魔王に恋した勇者さん「『……ッハ、その程度なのか? 勇者というモノは』」
その姿はまさに“魔性„そのものだった。
初めて魔王を演じている司くんを見たとき、とても衝撃を受けた。それは、雷に打たれたかのような、そんなふうに錯覚してしまうほどだった。
「………、『おい、気でも狂ったか?』」
司くんに顎を掴まれ、上を向かされる。
そうだ、ここは舞台の上で、今は練習中だ。僕は自分のセリフを忘れて、司くんに見惚れてしまっていたのだ。
「『いいや、必ず僕はあなたの目を覚ましてみせる。絶対に』」
遅れて、司くんのアドリブにつられるように、台本通りのセリフを言うと、司くんがフン、と鼻を鳴らして僕を嘲る。
「『口だけは達者だな。まあいいだろう。今回は見逃してやるが、次……オレの邪魔をしたら、今度こそ……』」
『殺す』
その一言で背筋がぶるりと震えた。たった三文字の言葉であるのにも関わらず、重みが、威圧感が違うのだ。ゆっくりと、おそるおそる、司くん、いや、魔王の顔を見上げようと顔を上げると。
「まあまあいい感じだったな! 途中で類がなにも言わなくなったときはどうなるかと思ったが……どうだ! オレのアドリブ力は!!」
そこにはいつも通りの司くんが居た。先程まで高圧的だった態度も快活に、ただ妖艶に小さく微笑んでいた口元は、歯をみせて大きく笑っていた。
「いや、あまりに司くんが役にはまっていたから、少し驚いてしまってね。さすがはスターの原石、ってところかな」
「ハーハッハッハ、さすがオレ、勇者役をも魅了してしまうとは!」
「ちょっと類、あんまり司を調子に乗らせないでよね。まあ、わたしもちょっとだけ、ぞくってしちゃったけど」
「司くん、すごかったよね……っ! あたしも、ぞぞぞ……ばっきゅーんってしちゃった!」
司の演技に驚いたのは、どうやら僕だけではないらしい。ただもう一点だけ、僕は思ったことがある。それは多分、寧々やえむくんとは違うものだろう。
——なんとしてでも、魔王をこの手に堕としたい。
そう強く願ってしまったのは、おそらく司くんを通して、あの魔王に惹かれてしまったからだ。つまり、あの司くん演じる魔王に対して、僕は恋に落ちたのだと思う。役を好きになってしまうなんて不毛な恋、叶うはずもないのに。
「類、急に黙って、どうしたんだ?」
「ううん、なんでもないよ」
未だ、どくどくと痛いほどに胸が高鳴っていた。
昼休み、僕は司くんを屋上に呼び出した。自分の気持ちに正直になってみることにしたのだ。
「これから昼休みは僕の練習に付き合ってくれないかい? まだ役を上手くつかめなくて」
勇者役なんて柄でもないからさ、と苦笑すると、司くんがそんなことないと言わんばかりに、励ますように首を横に振る。相変わらず人好きのする笑顔が、とても眩しかった。
「ああ。オレでよければ喜んで付き合うぞ」
「ありがとう。でね、役をつかむには、脚本にはないあらゆる場面も演じる必要があると思うんだ」
「それは……エチュードがしたいということか?」
「そうなんだ。それでね、司くんには変わらず魔王役でそれをやってほしい。僕は役者兼演出家だからね。できるだけ司くんの潜在能力も把握しておきたいんだ」
「つまり、役は変わらず、シチュエーションだけを変えてエチュードを?」
「うん、もしかしたら役の幅も広げられるかもしれないし……どうかな?」
僕の言っていることの半分は言い訳、そしてそのうちのもう半分は本当のことである。演出家、という立場を口実にして、僕は色んなあの魔王の司くんを見たいと思ったのだ。完全な私利私欲のためである。
今後のショーのためにと了承してくれた彼の純粋な瞳に、少しだけ罪悪感を感じた。
「ふむ……じゃあ、早速してみるか?」
「うん、お願い。まずは十分くらいかな。今日は司くんに合わせるから、どうぞ」
そう言えば司くんの顔付きが一気に変わった。ガラリと変わった雰囲気に、ぞくぞくと肌が栗立つ。
「『……あの、勇者様、ですか?』」
前に見た魔王とはまた違った、弱々しい声。魔王というより“青年„といった方が正しいかもしれない。今司くんが演じているのは、きっと、“勇者に村人を騙る魔王„だ。たしか魔王の能力は、何者にも姿を変えることができ、強力な魔法を使う、そんな設定だったはずだ。
「『はい、そうですが、もしかして村でなにかあったのですか?』」
そして、わざと騙されたように演じると、青年が怯えたように、はい、魔物が……と声を絞り出した。その顔は顔面蒼白で、まさに故郷を襲われた不憫な村人そのもので、その正体が魔物の中の王である魔王とはとても思えなかった。しかし、これは役柄を変えずにエチュードをしているのだから、目の前にいる気弱な青年は、ただの紛い物である。そして、村まで案内をすると言って、青年は勇者をどこかに連れて行った。そして本当に連れて行かれた場所は、村とは、全く違う場所だった、そんなところで、十分経ったことを知らせるタイマーが鳴った。
「……うん、魔王の狡猾さを表した、いい演技だったね」
「お前こそ、人を愚直に信じる勇者らしい、見事な騙されっぷりだったぞ!」
「おもしろいことに、全く褒められている気がしないねぇ」
「オレもなんとなく複雑だ。ははっ、おあいこということだな!」
そんなふうにして、僕と司くんは昼休みにエチュードをするという日課を続けていた。そして、回数を重ねるごとに、魔王の美しさは増していた。
だいぶエチュードに慣れた頃の話だった。そろそろ次のステップに進むべきだと、僕から司くんに提案したのだ。
「今日は二十分くらいに時間を伸ばして挑戦してみないかい?」
「いいぞ。じゃあ今回は類がシチュエーションを決めてくれ」
司くんがそう言ったとき、僕は都合がいいと思ってしまった。一度、やってみたいシーンがあったからだ。
「……『魔王、ようやく僕はあなたをここまで追い詰めることができた』」
それは、魔王が弱っているシーン、つまり、勇者が手を出せる状況である。
「『……油断してると寝首を掻かれるぞ』」
弱っているはずなのに、そんなことは微塵も感じさせないその高貴ささえ感じさせる態度に、ぞくぞくとした。
「『……本来なら、僕はあなたを倒さなければならない。でも……』」
僕が司くんに跪くと、司くんが驚いたように目を見開いた。予想できなかった展開に呆然としているのだろう。その隙をついて手の甲にキスを落とした。
「おい、類、なにして……!」
「まだ15分、残ってるよ」
「……ッ」
「『魔王よ、あなたはとても美しい。……だから、僕が惹かれてしまうのも仕方のないことだ』」
「『勇者、お前はなにを企んでいる。な、にを……』」
司くんが演技を再開しようとこちらに顔を向けた。その表情は、すでに魔王のものだった。思わず頬を手で掴んで、その顔を引き寄せた。かたちの整った唇に吸い寄せられるように唇を近付け、触れた。
「ん、んんっ」
くぐもった声が聞こえたと思えば、すでに唇は離れており、僕は突き飛ばされ、フェンスに背中を打ちつけられていた。
「な、なッ、……〜〜〜っ!!」
司くんが頬を赤らめて口を抑え、屋上から逃げてしまった。その表情は、魔王でなく司くんそのもので、僕が恋に落ちたものではないはずなのに。
「……あ、れ………?」
今、自分が意識している相手は誰だ?
顔にはどうしようもなく熱が集まって、落ち着かなかった。