悟ハピバの五七「本当に良かったんですか?」
十二月七日。五条悟の誕生日である今日、一応彼の恋人である七海は恋人の望む通りに前日の夜から五条の自宅を訪ねて、文字通り一日過ごした。
一般社会と同様に呪術師にとっても十二月は繁忙期だ。連勤の最中、五条の誕生日に一級呪術師と特級呪術師である七海と五条が二人揃って休暇を取ることができたのは、補助監督の伊地知の並々ならぬ苦労のおかげである。五条とは高専時代から含めれば随分長い付き合いになるのに、彼の誕生日に共に過ごした経験は少ない。大抵どちらかが地方への出張が入っていたり、約束をしていたものの急に任務が入ったり。当日に顔を合わせることができれば上々。メールや電話でお祝いするのが当たり前になっていた。
だから、今年のように前日の夜から五条の自宅で過ごして、当日日付が変わった瞬間にお祝いする、なんてベタな恋人同士の誕生日の過ごし方をしたのははじめてだった。
せっかくの誕生日、しかも貴重な一日オフ。どこかに出掛けたって良かったのに、五条は一日七海と家で過ごしたいと言った。イベント事が好きな人なので、てっきり誕生日にかこつけてあちこち連れ回されると思っていたため、五条の申し出は意外だった。
当日になったら気が変わるかもな、と思ったが、十二月七日は当初の予定通り一日中五条の部屋で過ごして、あと数時間で終わろうとしている。
一日中七海に甘え倒していた五条は、今もベッドで七海にくっついて離れようとしない。
思い返せば、今日は日付が変わる瞬間からほとんどの時間をベッドの上で過ごしてしまった。日付が変わった時はセックスの真っ最中だったため、五条と繋がったままの体勢で誕生日を祝った。目が覚めてからもまだ足りない、と強請る五条に言われるがまま身体を重ね、昼近くになってようやく起きて前日に購入していたケーキを二人で食べた。空腹が満たされたあとは五条の希望で映画を見た。五条は映画の最中も七海から離れようとせず、いたずらに手を握ったり胸を揉んだり尻を掴んだりしてきたので、まったく映画に集中することができなかった。映画を見た後は二人で夕食を作って食べた。せっかくの誕生日なのだ。夕食ぐらいどこかに食べに行っても良いのでは、と思ったが七海の手料理が食べたい、と却下され、五条のリクエストでシチューを作った。誕生日らしからぬメニューだが五条は終始嬉しそうだったので、まあよしとする。夕食のあとはこれまた五条の希望で一緒に風呂に入り、隅々まで五条に洗われてそのまま一回。ベッドに行ってさらに数回セックスをして今に至る。何度も達した身体はまだ余韻が抜けなくてふわふわしていた。
七海の言葉に五条はきょとん、と首を傾げた。すべてを見透してしまいそうな蒼色がまっすぐ七海を見つめる。
「なにが?」
「誕生日ですよ。何も一日家で過ごさなくったって」
「いいの。僕が一日七海と一緒にいたかったんだもん」
七海を後ろから抱いた男は心底幸せそうな様子でさらに七海を抱きしめた。
「はぁ…まあ、アナタが良いなら良いですけど」
五条の誕生日なのだ。当の本人が満足しているのであれば七海がとやかく言うわけにもいかない。
「それに」
「んっ」
腰にまわっていた手のひらがするりと腹筋を撫でて、筋肉を辿るように胸へと這っていく。胸の飾りをきゅっと指で摘まれれば、敏感になった身体はすぐに反応してしまう。ビクビクと震える七海を見て、五条の口角が上がった。
「えっちもいっぱいできたし」
「ちょ、もうできませんよ」
朝から晩までさんざんセックスした身体はもうくたくただった。喘ぎ過ぎたせいで掠れた声は情事の名残を色濃く残している。
「わかってるよ。触るだけ」
言いながら、むにむにと胸を揉みしだかれる。男の胸なんて揉んでも楽しくないだろうに、五条は執拗に七海の胸を揉みたがる。セックスの時もしつこく愛撫してくるので、七海はいつの間にか胸でもしっかり快感を得られるようになってしまった。
「あ〜七海のおっぱい最高……」
うっとりと呟いた五条は、まだまだ七海の胸から手を離す気配はない。このままだとまたセックスにもつれ込みそうだが、明日からまた地獄の連勤が待っている。ここで流されるわけにはいかない。七海は未だしつこく胸を揉む五条を引き離すように身体を引いた。
「…っ、いい加減にしてください」
「え〜まだ揉み足りないよぉ」
今日一日さんざんヤッたのにまだ物足りないのか。体力オバケの恋人に辟易するが、僕誕生日なんだけど〜と続けられれば、それ以上抵抗することはできなくなってしまう。しかし、ただおとなしく従うのも癪なので、チッと盛大に舌打ちをすることも忘れない。
「クソが」
「わ〜お口悪い七海も大好き」
サービスしたつもりなんてないのだが、五条のツボに入ったらしい。
むにむに。もにもに。よくもまあ飽きずに揉み続けられるものだ。大きな手のひらで七海の胸を揉みながら今日は楽しかったねえ、次会えるのいつかなぁ、明日も仕事休みたーい、ズル休みしちゃおっかな〜、なんて伊知地が聞いたら卒倒してしまいそうなことを呟く五条。返事もせずに五条の好きにさせていると、そのうち眠くなってきた。時計を見れば、日付が変わるまであと一時間を切っている。
人類最強の五条悟の誕生日であろうと一日の時間は等しく二十四時間と決まっている。五条の誕生日も残りわずかとなった。五条ではないが、明日からまた始まるであろう連勤が既に憂鬱である。
「なーなみ。ちょっといい?」
「なんですか?」
七海の視線の先に気づいたらしい五条が起き上がる。後残りわずかとなった誕生日特権を有効活用するつもりなのか。ここまできてどんな無理難題を出されるのか、と警戒する七海に五条が差し出したのは小さな箱だった。
「はい。だぁいすきな七海にプレゼント」
「………私の誕生日じゃないんですけど」
「僕の誕生日に免じてさ、受け取ってよ」
手のひらに収まるサイズの小さな箱。上質なベルベットでできたそれの中身が何であるか、七海はよく知っている。はじめて見るものではない。今までも何度も何度も何度も目にして、その度に理由をつけて断ってきた、指輪。
五条の七海への愛の証。
七海への、呪い。
「……五条さん、それは」
はじめてそれを目にしたのは、高専のときだった。忘れもしない付き合って一周年の記念日。まさか指輪をプレゼントされるなんて思ってもいなかったが、その小さな輪っかは気軽に受け取って良いものではないことはよく分かっていた。相手はただの一個上の先輩ではない。あの五条悟なのだ。その指輪に将来を誓い合う意味合いなどなくても、決して受け取ってはならないことは付き合い始めてからの周囲の反応で嫌でも判断できた。傷ついた顔をした五条を見るのは辛かったが、あの時の判断は間違っていなかったと思う。
ただの指輪がプロポーズの意味合いを含むようになったのは、七海が勤めていた証券会社をやめて呪術師として出戻ってきてからだと思う。七海が呪術界から離れていた間の空白の期間を埋めるように距離を詰められ、五条との関係はあっさり復活した。ヨリを戻して迎えた初めての夜、もう七海と離れたくないと涙ながらに主張する五条の手には、件の指輪があった。見覚えのあるそれに七海が呪術界を離れていた数年の間の五条を想い、七海は申し訳なさと優越感といとしさで頭がいっぱいになった。それでも指輪を受け取ることができなかったのは、やはりどこかで彼と自分は住む世界が違うのだ、と勝手に線引きをしていたからかもしれない。
断られる度に寂しそうな五条を見るのが辛かった。五条との付き合いは続けるくせに、彼の思いを真正面から受け止められない自身が情けなかった。
指輪をじっと見つめたまま、受け取ろうとしない七海に、五条はまるで懇願するように言った。
「お願い、七海。受け取って」
「……受け取れません」
五条が好きだ。愛している。しかし、お互いの立場を考えれば永遠を誓うような真似事なんてできない。それは、五条が一番よく分かっているはずなのに。
「七海は僕のこと好きじゃない?」
「……その質問はずるいです」
「答えて」
「好きですよ」
「僕も七海大好き。お互い好き同士なんだからさ、なんにも問題なくない?」
「……問題はあるでしょう。アナタの立場とか」
「僕は、自分が生まれた日に一緒に過ごしたいって思うのは七海だけだよ」
知ってる。なんでも手に入る五条が誕生日に望んだことは、あまりにささやかなことだったから。
「ずっと、ずっとずっとず〜〜〜っと好きなのは七海だけだよ。これからも七海のこと離すつもりないし、離れようとしたら許さない」
「……何言って」
「オマエが僕から離れようとしたら世界終わらせちゃうかも」
「……いや、重………」
五条の七海に対する執着は知ってる。知ってるし、わかっているつもりだった。
高専を卒業して呪術師をやめたとき、五条とは一度別れた。そのあとヨリを戻したのは五条の熱烈なアプローチがあったからだが、結局は七海も五条のことが忘れられなかったからだ。ヨリを戻したあとは、何度か大喧嘩になったものの別れたいと申し出た七海を五条は決して許さなかった。
「うん、僕は重いの。だからいい加減諦めて」
誕生日プレゼントは七海がいいな。美しい顔で笑う五条にぞくりと鳥肌が立つ。同時にしがらみや世間の体裁ばかり気にしている自分が、いい加減馬鹿馬鹿しくなってしまった。
五条が七海に執着していようが、七海だってお人形ではないのだ。彼への気持ちがなければ五条に従うことは絶対にしないし、気持ちが離れれば五条に何と言われようと別れている。高専時代に別れたあと、五条とヨリを戻して今もなお付き合い続けているねは、結局七海も五条のことが好きで離れたくなかったからだ。
単純なことを難しく考えていたのは七海の方で、答えはずっと前から決まっていたのに。
「……わかりました」
無理です。お断りします。受け取れません。
今までそんな返事しかしてこなかった。その度に傷ついた顔をする五条を見るのが辛かった。
しかし、もうそんな思いはお互いしなくなるのだ。
「お受けします」
「ほ、ほんと?」
「はい。指輪、つけてくれるんですよね?」
「う、うん……!」
左手を差し出す。泣き出しそうな声で返事をする五条の顔は見られなかった。感極まって自分も泣いてしまいそうだったから。
小さな箱の中には10年前から変わらず輝き続ける指輪がちょこんと収まっている。それをおそるおそる手にした五条は緊張しているのか、七海の手に触れた五条の指先は震えていた。いつも不遜でマイペース。周りを巻き込んでばかりの現代最強が顔を赤くしてぷるぷると震えている様は珍しい。そんなことを考えながら、その実七海自身も緊張してばくばくと脈打つ心臓の音が五条に聞こえてしまわないか不安なので、あまり人のことを言える立場にないのだが。
近接型の術式を扱う七海の手はお世辞にも綺麗とは言えない。傷だらけで硬い手は触り心地だって良くないだろう。しかし、まるで繊細な硝子細工を扱うように触れた手は、ゆっくりと慈しむように手の甲を撫でる。わずかにくすぐったさを感じながら左手の薬指に指輪が収まっていく様子をじっと見つめた。
が。
「あ、あれ?指輪入らな……」
第一関節の手前まではなんとか入ったものの、その先はひっかかって進まない。五条はおかしいな、とぶつぶつ言いながら、力任せにぎゅむぎゅむと奥へ押し込んでいく。
「ちょっと、いたい、痛いです!」
なんとか指輪を根元まで収めようと格闘する五条から手を離す。このまま無理やり指輪を収めたら、二度と抜けなくなりそうだ。
感動的な場面になるはずだったのに、まさか指輪が入らないなんて。緊急事態に慌てたのは五条だ。
「あれ、あの、ちゃんとサイズ測って買ったんだけど……」
「それ、元々高専のときに買ったものですよね。あの頃と比べたら指のサイズも変わってますよ」
「ま、マジ……?」
高専時代はまだ身体が出来上がる前で全体的に華奢だった。呪具を握る手も呪力に身体の成長が追いついていなくて、戦闘中によく落としていたことを思い出す。
高専時代から体格が変わっているのは五条が一番よく分かっているはずなのに、指のサイズが変わっているとは思い至らなかったらしい。情けなく眉を下げた五条は、膝を抱えて縮こまった。
「うぅ…かっこつかない……」
「ふふ、」
「笑わないで……」
本当にショックだったのか、声に覇気がない。こんな五条悟の姿はおそらく七海しか知らないだろう。そして、これから先もずっと自分しか知らなければ良い。そう思った。
まるでたんぽぽの綿毛のような丸い頭を撫でる。ふわふわの髪の毛が指に絡んで気持ち良い。
「次の休みにおそろいの指輪を買いに行きましょう」
次に二人揃った休みはいつ取れるだろう。年内は難しいかもしれないが、一度伊地知に相談しよう。結局後輩に苦労をかけることになりそうだと苦笑して、七海は指に収まりきらなかった指輪を摘み上げた。
「これはこれでチェーンをつけて首から下げるので」
せっかくプレゼントしてもらった指輪をこのまま仕舞ったままにするのは惜しいと思った。七海の提案に、めそめそしていた五条が顔を上げる。
「七海〜大好き〜」
「はいはい」
くしゃくしゃの笑顔で抱きついてくる恋人を抱きとめて、子供をあやすように背中を撫でてやった。胸にすり寄って甘える五条はすっかりご機嫌だ。
「最高の誕生日になったな〜」
「私は何もあげてないですけど」
「もらったよ〜。七海を♡」
これで七海は僕のだって周りに牽制できるし。
まだ何も収まっていない左手の薬指を撫でながら、五条はにんまりと笑う。わかりやすく独占欲をあらわにする五条にまんざらではないと感じている時点で結局七海も五条と同類なのかもしれない。
ちらりと五条の左手の薬指に視線を向ける。まっさらなそこに七海と揃いの指輪が収まる日が待ち遠しかった。