それに名前を付けるなら おやすみと送られてきたメッセージに、おやすみなさいと返す。既読になったのを確認して、画面を消した。今日はちゃんと寝るだろうか、と数秒前にメッセージを交わした相手を思いながら常闇は布団に入った。
二人の関係は何かと問われると非常に難しかった。
先の大戦の爪痕はまだ大きく残っているが、日常生活は取り戻り始めていた。戦場の1つとなっていた雄英高校も多少の不便はあれど、徐々に授業も再開していた。まだ仮免許とはいえ、復興作業では学生も大事な戦力だ。大戦直後は、授業もなかったのでほぼ毎日復興作業に駆り出させれていたが、学校が再開した後は週末が中心となった。さらに一ヶ月が経つと、休みをしっかり取れとの指示の元、学生の支援は週に1回程度へとなった。それは予測よりも早い速度で復興計画が策定され、そして順調どころか前倒しで復興が進んだおかげであった。その先導指揮を取ったのは新しく就任した若きヒーロー公安委員長だった。大戦前、戦力の底上げとして学生の強化を進言したのも彼だったが、大戦後に学生をいち早く学生生活に戻す算段を整えたのも彼だった。かの人こそ、常闇が関係性の表現に悩む元№2ヒーローのホークスだ。
数ヵ月前、大戦前であればインターン先のプロヒーローとインターン生という説明がついた。しかし、今はそこに『元』がつく。インターン先のプロヒーローは立場を変え、日々世のためにと奔走している。互いに死線を彷徨い、無事に生還を果たした。だが、完全に元に戻れたわけではない。常闇の人生を変えた彼の大切な個性は奪い取られた。悲しんだのは周囲の方で、本人は命があれば十分だと笑い飛ばした。そして、その言葉の通り、彼は立場を変えて自身の理想に向かって再び馬車馬のごとく働き始めたのだ。
常闇はと言えば、もちろん学校に戻った。彼を含めた同級生たちは激動の時を駆けた。だからといって、学生で無くなるわけではない。学生としては過分な経験を積んだが、所詮まだ学生。学ぶべきことは山ほどあった。加えて、休校状態となっていた時期のカリキュラムを猛ピッチでこなすべく、忙しい毎日だった。忙しいが、学生は学生だ。大戦前と変わらぬ日常が持ってくると、安堵感共に喪失感に襲われた。テレビをつければ時折、彼の人、ホークスの姿が見えた。大戦直前のバッシングは多少なりとも尾を引いていたが、それよりも巨悪を葬り去った事実の方が強い。信頼回復のためにも朗らかに力強く話す姿に安心しつつも、距離の遠さを実感する羽目にもなった。それもそのはずだ。同級生たちが復興支援もインターン先のヒーローの指導を下に行うことが多く、定期的に連絡を取っている様子だった。常闇には、それがない。もうホークスはインターン先のヒーローではない。連絡先が変わっていないのは知っていたので、メッセージを送るのは簡単だった。だが、何を送っていいかはわからなかった。
そんな風に考えていたある日、突然ホークスから連絡がきた。『元気?』とたった一言だけのメッセージ。驚いて宛先を何度も確認し、見間違いではないと確信を得てから返信をした。『元気です』と返した後で、これでは終わってしまうと慌てて『貴方はどうですか?』と追加した。我ながらなんとも情けないと思った。もっと気の利いたメッセージを入れたら良かったのに、と思ったがもう遅かった。『元気だよ』と返ってきて、ほっとしたがやはり落ちこんだ。やはりこれでは会話が終わってしまうと、となりかけたところでスマホが震えた。画面には今しがたメッセージを送ってきた相手の名前が表示されたいた。すぐに通話ボタンを押したかったが、小さく深呼吸をしてからそっと画面をタップした。
「もしもし、常闇君?今、電話平気?」
常闇は心臓が飛び出るのではないかと思うほど緊張してたのに、電話口の相手は前と変わらぬあっけらかんとした話し方だった。少しばかり脱力したが、同時に緊張が解れた。
「はい、今自室なので問題ないです」
「そう。声も元気そうだね。良かった」
「ありがとうございます。貴方も、元気とはありましたが無理はしていませんか?」
「はは、そこから聞いちゃう?まぁ今は少しくらい無理しないと駄目だからしてないとは言い切れないけどね。でも、無茶してないよ」
安心して、という声色が優しく聞こえ、頬が少し緩んだ。
「あの、何か…ありましたか?」
「ん?」
「突然連絡があったものですから」
無粋かもしれないと思ったが、聞かずにいられなかった。先ほど解れたはずの緊張が復活し、心臓がまたバクバクとなり出した。そんな常闇とは反対に電話口でホークスは、うーんとのんびりとした声を出していた。
「いや、特に何もないよ」
「はあ」
予想外の言葉にがっくりと肩が下がる。
「あったと言えばあったかな。こないだ、ニュースにちょっと映ってたでしょ?ジーニストさんのインタビューの後ろで」
言われて、記憶を巡らせる。常闇のインターンの所属先は現在も福岡のホークス事務所だ。所長が不在となってもホークス事務所は残っていた。所長であるヒーローがいないのだから、所属先の変更も考えるべきだが、世間が混乱する中、端的に言って自身にも学校にもそんな余裕がなかった。さらに、被害は静岡を中心とした関東近郊までだ。福岡は戦闘からは離れた場所なので大戦の被害はさほどなく、避難民の対応が増えた程度だった。圧倒的な人手不足は静岡周辺だった。気にせんでいいよ、と気の良いサイドキックたちは常闇が落ち着くまで進路は待ってくれると言い、それどころか常闇が静岡近郊の事務所で復興支援を手伝えるようにと事務所経由で依頼を受けてくれていた。さながらマネージャーのような振る舞いに恐縮しつつも甘えていた。その活動先の1つが、ジーニスト事務所だった。先日手伝いへ行った際に外で活動している姿がインタビューを受けるジーニストの後ろに映り込んでいた。さほど大きくもなく、本当に一瞬だった。
「確かに映ってましたが一瞬だったのに、よくわかりましたね」
「そりゃ分かるでしょ、俺は君の師匠だもん」
自信たっぷりに言い放つが、そんなこと微塵も思っていないだろう。世話になっていた折に師と呼べば、そんな柄じゃないでしょと笑い飛ばされたものだ。だが聊か声の弾むホークスが可笑しくて、つい声を出して笑ってしまった。
「別に面白いこと言ってなくない?」
「いや、すまない。そんなこと言うためにわざわざ連絡をしてきたのかと思うと面白くて」
ひとしきり笑った後、少しだけ沈黙が流れた。一拍置いて、ふっとホークスが笑った。
「そんなことだけど、たまに連絡していいかな?」
「それは」
「君も、たまには元気です、くらいでいいから連絡ちょうだいよ」
彼は、ホークスは、こんなことを言う人だっただろうか。級友たちが師匠格になるインターン先のプロヒーローたちに連絡を取る姿に、羨ましいという気持ちがなかったわけではない。世話になっているヒーローたちが、特にベストジーニストは人格者で、常闇のこともよく気にかけてくれている。分かってはいるが、勝手にではあるが師と慕う人に近づくどころか姿も見えないことに一抹の寂しさを感じていたのは事実だ。決戦直前、ホークスは級友の緑谷と一緒に行動をし、音信不通になった。その時はしつこく何度も何度も連絡をした。あの時はとにかく必死だった。だが、大戦後、常闇はホークスに連絡をしなかった。正確に言えば、できなかった。プロヒーローの卵で単なる学生であると自分と、自ら神輿だと言ったが公安委員長であるホークスの間には、なんの繋がりもなかった。だから、電話どころかメッセージすら送れなかった。
「その、いいのだろうか。貴方に連絡をしても」
いろいろと聞きたいことはあったが、言葉にならなかった。か細い声色となった常闇とは対照的に、ホークスが盛大に噴き出した。
「らしくないこと言うじゃん。連絡ちょうだいって俺が言ったんだよ。いつでも連絡してよ」
思いのほか優しい声色に涙がじわりと浮かんできた。慌てて手の甲で目元を拭い、ぐっと強く電話を握った。
「…また、貴方に教えを乞うてもいいだろうか」
今度はホークスが少し息を飲んだようだった。たっぷりと三を数えた後、抜いたような息が聞こえた。
「まだ俺が君に教えられることがあるのなら、もちろんいいよ」
瞼に、いつだったか福岡でホークスから教えを受けた光景が蘇ってくる。飛行の休憩を兼ねて、もっぱら高い場所で会話をしたものだ。青空にホークスの赤い羽はよく映えた。
「まだまだ沢山あります。何せ貴方は後進育成に熱心ではなかったから」
「はは、生意気言うじゃん。調子出てきたね」
「貴方の弟子ですから」
俺の言葉にホークスがまた大笑いをする。つられて俺も笑い、ひとしきり笑い合った。
「用事はそれだけ。声聞けて良かった」
「いえ、こちらこそ。連絡くださり、ありがとうございました」
「ん、じゃあね」
失礼します、と答えればかかってきた時と同じくらい唐突にあっさり電話が切られた。しばらく夢見ごこちでいたが、もう一度スマホを開いてみる。着信履歴には確かにホークスの名があり、通話時間が表示されている。現実だったかと実感し、じわじわと指先が温まってくる。それから、あ、と思う。そういえば黒影を出すのを忘れていた。黒影もホークスを慕っていた。いないところで電話をしたと言えば、怒るだろう。少し悩んだ後、ホークスにメッセージを送った。
『先ほどはありがとうございました。黒影を呼ぶのを忘れていました。貴方と話したかった思うので、近々連絡します』
一瞬だけ指が止まり、意を決して送信ボタンを押す。つい一緒に目を閉じてしまった。深呼吸の後、目を開ければメッセージは既に既読になっていた。既読だと反応する間に返信がきた。
『俺も話したかったな~連絡待ってるよ~』
常闇は、自分がこんなに現金な性格だと思っていなかった。たった二文のメッセージに、このところ感じていたモヤモヤとしていた気持ちが一気に晴れていった。翌日、黒影にホークスから連絡がきた旨を伝えれば案の定、ぎゃーぎゃーと騒ぎ、すぐに電話をしろと大暴れをした。たまには連絡を、と言ってくれたがそれでも次はいつになるだろうかと考えていた。しかし、結果的に昨日の今日と言早さで次の連絡をすることになってしまった。はしゃぐ黒影にホークスはまた優しく対応してくれた。黒影を窘めながらも内心では感謝をした。連絡をくれと言われても、実際に連絡するのは数ヶ月後だろうかと考えていたが、これをきっかけにホークスへの連絡を躊躇する気持ちが無くなった。それから頻繁とは言い難いが、インターン後のように決して少なくない頻度で連絡を取り合うようになった。
たわいもない日常会話が主だったが、時々、ヒーロー活動や個性の使い方についてホークスに質問をした。インターンの時のように、職務上回答できない内容以外は答えてくれたし、助言はヒントだけで考えさせるような内容だった。教えられるものがあれば、などと珍しく殊勝な言い方をしたが、やはりいくらでもあるではないかと常闇は感じた。
だが、やはりホークスとの関係はなんなのか、常闇には分からなかった。ぽろりとそんな疑問を口にすれば、黒影は首を傾げ『ホークスヲ好キッテコトデイージャネェカ!』と言われてしまった。それは相手への印象であって関係ではない、と反論すれば、ヨクワカンネーと言って逃げられた。慕っているのはそうだが、それであればなんなのか、と考えてみるが答えは出てこない。
連絡は取るものの、実際に会う機会はなかった。正確には、一度だけ参加した任務にホークスが居合わせていた。かなり大規模な復旧作業で、とにかく人手が必要だから、と雄英だけでなく士傑高校の学生まで呼ぶほどの内容だった。まだ治安の悪い街の平和を維持しつつも多数のヒーローが集まった景観は圧巻だった。その任務を計画したのも陣頭指揮を執ったのも、もちろんホークスだった。開始前、檀上に上がり、今日の作業目的を淡々と話すホークスの声を常闇は最後尾の末端で聞いていた。これが、自分とホークスの正しい距離なのだと突きつけられた気がした。
せめて挨拶くらいとは思うが、そう考えるのは何も常闇だけでなく他のヒーローたちも同じだった。数歩前に出た時点で、ホークスはあっという間に人混みに囲まれた。最後尾からではどうしたって遅れを取る。もう一度前に出ようとしたが、踵を返した。自然と視線が落ちてつま先を見やれば、ぽんと肩を叩かれた。
「どうした、履き古したデニムのようだぞ」
頭上から降りてきた声に、少しだけほっとした。ビルボードチャートなぞ機能していないが、大戦の折にトップ2が引退をした今、実質ヒーローのトップとなっているのはベストジーニストだ。実力、人格、経験、そして大戦での貢献度を考えれば誰も文句はない人物だ。そのため彼は最前列にいたはずだが、いつの間にここまで来ていたのだろうか。
「後で機会を作ってやろう」
何を、とまでは言わないのが彼の人格者たる所以だ。肩に置かれていた手が背中に回り、軽く押されてたことでようやく足がしっかりと進んだ。並んで歩きながら、首を小さく横に振った。
「いいえ、機会は自分で作ります。まずはこの距離を縮めないと」
ぐっと握りこぶしを作れば、ベストジーニストが笑った。
「それでこそ早すぎる男に追いついた男だな。ならば私は君の成長の一端を担おう」
「恐悦至極!感謝する」
ようやっと出てきた常闇らしい力強い言葉にベストジーニストも満足気に頷いて、添えた手で激励するように軽く背中を叩いた。歩きながら目線だけ後ろに向けた。ヒーローたちは既に散会し始めていたが、ホークスの姿は見えなかった。挨拶をしたいとメッセージを入れれば、彼は応えてくれる気がした。だが、それでは意味がないと前を向いた。
連絡を取るようになってから、ホークスを肉眼で見たのはこれが初めてだった。
任務が終わって三週間ほど経った頃、ホークスから着信があった。連絡は取っていたが、もっぱらメッセージばかりでさすがに電話は稀だった。驚きながらも出れば、いつものごとくのんびりとした口調でホークスが話し始めた。
「急なんだけど、次の土曜日って暇?視察場所が雄英の近くなんだ」
大戦の被害が最も深刻なのは静岡だった。復興の中心は市街地で、公安委員会の視察も甚大な被害が大きい場所で主だった。市街地と比較すれば雄英付近はまだマシだったのだが、そこに来るということは市街地の復興にある程度目途が立ってきた証拠なのだろう。わざわざ連絡をくれたということは、会える機会があるのだろうかと、常闇はついソワソワとしてくる。挨拶だけでも、せめて10分くらいでも話せたら嬉しい。そう期待していると、期待以上の答えが返ってくる。
「時間あるなら夕飯行かない?」
ぱっと音がしそうなほど頭の中が開いていく感覚があった。二つ返事で承諾しようとして、嘴を開いたところで続く言葉に心がひやりとした。
「耳郎さんと、峯田君、切島君、あと心操君かな。同じクラスになったんだよね。彼らにも声かけてもらえる?」
聞き慣れた級友たちの名前に、目を瞬かせる。
「耳郎たちですか?」
「うん。大戦で命を救ってもらった御礼、にしちゃ安すぎるけど」
「ああ、あの時か」
無我夢中であったが、あの時のことは鮮明に思い出せる。電話の向こうのヒーローは、他人の命には敏感なくせに自分の命には無頓着だった。そのくらいの覚悟がないと勝ちきれないと考えていたのだろう。しかし、目の前で何度も窮地に追い込まれ、常闇も含めた同級生たちが彼の命を繋いだ自負がある。決着直後、まだ入院していた時に、いつか御礼をすると言っていたのを思い出した。律儀な人だ。とてもホークスらしく、いつもなら嬉しい提案のはずだった。ホークスもだが、級友たちとの外食も久しくしていない。きっと楽しいはずだ。だが、どうしても言葉出てこない。
「ついでに学生から見た復興支援の問題点とか、意見も聞きたいな」
「我々の意見ですか?」
「そう、君たちの方が細かい作業や市民たちと接する機会がプロヒーローよりも多いでしょ」
御礼と言いながら仕事みたいで申し訳ないね、と小さく笑う。作業の中でメインとなる作業を担うのはプロヒーローたちだ。学生はあくまでも補助だ。しかし、こうやって広い視野で物事を見、学生を見くびらずに意見を求めてくるのも実にホークスらしい。学生とはモチベーションも上がるし、喜ばしいことだ。いくらだって協力をしたい。したいのに、ぐっと喉が詰まってくる。
「本当はクラス全員、声をかけたいけどね。それと、無理ならいいんだけど日曜も」
「生憎と俺は次の土曜日は用事があって難しいな」
ホークスの言葉を遮ってまで断りの言葉を出したことに、常闇は自分自身が一番驚いていた。
「そうなの?」
「耳郎たちには俺から聞いて連絡する。行ける者はいるはずだから、目的は果たせるだろう」
「あ、うん、ありがとう」
「せっかくの誘いなのに申し訳ない」
「いや、それは急に誘った俺が悪いから気にしなくていいけど、どうしたの?」
「…何がだ?」
「うーん、なんかちょっと。いや、ごめん、なんでもない」
「そうか。すまないが、そろそろ切る」
聊か早口に電話を切りたいと告げる。電話向こうで、すうと息を吸う音が聞こえてきた。ホークスが何を言いかけては止めているのだろう。
「…わかった、また連絡するね」
話も聞かず、断りの言葉を入れたにも関わらず、今日もホークスの声は柔らかだった。では、と電話を切ってからぐっと歯を嚙み締めた。いつもなら、ホークスとの電話の後は心が温かくなるのに、冷え冷えとしていた。そして、癇癪にも似た感情にさいなまれ羞恥心と後悔に襲われていく。まだ寝るには早いが、もぞもぞと布団に入っていく。耳郎たちに連絡をしなくては、と思い出すが明日でいいかと思い直す。
翌朝、目が覚めるとホークスからメッセージが入っていた。
『悩み事でも愚痴でも、俺に話せることなら、気軽に言ってね』
態度の悪さを指摘するでもなく、断りの言葉に気分を害さず、むしろ気を遣わせてしまった。返事に迷って、感謝の意を伝えればニュルリと黒影が出てきた。
「何シテンダ?」
「ホークスに返信をしている」
オレモメッセージヲオクリタイと文句を言う黒影を無視して食堂に向かう。ちょうど耳郎たちに居合わせたので、ホークスの話をすれば、みな一様に喜んだ。そして、俺は行かないと言えば、今度は一斉に驚かれた。
「え、ホークスとの食事は嬉しいけど常闇いなかったらウチら気まずくない?」
「そんなことないさ。彼は話し上手だし、気を遣わなくても問題ない」
「そうかもしんないけど、常闇だってホークスに会いたくねえの?外せない用事なのかよ?」
常闇がいない場での食事に不安があるのは嘘ではないだろうが、彼らの本心は常闇への気遣いに他ならない。彼らの優しさに理解しながらも、どうしてだが意固地になってしまっていて自分の意見を覆せなかった。歩きながらホークスにメッセージを作っていると黒影がじっと見つめてきた。
「なんだ」
「フミカゲノウソツキ」
ホークスから食事の誘いの連絡があったことは、クラスメイトたちとの会話で気づいていただろうが、黒影は騒ぐこともなく会話に入らず、近くにいた麗日たちへすり寄っていた。
「…ついていい嘘もあるんだ」
「チガウ、ソノウソジャナイ」
どの嘘のことだと問いかけようとしたが、黒影は腹へ戻ってしまった。みんな参加できることを入れ、少し迷ったが切島の連絡先も一緒に送った。耳郎の方が良かっただろうかと思うが、同性を選んでおいた。既読の確認はせずに画面を閉じた。今日は演習があるから、それまでに黒影に機嫌を直してもらわないといけない。芦戸が葉隠か、緑谷でもいいだろうか。黒影を褒めて撫で回してくれそうな同級生を思い描き、ため息をついた。
昼休みにスマホを開けば、店の情報と時間が送られてきていた。切島には直接連絡はしなかったらしい。そして『もし予定が変わったら常闇君もおいでね』と一言添えられていた。用事は変更になりました、と入れれば終わるのに、どうしても指が動かない。みんなに伝えておくとだけ返信をした。
迎えた土曜日、苦手な早起きを頑張り常闇は早々に寮を出た。彼らの待合せは夕方だが、顔を合わせればきっとまた声をかけてくれるだろう。だから、なるべく人に会わない時間を選んだ。朝練組には驚かれつつも、門限には返帰る告げて駅に向かった。あてはないが、地元という地の利がある。ホークスから詳細は聞かなかったが、視察範囲を予測して絶対に訪問しないと思われる地域へと足を運んだ。常闇自身が何度も支援活動で訪れた場所でもある。街を見て回り、気になるところをスマホにメモしていく。言われるがままに支援作業へ参加しているつもりはないが、作業の度に自分の足りない部分が見えてくるものだ。作業中にもらった助言や自分に必要な能力を考えて、更に作業案を考え、まとめていく。これを見せたらホークスはどんな反応を示すだろうかと想像し、頭を振った。自分からその機会を手放したのだ。
今度は県内で一番大きな図書館に向かった。こなさなればいけない課題自体は大量にある。そのため一日時間をつぶすのは容易だった。憎らしいほどに天気がよかった。空を見ると、背中を追いかけたいた頃のホークスが思い起こされる。こんな日は、飛ぶのが気持ちいいと嬉しそうにしていたものだ。
門限直前に寮へ戻れば、お茶の良い匂いが漂ってきた。共同スペースに並べられているのは、菓子なのだろう。おかえりなさいと茶器を持つ八百万に出迎えられ、菓子がホークスからの差し入れだと教えられた。
「ホテルのパティスリーで買い求めてくださったみたいなんです。せっかくだからお紅茶を用意してたんです。常闇さんもご一緒しましょう?」
八百万の表情に喜色が浮かんでいるのだから、きっと良い物なのだろう。食事組を寮に送り届けるついでに、自ら運んでくれたようだ。そして、A組だけでなくB組へも用意しているあたりがホークスらしい。他の学年には内緒だよ、と茶目っ気たっぷりに言って去っていく姿があまりにイケメンだったと芦戸と葉隠が黄色い声を出している。
「常闇ももう少し早く帰ってこれば会えたのに」
芦戸に言われ、曖昧に返事をした。賑やかなスペースから、そっと立ち去ろうとしたところを耳郎に呼び止められた。
「これ、ホークスから常闇にって預かったよ」
ずいと小さな紙袋を手渡される。何故か気圧されるような雰囲気に、後ずさりをしながら受け取った。
「ホークス、常闇に会いたがってたよ。ちゃんと御礼の連絡するんだよ」
「すまない」
「謝る相手はウチじゃないよ」
力強い言葉と目線に、ぐっと息が詰まった。言い切ると耳郎はすっきりしたのか、みんなの輪に戻っていく。そのまま部屋に戻り、ベッドに腰かけて紙袋を除く。先ほどのお洒落な菓子と違い、土産物だと分かるパッケージの箱が二つ並んでいた。中身は林檎を丸ごと使ったパイだ。いつぞやホークス事務所で支援者から土産物で貰った物だ。見た目もインパクトがあり、味も好みで、とても気に入ったものだった。インターンの時の小さな思い出だ。そんな出来事を覚えていたのか、と驚きと共に、たしかこれは東京土産ではなかったはずだ。そういえば今回の視察前に、かの地に赴いているとメッセージが来ていた気がする。その時は、まだ食事に誘われていなかった。会えるかもわからないのに、黒影と二人分の土産を用意をしていたのだと思うと途端に罪悪感が襲ってきた。
車で帰京しているのなら、まだ運転中だろうか、と思うがひとまずは電話をかけた。コール音が鳴り、繋がったことに心臓が一気になり出した。
「…はい、もしもし?」
「遅くに申し訳ない、今電話をしても大丈夫だろうか?」
「平気だよ。寮に帰ってきたのかな?」
「そうだ。ついさっき、耳郎から土産を受け取った。わざわさ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
電話の先でホークスがにっこりと微笑んでいると想像ができた。
「その、覚えていたのか、俺たちがあの土産物を気に入っていたのを」
「覚えているよ。あんなに嬉しそうに美味しいって言いながら食べとったから印象に残っとるよ」
くだけた口調が事務所にいた頃のホークスのようで、ほっとしてくる。沈黙が落ちてくるが、ホークスは常闇の考えなどお見通しなのだろう。急かすこともなく、静かに待ってくれていた。
「その…今日参加できなかったこと、本当に申し訳なかった」
「この前謝ってくれたから、そのことは気にしなくていいよ」
本題はこれではない。それもホークスには分かっているのだろう。
「そうだな。謝りたいのは、他のことなんだ」
ホークスは何も言わずに常闇のタイミングに任せてくれているようだった。
「先日、せっかくの誘いに対して態度が悪くしてしまって、すまなかった」
「誰だって機嫌が悪い日もあるし、いつも良い返事ができるとは限らないよ」
「違う、そうじゃないんだ」
「…理由を教えてくれるの?」
多忙な彼の時間を長く引き留めるべきではないと理解しながらも、どうしても容易に言葉が出てこなかった。
「子供じみた癇癪だったんだ」
「ん?」
「笑ってくれていいのだが、貴方と久しぶりに会えると思って浮かれたんだ」
そこで一度言葉を切った。
「クラスメイトも一緒に誘われて、落胆してしまったんだ」
「えーと、つまり?」
「俺だけじゃないのかとがっかりして、たぶん、拗ねたんだ」
あまりの恥ずかしさに今すぐ電話を切ってしまいたかった。だが、それではせっかく電話をした意味がない。今度の沈黙は耐えられず心臓が痛んでくる。永遠に感じるような長さだったか、おそらくは数秒だ。
「常闇君、明日は暇?」
「え?」
「だから、明日の日曜日は時間ある?」
「何も予定はないが」
「俺ね、まだ静岡にいるの。明日暇なら俺に付き合ってよ」
いいでしょ?と重ねて強めに聞かれ、御意と力なく答えた。何が面白いのか、常闇ワードだとホークスが声を出して笑いだした。
「良かった、こないだ予定を聞こうと思ったのに君が話を遮るからさ」
言われて会話を思い出せば、確かにホークスは何かを言おうとしていた。しかし、常闇はもやもやとした気持ちが先行して、ホークスの言葉に言葉を重ねてしまった。
「す、すまない!話をちゃんと聞いていなかった」
「いいよ、嫌われたのかと心配しちゃったけど違ったみたいだし」
「嫌うなどと!むしろ!」
とまで叫んで、さすがに恥ずかしさで顔が熱くなってくる。慌てた常闇が可笑しいのかホークスが喉で笑うのが聞こえてくる。
「明日は休みなんだ。静岡は君の地元でしょ?俺に案内してよ」
「そんなことで良ければもちろん」
「昼と夜のつもりだったけど、今日の夕飯1回分スルーされちゃったから、お詫びとして明日は苦手な早起きをしてもらって、朝食から付き合ってもらおうかな?」
語尾が上がった話し方は、よくファンサービスの際に聞いたものだ。芦戸たちの言う、茶目っ毛たっぷりという表現がきっと合うのだろう。
「俺は構わないが貴方にとっては貴重な休みだろう。いいのか?」
「貴重な休みだから君と過ごすんでしょう。半年分、もっとかな?話すのに時間は足りないくらいじゃない」
やはり優しく響くホークスの声に、沈み切っていた常闇の心身が羽が生えたように浮き上がってくるようだった。
「沢山、沢山、貴方に聞いてもらいたいことがあるんだ」
絞り出したような声に、ホークスがいいよと返してくれた。やはり単純なものだ。子供じみた癇癪を起こした。しかし、今度はご褒美を出されて簡単に浮上してしまうなんて、やはり子供みたいだ。でも、見栄や意地を張るよりはよっぽどいいはずだと常闇は自身に納得をした。
「さて、今頃みんなお菓子パーティーやってるんじゃない?あっちも俺のお勧めだから常闇君も参加してきな」
どうやら気まずさで常闇がクラスの輪から逃げ出したこともホークスにはバレているようだった。そしてきっと、クラスメイトたちに心配をかけたことを長引かせないようにと促しているのだろう。今回ばかりは頭が上がらないし、ホークスの提案を無碍にすることはできない。それに、ホークスとは明日ずっといられるのだ。
「ああ、そうしよう。明日、楽しみにしている」
「うん、また明日ね」
電話を切って、また目頭が熱くなってきた。また明日、という言葉を反芻する。さっき電話をしなければ、この何気ない言葉をホークスと交わすことは叶わなかったのだ。
ベッドから立ち上がり、部屋を出る前に腹を撫でた。
「黒影」
まず、誰よりも最初に常闇が謝罪すべき相手は相棒だ。名を呼び、腹を撫でた。謝って、それから明日のことを伝えてやらねばならない。
ホークスとの関係は何のか、よくわからない。よくわからないが、名も無き関係にいつか名がついたらいいのかもしれない。今はただ、ホークスと常闇の関係、とでも言ってしまえばいいのかもしれない。弾む足取りを抑えらないまま、常闇はドアノブに手をかけた。