おやすみ、いい子 降りたことのない街だった。手塚も馴染みがないらしい。今度の週末行かないかと、しかし部長会議があるから午後に現地で集合だと、手塚は常と変わらぬ落ち着きぶりだった。
どうしてそんな日、そんなところで――不二は首をかしげたが、動いたのはあくまで体の内だけで、たぶん顔には出さなかった。
「初めてだなあ。ふふ。いいね、現地集合。なんだか冒険するみたい」
「……」
快諾したのに、なぜだか手塚は不二をとっくり見直した。
「……お前は」
言った手塚は、ふさわしい言葉を探すようだった。けっきょく不二の名前を呼んで、それでもしばらく、なにかを探す瞳をしていた。
「手塚?」
「……迷いそうだな」
ようやく彼はつぶやいた。案じる色が浮かんだ声に、不二は微笑してみせる。
「キミが?」
「――……俺か?」
「……ぷ、――ん、……まあ、とにかく」
真剣に考えはじめるのは、きっと彼の優しさだ。笑みを喉に押し込めて、軽く首を振って応える。
「大丈夫じゃない? キミも、ボクも」
「適当にどこかに行かないか」
「行かないよ」
「気になる街並みがあっても」
「駅前にいるよ」
「猫が通り過ぎても」
「追いかけない。シャッターチャンスだろうけれど」
「サボテンのパレードがあっても」
「え、それは――あ、ごめん、大丈夫、待ってる。キミを待ってるよ。後で一緒に追いかけてね」
「……いい子だ」
手塚はなぜか、サボテンのパレードよりも猫よりもいいものを見たという顔をした。不二の肩に置かれた彼の左手から、熱と力がじわりと伝わり、不二を彼の前にとどめる。――だから不二は手塚を置いて、勝手に行ったりしないのだ。……たぶん。
行かないつもりでいるけれど、サボテンパレードの先頭でアウストロキリンドロプンチアラゴプスが飛び跳ねていたりしたら、ちょっと自信がないかもしれない。
「あうす……」
「アウストロキリンドロプンチアラゴプス。アンデス山脈のサボテンだよ。一番標高が高いところにいる子なんだ。小さくてもわもわっと集まって、白いとげが可愛くて」
「そうか。――アンデス山脈か。分かった、いつか会いに行こう。だから、不二」
「ふふふ、……うん、待っているね」
それにしても本当に、どうしてその日、そんなところで――。帰った自室で検索欄に街の名前と日付を入れて、不二はけっきょく実行ボタンは押さなかった。きっと不二が喜ぶなにかがあるのだろう。それこそ、サボテンマルシェとか。
伝えぬだけの不器用なサプライズだけれども、手塚が考えてくれたのだ。素直に驚きたい気がした。だって、――彼が言ったのだ。不二はいい子なんだって。
うなずくように、薄い機械が鳴動した。手塚からのメッセージが、画面で明るく不二を呼ぶ。不二は笑って携帯電話を取り上げて、うん、おやすみ、と彼に返した。