意味なんかないはずだけど ノックして部屋を開けて、ぴたりと固まった。部屋の主がスマホ片手に通話をしていた。どうぞという声はかけられていたので、電話中だとは気づかなかった。特段急ぎの用でもないので、会釈をしてドアを閉めようとしたが部屋の主であるホークスに手招きをされた。相槌を打ちながらも器用においでと口と手の仕草で伝えてくる。若干遠慮はあるが、引き留めたということは直ぐに終わる算段なのだろう。一瞬だけ迷ったが断わるのも失礼な気がして、なるべく音を立てないようにドアを閉め、窓際に立つ彼へ近づいた。
「事前に調査とか必要なことがあれば、こっちでもしておきますよ」
朗らかな応対だが、内容はきっとチームアップ要請だろう。ただでさえ忙しいのに、呼ばれた任務の事前準備まで買って出るとは感心を通り越して呆れも出てくる。元よりワーカホリックな上に、自分でこなした方が早いのは事実なのだろうが、単に自分で情報を収集をしないと満足しない性格でもあるのだろう。長いとは言い切れないが、それなりの時間を共に過ごした中で、常闇はホークスに対してそういう評価をしていた。
「ああ、はい、そうですね」
さて、すぐに終わるものと本人も考えていたようだが、思いのほか終わらない。背が低い常闇は見上げるようにホークスの横顔を見つめていた。窓に寄りかかっていたホークスが常闇側に向き直り、空いている手を伸ばしてきた。大きな手のひらが無造作に常闇の頭を撫でてきた。何が楽しいのか分からないが、時々、常闇はこうやって頭を撫でられる。普段なら子供扱いをするなと文句のひとつも零すが、眉を下げてごめんねと口パクで伝えてくる表情に怒りは湧いてこず、されるがままとなった。頭から手を滑らせ頬も撫でられ、また手が離れていった。鳥頭で境目が分かりづらいが、さすがに頬まで撫でられると気恥ずかしい。当の本人は気にも留めてないのだろう。視線を室内に戻して通話を続けている。
静かな部屋でホークスの声だけが響く空間に、先ほどホークスに頬を撫でられた感触が妙に残り、逃れるように常闇は窓から外を見た。さすがランキング上位のヒーローなだけであって、福岡で有数の高層ビルの一角にホークスの事務所が構えられていた。高層階を選んでいるのは、ホークスが空を飛ぶ個性を有していることも理由なのだろう。所長室の窓は殊更大きかった。おかげで福岡の街がよく見える。ぼんやりと外を眺めていれば、頭にぼふと何かが乗ってきた。驚く間もなく背後から手が伸び、手元の書類を取り上げられた。誰が、などとは見なくても分かっている。通話はそのままにホークスが顎を常闇の頭に乗せ、後ろから書類を手元まで上げて確認している。なんでわざわざこの姿勢でと思うが、払いのけることもできずに常闇は硬直してしまった。
「はいはい、じゃあ、楽しみにしていますよ」
失礼します、の言葉と共にようやく通話が終わったようで、書類もまた常闇の手に戻ってきた。常闇は気づかれぬようにほっと息を吐いた。電話を待つのは問題なかった。しかし、この半ば抱き込まれるような姿勢はからようやく解放されるのに安堵したのだ。
「ごめんね、何度も電話切ろうと思ったんだけど、お喋りな人でさ」
しかし、あろうことはホークかは常闇の頭から顎は外したものの肩口に移動して常闇の顔の横から手元を覗き込んでくる。先ほど撫でられた頬に今度はホークスの髪が触れ、あまりの近さにぎょっとした。
「今日の事件の報告書と、雄英に提出するレポートかな?」
「はい、そうです。急ぎではなかったのですが、通話中に失礼した」
「ううん、別にいいよ。むしろ待たせちゃったし」
のんびりとした口調でホークスが書類に目を通していく。相変わらず常闇の後ろから、今度は両手で書類を掴んで見ているのでまるで抱きしめているような格好だ。どう考えても見づらいのでは、と思うが本人は何も気にしていないのか、その姿勢のまま続けられていく。自分から離れてもいいのだがなんとなくそれも気まずく、常闇はまたしてもされるがままだった。何か言えば、余計な押し問答が発生して、悪化する可能性がある。ホークスという男は時にめんどうなのだと、これもまた短くない期間傍にいて知ったことだった。ゆえに、こういう時は諦めるのが一番早いのだ。気になることは忘れように頭の隅に置いて、声をかけた。
「…先ほどの電話はチームアップ要請の連絡か?」
「うん、そうだよ。登山ルートの安全点検の協力要請」
会話になれば向かい合うかと思ったが、常闇の当ては外れてホークスは常闇の肩に頭を乗せたまま話を始めた。
「登山ルート?」
てっきり何か組織的なヴィランの調査協力か何かかと考えていたので、想像もしなかった答えに思わずオウム返しをしてしまった。
「山の中の、橋とか道とか危険な状態になってないかって定期点検。ほら、山の中って移動が大変でしょ?空からだと効率良く回れるからね」
「なるほど…そういうことか。確かに歩いて1つ1つ点検するのは時間がかかって大変だな」
「でしょ、山道は歩きづらいしね。空を飛べる個性は貴重だから重宝されるよ」
加えてホークスは羽による探知能力がある。広範囲の探索には持ってこいだ。空を飛べるようになって、物理的にも視野が広がった実感はある。しかし、どうしても対人で物事を考えてしまうが、こういった場面での活用には目を向けられていなかった。ホークスは積極的に説明はしないが、その代わりに常闇の疑問には大概回答をくれた。そうやってホークスとの会話の中で、何度となく常闇は学びを得ていた。
「して、いつ頃?」
「ん~四日後になるかな、常闇君たちが雄英に戻った後だね」
その言葉に、僅かに肩がぴくりと跳ねた。もしいる間なら連れて行って欲しいと頼むつもりだったが、それは叶わないようだ。
「そうか」
思っていたよりも気落ちした声になってしまった、とそう思った瞬間、耳元にくすりと小さな笑いが漏れた。それと同時にホークスが書類を持ったまま常闇が身体を離した。途端に背中から熱が無くなり、ついさっきまでは戸惑っていたのに常闇は妙に寂しさを感じた。ゆっくりと振り返ると微笑んだホークスと目が合った。
「今回は無理だけど次の機会は必ずあるから、そん時は一緒によろしくね」
常闇の考えることなぞお見通しなのだろう。諭すように言われ、また頭を撫でられた。表情に出したつもりはないが、声だけでなく態度もがっかりとしていたのだろう。今度こそ子供あやすような言動だが、優しい手つきに怒る気にはなれず素直に受け入れた。実際に落ち込んだ気持ちが慰められたからだ。それに、次などという先を見据えた内容は、たとえこの場限りの慰めであったとしても、初めて出会った頃のホークスを考えれば信じがたい言葉でもあったから。同行できないのは心底残念だが、次にという言葉だけで常闇は内心歓喜していた。
職場体験でホークスから指名を受けた。同級生たちと同じように目標であったヒーロー活動を体験できることや未知の土地へいく好奇心、そして№3ヒーローの元へ行けることに心躍らせていた。しかし、その期待はもろくも崩れた。当時のホークスの印象は、常闇から見て最悪だと言っても大袈裟ではなかっただろう。常闇をただの情報源としか見ていなかった。話を聞けるなら誰でも良かった、という態度を隠すこともなかった。あまりの悔しさに友人たちにも話せなかった。だが、その悔しさをバネに努力が出来たのも、また事実。どうにかして『誰か』ではなく、『常闇踏影』を見せつけようとした。正直、きっかけが何だったかはわからない。いつしか、ホークスに変化が現れた。学校のような分かりやすい指導はないが、先ほどのように言動の端々に助言めいたものが増えた。そして、多忙な彼の時間の中で常闇に充てられる時間は最大限与えてくれ、可能な任務はこうやって惜しみなく横に並ばせてくれようとする。それだけで十分に贅沢で幸福なことだと常闇は理解していた。
「はい、わかりました。次があることを願います」
「学校で頑張って、成長してまたうちに来てよ」
ホークスの言葉に常闇は瞬いた。今度はちゃんとこの人に望まれて来られるのか、と思うと口元が緩んできた。浮かれてはならないと律したが、生憎と緩む口元を止められなかった。対面するホークスがおどけるように肩を竦めた。
「俺も常闇君たちががいなくった寂しさを紛らせられるから、チームアップ要請があって丁度良かったよ」
「寂しい、ですか?」
「そうだよ。君たちがいると事務所が賑やかになるからね」
思いがけない言葉に、瞬きが一層多くなる。
「君は気づいてないかもしれないけど、君のおかげでうちの事務所にも良い影響が出てるんだよ」
「…身に余る光栄」
相変わらず大袈裟だな、とホークスが豪快に笑いながら両手で常闇の頭を乱暴に撫でた。学校は楽しい。いくら現場が大切とはいえ、まだまだ学校で学ばないといけないことが山ほどあるのを常闇は自覚している。しかし、学びや経験だけでなく、ホークス事務所の日々が学校とはまた違う居心地の良さを感じていた。学生の身分で短期間の滞在のみで実に勝手な思いだが、事務所のメンバーも少しはそう感じてくれているのだと知って嬉しさはいよいよ隠せなかった。
「しかし、電話では楽しみだ、と言っていたではないか」
少し照れ隠しもあって、揚げ足を取るよな言葉を出してしまった。しまったと思うが、ホークスは特に何もなさそうに返答をする。
「ああ、鳥肉が有名な地域だからね。お礼に美味しい鳥料理屋さんへ連れてってくれるっていうからさ」
「なるほど…」
別にホークスが任務を楽しみにしていても良いのだ。ワーカホリックで仕事が好きなのだから、楽しみな任務があって当たり前だ。だが、そこに自分がいないというだけで何故か常闇はがっかりをしていた。しかし、楽しみの理由が好物だとわかって少しほっとした。これこそ何故だかわからない。ただ常闇自身も消化しきれない複雑な気持ちは態度にも表れたようだった。ホークスは、そんな常闇の表情変化は任務へ同行できない無念さからくるもとだと捉えたようだった。もちろん、それは間違えではない。
「毎年お願いされている依頼だから、今度は時期が合うといいね」
当たり前のように未来の言葉を口にしてくれるホークスに、もう一歩通行に追いかけているのではないと実感が湧いてくる。慰めるような言葉は、まだまだ子供扱いの証拠ではあるが、結局嬉しさを隠せない自分がいるのだから仕方ないと認めることにする。
「さて、書類は見て判子押しておくね。終業まで後一時間くらいかな、残りも頑張って」
書類は気づかぬうちに剛翼へ渡され、ふよふよと空中に舞っていた。時計を見て、常闇は慌てて頭を下げてから部屋を退室した。
また静まり返った所長室で、ホークスはレポートを手に取った。丁寧に書かれた内容に笑みが零れる。常闇は表情や年齢が分かりづらい見た目もさることながら、低音ボイスや小難しい話し方のおかげで聊か年齢不詳気味だが、こうやって文章を見ていると年相応の高校生らしさを感じる。出会った頃は、主にホークス自身の態度の悪さに起因するが、ホークスの前では挑戦的な視線が多かったが、今は違う。表情が分かりづらいとは印象のみで、褒めれば口元が綻び、興味深い内容には目を輝かせ、当てが外れればさっきのように全身からガッカリした空気を出す時もある。雄英生の名に恥じぬヒーローの卵としての優秀さだけでなく、思いのほか表情豊かな彼の一挙一動をホークスを含めた事務所の面々は気に入っていた。それこそ本人の見た目と個性と思えぬ陽気な性格をもつ黒影のおかげもあって、マスコット的な可愛らしさもあるのだ。本人はきっと不服に思うだろうから、誰も口にしないが、おそらくは共通認識だ。
ホークスは、特定の誰かを気に入るようなことがあると思っていなかったので自身にとても驚いていた。尊敬するヒーローは数多いるが、まだヒーローですらない学生に心を向けるような機会が訪れるとは考えてもいなかった。体育祭指名の制度は知っていたし、雄英生が優秀なことはビルボードチャートに並び立つヒーローたちの出身校を見れば必然の結果として突きつけられる。しかし、指名の必要もなければ興味もなかった。情報収集の目的がなければ、今年も指名どころか体育祭中継も見なかっただろう。だが、様々な事情と偶然が絡み合い、常闇を指名したのは他でもないホークスだ。
ぞんざいな扱いをした自覚はある。だが、常闇は予想に反した負けん気を見せ、ついにはホークスに不在の物足りなさを感じさせるまでになった。とはいえ、またそれはホークスの中のほんの少しだ。
「じゃあまぁ、こっちも気合い入れて引き離していきますかね」
誰に聞かせるでもなく、持ちまえの不遜な笑顔でレポートをぽんと軽く叩いた。だが、その声が弾んでいるのに、他人はもちろん本人すらも気づいていなかった。