007_立夏(5月5日頃) 巨大な建造物の中には道路が放射状に広がり、和風の建物が並んでいた。風見は、近く行われる東京サミットの会場の下見をしていた。建物群の中にある日本料亭の視察を終え、他の班の刑事たちと合流する。天井は吹き抜けになっており、他のフロアにも警察官が見える。距離があるためか、彼らの声も足音も聞こえない。営業が開始すればこの無音の空間も賑やかになるのだろう――と考えたところで、この場所が人で溢れかえることはないことを思い出した。妙な違和感があった。自分は今間違いなく、サミット会場内のレストラン街にいて、警備計画に従って安全確認をしているはずなのに、この場にはいないような感覚がする。嫌な予感がした。後ろを歩く部下を振り返るが、顔がぼんやりとしていて誰だか分からない。が、行動を共にしていたはずの人物の名前を思い出すと、輪郭がはっきりとしてきた。
ビルの外に向かう。自動ドアが見えたところで、早く出なければいけないという焦燥に駆られる。足が思うように動かない。
――これは、夢だ。
そう気がついた途端、体がガラス扉に叩きつけられた。爆発に巻き込まれたのだ。現実ではないと分かっているのに、このままでは死んでしまうような気がしてくる。この会場に来ているはずの上司の名を叫ぼうとするが、息を吸うと喉が焼けるようで、声が出ない。息苦しくて仕方がなかった。
風見は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。頭がぼんやりしている。眩しさに瞬きを繰り返すと、ドラム式の洗濯乾燥機が並んでいるのが見えた。コインランドリーで待ち合わせをしている間に眠ってしまったらしい。乾燥機の残り時間を見ると、眠っていたのは十五分にも満たないことが分かった。
持ち物が無くなっていないか、逆に何か不審なものが増えていないか、ジャケットの袖口も確認する。腕時計を見ると、降谷が来る予定の時刻を数分過ぎていた。時間が多少前後することはままあることだった。
四月末の暑さからゴールデンウィークは行楽日和になると思われたが、ここ数日は晴れ晴れとしない天気が続いていた。外は小雨である。当然夕焼けは見えず、薄暗かった。風見と同じように洗濯物を干すタイミングを逃した人々がランドリーを利用しているようで、乾燥機が熱を発している。室温の高さに、汗が流れるのを感じる。
風見があの事件の夢を見ることはそう多くない。刑事をやっていれば陰惨な事件を目の当たりにする機会があるし、元々のストレス耐性の高さから、事件直後はそれなりに苦しむものの一週間も経てば昇華できる。ただ、自身も爆発に巻き込まれ、仲間の命が失われたあの日のことは遠い記憶にするのは難しく、ふとした拍子に思い出すことがあった。といっても、日々の仕事に追われているうちに思い出すことも夢に見ることもほとんど無くなっていた。久しぶりに夢見が悪かったのは、時期と天気のせいだろう。
スマートフォンで雨雲レーダーを確認する。これから雨脚は強くなるらしい。降谷は傘を持っているだろうか。持っていても差さないかもしれない。鞄の中には、折り畳みが入っている。もし持っていないようであれば渡した方がよいだろうかと考えていると、風見が利用していた乾燥機から運転終了の音が聞こえた。アプリを閉じながら立ち上がると、ちょうどコインランドリーの自動ドアが開いた。降谷だった。声を掛けないことになっているので、風見も降谷もお互いの存在を認めただけで、目も合わせない。
降谷はデニムのパンツに白いサマーニットを合わせていた。腕まくりをしたニットの袖から覗く手首の辺りには擦り傷が見えた。一体どこで怪我をしてくるのか、風見には見当がつかない。降谷は乾燥機から服を取り出すと、店内の白いテーブルの上で丁寧に畳み始めた。風見も降谷の向かいに立ち、家具量販店のブルーのエコバッグを広げた。場所を取る袋の陰に降谷がメモを置く。風見はそれをポケットに捻じ込んだ。
乾いた洗濯物を雑にバッグに詰め込みつつ上司をチラとみると、風見が懸念していたように傘を差していなかったのか、髪の毛がしっとりと濡れている。そこそこ長い時間外にいたのではないだろうか。夏が近いとはいえ寒そうだなと思っていると、前方から「くしゅん」と音がした。
風見が思わず向かいを見ると、降谷がこちらを睨みつけていた。
風見は反射的に謝りそうなったのを何とか抑え、そそくさと店を出ることにした。
店外の傘立てから、自分の傘を取る。目を合わせたのがいけなかったのか、単純に部下に格好悪いところを見られたと思ったのか分からないが、あんな反応をされるとは思わなかった。しかし、寒そうにしている上司を置いて帰るのもなんだか悪い気がして、鞄に入れていた折り畳み傘を傘立ての上に置いた。使ってくれるといいのだが。
風見が店内を振り返ると、降谷がまた一つ、くしゃみをしていた。