ファウ晶♂でオメガバ「この薬を複製できますか?」
晶は静かに生きていくために不可欠な薬の、少なくなってしまった残りのひとつをフィガロに見せる。
フィガロは手渡された錠剤を興味深そうに様々な角度から眺め、緩く首を振る。
「賢者様も見たことがあるだろう?俺たちの世界ではミチルが作るようなものが薬なんだ」
フィガロは失わないように、手の中の小さいものを晶の両手に握らせながら、それにと続けた。
「形までは真似なくても成分さえ同じであればいいのだろうけれど、生憎とこれは複雑すぎて分析するには相当な労力がかかる」
言葉を紡ぎながら、自分でも考えを纏めるような慎重な口調だった。
「ムルに頼めば複製する機械を作って貰えるかもしれないけど、複製するためには相応の材料が必要だ。無から有を作れないってことは賢者様も分かるだろう?」
晶の表情は予め分かっていたことを受け入れるように始めから変わらなかった。
「この世界に全く同じ物質が存在するとは限らないよ。下手に似せたものを作ったところであくまでもそれは紛い物だ。それが君の身体にどんな影響を及ぼすか分からないし、何よりムルのご機嫌に任せるっていうのは俺としてはオススメしないな」
最後はウインクをして明るく締める。フィガロらしいなと晶は頭の片隅で考えた。
「皆さんにはご迷惑をおかけしてしまうことになりますが、一週間くらい、俺は動けなくなると思います」
フィガロは目を見開いた。声には出ないが口の中で「一週間」と繰り返す。
「ごめん、そんなに重い症状だとは思わなかったんだ」
晶は諦めたように小さく否定する。
「この薬が開発されるまではそうするのが当たり前だったんです」
「解決するにはなにか手段はないの?」
「あるにはあるんですが」
晶は寂しそうに笑う。
「この世界にそれができる人がいるとは限らないですし、もし居たとしても……」
晶はそれ以上言葉を紡げないようだった。フィガロは優しい眼差しで目の前の賢者を見つめる。晶としては言わずに済むことを望んだが、フィガロは優しい中にそれを許さない威圧感を感じさせた。
「居たとしても、俺にはその人の人生を壊す権利はありません」
絞り出すようだった。フィガロは賢者の苦しみに寄り添うように、そしてよく言ってくれたね、と幼い子どもを褒めるように頭を撫でる。
「ねえ、賢者様。なにをするのか、それが賢者様……いや、晶にとってどんな存在になり得るのか分からない状態でこんなことを言うのは軽率かもしれないけれど」
晶はそれ以上言わせたくないというように、フィガロが最後まで口にする前から首を振っていた。だがフィガロはそれを無視した。ちゃんと賢者の様子を見ていたし、賢者が言わんとすることを理解もしていた。だがそれをあえて無視することにした。無視をしてでも、賢者が苦しまずに済む方法を了承してくれることを願っていた。
「俺にその役割を任せてくれない?君が望めば、どんなありえない役割だって俺ならこなせるよ」
だって俺は優しくてどんなことでも叶えられる南のお医者さん魔法使いだからね──フィガロのいつもよりも長い口上に晶はふっと笑みをこぼす。多少は明るくなった表情ではあったが、やはり諦めの気持ちはなくならないようだった。
「俺が部屋に閉じこもっている間、外に何も出ないように完全に抑えこむことはできませんか?」
賢者が提示したことはフィガロが望んでいたことではなかった。だが、それを譲らないという強い意志が賢者の目の中にはっきりと見えてしまったため、フィガロは諦めるしかなかった。
「それなら俺よりも日常的に扱ってるファウストに頼むといい。触媒なら俺がいくらでも用意するから、相談しておいで」
晶は深々とフィガロに頭を下げて部屋を後にした。
☆☆☆☆☆
今の時間なら、ファウストは部屋にいたはず。晶は自分が把握している東の国の魔法使いたちの予定を確認してファウストの部屋へ向かった。
晶は常日頃はファウストにもっと外へ出て欲しいと願っていたが、用事がある時ばかりは引きこもりであることに感謝していた。そんな思考に対して晶は自責の念を覚えつつも、今回はそんなことを言っている余裕もなかった。一刻を争う問題である。本当ならもっと早くに対処を考えておくべきだったが、慣れない世界で次々と舞い込んでくる任務を片付けることに精一杯で、自分のことは完全に二の次になっていたのだ。薬があるから大丈夫、そう問題を先送りにしているうちに残り少ないことに気がついたのはこの日の朝だった。
元の世界であればそんなことは決してなかった。だが、この世界があまりにも美しくて、残酷で。目を奪われているうちに注意が疎かになってしまっていた。
なんとかして対処しなければ間に合わなくなる。特に予定が近づくといつ始まるか分からない不安定な状態に陥ってしまう。フィガロに返して貰った一粒分のシートをポケットの中で握りしめてファウストの部屋をノックした。名乗るとすぐに返事が聞こえ、耳をすまさなければ聞こえない程の小さな足音が近づいてきて扉が開く。
「……なんだ、この甘いにおいは?」
挨拶の前に口にした言葉を理解した晶は足元の地面が揺らぐような気持ちになった。