しばらくはこの場所で「あ」
「あ、玲王。お疲れ」
練習が終わり、ばったりと出会ったのは玲王。
今日は凪は一緒にいないらしい。
「今日は凪は一緒じゃないのか」
「あー、練習最後になんか掴みかけたらしくってさ、もうちょいやりたいから先に戻れ、てさ」
「へー、珍しい」
「付き合うか?て聞いたんだけどな、もう集中モードに入っちゃってこっちの声聞こえてねーの。だからまぁ、素直に先に戻ってきたって感じ」
そんな他愛もない会話をしながら廊下を歩く。凪を含めて三人であればよく会話をしてるのだが、地味に玲王のみというのはレアだな、と潔は会話しながら思う。
それも仕方ないことではあった。青の監獄開始時から暫くの間、主に凪を巡って二人の関係はあまり良いものではなかったから。
だから今はこうして普通に会話できるのは嬉しい。玲王がどう思ってるかはわからないけど。
「凪も、先へ進もうとしてるんだな。出会った頃から考えるとすごい変化だ」
「そうだな、正直俺も驚いてる」
凪誠士郎という男は「何もしなくて良いようにする」というのを原動に生きてきたような究極の面倒くさがりだった。
基本的な部分はあまり変わってはいないが、二次選考以降の彼は何かに目覚め、特にサッカーについて貪欲に求め続けるようになった。これは潔から見ても明らかにわかる変化だった。
「あいつ、やっぱすごい奴だよな。プレイだけじゃなくて、世界が変わったんじゃないかと思うくらいの変化を受け入れて、進もうとしてる。簡単にできることじゃないよ」
「──その原動力は間違いなくお前なんだけどな」
「へ?」
一瞬何を言われたか分からずきょとんとしてしまう潔に、自覚ねぇのかよ、とちょっと複雑な心境の玲王は盛大に溜息をつく。
「お前はもう少し、自分の凪への影響力のデカさを自覚してくれ」
もっと言えば青の監獄全体への影響力もな、なんて付け足しながら玲王はスタスタと先に進んでいく。言われた言葉を飲み込めないまま潔は慌てて後を追う。
「俺?この青の監獄での出来事がじゃなくて?」
「それももちろんあるけど…、いやここで全部ネタばらしはフェアじゃねーな、この話は終了だ」
「え!?なんだよそれ、すっげー気になる言い方するじゃん」
「それはまぁ、凪の相棒の特権ということで」
少しだけ意地の悪い言い方をすれば、じとりと眉をひそめて玲王を見る。不満を訴える視線を受けて少しだけ玲王は笑った。
(あいつの変化なんて、一番俺が驚いてるよ)
いつかの凪と会話を思い出す。
「ねぇ玲王、自分を好きになってもらうにはどうするのが一番手っ取り早いかな」
「……は?」
「できればこういうことに鈍い相手にも通用する方法。玲王なら攻略法知ってるかな、て思って」
「そんなゲームの攻略みたいに簡単に言うなよ…そもそも何だ、お前、今好きなやつがいるってこと?」
「うん」
即答され、玲王はくらりと少しだけ目眩がした。そしてその相手には心当たりが大いにあった。
(こいつ自覚してやがったのか…)
他のメンバーに比べて付き合いが長いとはいえ、それでもまだまだ凪の事は読めないことが多い。
傍から見て凪が惹かれていたのはわかったし、それ故に自分もそんな凪を認めることができず、しばらくお互いの関係に軋轢が生じてしまったこともあった。
どこまで凪は自覚してるのか測りかねていたが、ここでその疑問は解決した。
「……手っ取り早くって言うけどそんな方法、潔に効くのかよ」
「あれ、相手が潔ってバレてた?」
「あんだけ露骨に接し方変わったら気付くだろ」
本人は気付いてねぇみたいだけどな、と付け足す。
「やっぱそうかー、俺なりに結構わかりやすくしてたつもりだったけど潔全然気付いてないしさ。もしかして今のやり方伝わりづらいのかな、て思って相談した。こういうの、今まで考えたこともなかったし」
潔が超絶鈍ちんということかー、とレモンティーを啜りながら玲王に改めて視線を送る凪。
「で、どうしたら良いと思う?玲王」
「あー……」
サッカーであれ、恋愛であれ、自分から考えて動く今の凪は今まで自分の中にいなかった凪だ。
以前なら会話をしててもスマホから目を離さない、なんてザラだったのに。
ここまで凪を変えてしまった潔に、正直複雑な気持ちではある。
が、相棒と友人に不幸になって欲しいわけじゃない。なら、背中を押すくらいはやってやらないと駄目だろ。
(それに…こういう相談に乗れるのは、潔にも出来ないことだろうしな)
そう思うと、この場所も悪くないと思えた。
「玲王?」
言葉の続きがない玲王に凪がきょとんとする。
「ん、あぁ、わりぃわりぃ」
少しだけ思考に耽っていた玲王は、詫びを入れつつ今考えられる方法を伝える。
「なら、やることは一つだ凪」
「あっ、潔いた」
そんな声が聞こえて、玲王は現実に戻る。
いつの間にか練習を終えた凪が二人を見つけてこちらに駆け寄る。
「お、凪。練習お疲れ」
「うん、疲れたー」
そう言って後ろから潔に抱きつく凪。これももはや定番の光景になってきた。
「潔これから風呂?一緒にいこー」
「わかったわかった、行くから頭ぐりぐりすんな、くすぐったい」
潔がこちらを見る。
「玲王も行くよな」
「ん?あぁわり、その前に行かなきゃいけないとこあんだ。悪いけど凪連れて先行っててくれ」
「そっか、わかった。じゃあ行くか凪」
潔が歩み始めるのを見て、ひっそりと玲王は凪と視線を合わす。凪は満足そうに笑っていた。
そんな様子をやれやれ、と言わんばかりの視線で玲王は二人を見送る。
「可能な限り潔の隣りにいろ。練習とか試合とか絶対無理な時以外、ひたすら潔の隣をキープだ。あと、今までのアプローチは継続だ」
対潔攻略法について聞かれたあの時、玲王が凪に伝えたのはこれだけ。凪は少し考える素振りを見せて「わかった」とだけ頷いた。
結果、現在進行系で凪はその方法をしっかり実行中である。
(まぁ、見たとこ潔も別に嫌がってる感じもないし、案外すんなりいくかもな)
遠くなる二人の背中を見ながら、玲王はこれからの二人の行く末を想像して、少しだけ楽しげに笑った。