ぼそぼそと話し声が聞こえた気がして、姜維は目を覚ました。──いや、眠っていたのかどうかすら定かではない。ただ、頭がぼんやりとして、気を失っていたかのようだった。
うっすらと目を開くと、見慣れない木造の天井が見える。今自分がいるのは、小さな庵か何かのようだ。話し声は、その外から聞こえているようだった。
「──しかし、貴公が……ここまでするとはな。」
「……殿、どうかこの件は──」
「分かっているさ。今回は…あの男に免じて……特別だ……」
会話が途切れた後、ざり、ざり、と砂を踏む音がして、一人が立ち去ったようだった。
姜維は朦朧とした意識の中、自分の記憶を手繰り寄せた。
師と仰ぐ諸葛亮孔明亡き後、仕えていた国は滅んだ。それでもなんとか国を再興させようと、敵だった鍾会と手を組んだ。しかし、進軍の途中、部下であるはずの兵士が槍を持って襲い掛かってきた。もう戦はたくさんだと叫ぶのが聞こえた。
自分の天命はここまでか──そう思ったところで、記憶は途切れている。
ということは、ここは死後の世界、九泉というところなのだろうか。それにしては地味だな、などと考える。四肢が怠く、起き上がるのも億劫で、首だけ動かして周囲を見回した。姜維の横たわる寝台の周りに質素な調度品が置かれただけの、お世辞にも広いとは言えない部屋だ。
先ほど外の会話が聞こえてきたということは、恐らく壁も薄いのだろう。
しかし室温は暑くもなく寒くもなく、快い温度に保たれている。
先ほどは話し声に気を取られていて気付かなかったが、滝の流れるような音が微かに聞こえて耳心地が良い。
何度も戦を繰り返した自分は地獄へ落ちるものと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。
しかし、自分の身はこれからどうなるのだろう──地獄行きは免れたとは言え、このまま極楽でのんびり過ごすという訳にもいかないだろう。それに、先ほど聞こえた会話も気になる。
どうしたものかと思案していると、庵の扉が開いて、男が入ってきた。
「やぁ姜維、目が覚めたんだね。」
男は姜維の方を見て、安心したように歩みよる。
ぼさぼさの髪に無精髭。気の弱そうなぼんやりとした瞳の男だ。
姜維はこの男を知っていた。
師亡き後、北伐を繰り返す姜維の元に、彼がふらりと訪れることがあった。
陣の奥部だと言うのに、彼は何故か誰からも怪しまれることなく姜維の天幕までやって来た。そうして彼は、いつも戦の助言をして去っていった。助言と言っても起死回生の一手ではない。大敗を防ぐ術を、被害を最小限に止めて撤退する術を、彼は姜維に伝えては、去っていった。
何度も現れる彼に、名は何かと、どの国の者かと聞いたことが何度かあったが、その度にのらりくらりと躱されていた。だから、顔はよく見知っているが、それ以上の事は何も分からなかった。
「ここはどこですか。私は死んだのでしょう。ここは死後の世界ですか。それに、貴方は誰ですか。どうしてここにいらっしゃるのでしょう。」
寝台の横に腰かけた男に、姜維は力の入らない体を起こして早口で訊ねた。彼が自分の疑問に答えてくれるかは分からなかったが、とにかく言うしかなかった。分からないことが多すぎたのだ。
「ここは、仙界だよ。」
「仙界──?」
男の言葉を姜維は反芻した。全く予想しない答えで、姜維は頭の中で情報を整理するのに必死になっていた。
「あぁ、正確には、仙界と人間界の狭間──かな。仙界に人間が長時間いると、そこの気にやられてしまうからね。」
「あの、では、なぜ私がこんな場所に──?私は死んだものと思っておりましたが。」
「えぇと、そうだな、人間界では死んだことになっているかもしれない。君は突然兵士達の前から姿を消したんだから。」
「はぁ…。」
「俺が仙術を使って、ここまで連れてきた。──あぁ、名乗るのが遅れてすまない。俺は徐庶。…ここで仙術を学んでいる──まぁ、所謂仙人ってやつだな。」
目の前の男──徐庶の話す内容は突拍子も無さ過ぎて、信じようにも次々に新しい疑問が浮かんでくる。
ただ、ここが今までいた人間界と異なることは、なんとなく理解した。徐庶と話す間も、この庵の中に漂う空気は妙に心地が良く、まるで姜維を歓迎しているかのような気さえした。それに、今まで戦場で徐庶が姜維に授けた助言は、まるでこの先に起こることを知っているかのような内容だった。ただの人間にそんなことができる訳が無いことは、姜維にも分かっていた。
しかし。
「徐庶殿──、ですか。なぜ貴方は私をここへ連れてきたのですか?」
自分は部下の兵士に槍で刺され、そこで死んだものと思っていた。今まで自分に対して名も名乗らなかった男が、わざわざこんな場所まで自分を連れてくる理由が全く予想もつかなかった。
徐庶は姜維の質問に対して、困ったように頭を掻いている。しばらく逡巡して、ようやく口を開いた。
「君に、自分の思うままに生きて欲しかったんだ。」
「は!?そんな理由ですか!?」
徐庶の言葉に、姜維は思わず素っ頓狂な声を上げた。
仙人が死にかけた男をわざわざ仙界まで連れてきたのだ、きっと高尚な理由があるに違いないと思っていたのに。
「言われなくても、私は自分の思うままに生きていました。蜀を護ることこそが私の使命だったのですから。貴方が余計な事をしなければ今頃──!」
「蜀はもう滅亡したよ。…再興は、叶わない。」
「そんなの、やらなければ分からないじゃないですか!現に私は鍾会殿と組んで…」
姜維に詰め寄られた徐庶は、悲し気な表情で首を横に振った。蜀が滅亡することも、姜維が部下の兵士に暗殺されることも、全て天命だったのだと、姜維はようやく悟った。
自分の力ではどうしようも無い流れに飲み込まれていて、そこから徐庶は自分だけを掬い上げて、ここへ連れてきたのだろう。
「──中華は、どうなっていますか。」
しばらく沈黙が続いたあと、姜維は俯いたまま問うた。自分が気を失っている間に、どれほどの時間が経っているか分からなかったし、外部の情報は今のところ一切得られていない。
それでも、姜維はどうしても確認しておきたかった。
「司馬昭が晋王になった。蜀も──魏も、滅んだよ。呉も、時間の問題かな。」
姜維は、ただ黙って膝の上の拳を握りしめた。
これが全て天命だったとしたら、自分がしてきたことは何だったのだろうか。
徐庶はこうなることを予見して、今まで自分の前に現れてきたのだろうか。
戦場に現れて大敗を避ける助言をしていたのは、いずれ滅ぶ運命の国のために命を捨てる者を少しでも減らそうという目的だったのだろうか。
姜維はギリギリと拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込み皮膚が割ける感覚があったが構わなかった。
徐庶は変わらず寝台の隣に座り、不安げな表情で姜維を見つめている。
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この後の展開めも
・いろいろどうでもよくなった姜維が仙界で気ままなスローライフをはじめる
・徐庶は孔明の言葉に捕らわれている姜維をその呪縛から解放したかった
・太公望が名前を明かさず姜維に会いに来る
・人間を仙界に連れてくるのはご法度(姜維のいる場所はグレーゾーン)
・徐庶が姜維をかくまっているのが他の仙人にバレて姜維が追放されそうになる
・人間界の天命ではもう死んでるはずなので、姜維が人間界に戻ったら死んじゃう
・仙界に残るには仙人になる必要がある
・姜維が太公望の子孫だったと判明、太公望の血が流れてるなら仙人の才能があるよねって話に
・姜庶は仲良く仙人になりましたとさ
・おせっせのシーン入れたいけど、気ままなスローライフにどう挿入すれば良いかが分からない
・そもそも姜庶に恋愛感情が芽生えるかどうかすら微妙