とある休日。部活も無く完全なフリーの休み。
せっかくだから録り溜めていた試合でも見ようか、そう思っていた前日の夜。唐突にスマホにメッセージの着信音が鳴り響く。誰だろう、と潔はスマホの画面を見るとそこには差出人に『糸師凛』の文字。
タタッ、と素早くタップを繰り返してメッセージを確認するとただ一言。
『明日、朝から家に来い』
それだけだった。大抵の人間であれば「何様のつもりだ」と、ひと悶着は免れないようなメッセージ。しかしそれを見た潔は憤慨するでもなく「しょうがないな」と苦笑いを浮かべるだけだった。
この横暴な振る舞いを見せる年下の幼馴染、糸師凛からこのようなメッセージが来るのはこれが初めてではなかった。
(今回は冴と何を揉めたんだか)
そう、幼い頃から付き合いのある凛は自分にとって面白くないことが起こった時。
──特に兄である冴と喧嘩した時。
決まって潔は凛に呼び出されるのだ。そうして朝から一日付き合って、凛の底辺まで落ちた機嫌を直すのだ。方法はその時によって様々で、一日サッカーをしてることもあれば、別の日は凛の部屋でホラーゲー厶を凛がプレイしてるのを隣で見てたり(時には二人プレイで協力したり)、あるいは凛の見たいホラー映画を一緒に見たりと、とにかく凛のその時やりたいことにひたすら付き合うのだ。
今回も例に漏れずそれだろうと思い、潔はスマホを再びタップして返信する。
『OK。何持っていけば良い?』
『何もいらねぇ。準備できたらすぐ来い』
すぐにメッセージの着信音が鳴って再度内容を確認すれば、おや、と潔は凛からの返信に少しだけ違和感を感じた。
(珍しいな)
一日サッカーで付き合う場合は予め確認して、着替えやタオル、スパイクなど必要なものを持っていく必要があったが、どうやら今回はそうではないらしい。
とは言えサッカーでなくとも、いつもなら何かしら凛が食べたい飲みたいものを持って来いとリクエストがあるのだが、それもない。
(まぁ、明日行けばわかるか)
そう思い深く考えないまま、潔は了解、と明日訪問予定の時間と共にメッセージを返したのだった。
そうして迎えた次の日。
伝えていた時間通りに糸師家にやってきた潔は、慣れた手付きでインターホンを鳴らす。するとものの数秒で扉が開かれて、中から凛が顔を出す。
「おはよー……、って、うわっ!?」
挨拶も言い終わらないうちに、潔は凛によって中に引き込まれる。慌てる潔を気にする様子もなく、無言のまま凛は潔の手を握って足を進める。
「ちょっ…、凛、何、どうした…!」
「うるせぇ、いいから来い」
「お前なぁ……、あれ、おばさん達と冴は? いないのか?」
凛に引き摺られながらも、潔は家の中に他の人の気配が無いことに気付く。
「……母さん達は法事で昨日からいない。クソ兄貴は朝からチームの練習」
そう答える間も歩みは止めない。そうして二人は凛の部屋に辿り着く。潔にとってもすでに見慣れた部屋に連れ込まれたかと思うと、そのまま握られた手を強く引かれて凛のベッドに投げ込まれた。
「おわっ……! おいっ、凛、いったいなに……」
ボフッ、と柔らかい衝撃が来て、事態が飲み込めてない潔はひとまず抗議しようと声をあげようとした。だが、出てきたのは変に上擦った悲鳴のような声だった。
「はぇ……?」
何故なら。ベッドに沈められた潔の身体を、凛ががっちりと抱き締めてきたからだ。
「ちょっ、凛ってば……! おいっ……!」
まだ若干混乱している潔は、とりあえず手足を自由にさせるためじたばたと暴れようとしたが、凛によってすっぽりと抱え込まれ、腕を上げる事すら叶わなかった。それどころか、身動きを取ろうとすると潔を捕らえる腕の力が更に強くなった。
「おーい、凛、りんちゃーん」
「……」
仕方なく身動きを取るのを諦め、ひとまず声をかけてみるが全く反応しない。ぎゅっと音が出そうなくらい潔の身体を強く自分の腕の中に閉じ込め、潔の肩口に顔を埋めている。
(本当にどうしたんだ……凛の奴)
今までにない凛の様子に潔は戸惑いを隠せなかったが、とりあえずしばらく凛の好きなようにさせることにした。本当は腕を伸ばして背中を擦ってやりたいところだけど、腕を伸ばすことが叶わないため身体の力を抜き凛に身を委ねる。
しばらくその状態が続いていたが、少しだけ落ち着いてきたのか、あるいは潔が逃げないと判断したのか凛の拘束が少しだけ緩む。身体を抱え込まれているのは変わらないが、腕が動かせるようになった潔はそっと凛の背中に腕を伸ばす。
「凛、今日は本当にどうしたんだよ」
「……」
「なぁ、凛。流石の俺も黙られちゃわからないよ」
凛の身勝手な行動に振り回されているのに、潔は怒るでも呆れるでもなく、怖くないよと緩やかに真綿のような柔らかさで包み込んで、どんな凛も受け入れようとする。とっくの昔に自分より大きくなったくせに、こういう時はまだまだ甘えん坊だな、と感じる。
「凛」
「………、きのう」
「ん? なに?」
ようやく凛がポツリポツリと口を開き始め、潔は一語一句聞き逃すまいと耳を傾ける。
「昨日、部活の終わり際に、話、してたろ」
「話?」
「………、進路の話」
「! ……あぁ」
そこまで聞いて、潔は凛の話がどの件を指しているのか理解した。確かに昨日、部活終わりに担任に呼び止められて少しだけ進路について話をした。
「それがどうしたんだ?」
「………」
「もー、まただんまりかよ」
また少しだけ強くなった拘束に、潔は背中に回していた片腕を今度は凛の後頭部へ回す。そのままサラサラとしている凛の髪を優しく撫でてやる。そうしてやれば、閉じかけた凛の口から再び言葉が紡がれだす。
「……来年から」
「うん?」
「同じ場所に、いない」
「……そうだな」
「一緒に、昼飯食うことも、部活に行くことも無くなる」
「……うん」
「お前が、俺の隣にいる時間が減る、……それが気に食わねぇ」
ここまで聞き、ようやく潔は凛が何を伝えたいかを理解した。昨日潔が進路の話をしているのを見て、来年から潔がこの場にはいなくなってしまうことを改めて実感してしまったのだろう。
「んー、俺だって寂しくなるけどそれは仕方ないだろ」
「……、ならもう一年いやがれ」
「おいおい、俺に留年しろってか? 流石にそれはできないよ」
「チッ……、なんで、もう一日遅く生まれなかったんだテメェは」
「無茶苦茶言うなぁ」
五ヶ月ほど生まれた日が違った、それは学生として過ごす間は学年が明確に別れ、一年の別離として現れてしまう。どうやらこの約五ヶ月分の年の差が、今の凛にとって歯痒く面白くないものになっているようだ。
「確かに一緒にいる時間は減っちまうけどさ、別に今生の別れになるわけじゃないし、学校以外では今まで通り普通に会えるだろうし……」
「……いやだ」
「え?」
潔の言葉を遮るように、凛は抱え込んでいた潔の身体を開放したかと思うと、そのままベッドに沈めて凛自身はその上に覆い被さる態勢になる。
「今までと同じは、もう嫌だ」
そう今までより近い距離で告げられる。そこで今日初めて潔は凛の顔をまともに見た。
(なんて、顔してんだよ……)
そこにはいつものすましたクールな糸師凛の表情ではなく、漠然とした不安をどうにか払拭したいと小さな子供のように寂しさや不安を押し込めた今にも泣き出しそうな表情で、でもその瞳の奥にはとても子供とは言えないような情欲を灯している。
幼子のような感情と、幼いとはとても言えない独占欲や執着心がドロドロと滲み出て、それらが混ざり合い非常にアンバランスな雰囲気を醸し出している。それが潔にはとても可愛く見え、同時にゾクリとする色気も感じてしまい、凛から目を逸らせなかった。
「り、ん……」
名前を呼ぶのが精一杯になってしまった潔に構うことなく、凛は顔を近付けそのまま唇を重ねる。
「んっ……」
最初は触れるだけ。少し離れたかと思うと、再び唇を重ねられ、今度は凛の舌が潔の口内に侵入して容赦なく口内を暴く。
「んぅ……っ、ふ、はぁっ……」
ぴちゃ、くちゅ、と水音が部屋に響き、逃さないとばかりに何度も凛は潔の唇を貪る。息継ぎが上手くできず苦しそうになってきた潔を見て、ようやく凛は潔を解放する。
「はぁっ……、は、ぁ……っ」
解放された潔は息を荒げて、くたりと完全に身体の力が抜けてしまっていた。
「りん……」
「潔」
視線から逸らせないよう、凛は両手で潔の顔をがっちりと固定してお互いの視線を交錯させる。
「俺を、受け入れろ。潔」
──俺を、受け入れて欲しい
潔には確かに凛の言葉が、凛の重なる思いが同時に聞こえた気がした。受け入れろと自分勝手な願いと、受け入れて欲しいと甘えたい思い。
(あぁ、もうずるいな)
いや、と潔は考えを改める。
(凛がずるいだなんてそんなの言い訳だ。……俺はもう)
今までいつだってどんな時だって凛の自分勝手な呼び出しにも応じ、凛のやりたい事どんな事にも付き合った。
ここまでしていて、何もないなんてそんなの嘘だろう。
(とっくの昔に、お前を受け止めるって決めてるんだよ馬鹿凛)
そんな思いを込めて、潔は凛に答えるように告げた。
「そんなの、今更だよ。凛」
その言葉に驚いたように目を見開く凛がおかしくて、お返しとばかりに今度は潔から唇を重ねたのだった。