ゴンドラの上をマリオンは端へ立った。水面に散らしたバラをさらう動きから、赤い鞭が優雅にサブスタンスを打ち据える。
街が水に沈んでもサブスタンスが現れるとは、ガストは驚いたが考えてみれば不思議なことはない。観光客が息を呑む中、マリオンは突如現れたサブスタンスへ華麗に対処して見せた。
街の外から来た観光客にすれば、対サブスタンスのマリオンの技は、華やかで素晴らしいショウだったに違いなかった。ブルーノース市民でさえ、これほど間近にヒーローの活躍を見る機会はない。大抵市民はまず避難させられるからだ。鞭でサブスタンスを回収したマリオンは、観光客らを振り向いて涼しげに微笑んだ。
と、いうのが今日の昼間の出来事だった。同じゴンドラで案内をしていたガストは、観光客と一緒になってマリオンに見惚れた。
先ほどのマリオンの技は、普段と違って水上で観客を楽しませるための演出が入っていた。観光客を危険にさらさないようガストにゴンドラを中距離へ位置どらせ、青い街に栄えるバラを水面に顕現させた。観光客を楽しませることと、サブスタンス回収を両立したスマートな対応だった。
イースターのときのLOMで、サウスのウィルも戦いを花で演出していた。今回は観光客のもてなしに、自分も何か考えるべきでは、とガストは水を湛えたミュージアムの池を眺めていたのだった。
ガストのヒーロー能力は風の操作で、当然ながら風は人間の目に見えない。マリオンやレンと違い、能力だけでは視覚に訴えるものがないのだ。かといって周りのものを巻き込む威力を出せば、ゴンドラの上の観光客に被害が及ぶ。
水しぶきを風で巻き上げるのが無難だろうか。晴れていれば陽光が反射して、それだけでキラキラ光って綺麗だ。
「おいガスト、しゃがみこんで何してる」
「おっ、マリオンか。いやぁ、ちょっと、ゴンドラでの技の演出を考えててさ」
後ろから、ガストに声をかけたのはマリオンだった。聞きようによっては咎める口調だったが、マリオンはガストを気にして来てくれたみたいだ。
この観光案内の仕事中、その日のスケジュールを終えたあとはミュージアムでみんなで休憩していた。一日の出来事の報告や反省に、翌日スケジュールの確認もここで済ませる。休憩時間になってガストは庭園へ出たものの、マリオンの気を引いてしまったらしかった。
メンターとメンティーの在り方について話してから、マリオンはガストのこともよく気に掛けてくれるようになった。休憩時間なのに付き合わせちまった、とガストは苦笑いで腰を上げた。
「大したことじゃねぇんだけど、ほら、今日サブスタンスが現れただろ? マリオンの技が水の上でも綺麗だったから、俺も何かできないかと思って」
「ボクのブラッディローズが綺麗なのは当たり前だ」
「ははっ、そりゃそうだ」
マリオンの手元にバラが一輪顕現して、落ちた。薄明りの池で水面にバラの花が漂う。
「俺も客を楽しませられたらなーって思ったんだ。でも難しいな」
「……オマエは、飛べるんだからゴンドラを離れればいいんじゃないのか。水しぶきと一緒に空中戦して見せるなら、観光客の目も楽しませられるし」
「おぉ! いいな、それ」
こんなに具体的にアドバイスをもらえるとは思っていなかった。ガストははしゃいで笑んだ。
水を巻き上げるくらいではシンプル過ぎるか、とは感じていたところだ。アドバイスに喜ぶガストへ、マリオンはふん、と息をついている。
「やってみるよ。ありがとな、マリオン。俺だけじゃ思いつかなかったぜ」
「オマエ、喜びすぎだ。やるつもりなら、ゴンドラまでひどい波が届かない配慮をしろよ。朝に先に、練習しておくとか」
マリオンが珍しく照れた顔をしている、ようにガストには見えた。庭園の明かりが控えめなのが惜しい。薄明りはロマンチックなのだが。
ガストへメンターらしい振る舞いをして、最近マリオンはこれまでとの違いを改めて感じているみたいだった。マリオンの明らかな成長にガストは笑みがもれる。が、こういう態度でいるから鞭で打たれるのだった。ガストは笑みを誤魔化して目を逸らした。
不意の風に池の水が波打って、マリオンのバラが水面で静かに揺れた。よく見ると水面にはマリオンのバラ以外も浮いていて、何の花かはわからないが色とりどり混ざっている。見やれば、庭園の地面に花びらがたくさん散っているのだ。花びらは風が運んで池に浮いたんだろう。
ガストは自然の風がやったみたいに、落ちている花びらを風で巻き上げた。
「水辺にも花が咲いてたら、こんなふうにして見せられんだけどな」
ピンクに黄色に、柔らかい色が様々だった。どれも庭園に咲いている花だろう。白い花なら一種類、このあいだマリオンに名前を教わったが、ガストが風に乗せている中に白い花びらは見当たらなかった。花びらが散るタイプの花じゃないのかもしれない。
マリオンが注目しているようだったので、調子に乗って二人の立つ周りを花びらの風に一回りさせる。あまりふわふわ舞わせても、マリオンには鬱陶しがられるか。
「綺麗だな」
「えっ!?」
「なんだよ」
ガストが調子に乗っているときに、マリオンが肯定的なことを言うのがガストには珍しかったのだ。なんでもないと誤魔化して、マリオンによく見えるよう近くで花びらを舞わせる。
そのとき、マリオンが微笑んだのだ。見ていたガストは何故か心臓が騒いだ。
マリオンはガストの起こす風へ触れると、指先からいくらかのバラの花びらを散らした。淡い色だった風の中に、鮮やかな赤い花びらが栄える。騒いだ心臓に慌てたガストだったが、今度はマリオンの作りだす光景に目を奪われた。
実は自分も、マリオンみたいにバラが好きなんだろうか。意識したことはない。マリオンが白い指を遊ばせて、風の中のバラをあやすようにしている姿からガストは目が離せなかった。ガストが目を離せずいるうち、マリオンが「あ」と急に言った。
驚いて手元が狂う。風がマリオンの白い帽子を巻き上げた。
「は?」
「うおっ、悪りィ! ――ほら、返すよ」
風で帽子を自身の手元に引き寄せ、ガストはマリオンの頭へ帽子を戻した。
マリオンはいきなりなんなのだ、と憤慨した様子で帽子の位置を直す。
「え、えぇーっと、マリオン、さっき何か言いかけたよな? 俺、聞きたいなー! 聞かせてくれねぇかなー!」
「……案内中にもし機会があれば、オマエの風にボクの技のバラを合わせてやってもいい。と言おうとしたが、オマエが能力を使いこなせていないみたいだからナシだ」
「いや! それすげぇいいと思う! マリオン、待ってくれよ」
怒っている様子を見るに恐らく、マリオンがバラを作り出して楽しんでいたところへ、ガストがふざけて帽子を取り上げたと思われている。この程度の風の扱いができないガストでない、とはマリオンも知っているからだ。
たぶんマリオンの中では、夢中になっているマリオンをガストがからかったような構図になってしまった。大変な誤解だった。
「ちょっと、その、今のは俺の手元が狂っちまって! ついうっかり」
「うっかりだと? そんな調子で手元が狂う練度のオマエと、ボクが連携してやると思うか?」
「うぐっ、いや、マリオンのバラに見惚れたんだよ! 本当だ!! そうでもなきゃ風の操作なんか今さら間違わねぇし、俺がふざける理由だってないだろ?」
「……本当だろうな」
「っ、あぁ! 他の花びらの中で目立って、綺麗だなーって!! 俺もう目が離せなくて!」
二呼吸ほどの間、マリオンはガストを見上げていたが、必死のガストの言葉が信じてもらえたようだった。マリオンが唇を尖らしながらも、指でガストへ風を催促する。慌てて応じてガストは風を起こした。
すぐにブラッディローズの花びらが、風の中へ庭園の花びらに加わった。
「ほら、ガスト」
「へ?」
「見惚れたくらいで手元が狂わないようにしろ。慣れておけって言ってるんだ」
庭園の薄明りの中でもわかる、得意げな顔でマリオンが言った。
マリオンの切り替えの早さにガストは笑みがもれかけたが、唇を歪めてどうにかこらえた。マリオンも風に舞う花びらを気に入っているようだ。少し楽しそうにしていて見える。
目が離せない、と感じるのは、先ほどからバラでなくマリオンに対してだったろうか――どうしてこちらを向いているのか、真剣にやれとマリオンに叱られ、大慌てで謝りながらガストは不思議に思っていた。
了