夏が始まる最近どうもおかしい。おかしい、というよりは調子が出ない。というか、普通だと思っていたのに、調子が狂う。
入学してから、数ヶ月。ようやく環境にも慣れてきていろいろと落ち着いてくるかと思っていたが、現状は落ち着くどころか、なにかと戸惑いがちだった。
「なぁー、なんか調子悪ぃんだけど。治して、硝子。」
誰かに聞いて欲しくなって、ため息まじりに教室の机に突っ伏し、家入に気持ちをこぼしてみる。
「はあ?ワタシに言わずに病院行け、病院。五条家なら、お抱え医師とかいるだろうに。」
咥えタバコのまま、眉間にシワを寄せて鋭く返される言葉に、がっかり感を隠さない五条は素直に口に出す。
「や、病院キライだし、そんなんじゃなくて。硝子って、なんでも治せるんじゃねーの?」
「ふざけんなよ。反転術式を魔法みたいなもんだと思ってんなら、大きな間違いだからな。授業聞いてないだろ、五条。」
「ぴゅってやって、ぱーって治してくれんのかと思ってた。」
「馬鹿だバカだとは思ってたけど、ここまでとはな。」
家入は五条から顔をそむけ、ため息とともに煙を吐き出す。
「バカって言ったほうがバカなんですぅー。」
「そんな小学生みたいな口車には乗らないからな。バーカ。」
「何、喧嘩してるの。悟、女性にそんな口のききかたするもんじゃないよ。」
教室に戻って来た夏油の大きな拳で、頭をコツンとされる。
「なんだよ、傑は硝子の味方するのかよ。」
「そうじゃないだろ。子どもみたいなこと言って、硝子を困らせちゃ駄目だって言ってるんだ。」
諭すような口調で顔を覗き込まれる。途端に椅子をガタガタとさせて五条は立ち上がると「すぐるのバーカっ!」と捨て台詞を吐いて教室を出たのだった。
最近こんなことの繰り返しだ。売り言葉に買い言葉。そのうちに居心地が悪くなって、その場を離れるものの、それほど時間が経たないうちに、また戻る。戻るのは「親友」と決めた彼の元だ。
同級生は3人しかおらず、仲良くなるにはそれほど時間はかからなかった。一般常識に欠けた五条を面白がりながらも、いろいろと教えてくれる2人には五条も少しずつ信頼を高めていたし、同性でもある夏油とは、文字通り朝から晩まで一緒にいる。距離感がバグっていると言われるが、他人の言う正しい距離感がどんなものか分からないし、知りたくもない。
ただ、一人でいてもつまらないと思うことが増え、二人でいる時には楽しいのに、三人以上でいるときにモヤモヤとした思いに囚われることがあって、そんな時は決まって夏油との距離を測りかねている。遠いと思ったり、思う前に手を伸ばしていたり、近過ぎると思った途端に慌てたり、そんな自分の行動に説明がつかず戸惑っているのだった。
「クズ。」
「ひどいね。」
「どっちがだよ。」
出て行った五条を目で追うだけの夏油に、家入は舌打ちする。
「仲良くなりたいだけなんだけどね。もちろん、硝子ともだけど。」
意味ありげに家入の方を向いて微笑む夏油に、あっかんべー、と舌を出した。人誑かしの片鱗をここ数ヶ月で何度か目の当たりにして、心の底から面倒くさいと思っている。
「まったく…巻き込むな、ワタシを。」
「えー、硝子は私の味方だと思ってたのに。」
「面倒はごめんだ、って言っただろ。そもそもカウンセリングは専門外だし、人生相談とか恋愛相談とか無理だから。」
「悟とそんな話してたの?羨ましいな。」
心底羨ましそうに言う夏油に、家入は頭をかかえる。
「お前ら、ほんっとに他人の話を聞かないトコ、直したほうがいいよ。」
力いっぱい吐き捨てると、家入は新しい煙草に火を点ける。五条の頭の中では、今まで経験してこなかったことを、怒涛の日々の中で次々に見つけては、吸収しようとし、処理しきれなくなっているものがある。それを整理するための指針としたのが、他でもない夏油だった。それが良い事なのか悪い事なのか。判断するのは自分ではないけれど、なんだか五条が少し可哀相になってきた。
「ところで迎えにいかないのか、ママ。」
「そのうち戻ってくるよ、イイコだからね。
それよりさ、夏も始まったし、とりあえず花火しない?」
「何が、とりあえず、だよ。…もういいや。コンビニ行くなら、ついでに飲むモン買ってきて。」
迷惑料だよ、と家入が言うと、買収料だね、と夏油は笑いながら楽しそうに立ち上がる。
「ほら、戻ってきた。」
その視線の先には、五条の姿。
「悟、花火しようよ。夏の思い出、作ろ。」
少ししょぼくれて廊下に立っている五条に声を掛けながら、夏油は教室をゆっくり出ていく。まるで大型犬が尻尾を全力で振っているような五条の姿を見て、家入は本日何回目かのため息をついた。
「ため息をつくと幸せが逃げるよ、硝子」
振り返りそう言う夏油に心の中で中指をたて、
「深呼吸してるんだよ。」
まったく誰のせいだよ、と、小さな声で罵る。楽しそうな二人の声が聞こえなくなる頃、吐き出した煙が見えなくなっていた。
「初めて」と「知らない」ことを五条は体感して、今夜はきっと騒がしくなる。それはそれで楽しそうだと思う。青い春の続きは、まだまだこれからだった。