて。ぽろぽろと涙をこぼしながら震えた声で自分の気持ちを吐露する七海に、五条ははっと息を呑んで、それから。
「っ、好きだから!」
「……え」
「な、七海のこと、好きだから!だからキスした!」
顔を真っ赤にした五条は真剣そのものでとても冗談で言っているようには見えなかった。五条からの『好き』の言葉に一瞬浮かれるが、すぐにその翌日のことを思い出して心臓がぎゅっと痛くなる。
「次の日お見合いに行ったのに?」
「それは前から決まってて…でも断ったし!ってか俺結婚するなら七海が良いし!」
「は、はあ?!私、男ですよ」
話が飛躍しすぎである。七海は男だ。日本の法律上結婚はできない。そもそもまだ付き合ってすらいないのにその先の話なんて。あまりにすっとぼけたことを言い出す五条に驚いて、溢れていた涙が止まる。
「男とか女とか関係ねーし。俺、七海が好きだよ。俺と付き合ってよ」
今はだめでもゆくゆくは結婚したい。そんぐらい好き。なあ、七海は?七海も俺のこと好きだろ。
七海の気持ちを決めつけて勝手に話を進めていく五条の勢いは止まらない。そうだった、五条は元来不遜で自分勝手でわがまま放題の問題児だった。なりを潜めていた本来の五条の姿に辟易するが、七海にも譲れないものがある。
「…………………見合いは」
「あ?」
「見合いは、もう行かないですか?」
五条家の当主である五条は世継ぎを残すためにいつか結婚することは避けられない。それは分かっているが、七海と付き合っている間だけは他の人との未来なんて考えないで欲しかった。自分だけを見て欲しいなんて、ただの幼稚な独占欲だ。口に出してすぐにしまったと思ったが、五条はニヤリと笑っただけだった。
「なに、ヤキモチ?」
「……妬かない方がおかしくないですか?」
こんな感情、五条を好きになるまで知らなかった。どろどろと渦巻く醜い感情。不安で苦しくて、ずっと落ち着かなかった。できればもう二度と味わいたくない。
珍しく素直に答えた七海に、五条は目を見開く。それから、嬉しそうに破顔した。
「行かねーよ。もう行かない。お前がいるのに行くわけねーじゃん」
なあ七海、好きだよ。お前は?
もう答えなんて分かってるくせに。七海がはっきりと言葉にするまでしつこく聞いてくる勢いの五条に苦笑して、耳元で囁いた。
「私も好きです、五条さん」
「たまには見合い受けた方がいいんじゃないですか?」
すったもんだの末に五条と付き合いだしてから十年が経った。付き合いだしたばかりの頃はまさか五条との関係が十年も続くだなんて思っていなかった。
離れるタイミングはいくらでもあった。しかし、七海が呪術師をやめて大学に編入したときも、五条に懇願されて結局お付き合いは続行。呪術師とはまるで違う生活リズムになかなか会えない日々が続いたときも、五条は決して七海と別れようとしなかった。めげずに送られてくる見合い写真の数を考えれば他にいくらでも相手はいるだろうに、五条は七海と付き合い出したばかりの頃に交わした約束を今も忠実に守り続けている。
頑なに見合いを断り続ける当主に五条家も焦れているのか、最近は特に送られてくる写真の数も増えてきていた。体裁のために一度だけでも見合いを受ければ落ち着くのではないかと思い提案したが、五条はやはり頑なだった。
「行かないよ。行くわけないじゃん。行っても時間の無駄だし。いい加減気づけばいいのにね〜見合い写真なんて送っても意味ないって」
ぎゅう、と七海にしなだれ掛かった五条が甘えた声を出す。
「な〜な〜み〜、ヤキモチ妬いた?」
ニヤリと笑う五条に既視感を得るが、七海の答えはあのときとは違う。
「妬きませんよ。アナタ、どうせもう私以外には勃たないでしょう」
「あっは、言うじゃん!」
ま、その通りなんだけど〜。けらけらと軽い調子で笑う五条に、今までの十年を振り返る。数えきれないぐらい喧嘩をしたし、お互いの立場を考えて別れを考えたことも一度や二度じゃない。しかし、環境が変わっても、周りの人間が変わっても、五条に対する気持ちは変わらなかった。それは五条も同じだ。十年間一途に七海を愛し続けてくれた男は、今も七海だけに一身の愛を注いでくれる。
愛され続けた自信から出た言葉は五条のお気に召したようで、七海以外に勃たないからえっちしよ〜なんてムードのかけらもない台詞で誘ってくる。しかし、それをまんざらではないと思ってしまう自分もすっかり五条に毒されていた。
「いいですよ」
七海からキスをすれば、美しい蒼眼が幸せそうにゆるむ。七海だけが知っているその顔は、きっとこれからも七海しか知り得ないのだろう。あのときと変わらない唇のやわらかさを堪能しながら、七海はそっと愛しい男の背中に腕をまわした。