008_小満(5月21日頃) 気がつけば端午の節句に合わせて飾られていた鯉のぼりの姿を見かけなくなった。待ち合わせ場所である駅前広場の花壇には、パンジーやチューリップが植わっていた覚えがあるが、名も知らない赤や紫の穂状の花やフリルのようなオレンジ色の花に入れ替わっている。木々の葉も青々と茂っていた。雨のせいで空はくすんだ色をしているが、目に入って来る色彩は豊かだ。
すでに到着しているはずの降谷を探す。屋根のある所にいるかと思いきや、ちょうど風見の正面から歩いてくるところだった。ビニル傘を差している。
降谷がスーツを着ているのを見るのは久しぶりだった。しばらく見ない間に衣替えをしたようで、以前着ていたものよりやや明るいグレーを着ている。普段降谷が着用する衣服は潜入捜査用ということもあって、風見が選んだものが半分以上を占めているのだが、さすがにスーツは正確に採寸しなければならないうえに、服装にあまり頓着しない降谷もスーツにはそれなりにこだわりがあるため、自分で用意している。
ただ、そのおろしたてのスーツも、雨でところどころ濡れていた。傘から少しはみ出たくらいではそう濡れることはないはずだが、グレーなので変色した部分が分かりやすいだけかもしれない。
この間コインランドリーに置いてきた折り畳みは、数日後に返ってきた。風見の自宅のドアノブに、きちんと傘袋に入れられた状態で掛けられていた。降谷に貸したのだから降谷以外から返却されるわけがないのは分かっているが、念のため不審物が取り付けられていないか検分したうえで室内に入れた。風見が渡した時よりも几帳面に畳まれているのを見るに、あの後使ってくれたようだった。
「風邪を引いてしまいますよ」
彼がくしゃみをしていたことを思い出しながら言うと、降谷は思いも寄らなかったのか一瞬きょとんとした顔をして、すぐに「大丈夫だよ」と何でもないように言った。
確かに、降谷は滅多なことでは体調を崩さない。風見が知る中では、喉風邪を引きかけているのを一度見たことがあるくらいだ。あとは、怪我をした際に生理的な反応として発熱したことがあっただけだ。もともと体が丈夫な上に、自己管理が徹底されているのだろう。
今日は定期的な連絡のみなので、普段ならば互いに必要な報告を終えるとすぐ解散になる。
が、風見はふと、別れる前に降谷に尋ねた。
「降谷さんって、傘を差すのがお好きでないんですか」
「はあ?」
降谷は思わず素っ頓狂な声を挙げた。単純に、急に何を言い出すのだと思っただけだが、風見は聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったのか焦った様子で謝罪する。
「す、すみません。出過ぎたことを言いました」
「別に出過ぎたことではないだろう」
降谷が怒っていないことが分かると、風見は続けた。
「降谷さんが雨に濡れていることが多いので、心配と言いますか……」
風見の言う通り、降谷は風見の前では傘を差していなことが度々ある。安室透は通勤バッグに折り畳み傘を入れているし、バーボンの時は車移動が主だし、降谷のアパートにはいわゆる普通のこうもり傘があるのだが、小雨程度なら傘が邪魔になるのでそのままでいいと思ってしまうのだ。毎回雨に打たれているわけではない。今日だって、タイミングが遅かっただけできちんと雨除けはしていた。
「まさかそんなことを気にしているとは」
降谷は笑ってしまった。
風見はなぜ笑われたのか分からず困惑顔である。
「今度から君のために、傘を差すよ」
可笑しそうな上司を前に、風見はただ「そうしてください」と言うしかなかった。