手のかかる部下ほど可愛い「げっ、ブラッド」
目が合った瞬間、あからさまに顔を歪めたアキラを見て、ブラッドはピクリと眉を動かした。
楽しい食事中に嫌なものを見てしまったと言わんばかりの態度に、ブラッドが何も思わないわけではない。しかし、すぐに不快な表情を気まずさに変えて狼狽るあたり、嫌われているわけではないことが分かる。
おおかた、苦手意識から反射的に反応してしまったものの、それが相手に不快を与えることに気付いて内心焦っているのだろう。
アキラは短絡的で前向きな性格に見えて、実のところ人間関係に対して自分の評価をとても気にしている節がある。
良く周囲から馬鹿だと言われがちだが、彼の複雑な人間性を一言で表す言葉がそれしかないのだろう。不真面目そうに見えて、翌日の仕事に支障をきたすほど堕落することはないし(稀に負けず嫌いの性格が災いしてミスすることもあるが)トレーニングも欠かさず行うストイックさがある。
ブラッドの忠告や助言には反発や悔しさを見せるが、頭が冷えるとすぐに反省して考える力を持つ。決して馬鹿ではない。
ただ、やはり年相応の無邪気さや無謀さは消えぬもので、それが分かりやすく馬鹿だと言われているのだろう。ブラッドから見れば、成長と共に離れるはずのものが置き去りにされて、持て余しているだけのように思えるが。
他人からの評価が気になるから確信めいた言葉という保険で確認するし、認められたいと必死になるから自分の力量を見誤る。
自分を見て欲しいと親の背中に縋り付く子供が空回っている。ブラッドにとって、アキラへのイメージはそれだった。
だから決して馬鹿にはしない。けれど、ヒーローとして、社会人としてこの場にいるからには甘やかすこともしない。
類稀なる才能とそれを磨く努力を持つ、まだ未熟なヒーロー。彼を如何様にも育てることが出来る責任を持つブラッドにとって、アキラは危うくもあり、そして魅力的でもあった。
とはいえ、今は休憩中。どの言葉を投げ掛ければ最適かブラッドは考える。
そもそも、彼がテラスで昼食をとっている姿は先に気付いていたのだ。そのまま通り過ぎても良かったが、勤務中はウィルと行動を共にしている彼が一人で昼食をとる姿が珍しく、どこか寂しげにも見えた気がしたから本能的に足を向けてしまった。
お互い気まずい空気が流れる中、ブラッドは胸中で何かを決めたように首を小さく傾げてアキラに言う。
「同席しても?」
「……へ?」
予想してない言葉にアキラは豆鉄砲を食らったような表情を見せる。返事を待たず正面の空いた席に腰かければ、あからさまに嫌がる素振りを見せた。
苦手意識を持つ相手と向かい合って食事を取るなど、アキラにとっては苦痛でしかないだろう。それでも嫌だと言えないところに彼の本質が垣間見える。ブラッドは近くのウェイターに声をかけ、サンドイッチと珈琲を注文した。
忙しいブラッドのことだ、嫌味を言って去るだけだろうと思っていたアキラは、目の前で食事を始める姿に今度こそ唖然と口を開いて固まった。
「どうした、食べないのか?」
「あ、う……うーん……?」
現状についていけないアキラは不思議そうに首を傾げる。彼の反応は想像通りだ。
食事を取る程度なら時間の余裕があったこと。メンターとして、上司として、そしてチームとして彼と交流する必要性はあると感じたこと。それから少しだけ、彼自身に個人的な興味があったこと。
それがブラッドをアキラの前に座らせた理由だった。
珍しい行動をとっている自覚はある。アキラが動揺するのも無理はない。ブラッドは少しの沈黙の後、口を開いた。
「嫌なら断ってもいい」
「や、別に嫌ってわけじゃねーよ」
躊躇いなく返ってきた言葉とその口調に、今度はブラッドが驚きの表情を見せる。
アキラは余裕が出てきたのか、食べかけのピザを手に持ちながら言った。
「まぁ、いつも忙しそうにしてるブラッドがのんびり座って飯を食うってことには驚いたけど……」
ウェイターがサンドイッチと珈琲を運んでくる。アキラはそれを目で追いながら続けた。
「オレと一緒に飯食うのが嫌じゃねえなら、別にいい」
そう言ってピザを頬張るアキラに、ブラッドは頭の上にクエスチョンマークが浮かび上がる。
「嫌なのはお前の方じゃないのか?」
その言葉に、アキラは図星をつかれたようにギクリと肩を揺らした。
珈琲で唇を濡らしながら気まずそうに視線を逸らす様子を見続けていると、大きなため息が落ちてくる。
「確かにブラッドって少し……いや、かなり苦手なタイプだけどさ。そもそもその苦手な理由もマトモに会話してないせいかもしんねーし。……こうしてそっちが歩み寄ってくれんなら、オレだって理解する努力ぐらいはする」
歩み寄ってくれるなら。
アキラらしい傲慢な物言いに多少ムッとするが、自分もメンター時代のジェイに「その傲慢な物言いは改めた方がいい」と窘められた経験がある。
人のことは言えないと、物思いに耽り小さく微笑むブラッドに、アキラは怪訝そうな顔を見せながらまたピザを一枚頬張る。
「んぐ……あと、ジェイにオレがブラッドと似てるって言われたから気になってた。どう考えても正反対なのに、どこが似てんのか。……で、話してみたら意外といけすかねぇ奴じゃないってことが分かる、かも……って」
言葉尻が弱くなったのは己の失言に気付いたからだろう。気恥ずかしいのを誤魔化すように眉をしかめるアキラに、ブラッドはついに吹き出した。
「珍しくよく話すな」
「うるせぇな。オレだって色々考えてんだよ、色々」
今日はアキラの新しい一面を見れた。
ころころ変わる表情に、好戦的で単純に見えるがよく動く思考。
観察すればするほど、彼の本質はその情熱に燃える赤だけではない、優しく聡明な心が瞳の色に表れているようで、もっと彼を知りたいと思ってしまう。ブラッドは膨らむ己の感情を抱えながら、アキラに優しく微笑んだ。
「知ってる」
「っ」
ブラッドの初めて見るその顔に、耳まで真っ赤にさせたアキラが言葉を詰まらせて、何度か口をモゴモゴと動かしたあと、悔しそうに呟く。
「……そういうとこが、ムカつく」
「ああ、知ってる」
まだお互い他人の、上司と部下、メンターとメンティー、先輩と後輩、そして大切な仲間。
二人の昼食は、気まずさが残りながらも以前よりは和やかな空気を纏っていた。
◆◇◆
「あ、ブラッド」
目が合った瞬間、花が咲いたような笑顔を見せるアキラを見て、ブラッドはふわりと表情を緩めた。
「時間あるんだったらお前も飯、食っていけよ」
「そうさせてもらおうか」
誘われて正面の椅子に腰掛けたブラッドは、ウェイターにサンドイッチと珈琲を注文する。
初めてここでアキラと出会い昼食を共にしたのが一年前。
あの頃はあからさまに顔を歪めていた彼が随分心を許してくれるようになったと、その変化に思わず笑みが漏れる。何度か共にした昼食と同居生活の中で、アキラとブラッドはお互い相手に対して想像以上に居心地の良さを感じていた。
「立ち食い以外は、いつもここのテラス席を使うんだな」
食事を終え、ブラッドは珈琲を飲みながらふと以前から感じていた疑問を口にする。
「んー」
アキラは飲み終わったオレンジジュースのストローを唇で遊びながら、街並みに目線を向けて目を細めた。
「ここが大通りに面してて街の様子が分かりやすいんだよ。会員登録しとけばネット決済で後払い出来るから、もしサブスタンスやイクリプスが出てもすぐに向かえるし」
この店のピザが美味しいから、外の風を感じることができて気持ちいいから。
そのような安易な答えが返ってくると思っていたブラッドは、それこそブラッドが理想としているヒーローらしい回答に目を丸くさせる。
その面食らった表情を見て、アキラはニヤリと悪戯好きの子供のような笑みを作ってみせた。
「意外、っつー顔だな。オレは将来メジャーヒーローになる男だぜ? 勤務中はそれくらい考えて行動してんだよ」
なるほど、まだどこか幼さの残る未熟な少年だと思っていたが、既にヒーローとしての顔は十二分に整っているようだ。
彼がメジャーヒーローになる未来を脳裏に描きながら、ブラッドは口元を和らげた。
「好戦的な性格がもう少し落ち着けば、可能性はあるだろうな」
「うっせぇな」
素直に褒めることも出来ねぇのかよ、と頬を膨らませて拗ねるアキラに、ブラッドはつい笑い声を漏らしてしまう。
「なに」
「いや……手のかかる部下ほど可愛い、と思っただけだ」
ヒーローとして立ったばかり。まだまだ覚えることはたくさんある。
無鉄砲で無防備で、心を許せば懐くのは早いのに、どこか甘え下手で、素直になれない。認めたくないが、確かにジェイの言う通り似ている部分が少なからずあるのかもしれない。
だからこそ、惹かれてしまう。彼がこの先、自分の手でどのように育っていくのか。
親心にも似ている。だが、笑顔の彼にどうしようもなく劣情を抱いている自分がいる以上、この感情がそんな枠に収まらないものだという自覚を、ブラッドは感じ取っていた。
ブラッドの言葉に一瞬きょとんとしていたアキラだったが、ようやくその言葉の意味を理解したのだろうか。首から上をリンゴのように真っ赤にさせて、口をはくはくと震わせた。
「っな、ばっ、バカにするなよ!」
「してない。アキラは可愛い」
「やっぱりバカにしてんじゃねぇか……!」
二度目の言葉に含まれた意味を理解しているのかいないのか、アキラは立ち上がって真っ赤な顔でギャーギャーと喚いている。ブラッドは風に揺れて空の青に混じる赤のコントラストを視界に入れながら、可愛い部下の羞恥と怒りに震えた姿に目を細めた。
さて。もしここで「一年前からブラッドがパトロールの日はアキラが必ずこの場所で昼食をとっていることを知っていた」と言えば、彼はどのような表情を見せるのだろうか。
そんな悪戯心を胸中に持ちながら、ブラッドは空いた皿を重ねて下げやすいように一箇所に集めつつ、笑みを零すのだった。