凡夫の執念村外れの私邸。大正風に吹かれぬ昔ながらの日本家屋。門前に落ち葉を掃く姿あり。こちらに気付けば箒を片手に、深く頭を下げ、足早に中へ入っていく。滅の字を背負う、鬼殺の隊服。数日前、鬼にした獪岳という男だ。
門前には今落ちたばかりの葉が一枚だけ。この私邸に住む者を食らった時には、蜘蛛の巣や苔がそれ相応にあったが、今はそれもない。
戸内の土間では、獪岳が膝をつき、寒さに湯気たつ桶を抱えていた。私が上がり框に腰掛ければ、すかさず下駄を脱がしてくる。足袋を取り、土埃に汚れた足を湯で清める。嫌悪の仕草は一切なく、足の指の間まで。新しい足袋へと履き替える所作まで実に手慣れている。廊下に目をやれば、埃ひとつ落ちていないようだ。
誰もこうせよと命じたわけではない。私は獪岳が鬼になってからしばらく面倒を見ただけ。鬼にしたときの怯えようからして、すぐに逃げ出すと思っていた。
だが、獪岳は自由に動けるようになってすぐ、私に尽くし始めた。掃除も洗濯も荷物持ちも買い出しも、進んでよくやった。背を流すことさえ、だ。もし人間と同じ食事をとるなら、炊事までやったと確信できる。
だから、一言たずねた。
「なにか……望むことはあるか……?」
「…………稽古を、お願い致します」
それが目的か。ひと睨みすれば、震えながらも頭を下げて引きはしない。恐怖はしているが、強者に教わるのが最善と考えてのことだろう。その貪欲さ、悪くない。
了承すると、心から嬉しそうに目を輝かせる。媚びへつらおうが加減はせぬと一層手酷くやった。だが、鍛錬に勤しむ姿は、むしろ荒々しく死に物狂い。情けを期待せぬ凶暴さは、いっそ清々しいほどであった。
元はひと所に留まらず、ひと昼を過ごせる家、過ごせる家へと渡り歩いていた。鬼ならば鬼らしく。それで良しと思っていたが、獪岳が来てからここを移動していない。こうも尽くされては無下にするのも、というだけのこと。
それも、今日で終わりか。
ひとつ息を吐き、獪岳の気配のほうを振り向く。獪岳はすぐに察して、用件を聞くべく正座から膝立ちになった。
「話がある……」
「は、はい」
暗がりから蝋燭の灯りが届くところまで近寄る。その横顔は少し警戒した様子だ。当然か。改めて話し合うことなどあまりなかった。真っ直ぐに見上げる目からは畏怖に折れまいとする意地を感じる。それを手折るつもりで容赦無く告げた。
「あの御方のご命令により……上弦でない鬼は……次の戦で処分することとなった……」
「……!それは、俺は、」
「処分される……有り難き血を大量に受け……理性なき化け物となり……最後の役目を果たしてもらう……」
獪岳の呼吸が早まる。震え、瞳孔が開く。どうすべきか必死に答えを探している。見つからぬ答えに口を動かせども言葉になっていないようだ。
「逃げようなどとは思うな……全ての鬼は……あの御方の監視下にある……指を弾くより容易く捕らえられよう……」
「ま、待ってください」
「待てぬ……ご命令は絶対だ」
「そんな!せっかく鬼になれたというのに!まだ、何も成せていない!何か助かるすべはないのですか!?」
獪岳は何度も畳に額を打ち付けて、助けを求めた。
この私邸には畳を全て剥がされた一室がある。獪岳が鬼になる際、悶えて畳を引っ掻き、血反吐を撒き散らした部屋だ。「こんなところで死んでたまるか」と、獪岳は粗暴な口ぶりで己を叱咤し、鬼になる苦しみに耐え抜いた。私はそれを見てきた。
だが、太陽を克服した鬼は既に見つかった。余分な鬼はいらぬのだ。あの御方のご命令はもっともで、絶対だ。
「もう既に始まっていることだ……血を与えられた者は皆、人の成りを保てぬ異形と化していた……」
「俺は、刀を握ったまま鬼になれると、貴方様を見て思ったから、俺は、なのに!どうか、どうか……!」
「私にできたことは……お前の順番を最後にしてもらうこと……ただそれだけだった……それまでにあの御方の血に耐え得る肉体を得るほかない……」
獪岳が顔を上げる。一縷の希望に縋る目。私もきっと、こんな目をあの御方に向けていたのだろう。
「どうすれば、耐えられるのですか」
「あの量、耐えるには……上弦に匹敵するだけの再生能力……そして血を我が物とする素早さが必要だ……時間がない……荒療治になる……化け物に成ったほうが楽であろう……鍛えたところで間に合うとも限らぬ……」
「どんなに苦しくとも構いません!必ず、耐え切ってみせます!」
震えながらも、その目に迷いはない。進むべき道が地獄なら、進む者の目だ。
私がゆっくり立ち上がると、獪岳は息を呑んだ。恐怖が見える。これもいずれ、克服させねばならぬな。
「そこに立て」
「はい……!」
姿勢正しく直立した獪岳の前で、すらりと刀を抜く。獪岳は目を見開きそれを追っていた。しかし私が振り下ろすのは見切れなかったようで、キョトンとしている。斬り落とされた腕一本、一息遅れて悲鳴を上げた。
「ぎ!っ…!?」
「……再生しろ」
獪岳はまるで人間のように、切断面を止血すべく押さえた。その手をまた斬り落とした。
「ひぎッ、ぁ!!」
「……再生しろと言っている……」
まだ、そう容易くできないのは知っている。鬼になり数日で、瞬時に四肢再生できるなど、余程鬼の才能がある者だけだ。だが、早急にできるようになる必要がある。再び、刀を振り上げると、獪岳の表情が恐怖に歪んだ。冷や汗を垂らし、再生しようと力む。浮き上がる血管が必死さを伝えている。
「ぅがあ!!」
「遅い……」
獪岳の片脚を斬り捨てる。受け身を取る手もなく、どちゃりと音を立てて倒れた。残された脚がバタバタともがいている。何も生えてこない切断面を、畳に打ち付けて吠える。
「クソッ!!クソが!!再生しろってんだよ!チクショウ!!」
「喚くな……集中しろ……」
断面に触れると血や細胞が、乱雑に脈打っている。どう動かすべきかわからないのだろう。痛みで暴れる獪岳の背を膝で押さえ、断面から神経を摘み出した。
「〜〜〜ッ!!」
「ここだ……ここに意識をやれ……」
びくびくと神経が手の上で暴れる。痛みで言葉にもならない悲鳴をあげている。畳を蹴る残りの脚、それもなくなれば、痛みを散らす術さえなくなろうと、斬り離した。
「ひぐ…っ!うぁ…ッ」
痛みに耐えるのがやっとか。芋虫のように蠢くのみ。止血はできているが、それでは細胞を作り出す材料が不足する。死にたくないという思いが、止血を優先させてしまうのだろう。
「駄目か……やめるか……?」
「や、やめません!できます!」
冷や汗を垂らし、見捨てられると悟った目が必死に訴えている。何か、お前が死より恐れるものはないか。お前は何故、死にたくなかった。私と同じく、刀で何かを成したかったというのなら……。
獪岳が背にさしている刀を抜き取った。刀を奪われたことに獪岳が一際大きく身をビクリと震わせる。柄を獪岳に向けて少し離したところに置いた。へたれた耳に囁く。
「握れ……お前の刀だ……手を伸ばせ……」
「ぅ……あぁ……」
「刀を握れぬなら……お前はただ生き永らえただけの……醜い化け物だ……!」
「!!」
それは見たことがない光景だった。咆哮と共に腕が再生していくが、皮膚をまとっていない。皮下に収まるべき赤々とした筋組織が露出している。だが、痛々しいその腕は、確かに刀を握った。
「ふっ……才で及ばぬというなら……執念で勝るほかあるまいなぁ……」
そう、愉快な想いで語りかけた。だが、畳に突っ伏した獪岳はぴくりと動かない。首根っこを掴み持ち上げると、黒目を剥いて気を失っていた。
「寝るな……腕一本では勝てぬぞ……」
そのまま引きずり、障子の戸を開ける。振り返れば畳に血の道ができていた。獪岳は未だに刀を握っている。
寒空に息を吐く。透き通った空気、天高く月が浮かんでいる。竹を連ねた井戸の蓋を取れば、奥底の水面にもそれが光った。そこに獪岳を放り入れれば、ぼちゃんと水音が響く。
「……がはっ……ごぼ……っ!?」
「私が戻るまでに上がって来い……」
井戸の中から反響する呻きに声をかけ、町へと出かけた。
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ならず者に金子を見せれば、私を世間知らずの金蔓と思いついて来る。青き彼岸花捜索で散々遭った面倒ごとが、こうして密かに人を狩るのに役立つとは思わなかった。
ぞろぞろと引き連れて家路を行くと、次第に橙の明かりが見えてくる。庭先では獪岳が黒い着物を羽織っただけの全裸に近い姿で焚き火にあたり、歯をガチガチと音たてて震えていた。
滑稽な姿にならず者達が品なく笑い、一人が獪岳に近寄る。獪岳の大きく見開かれた目には私以外うつっていない。
「……狩れ」
一言そう命ずると、獪岳は頭上へと跳躍した。姿を目で追えぬ男達は化かされたように唖然とし、また一人また一人と首をへし折られ潰えた。鬼の特性と呼吸術により向上した筋力、ひと蹴りするだけでも人間には十分。ふと違和感を覚える。なぜ、斬らない?
「刀はどうした……まさか失くしたなどと……」
「いえ!あります!今は鞘を干してるので……」
そういえば、刀に水など厳禁であった。血肉から刀を作れば良いという慣れ故の失念。縁側には既に拭いて油を塗ったと見られる刀が置いてあった。よほど慌てたのか手入れに使ったと思われる紙屑が珍しくも散乱している。
寒さより身なりより刀を優先したのか。落ちた黒い着物を拾い上げ、一糸纏わぬ獪岳へと渡した。
「……悪いことをした……」
「え?」
「刀は……血肉より作る方法を教えよう……」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
意気揚々たる声に視線を落とせば、顔を赤くしてそむけた。はて、先程までは熊に出会ったが如く、目を逸らせば殺されるとでも言いたげな素振りだったのに。いそいそと着直す合間にも、チラリと盗み見てはどぎまぎとしている。
ああ、と思い至る。
「顔か……」
思えば人間に擬態した姿を見せたのは初めてだった。六目より優しいようにでも見えるのか。無駄に怖がらぬのは悪くない。
「この顔に……騙されていたければ騙してやろう……」
「〜〜っ!」
獪岳は赤面し、首を横に勢い良く振った。子供じみた仕草を喉で笑えば、誤魔化すように声を大きくした。
「こ、コイツらは何処に運びますか!?黒死牟様のお部屋は汚してしまったので、別室に移動しましょうか!?」
「何処でも構わぬ……それらはお前一人で糧としろ……」
「え、ですが、こんなには、まだ」
倒れている数は六人。獪岳はまだ一度に三人ほどしか消化できない。だが、血を吸収する素早さを上げるためにも、あの御方の血に耐え得る体を作るためにも、今のままではならない。
「お前は…まだ口で肉を食らうが……その方法では間に合わぬ……直接吸収することを覚えろ」
獪岳が顔を引き攣らせる。また痛みを伴うことをされそうだと予感してだろう。まぁ、当たってはいる。
「やめたければ……」
「やめません!唯一の活路を示していただけること、本当に感謝しています」
「感謝などいらぬ……あの御方に働きで返すことだ」
「はい!」
自らの頬を叩き、気合を入れ直している。強い決意を宿した眼差し。悪くない。双眼に擬態した顔を片手で覆い、稚児をあやすようにバアと六目に戻すと、ひゅっと喉で息して怯える。
「ふふ……」
「んな、遊ばないでください……!」
「いちいち怯えるな……胆力をつけろ……」
ずいと顔を近付ける。口をはくはくと開閉し、六目の何処に視線を合わせていいかわからぬとでも言いたげに狼狽えている。
「獪岳……」
「は、は、はい!」
「……運べ」
短く命じ、背を向ける。血の道を辿るように先程の部屋に戻ると、獪岳の方から安堵の息と砂利に膝着く音がした。地獄はこれからだ。何を安堵していると、小言の一つでもと思ったが、すぐに頬を張る音が響いた。
胆力に不足あれど、己で己を鼓舞できるのは良いことだ。鬼の道は孤独。誰かに救われることなど期待してはならない。人の道においても、そうやも知れぬが。
獪岳は担ぐように三人ずつ運んだ。小さな体は埋もれてしまいそうだ。いずれ、身長を自在に操る訓練もしようか。いや、雷の呼吸は身軽さも大切か。しかし、熱界雷は身の丈があった方が強力だろう。技によって伸縮させるか。早さが命の呼吸にあって、それは難しいだろうか。
「あの……黒死牟様……?運び終えましたが」
「あぁ……お前をどう育てるか考えていた……」
「え、育て、る…?」
「私に身を預けるなら……そのつもりだが……」
わざわざ鍛えているのに、今更驚くことか。
獪岳は震えながら下を向き、バッと顔を上げた。
「俺、どんな過酷な修行も、耐え抜いてみせます」
「殺す気でやっている……耐えられねば死ぬだけだ」
「ハイッ」
「不屈の精神を持つ鬼は強くなる……お前も強くなるだろう」
楽しみだ。鬼の剣士。永遠に手合わせすることさえできる。刀が廃れ逝く世代に、このような出逢いがあろうとは。期待に胸が高鳴った。だが、獪岳は楽しみではないようだ。眉寄せ俯く口元は不満を表している。
「…………早く始めましょう」
「なんだ……何の不服がある」
「いいんです。お気になさらず」
「言えと命じたことが……わからぬか」
一息威圧すれば、獪岳は土下座して縮こまった。口籠もり、ついに観念して心情を吐露する。
「俺は、そんな、励ましを受けなくても、ちゃんとやります…と…」
「励まし……?何を甘えたことを……私はただ己の楽しみを口にしただけだ」
鼻で笑えば、獪岳は顔を赤くして自分の勾玉の紐に指を絡めた。
励ましにしても、何が不満なのだろう。励ましを必要とすること自体を侮辱だと受け取ったのか。なんたる自尊心。その自尊心に見合うだけのものが内にあるか、穿り出してやりたくなる。
「さぁやるぞ……一人持って此処へ」
手招きすると、獪岳は一人横抱きに運び、二歩ほど離れた位置に腰を下ろそうとする。更に手招きすれば、あと一歩ほどの距離に近付く。その腕を引き寄せ、自らの胡座の上に向かい合わせで座らせた。
「え!?え、ちょ、え!?」
「……暴れるな」
簡易に結ばれた帯を解く。鍛えられた腹部をなぞると、その肩が大きく震えた。暴れるなと言うのに。顔を赤くして震えている。
「劣情でも抱いているのか……」
「ち、違います!」
「じっとしろ」
指先に切っ先を創造すると、獪岳はひゅっと喉を音たてた。白い腹につぷり。浅く斬り広げる。切腹を思わせる一線に、獪岳は足の指先をギュッと丸めて耐えた。
「ぁ……あの……ぅぐ……なに、何をするか知りたいです」
「腸を出す……」
ぐっと指を入れ、腸を摘み出す。獪岳の息を吸う声が甲高く悲鳴のようだ。さらに赤々と照る腸をなぞり切る。魚のように開いて中を指の背で撫でた。
「ひ……ゔぅ……うぉお……ッ」
「うるさい……」
「〜〜ッ!!」
「目を逸らすな……よく見ていろ……」
獪岳は引き攣った表情で、私の手の上に広がる腸へ視線を向けた。死体から切断した腕を傾け、腸に血液を垂らす。血液はスッとひだの合間へと消えていく。獪岳があっと声を漏らした。
「わかるか……?」
「はい、体に、温かいものが広がるような……?」
「吸い取った養分だ……これを糧として鬼は力を得る……擬似的にひとの頃の消化器官を使用しているが……鬼は皮膚でも同じことができる」
血を滴らせる腕の断面を腸壁に当てる。更に広がる熱を感じてか、獪岳は息を荒くした。朱を帯びた頬。ぼんやりとしている。さっさと吸収しろと、断面を腸壁に擦り付けた。
「ん……ぐ……はぁ……ふぅ……」
「吸い取る感覚を覚えろ……もっと……早くだ……」
獪岳は繰り返し頷き、懸命に吸う音がじゅるじゅると響いた。腸壁に消えていく腕一本。勢い良く吸収した力を制御できないようで、大量に汗を垂らしていた。その汗が私の着物に落ちるのを気にして、何度もぬぐっている。
「余計なことを考えるな……」
汗ばんだ首を掴む。喉仏がごくりという音ともに上下した。まんまるとした緑色の瞳。私が腸を体内に拳ごと押し戻すと、びくりと跳ねて瞼へと隠れる。しがみ付く体は細かく震えていた。温かな体内から手を抜かずにいると、涙目で私の顔色をうかがう。
「フーッ…フーッ…黒死牟様…っ」
「これしきのことで……生娘のように……」
今度は耳まで赤くした。震えを大きくして、歯を食いしばり私を睨んでいる。
何も恐ろしくないな。むしろ、そそられる……。
気付けば口角が上がっていた。
私は何を……。
ぬくい内臓の合間から手を抜いて立ち上がれば、獪岳は膝の上からこぼれ落ち、私から這って逃げた。随分と嫌われたものだ。
「……もうやり様は教えた……去れ……」
「ま、待ってください。悔しかっただけです。俺が、未熟で。教えてもらっているのに、不敬な態度を取ってしまい、」
「もうよい……忘れぬ内に皮膚からの吸収を試せ」
「は、はい」
縋り付く必死さに、背を向けた。縁側に腰掛け、当てられた熱を冷ます。背後から肉を吸う音が響く。腸から吸収するより嫌に遅い。吸収できただけで合格点とすべきだが、それでは全く足りない。
「くっ……なんでだ……」
苦悩の声が届く。私が教えられることは教えた。あとは這い上がって来るのを祈るのみ。雑念を殺すべく目を閉じた。
次第に肉を吸う音が接近してくる。振り返れば間近に獪岳がいた。
「何をしている……」
「う、あ、あの……さっきの感覚を思い出そうと……」
私の膝の上でやれば上手くいったから、近寄って来たと。
ふむ。なるほど。はあ
ぐいと腕を引き、また膝の上に乗せた。狼狽える獪岳に肉を押し付けると、柔肌はじゅるじゅると勢い良く肉を吸収した。
「はは……」
「お前は……あの御方の前で……私の膝に乗るつもりか?」
「、いえ、修行します」
「少々甘やかし過ぎたようだ……」
「え」
獪岳の口を塞ぐように顔を掴む。刀を作り出すのと同様に、手を金属へと変えた。顔に張り付いたそれは口枷の役割をなす。剥ぎ取ろうともがく両腕を斬り落とせば、その顔は恐怖に満ちた。
「ーッ」
「これより……再生と吸収の鍛錬を……招集される日まで続ける……」
再生される腕。コツを掴んだか、しかと皮膚をまとっている。退く両脚を切断すれば、腕で這って逃げる。
何処へ行こうというのか。ゆたり追うと、獪岳は己の刀を拾い、未だ再生も半ばの脚で立ち、私へと構えた。
「ん!ん!」
「……どうせ斬られるなら……刀を交えたいと……?」
「ん!」
「獪岳……この世に……鬼の再生を待ってくれる者などおらぬ……」
四肢を落とし、その髪を掴んで死体の山へと放り投げた。毟り取れた毛を払う。刀を交えたいというなら、そうできるよう早く再生すればいいだけのこと。だが、こうして歩を緩める時点で、甘やかしているのだろうか。まさか、次なる抵抗を期待しているのだろうか。
死体を掻き抱き、懸命に吸収と再生を行う獪岳を、幾度となく斬りつける。死体の山が血の池に変わる頃、獪岳は気を失う。また、肉達を運び入れる。目覚めていなければ冷や水をかけ、目覚めていれば肉達ごと斬り伏せた。繰り返す内、血の池に沈むまでに呼吸術の一つくらいは出せるまでに成長していた。
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肉達を連れ帰ったある日、獪岳の気配が家から消えていた。今さら逃げ出す筈もない。思い当たる可能性は一つだけ。確信を持って、あの御方の下へと駆けた。
無限城の長い廊下を走る。途中、理性なき化け物に変えられた者と何度もすれ違った。
その者が獪岳ではないと、私にわかるだろうか。わかるまい。消えるのだ。耐え切れなければ、あの煮えるような眼差しも、生きたいと叫ぶ肉体も、全て。
それでも、この先に獪岳がいると信じて歩みを早めた。
高く突出した壇上に、あの御方の姿はなかった。だが、そこへと続く橋の下は、異形達で埋め尽くされていた。あの御方の血を注入された者は、醜く変わり果てながら落とされるのだ。地獄の底のごとき呻き声。肉と血の臭いがむせ返る。
「獪岳……」
折り重なるほどひしめく異形達。何かを避けるように、ぽっかりと穴。そこに黒雷を見つけた。
「獪岳……!」
我を忘れて飛び降りた。異形共を薙ぎ払い、掻き分ける。獪岳は床に臥しながらも刀をふりまわしていた。黒々とした血管が隆起し、未だあの御方の血を吸収し切れぬようで、苦しげにのたうち回っている。だが確かに、人の形を保っている。私の声が届くと、安心するどころか、さらに我武者羅に刀を振るった。
「まったく……こやつめ……」
心配してやっているというのに。呆れて笑える。腕を押さえて抱きすくめ、赤黒く汚れた口枷を握り砕いた。
「ゔぅ……強くなる……俺は……強く……!」
「ああ……お前は強くなる……よく耐えた……」
血と汗で頬に張り付いた髪。耳にかけてやれば、安らいだ表情で身を預けて来る。ぐるぐると腹の音を響かせて。この感情を表現するに、"愛しい"以外の言葉が見つからない。