しあわせわけっこ 春先とは言え、まだ冷える日も多い。空気も乾燥している。その上部活で寒空の下に晒された日には、手のひらはカサカサに乾燥しきっていた。
スクールバッグを漁って、ハンドクリームを取り出す。薬用と書かれたシンプルなデザインのハンドクリームは、薬局で安く売られていたものだ。……女子高生が持つにしては、あまりにも飾りっ気が無いけれど。
「美咲ーーーーー!!」
蓋を開けたところで、遠くからよく知った声。振り向いて身構えれば、こころが勢いよく抱き着いてきた。ほぼ突進のそれをなんとか抱き留めると、ハンドクリームの蓋が地面に落ちた。
「美咲、部活お疲れ様!」
「ありがと、こころ。もしかして待っててくれてた?」
「美咲と一緒に帰ろうと思って待ってたの!」
尻尾をぶんぶん振る勢いのこころを一旦離してから蓋を拾う。
こころが不思議そうな顔をして、手元のハンドクリームを覗き込んできた。
「……? それは何かしら?」
「何って……ハンドクリームだよ、最近手が乾燥するから」
答えながら、手の甲にハンドクリームを絞り出す。真っ白なクリームが手に乗るのを見て、こころがパッと顔を輝かせた。
あ、また何か面倒なこと思い付いたな。
「美咲、あたしもそれが欲しいわ!」
「え? いや、こころはもっと良いハンドクリーム持ってるでしょ。あたしの普通の薬用だよ」
と言いつつも、ハンドクリームのケースをこころに手渡す。こういう時のこころは折れないってことを、あたしはよく知っていた。
けれどもこころは首を振って、
「いいえ、あたしが欲しいのはこっちのクリームよ」
あたしの手の甲、まだ伸ばされていないクリームを指差した。
……なんて? 思わず眉を寄せて首を傾げる。それも構わず、こころは続けた。
「今日、出し過ぎたって言ってハンドクリームを分けっこしているのを見たの! とっても楽しそうだったから、今美咲とやりたいと思ったのよ!」
「……ああ、そう。…………因みに、それ誰がやってたの?」
「香澄と有咲よ!」
ちょっと。
事の発端が知り合いであったことに溜息を吐く。何をしてるんだ、あの二人は。
無理やりハンドクリームを分ける戸山さんと、顔を真っ赤にして文句を言いながらも大人しく受け入れる市ヶ谷さんを想像した。ちょっと面白かった。
「いや……あのね、こころさん」
「何かしら?」
「あたし、今は別にクリーム出し過ぎてはないんだけど」
ほら、とあたしは適量のクリームが乗せられた手の甲を見せる。
するとこころはにぱっと笑ってから、手渡していたままのハンドクリームをあたしの手の甲に、追加で絞り出した。結構勢いよく。
「うわあっ!? 何してんのさ!」
「分けっこする分が無いのなら、足してしまえば問題ないわよね!」
「いや分けっこするにしても結構出たんだけど!?」
強硬策に出たこころに怯んでいる間に、彼女の手の甲があたしのそれに擦りつけられる。
呆気に取られているあたしを余所に、嬉しそうなこころはあたしから無理やり奪っていったクリームを手に擦り付けるように塗っていく。
固まっているあたしを見て、こころは首を傾げた。
「あら? 美咲は塗らないの?」
「いや……塗るけどさぁ……」
「そうだ! あたしがやってあげるわ!」
「えっ、なんでそうなるの!」
反論虚しく、右手をこころの両手に包まれてクリームを丁寧に伸ばして塗り込まれていく。左手も同じように。
あああどうしよう、顔が熱い。これじゃ市ヶ谷さん達のことをどうこうは言えないじゃないか。
「これで終わり! なんだかとってもハッピーな気分ね!」
にこにこ笑うこころに手を引かれ、そのまま何事も無かったかのように二人で帰路に就く。
安物で薬用の、お洒落でもなんでもない普通のハンドクリームの筈なのに、手から甘い匂いがするのはどうしてだろう。