つまりそういうことみたい ホークスは、口に含んだコーヒーを思わずごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。仕事の打ち合わせの後、遅めの昼休憩を取っていた。打ち合わせ相手は常闇で、彼とは定期的にプライベートでも会う間柄だった。仕事で会うならついでに、とホークスは時間休暇を取得し連れ立って馴染みの喫茶店にいた。公安本部にほど近いこじんまりとしたレトロな喫茶店で、ホークスや常闇の立場を慮って何も言わずに人目につきづらい奥まった席へ案内してくれる気遣いもあり、ホークスは重宝していた。
ランチタイムともティータイムとも言い難い時間帯の店内はまったりとした空気だった。久方ぶりに話す常闇との会話は途切れることなくポンポンと進み、店内の空気と相まってその心地よさにホークスは心身が満たされている感覚に陥っていた。この所は少し余裕もでき、前は習慣で缶コーヒーを飲んでいただけだったが、喫茶店のコーヒーの香りを楽しめるようになってきた。そう思いながらカップに口をつけたところで、思わぬ常闇の発言に目を見開きコーヒーらしからぬ飲み方をしてしまった。
「なんて?」
「意中の相手に好かれるのために有効な手段があれば教えを乞いたい」
ホークスの間の抜けたリアクションに対して、常闇は一言一句違わず同じでセリフを繰り返した。ホークスがヒーロー引退後も、常闇は変わらずにホークスへ助言を求め、ホークスもまた常闇に教えられることは教えていた。晴れてプロヒーローデビューした常闇は順調に実績を重ね、今では公安委員会会長の立派な仕事相手にまで成長した。それでも、常闇はまだホークスを師として取り扱う。
「それって人心掌握術的なこと?」
「違うな」
ホークスは腕を組んで首を捻った。まぁそうだろうな、と思ってはいたがやはり違っていたか、とため息をついた。
「てことは、つまり恋愛的な?」
「そういうことだ」
「珍しいじゃん」
珍しいどころか初めてだ。仕事関連や個性の使い方、それこそ人心掌握というかメディア対応や交渉術については何度か聞かれたことがある。その辺は公安自込でホークスの得意分野だ。故に、誰よりも適任の相談相手と自負している。プライベートの方は社会人なりたて時は生活や手続きについて、これは現在ではどちらかというホークスが小言を言われる機会が圧倒的に増えたが、質問を受けることはあった。トレーニング方法等は公私の境目が難しいが、服選びだの家具選びだの、細々とした相談事は日常的に会話の中にあった。
しかし、恋愛関係の話は彼が学生時代からも話した記憶がない。他の者を交えて好きなタイプくらいは話したことがあったかもしれないが、雑談程度だ。こんな質問をされるなんて、とホークスはどこか感慨深い気持ちと共に軽くショックも受けた。だが、彼とてもう大人だ。ホークスが知らないだけで高校時代だって恋愛の一つや二つ経験をしているかもしれない。もう一口、今度はゆっくりとコーヒーを飲んでから、まぁでも、と口を開いた。
「人心掌握術なんて言うとテクニックくさいけど、恋愛でも基本変わらないでしょ。相手の好みに合わせるとか、喜びそうな言葉を言うとか」
なんとも陳腐で当たり障り回答に、ホークスは内心苦笑いをした。常闇や彼らの友人たちはテクニックなぞ用いらずとも天性の人好きをさせる才がある。それぞれの持ち味があるが、みな一様に魅力的だとホークスは思っている。それこそがヒーローの資質でもあるのだろう。それはきっと、恋愛においても変わらない。
「だけど、そんなことしなくても常闇君なら普段通りにしていれば好いてもらえるよ」
ホークスは目の前に弟子へ笑顔を向けた。これは本心だった。時にテクニックは必要だが、物事を円滑で進める上での必要な手段だ。いくら常闇踏陰という人物が善良であっても必要な場合はある。恋愛でのテクニック使用も否定はしない。しかし、恋愛ならば常闇はそんなことをしなくても問題ないだろう。ホークスの言葉に常闇はリアクションをせず、じっとホークスを見ていた。こんな言葉では駄目だったか、と口を開きかけたところで常闇が言葉を発した。
「では、貴方は何をされたら相手を好くんだ?」
「は?俺?なんで?」
「具体的な事例を知りたく」
「なるほど…探求熱心だねぇ」
ホークスは口に手を当て、椅子の背もたれに背中を付けた。さすがに若干気まずいのか、常闇はグラスを支えながらストローをくるくる回している。
さて、恋愛と問われてホークスは脳内の記憶を探索していた。経験はあるにはあるが、碌なもんじゃないな、と常闇に悟られないように手の中で口元を歪める。若気の至りや、それこそテクニックの練習めいたおよそ常闇に言えないものが浮かんできては候補から消し去った。そもそも人と距離を取って生きていたので惚れたのなんだの、というのは縁遠い。ヒーローとして、人としてリスペクトする人間は多数いるが、個人の恋愛感情として、となれば皆無と言ってもいいかもしれない。それにこのところは、碌でもない経験すら遠ざかっている。
「そう言われちゃうと、ごめんだけど何も出てこないな」
「そうなのか?」
「がっかりするかもしれないけど、恋愛とかは俺もよくわかんないなぁ」
ホークスの言葉に、常闇が両手でも持っていたグラスをきつく握った。
「がっかりなんてしない。ただ、確かに意外ではある」
「はは、そりゃそうだよね。ファンサの鬼だったし」
違う、と常闇が首を横に振った。
「ファンサービスは貴方の得意とするところだったが、それだって貴方がそもそもとても魅力的だからだ」
「ん、ありがと」
悲観的な物言いを嫌う常闇は、こうやってすぐに否定しポジティブな言葉に変換をする。お世辞やおべっかではないと感じられる点でも、相手の気分を高揚させてくれる彼の長所だ。これだけでも、やはり何もしなくても常闇はきっと意中の相手に好いてもらえるとしかホークスには思えなかった。
「だから、本当に月並みなことしかないよ」
少し冷めてきたコーヒーに角砂糖を追加し、スプーンで溶かしていく。すでに溶けづらくなっているため、通常よりも多めに回されるスプーンをなんとなしに二人とも見つめていた。
「相手は意図してないと思うから、結果的にってだけだけど」
かちりとスプーンを置く音とホークスの言葉が重なり、常闇は顏を上げた。もう何も話さないと思っていたので、パチパチと瞬きを繰り返してホークスを見ていた。反対にホークスはカップから目を離していなかった。
「例えば、不意に上げたお菓子を殊更美味しそうに食べて丁寧に御礼を言ってくれたとか、何気なく話した内容を自分で反芻して熱心に取り組んでくれたとか、いいなそういうのっていう小さいことの積み上げ」
ホークスがコーヒーを飲んだので、常闇も習ってストローに口を付けた。ほとんど氷が解けていたが、氷もコーヒーでできているので薄くなっていない。外界と遮断されたような空気やクラシックな調度品を常闇は、連れてこられた時から密に気にいっていた。この薄くならないコーヒーも気に入りの要素の一つだ。外ではジュースを選択することも多いが、この店ではアイスコーヒーを選んでいる。かたりとホークスがカップを皿に置く、思考が目の前の人に戻されていく。
「自分が気に入ってる店に連れていったら目を綻ばせて内装を見て、飲み慣れないコーヒーを美味しいと言ってくれてさ。その後も頼んでくれてるから、本当だったんだってわかって、自分が好きなものを気に入ってくれたのかと思ったら嬉しくなった、とか、そんな些細なこと」
ホークスのカップももう空だった。スマホの画面が、ホークスの休憩時間が残り10分程度であると告げていた。
「つまんない回答でしょ」
柔和に微笑むホークスに、常闇は曖昧な笑顔を作り、いえ、と小さく呟くことしかできなかった。自分で質問をしておきながらも、常闇はどう返していいのかと迷っていた。
「素敵な方だと思うし、その行為を好ましいと感じた貴方を素敵だと、思う」
「参考になった?」
「そう、ですね」
常闇の回答に満足したのか、ホークスはスマホを胸ポケットに収め、伝票を掴んだ。
「そろそろ行こっか」
ヒーロースーツに着替え、ため息をつく。何故あんな質問をしてしまったのかと猛省する。用意していた質問ではなく、衝動的に口から出てきた。出てしまった言葉は戻せず、しかし、回答が気になったのは事実。彼得意の交渉術の何かがでも言われるかと思えば、全く違っていた。彼らしくない取り繕っていない言葉は、ビー玉のように丸く輝いていた。
月並みでつまらない回答とホークスは言ったが、常闇にも身に覚えがあった。ホークスが語った相手方の言動は、ごく自然で、聞いてるだけで好感が持てた。そう感じたのは、ホークスの語り口が柔らかなせいだったかもしれない。
好意を持ってもらうのに意図した行動を取るのは、悪いことではない。だが常闇とて、似たような経験しかない。相手の一挙一動にいつの間にか目を奪われ心が惹かれてた。それだけだ。それらの言動は、相手には自分に対して何の意図も無かったと断言出来る。回答がつまらないのではなく、常闇の質問が陳腐だっただけだ。自分の稚拙な行動に呆れ、外套を身にまとった。今日が夜勤で良かった、と心底思う。仕事をしていれば、大抵のことは忘れられる。
飛行体勢を取る寸前、握りしめたスマホが震えた。画面を見れば、そこには昼間会った人物の名が表示されていた。
『ちなみに』
表示された四文字だけで内容が分からず、慌ててメッセージアプリをタップした。
『言ってなかったかもしれないけど今日の喫茶店とコーヒー、俺のお気に入り』
続けられていたメッセージに、常闇が目を見開いた。
『連れて行ったの、君だけ』
返信する間もなく続けて次のメッセージが届き、強制的に相手に既読を知らせてしまう。まるで常闇が読むのを予測していたかのようなタイミングだ。
『君も気に入ってると思ってるんだけど、違う?』
間髪入れず届いていたメッセージが途切れた。返信をしろという圧だろう。長い返信は不要だと判断した。
『違わない』
常闇の返信もすぐに既読になった。
『明日、同じ時間に同じ喫茶店来れる?君の回答聞いてないなと思って』
瞬きの間にメッセージは続く。
『君が、何をされたら相手を好きになるのか、教えて』
頬が綻ぶのを、止められなかった。師と同じく、つまらない回答しか用意できない。何気なく話した好みに合う菓子を渡してくれたり、礼を言う度にはにかんでくれてたり、助言したことを忘れずに結果を必ず褒めてくれたり、どんな小さなことも拾い集めてくれてると感じた積み重ねだ。それから、連れて行ってくれた喫茶店を隠れ家みたいでしょうと悪戯っぽく笑って紹介してくれた顔に目を奪われた、とか、些細な一場面だ。相手はなんの意図もなかった。だが、常闇には響いていた。だが、それをホークスは柔和で顏で聞いてくれるのだろう。
『御意』
承諾の旨だけだが、きっとホークスは満足したのだろう。
『夜勤頑張ってね』
勤務日程を把握している彼から、やりとりの終了を告げるメッセージが届く。それには返信せず、アプリを閉じた。
今日が夜勤で良かった、と改めて思う。そうでなければ、明日まで待てなかったかもしれない。浮足立つ心を落ち着かせながら常闇は相棒を呼んだ。