ドリパスでゼロの執行人を観に行くテデ谷くんの話風が冷たくなり始めた十一月の某日。テデ谷くんはテデ主さんに連れられ、映画館にやって来ました。
「テデ谷くん、今日は初めての映画を観ようね」
劇場の入り口には『特別上映 ゼロの執行人』の張り紙がありました。
それは通常のロードショーとは異なり、一日限りで過去作を上映するというもの。どりぱすという企画で、ファンの投票が一定数を超えると実現する特別興業なのです。
指定の席についたテデ主さんのおひざに乗ったテデ谷くんは心の中で思いました。
(ほんとは公安テデ施設の映写室で見たから、はじめてじゃないんだけど…テデ主さんがはりきってるからないしょにしておこう)
劇場版名探偵コナン、ゼロの執行人。
テデ谷くんがこの世に生まれる三年前に公開されたこの映画は空前の安室透ブームを巻き起こしました。子ども向け作品であるコナン、特に毎年ゴールデンウィークに封切られる劇場版は風物詩といっていいほど日本中に浸透しています。推理に冒険活劇、派手なアクション。大人も子供もみんなが観に行く国民的作品なのに、その年扱ったのは公安検察のテロ事件というかなり攻めた内容でした。実際テデ谷くんも過去作履修の一環としてテデ施設で見たものの、内容があまりにも難しくて途中でお船を漕いでしまったのでした。
(あのときはぼくも生まれたてのあかちゃんだったからな…けど、今はいちくま才、難しいお話だってりかいできるはず。なんてったって、れいくんがいちやく人気者になった特別な映画なんだから)
元々コナンにおいて安室透は人気の高いキャラクターでした。しかしこの映画では彼の降谷零としての顔にスポットが当てられ、その孤独な闘い、信念の尊さ、そしてこの国に対する熱い想いが余すところなく描かれてファンたちの度肝を抜いたのでした。今日テデ谷くんを連れてきたテデ主さんも、そんな「ゼロしこ落ち」の女さんです。
「久々の大画面…ああ楽しみ、きっと泣いちゃう」
開演時間をそわそわと待ちながら、テデ主さんも興奮を隠せないようです。
「怖い男がまさか赤井秀一だったなんてね…私たちは遠慮していやいや黒田さんでしょって言ってたのに」
テデ主さんの指す「私たち」は、コナンのオタク、中でも赤安女と呼ばれる人たちです。赤井と安室は対として作られ、因縁のある二人。原作はもとよりグッズや企画でもペアを組まされることが多く、もちろんテデ谷くんにも対となるテデ井がいます。今日はそのテデ井は家でお留守番でした。
今朝、テデ谷くんを部屋着のロンパースから正装のグレースーツに着替えさせながらテデ主さんはテデ井を振り返って言いました。
「今日はテデ井はお留守番しててね。ふたテデはかさばるし、何回も円盤で見てるからいいでしょ」
その言葉にテデ井の顔にピシャーン!とかみなりが落ちました。そんな、おでかけの時にはたいていふたテデ一緒に連れて行ってくれてたのに!確かにいつも大きなトートバッグがぱんぱんになっていたので、電車やカフェなどでテデ主さんが置き場所に難儀していたのは知っていましたが。石のように固まっているテデ井に、慌ててテデ谷くんは耳うちします。
「テデ井、こっそりテデ主さんのかばんにしのびこんだらどうですか?」
数分ほど固まっていたテデ井でしたがテデ谷くんの言葉にはっと我に返ったのか、落ち着いた所作でジャケットの懐からシガレットチョコを取り出しました。しかしシガレットが逆さまになったまま口に咥えているのを見る限り、動揺は抑えきれてないようです。
「いや…やめておくよ。元々なんじゃくな…もとい、か弱い女性にふたテデ運搬するのは骨が折れることだったろう」
テデ主さんを尊重し、お留守番に徹すると大人の意見を呟いたテデ井に、テデ谷くんはおおいに感動しました。もし反対の立場だったら自分は大泣きして床に転がって抗議するか、お布団にくるまってふて寝するか、ごはんを拒否してハンストしていただろうから。
「テデ井は…優しくて大人ですね。さすがふたくま半才です」
テデ谷くんは素直に称賛の言葉をかけました。人間の降谷零は赤井秀一に対し素直になれず意地を張ってしまうところがありますが、テデは人間の気持ちを純粋に映し出す存在なので、思ったままを言うことに抵抗がないのです。キラキラとおめめを輝かせるテデ谷くんに、テデ井も余裕を取り戻したようです。みどりのおめめをふっと細め、テデ谷くんのミルクティーいろの毛並みをモフ…と撫でました。愛しさにあふれたやさしいタッチでした。
「フッ…きみが楽しく過ごせればそれでいいのさ…おれのことは気にせず、零くんの勇姿を見ておいで」
「テデ井…」
ふたテデの周りにピンク色のほわほわした空気が舞いました。
いつもテデ谷くんのことを一番に考え、守ってくれるテデ井。それを人間の降谷零は怖いだなんてどういうことでしょうか?今日はそのあたりを解き明かすため、集中して見なければ。テデ谷くんはいよいよ場内の明かりが落とされた空間で、モフッ!とおててを握りしめながら決意しました。
映画はオープニングから不穏な空気を漂わせます。こわい顔をしたメガネの刑事、あれは風見です。降谷零の一番の部下。と、そこまできていきなりドカーン!!と建物が爆発しました。
もちろんテデ谷くんも知っている展開ですが、映写室で見るのと劇場の大画面・大音量で浴びるのとはわけが違います。あまりの衝撃にテデ谷くんは五センチほどぴょんと浮き上がりました。
始まる前テデ主に「びっくりして落ちちゃわないように、しっかり抱っこしててあげるね」なんて言われた時には子テデ扱いして!と憤慨しましたが、今となっては言葉通りしっかり抱っこしててもらって良かった、とテデ谷くんは心から思いました。胸のわたはどきどきと音を立て、鎮まるまでかなりの時間を要しました。
さて、それ以降はコナン君や小五郎のおっちゃんを中心に話が進み、零くんは中々出てきません。しかし薄暗い部屋で盗み聴きをする様子や電話ボックスから夜明けの空を見上げるきらきらとしたひとみ、怪我でぼろぼろになりながらも「僕には命にかえても護らなければならないものがあるからさ」と強い意志を表したり…かっこよくてあやうげな降谷零の魅力がてんこもりでした。きそ、けんさつ、こうあん、などの意味はやはりテデ谷くんには理解しがたいものでしたが、その緊迫したストーリーにいつしか夢中になってお船を漕ぐこともありませんでした。
そして事件があいおーてぃーテロだとわかった場面。雨の中、零くんは傘もささずに橋の上で佇んでいます。
『僕には、怖い男が二人いるんだ…』
例の台詞が流れてくると、テデ谷くんを抱っこしているテデ主の手にきゅっと力が入りました。叫びだしたいのを必死に抑えているのでしょう。だいたいの赤安女と呼ばれるテデ主は、そういう「匂わせ」場面になると様子がおかしくなると他のおうちにもらわれていったテデ谷くんも言っていました。まあテデ谷くんたちに害はないので、あたたかく見守るだけです。
ストーリーは後半にかけてますます加速していきます。爆弾をしかけた真犯人がわかり、カプセルを爆破…これで一旦終わりかと思ったら、まだピンチは続くのです!
『安室さんに、僕の協力者になってもらうよ!』
主人公のそのひと声で、場面は怒涛のカーアクションに突入します。零くんは無事だと知っていても、あまりに無茶な運転にハラハラせずにいられません。テデ谷くんのふわふわパンおててではあんな風にスポーツカーのハンドルを握ることはかないませんが、ちょっと大きなわんちゃんの背に乗ったりなどすればああいったアクションも可能なのではないでしょうか。テデ谷くんは天使のように可愛いテデですが、かっこいいことも大好きなのです。男の子ですからね。
『安室さんて、彼女いるの?』
そんな問いかけに零くんは少し照れたような、でも最大限に誇らしそうなお顔で言うのです。
『僕の恋人は…この国さ!』
ズギューン!ハートを撃たれる音があちこちから聞こえました。もちろんテデ谷くんもです。なんて素敵なんでしょう、これは国民が恋に落ちるのも納得です。テデ谷くんがチラリと上を見ると、テデ主が感極まったように口を抑えて震えています。
あの有名なメインテーマとともに、大きな爆発とサッカーボールが行っけえええ!しました。爆風の中落ちてゆくコナン君をホールドし、ビルのガラスに向かって発砲する零くん。ワイルドで恐れを知らず、決して表舞台で称賛されることのないダークヒーロー。どうしてそこまで一生懸命になれるのでしょうか。同じ魂を持っていても、テデ谷くんにとっての重要なことといったらパンケーキに垂らすシロップの量くらいなのに。
血まみれの肩を抑え、苦笑する零くん。言い訳も謝りもしないまま、背を向けてコナン君と反対方向に歩いてゆく零くん。そして静かに始まる主題歌『零ーゼロー』…
ぽたりと、テデ谷くんのつむじに何かが落ちてきました。不審に思って顔を上げると、テデ主が声を殺しながらぼろぼろと涙をこぼしているのです!
テデ谷くんは感動も忘れ、びっくりしてしまいました。
テデ主はバリバリと働く大人の女性です。なのにそんな彼女が、何回も見た映画でまるで初見のように号泣しているとは。
おかしいとかみっともないなどとはこれっぽっちも思いません。ゼロの執行人の降谷零にはそれだけの破壊力があるのです。この映画が公開された頃はテデ谷くんはまだ生まれてないどころか企画段階ですらなかったでしょうが、こんな奇跡のように美しい魂を持ったキャラクターのテデとしてこうしてこの世に生をうけたことに改めてわたが震えました。まだまだ出来ることの少ないあかちゃんテデだとしても、気高い心だけは忘れてはならない。
エンドロールが全て終わり、場内がゆっくりと明るくなるとどこからともなく拍手が沸き起こりました。これは通常の上映ではない、ファンが観たいと投票して開催されたものなので、ここに集っているのはガチのオタクだけなのです。席を立って退場する時も口々に「やっぱり最高」「大画面で見れて良かった」「零…!」などと感情を爆発させています。
テデ主も涙をハンカチで拭いながら、「はあ…本当にいい映画」と感無量になっています。
「本当に赤井秀一が居て良かった…零くんを幸せに出来るのは赤井だけだから」
テデ谷くんの毛並みを撫でながら、テデ主は何度もそう繰り返しました。
(僕はテデ井が居て毎日楽しいし嬉しいけど、人間の零くんにとってもそうなのかな。怖い男ってどういう意味なんだろう…なんだかむしょうに、テデ井に会いたくなってきたな)
もの思いにふけるテデ谷くんでしたが、テデ主の方もなんだかセンチメンタルな気分になったようです。テデ谷くんをバッグに収納しながらうーん、と残念そうな声をあげました。
「やっぱりテデ井も連れてくればよかった…お茶して帰ろうと思ったけど、ケーキ買ってまっすぐ帰ろうか、テデ谷くん」
もちろん異論はありません。そうしてテデ主とテデ谷くんはデパートで色とりどりのケーキを買って、テデ井が待つ家に帰りました。
「ホォー…おれを置いていったことをテデ主が後悔していたと」
まっすぐ帰ったテデ主と、ケーキでお茶をしたあと(テデは人間の食べ物を本当に食べるわけではありませんが、いつも形式的にテデの前にもおやつセットを置いてくれるのです。それはテデ主さんとテデたちのおなかではなく心を満たす行為だからです)テデ谷くんはテデ井に今日のできごとを報告しました。グレースーツも着替えさせられ、今は胸におりぼんのついたベージュのロンパースに戻っています。それは既製服ではありましたが、まるでテデ谷くんのために作られたようなやさしい色合いのかわいい部屋着でした。
「ええ、かさばるなんて言い方も失礼だったって反省してましたよ。まあテデ井はそんなこと気にはしてないでしょうけど…」
「え?ああ、もちろんさ。おれはそんなことで憤るようなうつわの小さいテデじゃない」
本当はテデ主とテデ谷くんが出かけてひとテデになった瞬間、壁を蹴ったりティッシュを箱から抜き出したりしてイライラを解消していたテデ井でしたがテデ谷くんにはもちろん秘密です。
「で、どうだった…大画面のゼロの執行人は」
「ええ、すごかったです…!れいくんは本当にすてきでした。たくさん怪我して大変そうでしたけど」
「彼は無茶をするところがあるからな。だから放っておけないと赤井秀一も思っているんだ」
テデ井は人間の赤安のこともすべてお見通し、といったふうにうんうんと頷きました。
「…テデ井、れいくんがあかいのことを怖いって思うのは何故だと思いますか?腕のいいすないぱーだから?でも言うなればふたりは同じ正義の味方どうしじゃないですか。ぼくだったらテデ井が味方だったら、心強いです」
それにあの映画は赤井のあの字も関係ない話でした。あんなニュアンスを出さなくとも全く問題なかったはずです。
「そこだよ、テデ谷くん」
「?」
テデ井にキラーンと指摘されて、何のことかわからないテデ谷くんはかわいくお首を傾げました。
「全く関係のない映画でも、赤井秀一に言及せずにいられない…れいくんは大変な事件のさなかにも赤井秀一のことをつねに頭においているのさ」
「それが何か…?」
「本当は集中しなければならないのに、関係のない男のことを考えてしまうのはきけんなことだ。任務にししょうが出たり、大きな怪我につながるかもしれない」
テデ井に誘導されて、テデ谷くんにもなんとなくわかってきました。ぽんと手を叩き(実際はかわいくポフッと鳴っただけでしたが)テデ谷くんがパアアとおかおを輝かせます。
「なるほど、ずっとあかいのことを考えちゃうんですね!でもなんでそれが怖いになるんでしょう、それって好きってことじゃないですか?だってぼくも、テデ井のことをいつも考えていますよ」
テデ谷くんの言葉にテデ井は虚をつかれたようにおめめを大きく開いて固まってしまいました。そして一瞬ののち、カアアと毛並みを赤くします(元が赤毛なのでわかりにくいですが、微妙な色の変化もテデ谷くんにはわかるのです)。
「どうしたんですか、テデ井?暑い?」
お部屋にはぬくぬくとエアコンがかかっています。テデには少し温度高めだったでしょうか。テデ谷くんはリモコンを操作しようかと、モフッと立ち上がりかけました。それをそっと赤毛の手が押しとどめます。
「いや…大丈夫だ、ありがとう。きみがうれしいことを言ってくれるから…照れてしまったんだ」
テデは人間よりもずっと素直。それはテデ井も同じです。
「ぼく何か言いました?」
きょとんとするテデ谷くんにテデ井は苦笑しました。
(自覚がないのもこまったものだ…かわいすぎる、ぜったいに彼を幸せにしなければ)
テデ井はテデ谷くんがやってきてから毎日思っていることを、改めて誓いました。
そうして人間の赤安に対しても(早く自分の気持ちに素直になって、恋人同士になれればいいな…おれたちのように)と、生意気にも心の中でエールを送ったのでした。
(おわり)