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    yutaxxmic

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    yutaxxmic

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    付き合っていないファウ晶♂です。
    ミスラに嫉妬しちゃう先生。
    お時間に余裕のあるときにゆっくり楽しんでください。

    ##ふぁ

    魔法使いの片想い「賢者の魔法使い」といえども、賢者とその魔法使いの間には適切な距離というものがある、とファウストは考えていた。根が真面目な彼は必要以上に馴れ合うようなことがあってはならないと思っていたし、そもそも孤独を愛し、他人との関わり合いを避けていたので、新たに召喚された賢者──真木晶に対しても一定の距離を置こうと決めていた。
     決めていた、はずなのだが。ファウストの生徒であるお人好しのヒースクリフは見えないはずの尻尾をふりふりしながらファウストに賢者のことを話して聞かせるのだ。あまりにも真剣に、賢者がいかに素晴らしい人物なのかと熱弁を振るう姿についつい耳を傾けてしまったファウストは、今回の賢者が自分と同じように猫を好むことを知ってしまった。共通点がひとつでもあると、個として認識し、つい気にかけてしまうのがファウストである。本人は強く否定するが、実のところ心優しく思いやり深い魔法使いなのである。たとえばこんなエピソードもある。
     ある日の夜、若い魔法使いたちが一日の疲れを癒すように寝静まった頃の話である。その晩もファウストは図書室から借りてきた書物──その場で読みたかったのだが、「閉館時間じゃ!」と主張する双子に半ば強制的に追い出され(閉館時間などこれまであったか、と疑問に思いつつも)渋々退室する際にお情けで読んでいた本を一冊部屋へ持ち帰ることを許されたのだ──を読み耽っていた。指先で書物の残り頁を確認すると、まだまだ量があることに気付く。いくら寝つきが悪く、時間を持て余していたファウストでも流石に一晩で読み終えるのは無理だと判断した。なにより、ファウストの集中が切れたのもそこに書かれている理論が理解できなかったからだ。明日起きてからこの本を著した当人に直接聞いてみよう、とファウストは諦めることにした。難解すぎるのだ、これは。そして幸運なことにここは賢者の魔法使いが集って寝食を共にする魔法舎である。どんなに年代ものの魔術の本でも、著した本人または当時を知る魔法使いが誰かしらいる便利な場所。わざわざ本人を世界中から探し出して聞きに行かなくても、ネロが作る美味しそうな食事のにおいに誘われて食堂へ来たところを捕まえればいいのである。
     そうと決まればこれ以上は起きていても無駄である。眠れないとはいえ夜更かしをしていては東の国の子どもたちに不摂生だと怒られてしまう。寝台に一応は横たわったのだ、と既成事実を作っておけば文句は言われないだろうし、運が良いのか悪いのかは分からないが、とにかくもしかすると夢の世界へ行けるかもしれない。そんなことを考えながらファウストは伸びをして寝る支度を整えようとしたが、少し外を歩くのも悪くない、と一人夜中の散歩に出ることにした。
     ふらり、と中庭へ出る。夜風が頬を撫で緩くうねった髪を揺らしていく。念のため、といつもの服装に固めてきたおかげか肌寒さを感じずに済んでいる。むしろ心地よさすら感じていた。
     目を閉じると世界でただひとりきりになったような錯覚すら覚える静かな夜だった。深く息を吸い、肺に冷たい空気を取り込むとゆっくりと吐き出す。今夜も忌々しいくらいに美しく煌めく厄災をちらと見上げてファウストは小さく鼻を鳴らす。
     ぐる、と噴水の周りを歩きながら翌日の予定を確認する。昼の少し前に授業が入っていたはずだった。寝坊をするわけにはいかない。まだ厄災の位置を考えてもそこまで深い時間ではないのだろうが、安全をとって晩酌は諦めた。そうと決まればさっさと寝てしまおう、ファウストが魔法舎の中へ入ろうとしたその時だった。
     一人中庭の片隅に置かれているベンチで厄災の光を浴びながら俯く賢者の姿を見てしまったのである。
     ぼんやりとしていてあんなに歩いていたファウストにも気づいていない様子だった。なにを考えているのだろうか。ファウストは気にはなったが、もし元の世界を思って感傷に耽っているのであれば、自分にできることはなにもなかった。気の利いた言葉のひとつも掛けてやれる自信はなかった。
     だから、ファウストは見なかったことにすることにした。するつもりだった。だが、それができないのがファウスト・ラウィーニアである。自分の部屋の扉についている取手に手をかけた時、小さく自分に向けて悪態を吐く。
     あの子がどうしてあそこに座っているのか。誰か意地悪な魔法使いに見つかってからかわれたりしないか。
     そしてなにより。厚着していた自分でも少し「涼しいな」と思うような気温だった。「賢者」として支給された白い服をいつも通り羽織ってはいたが、あれだけでは心元ないと思う。こんな見知らぬ世界で風邪を引いたりすれば、彼の寂しさはますます強まってしまうだろうと思った。
     ファウストの手は取手を回すことなく離れていき、一歩後ずさると歩いてきた廊下を急足で戻っていく。
     ファウストが視界に賢者を捉えたとき、彼はまだ先程見かけた時と変わらぬ姿勢で座っていた。慌てて戻ったせいか、少し乱れた呼吸を整えながら近づいていく。変わらず賢者は俯いたままで他者が自分のことをじっと見ていることにも気がついていないようだった。ファウストが寝ているのか、と勘違いしてしまうほど周囲が見えていない様子である。
    「賢者」
    ファウストが近づきながら小さく声を掛ける。その声でようやく賢者は顔を上げてふにゃりとした笑みを浮かべながら「ファウスト」と名前を呼ぶのだ。
    「どうしました?もしかして、寝つけませんか?」
    賢者はファウストが眠れない夜、時々外を散歩していることを知っている。今回もそうなのだろうと考えたのか、賢者はそう問いかける。そしてそれは正解であったがファウストは返事をしないことにした。賢者は必要以上に心優しいことを知っていたからだ。なにも彼の責任なんかではないことにも心を容易く痛めてしまう。
    「僕がこの時間、うろついているのなんていつものことだろう。それより、君はなにをしていたの」
    何気なく彼の隣に腰掛ける。すると、少しだけファウストの方へ身体を傾けるように寄せると夜の静けさに気を使うように囁いた。
    「ミスラの寝かしつけの帰りなんです」
    「本当に寝かしつけなんてやっているのか」
    噂には聞いたことがあったが、当事者から聞くのは初めてであった。思わずファウストは聞き返してしまったが、落ち着いて考えればミスラの不眠は厄災の傷が原因なのだから、それを一時的にでも無効化できる賢者の力を借りて眠りに就くのは当たり前である。それなのに。ファウストは胸の辺りがちくりと痛むのを感じていた。
    「ええ、手を握って、ミスラが眠りに就くまで話をしたりするんですよ」
    「へえ、だから最近の君たちは仲がいいんだな」
    棘のある言い方だっただろうか。口に出してしまった後ではもう遅いが、ファウストは決まり悪そうに口をきゅっと結ぶ。もうこれ以上失態を晒さないように。彼を傷つける一言を言ってしまわないように。
     しかし、当の賢者は気にしていないようでいつものへらりとした笑いを浮かべながら「そうですかあ?」などと言っている。あまりにも無垢な笑顔に思わずファウストの毒気も抜かれてしまうようだった。
    「たしかに、この寝かしつけでミスラと少し仲良くなれた気がします」
    そうか、良かったな──ファウストはそんな相槌を打ちたいのに喉につかえてしまって言葉にならない。その代わり、掠れたような声で羨ましいな、と思わずぽつりと呟いていた。しかしどうやら肝心の賢者本人の耳には届かなかったらしい。なにか言いましたか、と聞き返してくる彼に何でもないよと素気なく答える。
     そんな返事を見て彼がどう捉えたのかは定かではないが、そうだ、と言って嬉しそうに手を叩く。まるで名案でも思いついたようだった。
    「ファウストも眠れないようでしたら、俺が一緒にいましょうか」
    ファウストさえ良ければですけど。正面から見据えていた視線をそう言いながら賢者はついと逸らした。ファウストは一瞬呆気にとられて、そんな賢者をぼんやりと見つめてしまう。そうか、この子は僕の素っ気ない返事を元気がないと勘違いしたようだ、と合点がいった。
    「いや、僕の傷はミスラのものとは違うものだ。寝付けないのは関係ないよ」
    賢者のほらやっぱり、という横顔を見てファウストはしまった、と口をおさえる。そんなファウストの仕草に賢者は笑いながら立ち上がり、せめて一緒に悪いことをしませんかと誘いをかけた。
    「悪いこと?」
    「深夜のキッチンに忍び込んで、ちょっとだけミルクを拝借して俺とお喋りしましょう」
    もちろん、ファウストが嫌でしたらこのまま部屋に戻りますけど、そう控えめに付け加える賢者にファウストはくすりと笑うと「喜んで共犯になろう」と立ち上がった。

    ☆☆☆

     二人は場所を賢者に充てがわれた部屋へと移すことにした。ファウストの部屋で、とも候補に上がったが、部屋まで送ることをファウストが譲らなかったため、はじめから賢者の部屋で秘密の夜更かしをすることに決めたのだった。
     賢者の部屋と同じ階層には東の国の子供たちと中央の国の騎士が部屋を選んでいた。どの子たちも就寝時間は早そうだが、一方で物音にも敏感に反応しそうであったため、肩を寄せ合ってお互いだけが聞こえるような声で自然と話していた。
     最近中庭に来るようになった新しい猫の話や街で見かけた美味しいお菓子、そして任務のことまで頭に浮かんだ話題を片っ端から口に出していくが、どれもこれも違和感なく繋がっていく。それはひとえに話し上手なのか聞き上手なのか、はたまた単に二人の相性が良かったからなのか。ちびりちびりと飲んでいた温かいミルクが温くなり、やや冷たいと賢者が認識した頃だった。ファウストがひとつ呪文を唱え、再び二人のマグから湯気が出たときに、ファウストは気になっていた話題に漸く切り込む決意ができていた。
    「それで、君自身はちゃんと休めているのか。もしミスラのことが負担になっているようなら──」
    「魔法使いの皆さんと比べて、俺自身にできることって限られていると思うんです」
    ファウストが言いたいことを察した賢者は遮るように言葉を続ける。相手の目線に合わせてしゃがみこみ、じっくり話を聞きそうな賢者にしては珍しい態度だな、とファウストは頭の隅で考えながら、口を閉ざした賢者の続きを待った。
     賢者はじ、と残り少なくなったミルクの水面を暫く眺めていたが、ゆらゆらとマグを揺らしてからゆっくりと持ち上げ、唇に当てる。喉仏は上下することなく、ゆっくりとマグが定位置へと戻っていく。唇を舌で湿らせた賢者が瞬きを数回してから視線を隣のファウストへと向けると、思っていたより距離が近かったのか、少し驚いたように目を見開いた。慌てて距離を取ろうとする賢者に「近くないと君の声が聞こえない」とファウストが制すると納得したのか小さく頷いてからまた近くに戻ってきた。先ほどよりも、心なしか距離が近づいたようだった。
    「あの、ファウストの目から見て、俺は無理をしているように見えますか」
    「少なくとも、猫を相手にしているときは無理をしているようには見えないな」
    「誤魔化さないでください……」
    口を尖らせて抗議する賢者に笑いかけながらファウストは言葉を選ぶ。本心では無理をしている、だった。しかし、それを率直に伝えてしまえばきっとこの子は無理を隠すようになってしまうだろう。そしてファウストの見ていないところで無理を重ねていき、いつか限界がきてしまう日が来るのではないか。そんな最悪な事態にはならないようにする必要があった。だが、どう答えても「君は無理しているよ」と認める響きになってしまうような気がしてしまう。きっとこの子は魔法使いがなんでも叶えられる存在だと思っているのだろう。そう勘違いしたくなる気持ちも分からなくもない。この子にとって身近でありそれ以外を知らないという存在がたとえば世界最強と謳われるオズだったり、もうこの世には存在しない筈の片割れを隣に置くスノウなのだから。彼らを差し引いてもこの魔法舎の面々は特別揃いだ。もちろん、自分の経歴も含めてだが、とファウストは心の中で自分を嘲笑った。
    「魔法使いだって万能じゃないよ」
    「そうですね。でも、少なくとも俺よりは沢山あると思います。そんな皆さんたちと一緒に生活をするようになって、俺にできることがあればちゃんとやっていこうって思うようになりました」
    そのひとつがミスラの寝かしつけなんです、そう微笑む賢者の笑顔は屈託のないものだった。
    「君がそう言うのなら、僕は止めないよ」
    ファウストは溜息を吐きながら首を緩く振る。だけど、と言葉を繋げながら指先を軽く振って美しい形のシュガーをひとつ作り出す。それを賢者のマグの中に落として再び呪文を唱え、再度ミルクを温めてやりながら緩く撹拌する。
    「ほどほどにな」
    「はいっ」
    それから二人はミルクが無くなるまで静かに話を続けた。緩やかに流れていると思った時間は楽しければ楽しいほど早く過ぎていくということを二人はすっかり忘れていた。

    ☆☆☆

     シャイロックが管理する魔法舎内のバーに頻繁に出入りしている魔法使いの一人にファウストがいた。彼はいつも一人でふらりとやって来ては特に話をするでもなく静かに酒を嗜み、満足すると礼を口にして自分の足で帰っていく。所謂、手の掛からない良い客であった。
     そんなファウストがいつもと比べて少し早めのペースで飲んでいた。そんなファウストに文句も言わずにシャイロックは求められるがままにグラスをアルコールで満たしては差し出していく。まだまだ面倒なことにはならない量であることを理解していたからである。
    「……最近、妙に賢者が艶やかな気がする」
    そろそろおかわりの回数が片手で済まなくなって来た頃、何気なくこぼしたファウストの一言に、グラスの手入れをしていたシャイロックが「おや」と視線をファウストへと向ける。
    「君はそう思わないか?」
    「さあ、どうでしょう。元々賢者様は魅力的な方ですから」
    シャイロックは再び視線をグラスへ戻し、傷がないかをグラスを傾けて観察する。心当たりがなくはなかったが、それをファウストへ伝えるのも野暮だと考え、適当にはぐらかすことにしたのだ。
    「……なにかあったんだろうか」
    深いため息をつくファウストの隣の席に、突然ふわりと一人の魔法使いが現れた。
    「ねえ、ファウスト。お前が知らない賢者さまのことを教えてあげようか」
    くすくすと楽しげに笑いながら囁きかけるのはオーエンである。ぴくりとシャイロックは片眉を上げる。普段のファウストなら適当にかわしてしまうのだろうが、今は違う。多少なりともアルコールの入った、ふわふわとした素直なファウストなのである。面倒なことにならなければ良い、そうシャイロックは心の片隅で願う。
    「ぼくのしらない……?あのこのことは、まだまだしらないことばかりだよ」
    心なしか寂しげに目を細めたファウストが手の中のグラスをゆらゆらと揺らしながら自嘲気味に笑みを浮かべる。そんな反応に少しつまらなそうにしたオーエンだったが、すぐに気を取り直して更に囁きかける。
    「賢者様は毎晩、どこにいると思う?」
    「どこ、って……どこだろうな」
    「ミスラの部屋だよ」
    どうだ、という表情でオーエンが口にした名前にファウストは特に反応を示さずに、小さく「ああ……」と相槌を打つだけだった。
    「ねかしつけ、だろう?」
    知っているとは思わなかったらしいオーエンはつまらなそうに唇を歪めた。だが、それも一瞬で消え去り、再び意地悪な笑みを浮かべると、よりファウストへと近づいて直接吹き込むように囁きかける。
    「ねえ、さっきお前は賢者様が艶やかになった、といっていたよね」
    「ん、……いったよ」
    「お前は初心だから分からないのかもしれないけれど、ミスラは獣なんだよ。獣と一緒に寝たらどうなるか想像したことある?」
    ようやくファウストが視線をオーエンへと向けた一言だった。
    「どうしてお前がそんな表情をしているのかな」
    オーエンの期待以上の反応だった。嬉しくて嬉しくてその場で宙返りをしながら手を叩きたいほどに浮かれていた。それほどファウストの表情は嫉妬が色濃く滲み出て、今にも角が出てくるようだった。
    「お前は賢者さまにとってのなんなの?」
    ファウストは言い返そうと口を開きかけるが、なにも言えずに閉じてしまう。追撃とばかりにオーエンは言葉を続ける。
    「賢者と賢者の魔法使いであること以外にどんな繋がりがあるっていうの」
    「それ、は……」
    「猫たちから聞いたよ。お前は時々賢者様と一緒に猫と遊んでいるんだって?自分には共通の趣味があるから他の魔法使いたちと比べても特別だって勘違いをしてしまったのかな?」
    ファウストの目に困惑と戸惑いの色が滲み出る。それに比例するようにオーエンはますます笑みを深くしていった。
     このオーエンの口撃はファウストには効いたらしい。もともと自分の生業を理由に近づかない方がいいと敬遠したり、自分と過ごしても楽しくないだろうと言って遠ざけたりすることの多かった彼である。そんな彼がようやく他者を受け入れて、楽しそうに過ごせるようになっていたのだ。そんな中でオーエンの性質を知っているとはいえ、第三者の客観的な言葉として気にしていたことを突かれてしまったのだ。きっと、普段であれば動揺を隠してオーエンのことなど無視していたであろう。だが、今は酒を飲み、取り繕うこともできないようで見ていて痛々しい表情だった。同じ賢者の魔法使いとしていい傾向だと思っていたシャイロックにしてみれば苦々しい展開であった。
     再びオーエンが口を開こうとする。その瞬間、それまで静観に徹していたシャイロックは思わず口を挟んでいた。
    「ファウスト、いけません。オーエンのいつもの戯言ですよ」
    「へえ、西の魔法使いはひどいな。僕の言うことは嘘だっていうんだ」
    オーエンの赤と黄の瞳がかちりとシャイロックに固定される。底意地の悪い笑みを浮かべてバーの主を見ているが、未だに意識はファウストへ向けられているらしい。立板に水とばかりにオーエンの口から出てくる言葉はシャイロックへ向けて語られているようでも、すぐ隣のファウストに聞こえるように言っていることがありありと伝わってきた。
    「僕はミスラと同じ北の魔法使いだよ。本人から多少の自慢話を聞いていたっておかしくないじゃない」
    「そんな個人的な会話をするだけ、北の魔法使い同士で仲がいいとは思いませんでした」
    言外に作り話だろうという意味を込めてシャイロックが口にした言葉もオーエンはすかさず意図を理解したらしい。
    「はじめは無理やりだったけれど、賢者様たっての希望で優しくしてって言われたからちゃんとお伺いをたててからするようにしたんだって」
    オーエンが次に口にしたことは明らかにファウストを追い詰める追撃だった。そういったことに経験の浅井、いやもしかすると未経験であるかもしれないファウストにとってはかなり精神的に応えるであろう言葉だった。
    「でも、ミスラだって切羽詰まった状況なんだから、結局は強引にしちゃうらしいけれど」
    まだ言葉を続けようとするオーエンが口を開けた瞬間、彼の名前を呼ぶ感情の込められていない声が凛と飛ぶ。物静かであるのに、北の魔法使いであるオーエンを圧倒する不思議な威圧感があった。
    「ここは大人がお酒を嗜む場ですよ。子どもでないというのなら、加減は分かっているはずです」
    オーエンの表情は変わらなかった。自分よりも弱い魔法使いが自分に命令をしようとしている、くらいにしか思っていないのかもしれなかった。その可能性はオーエンの中にはきちんと存在し、理解していた。だが、彼は全く退く気はなかった。
    「もし、分からないというのであれば、私が特別に躾直してあげましょうか」
    口にした言葉とは裏腹に優しい笑みを浮かべて問いかけると、オーエンは面白くなさそう舌打ちをして煙のように消えてしまっていた。
     元より謝罪の言葉など期待もしていなかったが、思っていたより簡単に、そして早く姿を消したことを意外と思いつつ、シャイロックはちらりとショックを受けているであろう哀れな魔法使いに視線を向ける。
    「おや、折角いい気分で酔われていたのに、悪い意味で醒めてしまったようですね。まったく、オーエンったら悪い子」
    シャイロックは慰めるように優しい色合いのカクテルを差し出した。
    「あなたには信じられないことかもしれませんが、物語の終わりは必ずしも悪いものだとは限りません」
    意図が分からないのか、ファウストは怪訝そうな表情でシャイロックを見上げる。
    「悪いものになりそうなら、変えてしまえばいい」
    詳しい意味は説明する気がないらしい。シャイロックはそのまま言葉を紡いでいく。
    「力づくで幸せな終わりにしたっていいじゃないですか」
    そして最後にはダメ押し、とばかりに笑みを浮かべて話をそこで終わりにしてしまった。釈然としないまま、ファウストとしてもアルコールを飲まなければ部屋に帰ることができないと思ったのか、目の前に差し出されたものを一気に飲み干すと、礼を口にしてから珍しくおぼつかない足取りでバーを後にした。
    「ファウスト、あなたが気付いた賢者様の変化は、あなたのためにされたことなのですよ」
    シャイロックは、戸惑いながらも自分に相談をしにきた賢者のいじらしい姿を、ファウストが出ていった扉を眺めながら思い出していた。



     この頃賢者はファウストが魔法舎にいる晩は彼の部屋に入り浸るようになっていた。始めは賢者の部屋での密会だったが、繰り返すうちに東の子どもたちに気付かれ、乱入され、果てはこっそり持ち込んでいた晩酌のお供などをねだられるようになっていた。
     魔法使いたちの賢者としては、魔法使いたちと交流を持てることは好ましいことであったし、なにより賑やかであるに越したことはなかった。だが、真木晶個人としてはファウストとの二人きりの交流ができなくなってしまうのはやや寂しくもあった。だがそれを口にしてしまうとファウストにどう思われるのか分からないという不安もあり、口にすることは無かったが、どうやらファウストも同じ気持ちだったらしい。ある日のまだ太陽が出ている間に「今夜は僕の部屋に来ないか」と誘われた日を境にファウストの部屋で会うようになっていた。
     だが、ある日を境にファウストが賢者に対して何処となく余所余所しくなっていた。ファウストが魔法舎の中で賢者に話しかけようとしても隣にミスラがいることに気がつくと、ふいと視線を逸らして違う方向へ歩いて行ってしまう。賢者がミスラの寝かしつけの帰りに立ち寄ろうとすると「今日はもう休む、君も疲れているだろう」と言って目の前で扉が閉められてしまった。
     なにか彼の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。賢者は胸に手を当てて思い出そうとしても、どうしても思い浮かぶ心当たりはなかった。
     つい癖で、そう言い訳をしつつファウストの部屋の前まで足を運ぶことはあったが、また拒絶されてしまうかもしれないと思うと賢者は怖くなり目の前の扉を叩くことも中にいるはずの部屋の主人の名を呼ぶこともできなかった。だから、なにもせずに扉を眺め、楽しかった逢瀬ことを心に思い浮かべてはため息をついて自分の部屋へとぼとぼと戻っていくのだった。そんなことを数回繰り返しているうちに、賢者の心には期待よりも虚しさの方が勝ってしまい、はじめから四階へ向かうことをしなくなってしまっていた。



     ある日の晩だった。この日の昼間は若い三人の魔法使いたちが大暴れした結果、魔物退治が無事に終わり、魔法舎へ帰宅した晩であった。
     余程暴れたことが楽しかったのか、表情には出ていなかったがミスラは中々寝付かなかった。賢者が何度も、何度も「格好良かったです」と褒めている内に満足しながら眠りの世界へ無事に入っていったときには、賢者の世界でいう「丑三つ時」というものになっていた。ミスラを起こさないように繋いでいた手を外し、静かに扉を開けて部屋を後にする。
     それまでいたミスラの部屋は部屋で装飾品が不気味だ─実際、危ないので触らないでくださいね、と忠告されたことのある逸品揃いのようだ─と思ったことは幾度かあった部屋にいたとはいえ、薄暗く静かな廊下はそれはそれで趣きがあった。
     まさか何か出るとは思わないけれど。賢者はぽつりと自分を励ますように口にしてから階段の方へゆっくり歩を進めていく。柔らかい絨毯は自分の足音すら吸い込んでしまって物音一つしなかった。
     彼の向こうにはルチルやミチルが眠っているはずだった。もし何かが現れることがあったとしても、彼らの睡眠の妨げにはなってしまうが悲鳴をあげればきっと助けてくれるはずだ、そう言い聞かせても怖いものは怖かった。
     二階へ向かって自分の部屋に入れば、近くには一国の王子の護衛をしていた騎士や、心強い東の国の魔法使いがいるはずである。だから、大丈夫。そう言い聞かせてもどうしても一人になりたくなかった。今までであれば、こういうことがあってもファウストがいる、と思えば心強かった。けれど、今はそうもいかない。賢者のよくわからない内にそんな変化が生まれ、それが当然のようになってしまっていることが酷く虚しくてならなかった。
     ふらりとキッチンへ行ったところで明日の下拵えをしているネロが居るとも限らない。そうは思ったものの、少しの期待を持って足を向けると、そこにはネロと同じ国魔法使い、ファウストが椅子に腰掛けていた。
    「……賢者」
    彼は少し驚いたようにサングラスの奥の目を少しは見開いた。
     居るとは思わなかった人物の姿に賢者の心臓が騒がしくなる。驚いたからというより、会いたくてならなかった人物がそこにいたからだ。だが、挨拶もそこそこにファウストは魔法を唱えて使っていた食感を片付け、椅子を仕舞って立ち去ろうとしてしまう。すれ違い様に思わず賢者はファウストのローブを掴んでしまった。
     不審そうに歪められたファウストの眉に思わず怯むが、ここで負けてはもう機会はないと察していた賢者はなんとか言葉を搾り出そうとする。でも、なにを言えばいいのか分からなかった。あったら話したいことは沢山あった筈なのに、いざ本人を目の前にしてしまうと何から言えばいいのかが分からない。
     気まずい沈黙が二人の間を流れ、なにも言えないにも関わらずファウストにじっと見つめられることに居た堪れなさも感じ始めていた。でも、手を離してはいけないことは分かっていた。これではただを捏ねる子どもと同じだ、そう賢者が思ったとき、ファウストが小さなため息をついた。思わずびくりと肩が跳ねてしまう。すると、ファウストはやや焦ったように「ちがう、」と否定した。
    「君を困らせるつもりはなかったんだ」
    ファウストの手袋で覆われた指先が賢者の目元に添えられる。じわりと布に何かが吸われた感覚で自分は泣いていたようだと気がついた。
    「もし良かったら、また僕と話をしてくれないか」
    ファウストの提案に賢者は顔を跳ね上げた。目の前にはふわりとした笑みが厄災の光に照らされて浮かんでいた。
     怖くて一人になりたくない夜も、たまには悪くないと賢者は思っていた。



     再び二人だけの秘密の晩酌が始まった。
     ネロが夕食を振る舞い、後片付けを済ませた後の静まり返った食堂が集合場所になっていた。賢者はミスラの寝かしつけをした帰りに寄り道として。ファウストは何となく寝付けない夜のお散歩コースに入れるようになっていたのである。二人とも、ほのかな期待を込めてそうしていたことをお互いに知らないし、恐らく自分自身でも気づいていないであろう心の変化であった。ただ、またあの場所で二人きりで会いたいと互いに思うほどには楽しいひと時を過ごせたのである。
     そして再び誰にもその密会は邪魔されたくないと思うようになっていた。言い出したのはどちらかなのかは定かではなかった。もしかすると互いに口に出さずとも気持ちを察して行動に移していたのかもしれない。特に示し合わせた訳ではなかった。だからこそ、賢者は扉を叩く時、返事がなかったらどうしようと不安だったが、無事に扉は開けられ、優しい笑みとともに招き入れられたときは心の底からほっとすることになった。それからは賢者はミスラの部屋から直接ファウストの部屋へ向かうようになっていた。
     ファウストの部屋での密会が再開したとき、賢者が自分は本当にここへ来てもいいのだろうかと不安そうにしていることに目ざとく気づいていた。もちろん、ファウストとしては来てくれることはとても喜ばしいことであった。だが、賢者がどう思っているのかが分からず不安になって身勝手にも遠ざける結果になってしまったことは大いに反省していた。だから、まず環境づくりからと言わんばかりに賢者のためのスツールを用意した。がちゃがちゃと呪い道具が散乱している床の中にちょこんと可愛らしい家具が増えていたとき、賢者のは思わず「どうしたんですか、これ」と訊ねていた。
    「……君はこういうの好きかと思って」
    柔らかそうな座面と猫足のスツール。古めかしく高級そうな一品だが、ファウストの雑然とはしているが少し暗い、落ち着いた雰囲気の部屋と見事に調和していた。座って、とファウストに言われるが高級そうなそれに腰掛けることが躊躇われ、近付いて眺めているとファウストが小さくくすりと笑うのが聞こえてきた。
    「君のために用意したんだ。座ってくれないと僕もその椅子も報われない」
    そこまで言われてしまうと賢者は座らざるを得なくなった。だが、一度座ると、その椅子の座り心地の良さに賢者はすっかり魅了され、それからは賢者の定位置にもなった。
     ファウストが用意したスツールに腰掛け、きらきらした目で賢者は今宵の話を待っている。よもや呪い屋になった日には自分の話をこんなにも純粋な目で楽しみにしてくれる人物が目の前に現れることになるとは思いもしなかった。今日はなんの話をしようか、とファウストが頭を巡らせる。そんなことを悩む時間も甘美であると思えるようになっていた。一度は憎いと思ったこの世界も、なんだかんだでファウストにしてみれば生まれ育った世界である。そんな場所について知りたいと言ってくれて嫌な気分になどなるものか、と自然に舌が回る言い訳を自分にしていた。なによりも、ファウストは自分の話を目を輝かせて聞いてくれる賢者がとても好ましくてならなかったし、一度は手放しかけたからこそ、気付けばもう二度と離したくはないと思うようになっていた。



     二人が魔法舎に揃っている晩は定番にまでなっていたこの密会は、時々夕食後すぐに始まることもあった。
     それは魔法舎にミスラが居ないときだった。
     元々魔法使いは自由の身である。特に他人に縛られることを嫌う北の魔法使い─とはいっても囚人であるブラッドリーを除いてだが─は時々魔法舎から姿を消していた。だが、ミスラは睡眠の問題もあって律儀に夜になると魔法舎に戻るようにはしていたが、時々戻ってこないこともあった。それは極めて珍しいことではあるが、あるにはあるのである。
     そしてこの日はそんな「ミスラのいない日」であった。特に何処へ行くともいつ帰ってくるとも聞いていなかった賢者だったが、いつもミスラを寝かしつけている時間になっても戻って来なかったので、今夜はいいのだろうと判断して早々にファウストの部屋で過ごすことにしていたのである。だが、それが大きな誤算だった。
     ファウストと楽しくおしゃべりをして過ごしていた時、突然ミスラの呪文がどこからともなく聞こえたつぎの瞬間、扉が現れて、その中から不機嫌そうな顔をしたミスラが「探しましたよ」なんて言いながら出てきたのである。
    「今日は戻って来ないのかと思ってました」
    当然と言わんばかりに差し出されたミスラの手に賢者が自然に手を重ねる。それを見た時、ファウストは思わず賢者の空いている方の手を握りしめていた。
     戸惑う賢者と面倒臭そうなミスラの視線を受けていることが分かっていたが、ファウストは中々顔を上げることが出来なかった。
    「あなたも来るんですか」
    ミスラの問いにファウストは気まずそうに唇を結んでから小さく息を吐き、視線は合わせないままに絞り出すように言葉を口にした。
    「行って……欲しく、ない」
    語尾にいくにつれて徐々に弱々しくなっていく。自分にできることはできる限りやりたいという晶の望みを知っている以上、これは完全にファウストの我儘である。だが、それを分かっていてもそれ以上に嫌で仕方がなかった。
    「ミスラとは違って僕は、賢者とその魔法使いという関係だけだから、こんなことを口出しするのはおかしいかもしれないが、僕は……君にミスラのところへ行って欲しくないんだ」
    ファウストは自分の耳が熱くなっていることを自覚していた。賢者の戸惑いがひしひしと伝わる。だが退いてはならないことは直感的に分かっていた。だから、思わず賢者の手を握る力が強くなる。ファウストがどうやら必死になっている。そんなことくらいしか理解できなかった賢者は戸惑いながら「どうしたんですか」と問いかける。ファウストは言いにくそうにもごもごと口を動かしていたが、息を吐くと観念したのかようやく理由を口にし始めた。
    「……オーエンから聞いたよ、君が……その、ミスラと性交をしているって」
    「へっ?!」
    賢者は自分でもわかるくらい素っ頓狂な声が出た、と思った。
    「な、なにを言っているんですか、ファウスト!俺とミスラがそんな……そんな、性交、だなんて」
    賢者の頭が真っ白になり、どれもこれも言い訳がましく聞こえるのではないかと不安になるような否定の言葉しか出てこない。賢者がそう自覚しながらもなんとしてでも誤解を解かなければ、そう思って慌てている隣で、大きなため息が聞こえてきた。
    「俺は性交なんかよりも眠りたいんです」
    ミスラがそう言いながらぐいと強く賢者の手を引っ張る。反対側の手を握っているファウストは何も言わずにより力強く握るだけだった。その間に挟まれた賢者がおろおろとしていると、再び大きな溜息が聞こえてくる。
    「ああ、もう面倒臭いな。あなたも一緒に来ますか」
    「いや、僕は他人の性交を見る趣味なんて……」
    「だから!この人と俺はそんなことしていませんから。俺は眠りたいだけなんです。さっさと来るなら来てください」
    ミスラは相当苛立っているようで、口では選択肢を与えているが、呼び出した扉の向こうへ賢者のとファウストを無理やり押し込んでしまう。ファウストが慌てて振り返った時にはもう既にそこに扉はなく、呪物の話をするために数回訪れたことのあるいつも通りのミスラの部屋にいた。
    「アルシム」
    ミスラの呪文にファウストが振り向くと、いつもの服装とは打って変わって黒が主体の寝巻きに着替えていた。一方、賢者はいつも通りの服装のままである。
     ミスラがいそいそと寝具へ潜り込むと、賢者は慣れた手つきで寝台のそばへ椅子を持っていき、ミスラの差し出した手を取って握りしめる。ミスラは首に引っ掛けていたアイマスクを引き上げると暫くもぞもぞと体の位置を整えていたが、どうやら心地よい体勢になれたらしい。動きを止めて深く息を吐き出した。
    「今日は折角呪い屋がいるんですし、あなたがなにか話を聞かせてください」
    「はあ?話って……なにを」
    「読み聞かせみたいなものですよ」
    すかさず賢者が助け舟を出す。あまり助けられた心地のしないファウストは腑に落ちず、読み聞かせって、と繰り返した。
    「ほら、寝かしつけの定番じゃないですか。眠るまで絵本を読むみたいなかんじですよ」
    賢者が頑張れ、というように空いている方の手で拳を作って励ましている。
    「まるで幼児じゃないか……」
    ファウストは深く眉間に皺を寄せながらため息をつくと、観念したように呪文を唱えて自分の分のスツールを用意し、賢者の隣に腰掛けた。
    「そうだな、なるべくミスラが退屈して眠りそうな話題にしよう」
    ぽつりぽつりとファウストが静かな落ち着いた声で紡いだのは孤独を愛しているはずの一人の魔法使いの恋心についてだった。
     ある程度のところまでファウストが語ると、静かな寝息が聞こえていることに気がついた。次の言葉を語ろうとして中途半端に開かれた唇をきゅっと結び、少しもごもごと動かしてから息を吐き出す。
    「実際に眠られてしまうと複雑だな」
    「ありがとうございます、ファウスト。俺には興味深い話でしたよ」
    賢者はミスラの手を布団の中にしまうと、スツールを部屋の隅に寄せてしまう。
    「さ、ミスラが起きないように俺たちは戻りましょう」



    「いつもこうしているのか?」
    ミスラの部屋から階段をのぼりながら、ファウストは晶に気になっていたことを訊ねる。なにを聞こうとしているのかはすぐに分かったようで、晶は小さく頷いて見せる。
    「結局、朝まで話しているだけってときもありましたけどね」
    「そうか」
    それから二人は一言も発することなく階段をのぼっていき、二階に到達する最後の段を踏むと晶はくるりと振り向いて、背後のファウストを見てにこりと笑う。
    「俺、さっきのファウストのお話好きだなって思いました」
    素直で好意的な感想を真っ直ぐにぶつけられてしまうと、なんとなく面映かった。ファウストは照れ隠しのために帽子のつばを引き下げようとしたが、残念なことにミスラに連れ出されるまでは寛いでいたため、ある程度普段の装備を外してしまっていた。
    「それで、想い人が俺だったらいいなって思いながら聞いていました」
    だから、どきどきしちゃいました──晶は悪戯っぽい目でファウストの顔を覗きこむ。自分の頬が、耳が、厚くなっていくことがファウストには嫌でも分かってしまう。そんなの、答えを言っているようなものじゃないか。折角、誤魔化していたのに。
    ──力づくで幸せな終わりにしたっていいじゃないですか。
     まったく、本当にシャイロックは誘惑が上手い。そんなことを思うとファウストは思わず笑ってしまう。ファウストが笑った理由のわからない愛しい人は、ファウストが笑っているのなら、とでも言うように彼も同じように微笑んだ。
    「ミスラは寝てしまいましたが、俺はあの話の続きが気になります。ファウストさえよければ、俺に聞かせてくれませんか?」
    「それは君次第だよ、晶」
    ファウストが晶の目を覗き込むと、そこには潤んだ二つの瞳がきらきらと輝いていた。嗚呼、そうか。ファウストはその目を見てはたと気づいた。彼はこの輝く目で僕を見ていたのか、と。それに気がついたファウストは、その笑顔に応えるように心の底から優しい笑みを浮かべるのだった。

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    Replies from the creator

    yutaxxmic

    MAIKING #ふぁあきくん週間 お題の「バレンタインデーの後で」になります。
    「後で」のタイトルなのによりによって当日の話で前編として投稿させていただきます。(終わらない気がしてきたため、保険です……)
    バレンタインデーの後で⚠️2023年バレンタインデーボイス
    ⚠️前編です

     俗世を離れて四百年が経っていた。
     人里離れた嵐の谷で自給自足の生活。生業として呪い屋をしていたが特に具体的な報酬を設定していた訳でも無かったため、気味悪がって成功報酬を渡そうともせず隠れるように去っていく多くの依頼主の中に、時折なにを思ったか大金を置いていく者もあった。元々浪費をするような時代を生きていた訳でも性格でもなかったため、金銭は貯まっていく一方だった。
     それがどうしたことか。
     ファウストを取り巻く状況が一変してしまったのだ。半数の賢者の魔法使いを石へと変え、ファウスト自身にも命を落としかねない重傷を与え、厄介な傷痕を残していった厄災との戦いを機に拠点を嵐の谷から魔法舎へと移し、そこでの新しい生活が始まった。そして変わったことは生活の環境だけではなかった。これまでは時折顔を合わせるヒースクリフの面倒を見るだけだったのが明確に「先生」としての役割を与えられてしまったうえに、生徒は三人に増えていたのだ。
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