無題【sdse+ngro+sdro】バチン
嫌な音がした。
それは唐突だった。フィールドを自由自在に駆ける筋肉に覆われた下肢から、ゴム紐が切れたような音。どうか、どうか聞き間違いであってほしかった。患部からびりびり這い上がってくる何かに脳が危険信号を発する。
「右だ右」「俺の足じゃない」「そんなはずはない」
耐え難い激痛に襲われ芝生の上に倒れ込んでしまった。
「どうした!士道!」
傍を駆けていた相手チームの御影玲王が立ち止まり声をかけてきた。
「足がっ……!」
経験したことのない激痛。それでも視線はスタンド最前列の男に釘付け。一番いい席で一番かっこいい自分を見てくれていた糸師冴は、試合には興味が失せてしまったのか、明後日の方向を向いていた。
全身の血液が、頭から氷水を浴びせられたかのように急激に冷えていくのを感じた。心の臓が早鐘を打つ。
見捨てられた?
俺のサッカー好きじゃなくなった?
いやだ
いやだ
痛む右足を無理に動かしスタンドへ走ろうとすると、玲王が「やめろ馬鹿止まれ!」と激昂。優れた観察眼には全てお見通し。体重をかけて押さえ込まれてしまった。
「さえ……!」
「今は応急処置が先だ!」
「冴ちゃん…!」
こっちを向いてくれという願いは虚しく、想い人は席を立ってしまった。サッカーができない士道龍聖はいらない、ということか。
捨てられるのってこんなに辛いんだな。
担架で医務室へ運ばれる最中、浮いた脂汗が目に染みて涙が止まらなかった。右足の痛みなど気にならないくらいに辛かった。
診断結果は"右のアキレス腱断裂"。P・X・Gのチーム監督は、点取り屋の足を早急に手術し治療すべきと判断したが、なんと本人はそれを拒否。受傷直後の右足を引きずって医務室を出ていこうとしたため、チームメイトらが騒ぎ立てた。
怪我を負ったあとの異常なアドレナリンにより、普段の倍以上にキレ散らかす士道と、困り果てた監督。
やっぱりこいつ扱いきれねぇよ、と誰かが言った。
怒号や困惑の声が飛び交う狭い空間に飛び込んできた、清涼感のある香りとさらりとした紫の髪。
「すみません通してください」
場の空気を一新した芯のある声の主はマンシャインシティの御影玲王。士道の怪我の状態について詳しく話を聞くと彼は悲しげに顔を歪めた。仲のいい友人の予期せぬ負傷に心を痛めていた。選手生命に関わるほどの大怪我ではないが復帰できるまで半年はかかるからだ。
「玲王ちゃん……」
つい先程まで暴言を吐きまくっていた士道は玲王の登場によりすっかり大人しくなっていた。玲王をじっと見つめるマゼンタピンクは恋人を前にしたかのように優しい。気が昂って百を超えていた脈拍がゆっくりとその数を減らしていく。
「俺の会社にスポーツ専門の腕のいい医者がいます。手術を受けさせてリハビリもきっちりやらせるので、こいつをうちで引き取らせてください。お願いします」
「お♡」
「うぜぇとは思ってますが嫌いではないので悪いようにはしません」
「おお?」
「御影家の息子がそこまで言うなら」とチームの監督は納得の意を示した。
あれだけ「手術なんかしねぇ」と騒いでいた士道も玲王の提案は受け入れたようだ。壁に寄りかかりながら必死に痛みに耐えていたがついに座り込んでしまい、玲王の手を借りてなんとか立ち上がった。
「やさしーじゃん」
「放っておけなかっただけだ。お前はここで消えていい才能じゃない。足が治ったらまた……俺と」
「一緒に生命活動しよ?」
「サッカーって言えよ。その言い方だと違う意味に聞こえる」
玲王は士道の左腕を肩に回し二人で医務室をあとにした。
御影家お抱えの専門医へ連絡をすると、スマホ越しにオペレーターの慌てた声が聞こえてきた。玲王本人が怪我を負ったのだと思ったらしい。
「いや俺じゃなくて……そう、ちょっと事情が……。友達が試合中にアキレス腱切っちまって。すぐにでも処置してもらいたい」
《かしこまりました》
「今から○○病院に送り届けてくる。ベッドに縛りつけておくから鎮静剤打つところからよろしく頼む」
《気性の荒いお方ですか?》
「ああ」
《準備して参ります》
物騒なワードを耳にした士道は顔を青くしていた。嫌な記憶が蘇ったのだろう。
玲王を追ってきた凪は現状を大方察した。
「お節介にも程があるんだからー、もー。過保護すぎ」
「凪、俺はこいつと抜けるからあとよろしくな」
「じゃーな凪くん」
べっ、と舌を出して凪を挑発した士道だったが、表情に余裕はなく、痛みを堪えきれていない様子がありありと見て取れた。すれ違いざまに「だっせえ悪魔」などと口にした凪に玲王が「おい凪!」と返したとき、士道は凪から視線を外しており、力なく歩を進める自身の爪先を見つめていた。
「……クソが」
マンシャインシティとP・X・Gの試合は後日改めて行うこととなった。
怪我の主な要因は『士道龍聖はサッカーしか知らない』ということ。得点を量産する悪魔として世界から注目を浴びる彼は、実は自身の肉体のケアそのものはよく理解しておらず、試合が始まれば衝動のままにボールをゴールネットへ叩きつけてきた。どんなに優れた選手でも適切なケアをせずスポーツを続ければ身体を壊す。
あの悪魔のサッカーを世間に知らしめたのは糸師冴。士道とルームシェアまでした仲であるにも関わらず、冴は彼に大切なことを伝えていなかった。あのままでは身体を壊す、そう教えなかった冴にも責任があると騒ぎ立てる報道陣。大勢からカメラやマイクを向けられるも、やはりあの男は顔色ひとつ変えなかった。「あ?知らねぇよ。うぜぇから退け」と一蹴。この発言はネットで大炎上した。