20_小雪(11月22日頃) 風見が上司の車に乗り込むと、見慣れない物が目に入った。ダッシュボードに小さなお守りが置いてあったのだ。白いお守り袋に金の糸で「交通安全御守」と刺繍されている。
「どうされたんですか、これ」
風見は思わず聞いた。
「お守りだけど」
降谷はお守りを買うようなタイプではない。
「ええと、――なぜここに?」
どのような経緯で持っているのだろうと純粋に思った。押収品だろうか、と一瞬過ったが、すぐに否定された。
「マスターが酉の市に行ったついでに、僕と梓さんの分も用意してくれたんだ」
「酉の市?」
よく見ると、お守りには小さな熊手と小判の飾りが付いている。
「商売繁盛の、熊手の、あれですか」
「そう。深夜のうちに馴染みのところで買ってきたみたいで。僕にはこっちの方が必要じゃないかって」
苦笑しながら降谷が言った。
確かに、アルバイトの安室には商売繁盛の熊手は必要ないのかもしれない。探偵業の方も弟子という立場をとっている。マスターは安室の運転を直接目にしたことは無いはずだが、とある事件で毛利探偵とその娘を車に乗せている時に無茶な運転をしたのは聞いていたのだろう。
「従業員思いの方ですね」
「だよな。シフトも融通を利かせてくれるし」
自分はアイドルのライブの最中に呼び出されたことがあるのだが、ということは胸にしまっておくことにした。
「酉の市って、深夜にもやっているものなんですね」
風見の家は商いをする家系ではなかったこともあって、酉の市では熊手は買わずに露店を楽しむだけだった。子供の頃に健全な時間帯に連れて行ってもらっていた記憶が強いこともあって、深夜までやっているイメージが無かった。
「場所にもよるけど、下町のだと深夜零時から翌日の零時までやってるな」
「警備が大変ですね」
どうりで、あの辺りの配属になった者がひいひい言うわけだ。何かと大きな祭りが多い。
「まあ、深い時間はそう人出は多くないだろうから」
つい警備計画を立てるなら――と考えてしまう風見を降谷は笑った。
「それ、どこに置くか決めてないんだよな」
ハンドルを握りながら、降谷がダッシュボードのお守りに目をやる。
「交通安全なら、車内にぶら下げたらいいじゃないですか」
風見は白いそれを摘まんで、お守りを提げられそうな場所を探した。が、引っ掛ける場所がない。吸盤を付けるのも格好が悪い気がする。どうしようか迷ってきょろきょろしていると、「そんなのぶら下げてる悪人なんているか?」と横から声が飛んできた。
降谷は善人であるが、彼が潜入している組織のことを考えると確かに奇妙な光景かもしれない。
「お守りなら身に付けた方が良さそうですが……、お部屋に置いておくか、ポアロのロッカーに置くのがいいかもしれませんね」
そっとダッシュボードに戻そうとしたところで、袋の結び目がやや緩くなっていることに気がついた。風見は、自分が置き場所を考えているうちに緩んでしまったのかと思い、結び直そうとした。が、すぐにそうではないと分かった。
「降谷さん、これ……、開けました?」
まさかと思って聞いた。風見も信心深い方ではないが、いわゆる罰当たりだと言い伝えられていることはしない質だ。
「何が入っているか分からないから」
何でもないことのように降谷は答えた。
上司の言う通りだ。盗聴器でも入っていたら大変なことになる。風見自身もスマートフォンに盗聴アプリを仕込んだり、降谷も必要に応じてカメラなり何なり設置したりしているのだ。潜入捜査をしている彼は特に警戒しなければならない。ポアロにやって来る客からのプレゼントはのらりくらりと受け取らないようにしているようだが。
「でも、マスターの厚意を無下にできないし」
潜入先とはいえ、降谷なりに愛着のある店だ。疑いを持たなければならないが、受け取りたかったのだろう。
思わず罰当たりだという反応をしてしまったこともあり、風見は「こういうのはプラシーボ効果ですから」とフォローになっているのか分からないことを言った。
「信じる者は救われるって言いたいのか」
「そうです」
意図を汲んでくれる上司でありがたい。
そういえば、と風見は思い出した。
「自分も降谷さんに、交通安全のお守りをお渡ししようとしたと思うんですが」
初めて助手席に乗せられた際、あまりの恐怖に交通安全守りを用意したのだ。後日、降谷に渡そうとしたのだが、「君が持っていた方がいいんじゃないか」と言われて結局受け取ってもらえなかった。
「もしかして、自分のことも疑ってました?」
「まさか」
嫌味も何もない、可笑しそうな顔で降谷が言った。
「助手席で怯えていた君にこそ必要だと思っただけだよ」