010_夏至(6月21日頃) 風見は街灯に照らされた夜道を一人歩いていた。傘に雨が当たる音がよく聞こえる。路線バスの最終便も終了した二車線道路は人気が無く、店も民家もほとんど明かりを消していた。風見が歩く道路沿いにはアジサイが植わっており、電灯の下で濃淡混じる青色が咲き乱れている。横へ横へと枝を伸ばしているせいで、歩道に大きく侵入しているのが少し邪魔だ。
ほどなくして、風見が降谷に指定された立体駐車場に入っていくと、静けさがより強調されるようだった。見慣れた白い車体を探す。あまり車が止まっていなかったこともあり、上司の愛車はすぐに見つかった。駆け足で近寄ると、車内の上司と目が合った。目線だけで乗るように促される。
「早かったな」
助手席に乗り込むなり、降谷が言った。
「すみません、こんな時間に」
「いや、僕が頼んでいたことだから」
降谷は休んでいたところに報告を受けて、数十分で家を出てきたはずだ。普段と変わらず身だしなみが整っていたが、湿気のせいか髪の毛のカールがいつもよりも少し強く出ていた。
今から一時間ほど前に、降谷に依頼されていた情報が手に入った。情報を手に入れ次第すぐに報告するよう言われていたので、真夜中に差し掛かる時間だったが風見は連絡を入れた。これまでに入手していた情報をまとめた資料と、今日手に入ったばかりのものを合わせて伝える。降谷は資料を見ながら思案している。自身の頭の中にある情報とすり合わせているのだろう。風見にとってみれば、よくある――あってはならないのだが――企業の不正に関するデータの寄せ集めだが、降谷にとっては現在潜入している組織において有用な情報なのかもしれない。
降谷は小さく「なるほど」と呟くと、ニヤリと笑った。
「君のおかげでいい展開になりそうだ」
いい展開と言われても何が起こるか分からないが、上司の機嫌よい姿を見ると役に立てたようでホッとする。降谷は風見に新たな情報を与えると、リーク先とリークの日時を指定した。そこで風見は気づいた。近いうちにとある政治家の汚職が詳らかにされ、ついでにいくつかの企業が取り締まられることになる。これが国際的な犯罪ネットワークに繋がっているようなことがあれば、公安警察の出番だ。
降谷の右腕として知らぬ間に大きな事件に関わっていることはままある。降谷とともに事件に関われることは、言い方は悪いが、ある種の高揚があることを風見は自覚していた。端的に言えば、いかなる犯罪も許せないという気持ちはもちろんあるが、尊敬する上司の役に立ち、能力を認められることが嬉しいのだ。
「抜かるなよ」
降谷に言われ、俄然やる気が出てきた。
「君はもう帰るだけだよな」
一通り詳細を打ち合わせし終わると、降谷が言った。気がつけば日付が変わっていた。
「僕はこのまま行く所があるから、ついでに近所まで送るよ」
常ならば上司に自宅まで送ってもらうなど、恐れ多くて断ってしまうが、体力のある風見でもさすがに眠気に襲われていた。お願いしてよいか迷ったものの、以前、上司の運転で寝かしつけられてしまったことを考え、素直に頼むことにした。
「大変恐縮ですが……、ありがとうございます」
「なんだその言い方」
降谷が笑うと、風見に多少残っていた緊張感が霧散する。自宅までそう掛からないはずだが、気を抜いたら眠ってしまいそうだった。
車が発進する。自分を送り届けた後、降谷はいったいどこへ行くのだろうか。知りたいような気がしたが、数秒後には風見の瞼はしっかり閉じられていた。