マウント「こないだ聞いたよ。常闇くん、よくやってますって」
突然の言葉にぎょっとする。誰からとは聞かずともわかる。インターン先の所長からだろう。今まさにインターンの話をしていたから、文脈から見ても間違いない。自身の評価を第三者から聞くのは嬉しいものだ。だが、まさかホークスから聞くとは思わなかった。
ホークスは公安委員会会長で、数多のヒーローを束ねて管理する立場にある。一年ほど前まではトップランカーのヒーローで、常闇のインターン先の所長だった。大戦の折に個性を消失し、ヒーローを引退した。そして、現在の職についた。つまり、常闇は継続して同じ事務所でのインターンは不可能となった。大戦でトップヒーローの数は減ったが、元々職場体験でも評価の高かった常闇は大戦の活躍もあり、別のインターン先も無事に見つかった。高評価の要因に、ホークスと空を飛べていたという点があったのも事実だ。だからやはり、ホークスには常闇は感謝しているのだ。そして、ホークスとは現在もこうやって定期的に会って情報交換、今はまだ常闇の相談事項が多いが、をする間柄だ。
そんなわけで常闇がホークスの元にいたのは周知の事実で、現在世話になっているインターン先はそもそもホークスの元に行けないから、という理由で赴いているのでホークスと関係があるのは当然知っている。だが、まさかホークスに自身について話をしているは露ほども思わなかった。
「何か仕事で会ったんですか?」
「いや、連絡があった」
「何かの用事のついでに、俺の話題も出たのか?」
「ううん、常闇くんのことだけ」
「…左様か」
それもまた驚きだ。ホークスは年若い。大戦で多くのヒーローを失ったが、今なお数多のヒーローが存在し、ほとんどがホークスより年上だ。しかし、公安委員会会長という立場上、気軽に連絡を取るような相手ではない。しかも、たかがインターン生の状況報告だ。なぜなのだろうか、と訝しむが、思いつくのは一つだ。何かしらの失態を犯した、ではないだろうか。それをやんわりと師に伝えたのかもしれない。何かしらミスは当然、自身で責任を取らなければならない。だが、常闇はまだ学生だ。そうなると、自分よりも学校や教師が『何を教えているのか』と評価を受けてしまうのを知っていた。特に雄英高校となればネームバリューは絶大だ。そうなると、世間やメディアの目が厳しい。メディアの善し悪しを、常闇は目の前の人物を通して嫌というほど知っている。
それと同じだけ、インターン先のヒーローも同様の責を負っている。ヒーロー科の学生は、インターンからサイドキックとして就職をするのが一般的な流れだ。雄英生は取り合いになるから、という理由で体育祭での職場体験の指名制度まで存在している。つまりは、同年代の学生の中でも群を抜いて注目された存在なのだ。さすれば、受け入れる側のヒーローにも大きな責任がある。良い人材を確保したい、という目論見はあるが、逆に言えば立派にデビューをさせないといけない。そのあたりは同級生が赴いているファットガムやベストジーニストが各段に育成が上手いように思う。
急に喉がカラカラになり、ジュースを口に含んだ。ホークスには学生から育成したサイドキックはいなかった。なぜなら、ホークス事務所が受けいれた学生は自分ただ一人だけだからだ。そして、それはたった一年で終了してしまった。そのため、ホークスが世に送り出したプロヒーローは、この世に存在しないのだ。後進育成に興味がないと言いつつも、彼は育成上手だった。やらないと覚えないから、と少人数の事務所の利点を生かして、学生ながらもプロヒーローとそん色ない形で任務にあたらせてくれていた。だから実践型なのかと思えば、言葉でもしっかりと指導をしてくれた。興味がないと言うが、優秀な雄英教師の元で学ぶ自分から見ても、ホークスは育成に向いていると感じていた。
常闇がホークスの元にいたのは、周知の事実だ。所長にも伝えてある。だから、「一体何を教えていたのか」とホークスにクレームが入る可能性はあるのだろう。飲んでいたジュースを机に置いた。
「何か、俺は失態をしたでしょうか」
問いながら、常闇は憂鬱になってきた。改善すべき事項があれば早急にしないといけない。伝えてくれるの有難い。しかし、それをホークスに知られるのは嫌だと感じてしまったのだ。どうせなら、かっこいいところだけを知って欲しいと思っているからだ。貴方の弟子は、こんなにも立派だと言いたいからだ。
「へ?なんでそうなるの?思い当たることでもあるの?言ったじゃん、よくやってるって言ってたって」
「思い当たることはないが…貴方が俺のモチベーションを下げないために、話を集約して伝えてくれただけではと思ったんだ」
ホークスが眉を顰めて口にしていたカップをソーサーに戻した。
「するわけないじゃん。てか、失態があったらなら俺隠さないでしょ」
それもそうか、と常闇は納得をする。ホークスは的確に指摘をしてきた。それも、常闇が本人に考えさせ、答えを導きさせるようなやり方だった。時には丸投げに見えるような業務の任せ方もあった。しかし、それは常闇を奮起させる材料になっていた。
「真逆。めちゃくちゃ褒めちぎってたよ。あまりに終わらないから、電話切ってやろうかと思ったよ」
「めちゃくちゃ」
「強いとかはベースとして、個性の使い方の創意工夫が柔軟だ、とか、他のメンバーとの連携が上手い、とか、頭の回転が早いとか」
語彙力が豊富、とか、気遣いができる、とか、あと、とホークスは指折り数えながら所長の言葉を復唱していく。確かに多い。それを全て覚えているのも流石というのか、なんとも常闇は複雑な気持ちになった。
「黒影のギャップが可愛い、とか。こんな感じ」
ホークスがしかめっ面で腕を組んだ。想像がついた。所長は大変良い人だ。ヒーローとしての実力も十分だし、コミュニケーション能力も高く誉め上手で面倒見がよく、育成にも熱心だ。それこそファットガムも誉め上手だ。しかし、彼の場合はズバズバと駄目なことを言う。言うが、それを前向きな言葉に変換し、煽るように、できるだろうと促してくる。切島や鉄哲の性格に合っているし、時折一緒になる常闇も気分が高揚する。だが、常闇が世話になっている事務所の所長は違っていた。とにかく手放しに誉めてくる。褒められすぎていると感じてくらいだ。学生だから気を遣われているのか、それとも本音ではないのかと疑うほどだ。だが、どうやら本当にそう思っているようだ。
「普段からそんな感じだ。とにかくよく誉めてくる。有難いが聊か大袈裟で、非常に恐縮する」
「ふーん」
ホークスが生返事する。何故かホークスが不機嫌そうに角砂糖をコーヒーに追加している。妙な沈黙が流れたので、仕方なしに常闇もグラスを手に取った。
「良かったじゃん、よく見てくれるお師匠さんが出来て」
「待ってくれホークス、確かにとても世話になっているが、師匠とかではないぞ」
ピクリとホークスが飲もうとしていた口につけていたカップを離した。
「なんで?」
「なんでと言われても…ご教示賜っているのは事実だが、だからといって師匠にはならないぞ」
「俺のことは師とか勝手に言ってんじゃん。ちょっとインターンで教えてただけで」
勝手やちょっとという言葉に今度は常闇がむっとする。勝手なつもりもちょっとでもないのだ。何度か、貴方は俺の師だと伝えてこともある。確かに言度に、彼は、はいはいと、適当に常闇をあしらっている。
「師よ、俺が貴方を師と呼ぶのは指導のことだけではないぞ」
「また、師とか言う。俺、君のこと弟子とか思ってないけど」
「貴方は、俺に人生の指針を示し、目指すべき道を歩き、貴方の想いを俺は受け継ぐべきだと決意したからこそ、師だと思っている」
「…そんなん聞いたことないけど」
「伝えていないからな」
ホークスが唸り声を上げながらコーヒーを飲んでいく。
「それで、所長になんて言ったんだ?」
「それ全部知ってます。前からそうですって」
意外な返答に常闇は瞬きをした。確かにホークスならそうするか、とも思い、ジュースを一口飲んだ。よく知りもしない相手と押し問答をしたり、違います、と論議をしたところ時間の無駄だと思ったのだろう。ただ、それにしては刺のある言い方にも聞こえた。
「でも、常闇くんは褒めるよりも駄目出しした方がいいんですけどねって」
「ん?」
「もっと出来るでしょ、ってやらせた方が常闇くんは伸びるし、最後に褒める方が効果あるって。そうでしょ?」
ホークスとの仕事を思い出す。学生を信用していないようなことを言っていたわりに、ヴィランを前にして蹴られるような勢いで行ってこいと指示出しされた。絶妙な言葉選びで、こんなもんだっけ、と常闇の負けん気を刺激しけしかけてきた。嫌なことも思い出し、小さく息を吐いた。だが、必ず最後によくやったね、と微笑んで褒めてくれた。普段見られないその笑顔が、常闇には何よりの褒美だった。本人も明かしていない、常闇だけの小さな秘密だ。それを思い出して、少し体温が上がった。余計なことだった、と小さく頭を振る。
「まぁ…そうだな」
「黒影が可愛いのには全面同意するけど、君も褒めた時に嬉しそうなの可愛いのにね。普段かっこいいから、それだってギャップなのに、褒めちぎってたら見れてないんじゃん」
ずっ、と飲みかけのジュースを勢いよく飲んでしまった。上目でホークスの様子を伺うが、先ほど変わらずに少し不機嫌な様子でコーヒーを飲んでいる。
「別に見れてなくてもいいけど」
ジュースを吸おうとして、空になっているのを思い出した。持っていても意味がないので、テーブルにグラスを置いた。ホークスはまだコーヒーを飲み終わっていないようだった。砂糖を足したはずなのに、苦々しい顏でチビチビと飲んでいる。常闇は手持ち無沙汰になり、居心地も悪くなってきた。しかし、ふと疑問が湧いてくる。何かのついでに雑談として常闇の話が出るのならば、納得ができる。だが、なぜわざわざ連絡をしてまでホークスに伝えのかは話を聞いても理解ができなかった。
「しかし、なぜそんなことで貴方に連絡を取ったんだろうな」
ホークスが置いたカップも空になっていた。約束していた時間ももうそろそろ終わる。多忙な業務の中で捻出してもらっている僅かな時間は貴重と認識しながらも、いつも終わる時は寂しさを覚える。しかも、今日は妙な空気になってしまい、残念な気持ちもある。しかし、ホークスは常闇の言葉にきょとんと目を見開いた。
「なぜって、俺に常闇くん自慢するためだよ」
「じ、自慢?!」
「あ、そういう感じ?」
驚く常闇に、ホークスはしたり顏になった。そして、先ほどまでの機嫌の悪さはどこへいったかというほど満面の笑みを見せる。
「まぁ、また連絡きたらもっと言うけど。俺、常闇くんのお師匠さんなんでなんでも全部知っていますって」
今度は常闇の方が嫌な顔をする番だ。自分は常闇の師ではないと、数分前にも否定したくせに、どの口がいうかという台詞だ。認めろと迫ってはいるが、こうやって肯定されるとそれはそれで不服な気持ちになってくる。
やはり、ホークスは底知れぬな、と思い、常闇は大きくため息をついた。異形特有の表情の乏しさはあるが、そもそも常闇は協調性が高く、相手を尊重する。敵対する相手でなければ嫌な顔もしない。だが、今の常闇は不満を隠すもせずに、めんどくさそうな表情をしている。それを知るホークスは、ふっと小さく笑った。
「ほら、こういうところとか」
そう言って、伝票を持って立ち上がりながら常闇の頭を乱暴に撫でた。不服そうな常闇とは正反対に、ホークスは実に晴れやかで満足そうな顔をしていた。