⑥「七海〜。五条さんと喧嘩したの?」
「喧嘩、はしてない」
一歩前進したと思ったら、また一歩後退する。五条とのお付き合いはそんな感じだ。最近は喧嘩もなくなっていたのに、あからさまに五条を避ける七海を灰原が心配してくれているのは分かるが、喧嘩をしたわけではない。だからこそ、七海は今の五条との膠着状態をどう解決すれば良いかわからなかった。
「早く仲直りしなよ。もうすぐクリスマスだし」
そうなのだ。世間はもう12月。クリスマスである。一気に気温が下がり、高専の制服だけでは寒くなってきた。灰原は動いてるうちに暑くなるから、と防寒具を身に付けず制服一枚で走り回っているが、七海は寒くて仕方ない。そのため、最近は特に屋外の任務が憂鬱だった。
街中にクリスマスムードが漂うようになると、呪術高専の寮にも控えめにクリスマスツリーが飾られた。表向きは宗教系の学校のはずなのにクリスマスツリーなんていいのだろうかと思ったが、辛気臭いから、と去年五条たちが購入したと聞いて納得した。
しかし、クリスマスだからと浮かれてもいられない。
12月は呪術師の繁忙期、らしい。イベントシーズンはどうしても呪霊が発生しやすくなる。去年を思い出しているのか、夏油がうんざりした様子で言っていたので七海達も覚悟しなければいけないだろう。自分たちは呪術師なのだ。クリスマスだなんだと浮かれている余裕はない。
今の七海にとっては、正直忙しい方が有り難かった。任務だと思えば、五条に会えなくても納得できる。
あの日。七海が強引に五条を誘って断られたあの日から、五条とはまともに話ができていなかった。
あからさまに避けているのは七海だけじゃない。五条だって同じだった。任務の後は短い時間だって会いに来てくれていたし、メールだって頻繁に届いていたのに、あれからぱったり来なくなった。地方や海外への出張が増えているのか、寮を空ける日も多く最近は授業も出ていない。今まで頻繁に会えていたのは、五条が無理をして会いに来てくれていたからだった。ようやくわかった事実がまた悲しい。七海から会いに行く勇気もなくて、今日もまた五条に会うことはもちろん、姿を見ることも声を聞くこともできなかった。
「毎日任務任務任務!休みもくれないなんて信じらんねー!」
任務が終わったあと、談話室の前を通り過ぎようとしたところで、五条の声が聞こえてきて七海は足を止めた。休みもなく任務に入り続けているせいか、久しぶりに聞いた声は苛立っていた。
「仕方ないだろう。繁忙期なんだから」
苛立つ五条に呆れながらも諭す声は夏油のものだった。夏油だって五条と同じように休みなく任務をこなしているのに。やはり五条より大人である。
「でも誕生日も任務だぜ?そのあとは実家行かなきゃいけねーし。最悪」
「いいじゃないか。12月の京都。イルミネーションも綺麗なんじゃないか?」
「……べつに、興味ねーし」
「まあまあ。帰ったら誕生日パーティーしてあげるからさ。機嫌直しなよ。ケーキはなにがいい?」
「おい、ガキ扱いすんな!生クリームとイチゴのケーキな」
「文句言いながらしっかりリクエストはするんだね」
そのあとも二人で話をしていたが、七海はそっとその場から離れた。
12月に京都にある実家に行こう、と約束したのは数か月前だ。まだハロウィンも過ぎていない頃で、五条とはようやくキスに慣れてきた頃だった。五条の実家に行くなんて恐れ多いと思っていたから、話が流れて正直ほっとした。しかし、五条がまるで七海との約束なんてはじめからなかったかのように振る舞っていることが悲しかった。
(……めんどくさい)
そんなの自分が一番よく分かっている。どうして、五条のことになると冷静でいられないんだろう。
誕生日を実家で過ごす五条。
それを知らされなかった事実が七海に重くのしかかる。
五条とのお付き合いは学生のうちだけだと思っていたが、七海が思っていたよりずっと早く終わってしまうかもしれない。
たった数か月前、はじめに好きだと言ってくれたのは五条の方だったのに。ついこの間まで幸せだったのに。
つん、と鼻の奥が痛くなる。滲む視界には気づかないふりをして、七海は足早に自分の部屋へ足を進めた。
⬜︎⬛︎⬜︎
結局、五条とは話をしないまま彼の誕生日は過ぎて行った。五条程ではないが、七海も立て続けに連続で任務が入り、寮には寝に帰るだけの日が続いた。さすが師走である。
このままでは五条への誕生日プレゼントどころかクリスマスプレゼントすら用意する時間がなさそうだった。
(でも、用意しても渡せるかわからないし……)
渡したって喜んでくれるかもわからない。
いらない、と突き返されたら立ち直れる自信がない。それなら、はじめから渡さない方がいい。強引にそう結論付けて、結局五条へのプレゼントは用意しないままクリスマスを迎えた。
クリスマス当日。クリスマスだろうとなんだろうと呪霊はおとなしくしてくれない。世間が浮かれていようと容赦なく任務の要請はやってくる。
夏油と五条はそれぞれ単独任務。家入も急患の受け入れで忙しなく、クリスマスパーティーどころではなかった。七海はたまたま灰原との合同任務だったので、少しでもクリスマスらしいことをしよう、と昼ご飯にファストフード店でフライドチキンを食べた。
昼食を食べたあとは任務先に向かい呪霊の討伐。そのあとの任務は今のところ入っていないので、新たに呼び出しがない限り本日の七海達の任務は終了する。フライドチキンにかぶりつきながら、灰原は既に任務が終わったあとのことばかり考えていた。
「早く終わったらさ、ケーキ買って行こうよ!」
二人だけでもクリスマスパーティーしよ!とはしゃぐ灰原に、七海はあくまで冷静だった。
「クリスマス当日ですよ。どこも売り切れじゃないですか?」
「探せばあるよ!なにがいいかな〜」
「…生クリームとイチゴ」
咄嗟にそれが出たのは、いつだかに五条と夏油が話していたことを思い出したからだ。
七海はあまり甘いものが得意ではない。ケーキを食べる時も甘さ控えめのものを選ぶ。その七海が甘いケーキを口にするなんて思わなかったのか、灰原は目を丸くした。それから、嬉しそうにニヤリと笑う。
「五条さんが好きそうな味だね」
「なっ」
図星なので言い返す言葉が見つからない。顔が赤くなる七海に、灰原は笑いながら続けた。
「いい加減早く仲直りしなよ。せっかくのクリスマスなんだし」
「……だから、別に喧嘩はしてないんだって」
「はいはい。生クリームのケーキ買って帰ろうね!」
頑張るぞー!と気合を入れる灰原に、何事もないよう願いながら、七海も気を引き締めた。
灰原と協力して呪霊を討伐したあとケーキを買って帰宅すると、談話室には家入と夏油がいた。二人ともそれぞれ任務を終えて寮に戻ってきたらしい。テーブルにはお菓子とジュース、そしてクリスマスらしいメニューが並んでいた。
「わ!ご馳走だ!」
「寮母さんが作ってくれたんだよ。クリスマスだからって」
「やったー!あ!ケーキは僕たちが買ってきました!」
「でかした一年」
「じゃあクリスマスパーティーしよっか」
「あの、五条さんは?」
クリスマスを一番楽しみにしていただろう五条の姿が見えない。尋ねた七海に夏油は申し訳なさそうに眉を下げた。
「さっきまでいたんだけどね、任務で呼び出し」
「五条ならさっさと祓って帰ってくるでしょ。私たちだけで先にはじめよ」
どこから持ち出してきたのかビールの缶を手にした家入に、私と灰原は絶対飲みませんからね、と釘を打ってからジュースで乾杯する。
「二人と話すのも久しぶりだね」
「そうですね!僕たちは二人で任務が多かったけど」
ね、七海。同意を求められ、七海はジュースを飲みながら頷く。
繁忙期に入ってから特級で夏油達は単独任務が多く話す機会もなかったので久しぶりにお互いの近況を話した。夏油も家入も疲れが滲んだ顔をしていたが、灰原の話に楽しそうに相槌を打っていた。
灰原の楽しそうな笑い声が耳にくすぐったい。
五条とは今後どうなるかわからないが、灰原や夏油たち上級生と過ごす時間はこれからも大切にしたい。別れることになっても、先輩後輩としてまた以前の関係に戻ることができたらいいが、それは高望みだろうか。
その後、五条が戻らないままささやかなパーティーはお開きとなった。今日中には戻るだろうから、と食事とケーキは残して寮生共用の冷蔵庫に入れた部屋に戻る。
パーティーに五条がいなくて、正直ほっとした。会っても何を話せば良いかわからない。他のみんながいる前で別れ話を切り出されることはないだろうが、二人きりになった時に何を言われるかわからない。そもそも、自分達はもう半月以上まともに会っていなければ話してもいない。今のこの状態は、付き合っていると言えるのだろうか。
夜中に考え事をはするのは良くない。明日も朝から任務だ。早く寝てしまおう。重い身体を起こして、風呂に入って明日の準備を終わらせる。時計を見れば、あと少しで日付が変わりそうな時刻だった。クリスマスが終わる。五条の任務はもう終わったのだろうか。結局、誕生日もクリスマスも五条と過ごすことはできなかった。小さくため息をついて電気を消して、目を閉じる。そこで、携帯がメールの着信を告げた。
「……五条さん」
メールは五条からだった。任務が終わって、これから戻るところらしい。渡したいものがあるから部屋に行ってもいいか、と伺いを立てるメールにどう返事をすればいいか迷う。会いたいけれど、会いたくなかった。あの日以降、五条とは会っていなければ、まともに話もできていない。何を話せばいいのか、何を話されるのかわからなくて、怖かった。
返事に迷っていると、追加でさらにメールがきた。
『渡したらすぐ帰るから。断んないで』
まるで七海の心情を察しているかのようなメールに心が痛くなった。すぐに返事を打つ。
『わかりました。お待ちしてます』
緊張してどきどきしながら五条を待つ時間は永遠のように長かった。
やがて小さなノックが聞こえ、七海は飛び上がるように立ち上がると、一度深呼吸をしてから部屋のドアを開けた。
「悪ィ。夜遅くに」
「い、いえ。任務お疲れ様です」
「うん、あの、これ」
差し出されたのはきれいにラッピングされたプレゼントだった。恥ずかしそうに視線を逸らした五条がぶっきらぼうに続ける。
「クリスマスプレゼント」
間に合って良かった。息を吐く五条に時刻を確認すると、あと数分で日付が変わるところだった。クリスマス当日に間に合わせるために任務終わりにわざわざ七海の部屋まで届けにきたのか。
半月以上話ができていなかった。それに五条は七海以上に忙しかったはずだ。まさか、プレゼントを用意しているなんて思わなかった。五条の誕生日すらお祝いできていない自分が情けない。
「あ、あの、ありがとうございます。すみません、私何も用意してなくて」
「……別に、俺があげたかっただけだし」
「開けてもいいですか?」
「うん」
リボンをゆるめて包装紙を破かないよう丁寧にラッピングを解いていく。
プレゼントの中身はオフホワイトのマフラーだった。
「オマエ、いつも寒そうにしてたじゃん」
12月に入ってから気温がぐっと低くなって、いつもの制服だけでは肌寒さを感じていた。寒さに強い灰原と違い、外に出る度に寒い寒いと震えていた七海を五条はどこかで見ていたらしい。
貸して、と五条はマフラーを取るとぐるぐると七海の首に巻いた。カシミヤらしいマフラーは肌触りが良くあたたかい。顔を上げるといつものサングラスに覆われていない蒼穹が七海をいとしげに見つめている。
「うん。よく似合ってる」
付き合う前まで、五条のそんな顔、知らなかった。
いつもの軽薄な笑みではない。親友の夏油と笑い合っている時とも違う。慈愛に満ちた表情。
あの五条悟にそんな顔をさせている優越感。
視線から伝わる愛情。
五条悟は、七海建人のことを愛している。
自覚してしまったら、もうだめだった。
これから先の未来、五条と別れなければいけないと分かっていても、七海から離してやれない。
たった16年しか生きていない人生の中で五条の存在は強烈過ぎた。彼に出会ってしまった時点で、七海の運は尽きていたのかもしれない。唯一無二の瞳に囚われてしまった七海は、もう彼以外の人間を愛することはできないと本気で思った。
「……五条さん、好きです」
言葉は言霊になる。
五条のことが好きだ。
この人ともっと一緒にいたい。
五条の隣に並んでも許される人間になりたい。
口をすることは許されないと思っていた言葉は、五条の耳にしっかり届いたようだった。
「俺も好き」
「七海、大好き」
「やっと言ってくれた……」
七海を抱きしめる五条の腕は震えていて、泣き出しそうな声で何度も好きだと言われた。嬉しくて、幸せで、七海もまた五条を強く抱きしめた。
つづく
めちゃくちゃ誤字がある気がするんですが許してください