ガンマトアドベントカレンダー28揺れ動く心の波
「やってらんねぇよなぁ」
マトリフは城から抜け出して誰もいない丘にいた。格式高きパプニカ城はその丘の上からも小さく姿が見えている。マトリフは鼻を鳴らすと草原へと寝転んだ。
パプニカ王国では魔法使いは他国に比べて重きを置かれる。賢者であれば尚更だ。魔王討伐を果たした勇者一行の、本人はその呼称を良しとしないが賢者であるマトリフは、パプニカ王国にとっは是非迎え入れたい存在だった。何度断ってもどうか王宮へ来てくれと頭を下げられ、マトリフは渋々頷いたものの、いざ来てみれば王宮はマトリフを歓迎しなかった。それを行ったのはマトリフの存在が自分の立場を危うくするごく一部の者かもしれない。だがそれは、日々着実に、マトリフを悪い立場へと追いやっていった。
「珍しく弱気ではないか」
その声にマトリフは懐から本を取り出した。それはガンガディアを封印した本だ。呼ばれてもないのに、時折こうやって勝手に喋りかけてくる。本はマトリフの手の中で勝手に開いた。
ガンガディアを本へと封印したのはマトリフだ。あの戦いの最中に、途絶える寸前のガンガディアの命を本へと封印した。
本に封印されたガンガディアは自由には動けないが、自身の魔法力のおかげで多少なら本を動かすことも可能だった。だが本から抜け出すにはマトリフの魔法力が必須だ。仕方なくマトリフは本へと魔法力を込める。するとガンガディアが本から抜け出してきた。
「君が願うなら人間の一人や二人など容易いが?」
「そういうこと冗談でも言うんじゃねえよ。オレが出てけば済む話だ」
「いつもの君らしくないな」
「そんなもんクソ喰らえなんだっての。どいつもこいつも好き勝手に言いやがって」
燃やしちまうぞ、とマトリフは本を持つ手の魔法力を変化させてみせるが、ガンガディアは涼しい顔でマトリフを見返してくる。
「おかしなことを言う。私を燃やしても問題は解決しない」
「チッ……クソなんだよまったく」
マトリフは本を音を立てて閉じた。その瞬間にガンガディアも消えてしまう。マトリフは本を草むらに放り投げようと腕を振り上げたが、腕は止まったまま、やがて下された。本はまた懐へと戻される。
「もしオレが刺されたらお前が体を張って止めろよな」
法衣の上から本を撫でて言う。この分厚い本ならナイフの刃くらいは止めてくれるだろう。だがそんなときに限ってガンガディアから返事は返ってこなかった。
9commitment 真剣な交際
真剣な交際、というものをマトリフは一度もしたことがなかった。元々の性格のせいか、下心が多すぎるせいか、いつもビンタか罵倒をもらって関係が終わる。ちょっとは真面目に相手のことを考えてみな、と呆れながら言われたことがあるものの、結局マトリフは変わらなかった。
それがいま、その真面目を体現したガンガディアがマトリフの手を取っている。緊張してるのか、顔中に血管が浮き出ていてちょっと怖い。
「君を大切にする」
本に封印され、マトリフの魔力供給がなければ姿を保てないガンガディアだが、それが彼の思いや行動を躊躇わせることはなかった。ガンガディアはマトリフに膝をついて愛の告白をしている。そのあまりの真剣さにこちらが呆気に取られるほどだ。
マトリフの手にはガンガディアを封印している本がある。刃で貫かれた跡が残る表紙は、ガンガディアの思いの表れのようだった。凶刃がマトリフの胸を貫いたとき、ガンガディアの本がなければ命はなかっただろう。本に封印されながらも、ガンガディアはその身を挺してマトリフを守った。
その出来事のすぐ後にマトリフはガンガディアの本だけを持ってパプリカ城を飛び出した。そして以前使っていた隠れ家の洞窟に、ガンガディアと一緒に住むことにした。
マトリフは震える大きな手に手を重ねた。こんな歳になって今さら、とつい言葉が出そうになる。だがそれを飲み込んでガンガディアの手を握った。
10二人の距離
手を伸ばせば届く距離、というのはガンガディアとマトリフでは少し違った。体の大きなガンガディアはもちろん腕も長い。たとえマトリフが手を伸ばして届かない距離だとしても、ガンガディアがその手を伸ばせばマトリフの体をひょいと掴むことができる。
「おいこら、離せ」
マトリフは口を尖らせた。本から呼び出した途端にこれだ。ガンガディアはマトリフ掴んで引き寄せ、胸へと抱きしめた。マトリフは諦めたように体の力を抜く。ガンガディアがこうして抱きしめてくるのは、日課のようなものだ。
「ったくよ」
毎日抱きしめて飽きねぇのかよ、とマトリフは思うものの、抱きしめられることはマトリフも嫌ではない。抱き寄せられたことで届くようになった尖った長い耳に手をやる。軟骨の感触を楽しみながら、顔は次第にほころんでいった。
「君のことが好きだ」
万感の思いを込めたようにガンガディアは言う。それがマトリフにはいじらしく思えた。骨まで砕かれそうなほど抱きしめられたこともある。今では力加減を覚えてそんなこともなくなってしまった。
「はいはいオレもだよ」
つい返事が素っ気なくなるのは染み付いた照れ隠しのせいだ。愛されている実感は充分にある。零になった二人の距離を感じながら、マトリフはガンガディアの温もりに包まれていた。
11灼熱のような恋
「てめぇッ!!」
燃えるような怒りを発散させたマトリフが叫ぶ。実際にマトリフの両手には燃え盛る火柱が立っていた。
「受けて立つ」
ガンガディアも魔法力を両手に込めた。久々に本気で対峙するマトリフを見てガンガディアは背筋がゾクゾクとするのを感じていた。肌に伝わってくる魔法力の波動が魔族としての本性を刺激する。
「ちょっと、どうしたんだよ二人とも!」
その声に二人ともそちらを見た。慌てた顔のポップが二人を見比べている。ポップはいま来たところで、なぜ二人がこんな事になっているのかわからなかった。
「見りゃわかるだろ。喧嘩だよ喧嘩」
「問題はない。すぐに終わる」
二人はそれだけ言うとまた視線をぶつけ合った。
「あれは貴重な薬草だから君が使えばいいだろう!」
「おめえだってずっと欲しがってたからオレは譲るって言ってんだよ!」
それを聞いてポップは瞬時に状況を理解した。どうやら二人は貴重な薬草をお互い譲り合って喧嘩しているらしい。
「だから私があれを欲しがっていたのは君のためであって私が使うためではない!」
「おめえがそうやってオレにクソ不味い薬とか作るせいでこっちは元気が有り余ってんだよ!」
あ、これ放っておいて大丈夫なやつだ。ポップはそう思ってその場に腰を下ろした。マトリフもガンガディアの献身的な看病のおかげで体調は良くなっているし、なんなら若返っている気もする。ポップは二人の激しい喧嘩を観戦することにした。
12優しすぎる人
マトリフはまったく几帳面ではない。その証拠に部屋はすぐに散らかすし、生活も不規則で思いつきで行動しているとしか思えない。それなのにマトリフの呪文は驚くほど繊細で、その魔法力のコントロールは何度見ても見惚れてしまう。
またマトリフは驚くほど素直ではない。口から出る言葉がマトリフの心と同じであることは少なく、いつもこちらを試すように、探るように言葉が紡がれる。だがごく稀に、その本心が聞けるときがある。そんなときは顔を赤く染めながら、言葉を振り絞ってくれる。
そしてマトリフは優しくない。私をこんな窮屈な本に閉じ込めるくらいなのだから、悪党と呼ばれても致し方ないだろう。
「どうした、ガンガディア」
マトリフの手が本に触れる。その感触が本の中にいる私にも伝わってきた。一緒に寝たいと言った私のために、マトリフは私が封印された本を同じ布団の中に入れた。違うそうじゃない。本から出してくれ。だがマトリフは私の言葉を聞きならが本から出してはくれなかった。優しさのかけらもない。
「何をぐるぐる考えてやがるんだよ、ほら寝るぞ」
マトリフの手が本を撫でる。まるであやすような仕草に、私は赤子ではないぞ、と思ったものの、その手つきが存外に優しくて、大人しく撫でられていることにした。
13彼氏一筋
「お兄さん、いまヒマ?」
その声が自分にかけられたとは思わずにマトリフは通り過ぎた。街は人通りが多く、マトリフもその人の流れに合わせて歩いてた。
「ちょっと、聞こえなかったかな。お兄さんのことだよ」
ぐいっと手を掴まれてマトリフは立ち止まった。そしてマトリフはお兄さんと呼ばれたことに顔を顰める。こちとら百歳越えだぞ、と思ったが、同居人のトロルの健康的な薬せいで若返っていたことを思い出した。それにしたってお兄さんと呼ばれるほどの歳じゃねえよとマトリフは思う。
「あ? なんだよ」
気安く声をかけてきたのは、それこそお兄さんというくらいの歳の男だった。上背があって鍛えているのか筋肉質だった。ふとガンガディアを思い出すくらい、ぱっと見たときの印象は似ていた。
「さっきの店でお兄さんを見かけたんだけど、魔法とか詳しい系?」
男はにっこりと慣れた様子で笑みを浮かべた。
「だったら何だよ」
「あそこにいい酒場があるんだけど、魔法について教えて欲しいなって。奢るしさ」
「なんでオレが」
「俺ってちっちゃい魔法使いが好みなんだよね」
あ、これナンパか。マトリフはようやく腑に落ちた。マトリフは男に掴まれた手をさっと振り払った。
「悪りぃがオレは彼氏一筋なんでな」
「なんだぁ彼氏いるの?」
「そうなんだよ。そんでその彼氏がオレの帰りを待ってるんだわ」
じゃあな、と手を軽く振ってマトリフは歩き出した。
14愛しか感じない
マトリフは洞窟に戻ると買ってきたものを下ろした。そして壺の下敷きになっている本を見る。その本は陸にあげられた魚のようにぴちぴちと跳ねていた。しかし上に乗った壺を動かすことは出来ずにいる。マトリフは壺を持ってどかした。
「酷いことをする」
本の中からガンガディアが言った。本全体が怒気をオーラのように纏っている。本の上に壺を置いたことを怒っているようだ。一緒に出かけると言い張るガンガディアを置いていくために、マトリフは本を壺の下敷きにした。ガンガディアは小うるさい。街で遊ぶときは一人が一番だった。
マトリフは本を手にすると魔法力を込めてガンガディアを呼び出した。封印を解かれたデストロールはその巨体を現す。それを見上げてマトリフは言った。
「お前もオレのことちっせえって思ってるのか」
「なにを突然」
ガンガディアはマトリフの様子がおかしい事に気付いた。表面上はいつもと変わらないが、どうも不機嫌なようだ。
「お前もオレがちっせえ魔法使いだから好きなのか?」
「何の話だ」
「さっき街で言われた。小さい魔法使いが好みだって」
「それは誘われたということかね」
「ナンパされた」
「まさか何か」
「別に。声かけられただけだ」
マトリフは床にぺたんと座り込んだ。不貞腐れたように口を尖らせている。ガンガディアもその前に腰を下ろした。
「では君は私が大きいから私を好きなのかね」
「んなわけねぇ」
「私も同じだ。君のその素直じゃなくて捻くれた性格や、色恋に不器用なところや、不意に見せる優しさに惹かれた」
ガンガディアはマトリフに向けて両手を広げた。さあおいでと言わんばかりのその広い胸に、マトリフは飛び込んだ。その体をガンガディアはそっと抱きしめる。
ガンガディアの腕に包まれながらマトリフは目を閉じた。一緒に生きる道を選んでよかったと思いながら。