テロップと共にくしゃくしゃに歪めた顔が映された画面をぼんやりと見ながら、ブラッドはクラッカーを手に取った。ローテーブルに長時間放置されたそれは湿気ていて、口の中から軽快な歯応えは聞こえない。目の前の大型モニターでは、難易度の高い問題に次の挑戦者であるコメディアンが難しい顔をしていた。彼らが運任せに選ぼうとしている時だった。玄関の方から電子音が聞こえ、しばらくして扉が開かれる。
「ただいまー……って、うおっ! ブ、ブラッド……!?」
帰宅した家主は、リビングの扉を開くなり驚きに目を丸くさせた。モニターは丁度コマーシャルに入っている。丁度良いと、ブラッドは固まったまま動かないアキラへ視線を向けた。
「おかえり。遅かったな」
「ああ、ただいま。四人で新年会してたらアッシュが途中で潰れたから、家まで送っててさ……じゃなくて。なんでお前がいるんだよ。週末まで仕事って言ってたじゃねーか」
ようやく現実に思考が追いついたのか、アキラはきょろきょろと動かしていた視線を止めてブラッドへジト目を向けた。年末年始は撮影でスイスにいるはずの男が目の前にいるのだから当然だろう。
「この時期はマスコミも書き入れ時だからな。本来のスケジュールは誰にも伝えなかった。……本当は、今日が帰国予定日だった」
それを聞いてアキラはジト目を向ける。親しいモデル仲間のキースやディノにも伝えていなかったのだろう。何故なら、明日のオフはその二人に「一人だと寂しいだろう」と飲みに誘われたからだ。ブラッドが帰ってくることを知っていたなら、声などかけなかったはずだ。
「だからってオレにまで嘘つく必要なかっただろ」
「貴様が一番信用出来ない」
「ぐぬ」
肩を竦めるブラッドに、アキラは悔しそうに唸る。その通りだ。いつも警戒しているとはいえ、二ヶ月もテレビや雑誌越しでしか見れない恋人に会えると知れば、浮かれてマスコミに勘繰りを入れられていただろう。
だからと言って、訪問を聞かされなかったのは悔しい。睨みつけていたアキラだったが、テレビに視線を向けると今度はジト目を優雅にソファーで寛ぐ男へ送る。
「…………おい、ブラッド」
「なんだ」
「お前、出題内容知ってただろ」
尋ねれば、ブラッドは合点がいったとばかりにテレビを見る。画面ではアキラが次の問題に答えていた。正解を続ける姿に、会場が沸く。司会者もまさかグループ最年少のアイドルがトップに躍り出るとは思わなかったのだろう。どこか興奮した面持ちで解説していた。
正月に毎年行われるクイズ番組。どちらが高価なものか、味覚や視覚、聴覚を使って答えていく。ブラッドも過去に出演したことのある番組だ。画面には正解している割に、どこか不服そうなアキラの顔がまたアップで映し出されていた。ブラッドは肩をすくめる。
「いや、知らない」
「また嘘つく気か? テメェが事前に教えてきたこと、ほとんどそのまま出てきたぞ」
ブラッドとプロデューサーがグルになって八百長を謀ったと思っているようだ。ブラッドは首を横に振ると、体ごとアキラへと向き直り言った。
「本当に聞いてない。ただ、過去の出題内容や傾向からヤマを張っただけだ」
「…………」
信じていないのか、胡乱な目が返ってくる。しかし、生真面目なブラッドが卑怯な真似をするはずもない。暫く見つめあっていると、アキラは結論が出たのか諦めたようにため息をつく。
「アキラ」
ブラッドは腕を伸ばし、近付いてきたアキラを招くと膝の上へと乗せた。そして、こてんと首を傾げると子供のような口ぶりで尋ねた。近付いたことで分かるワインの匂い。酔っているのだと、すぐに分かった。
「嘘をついてまでお前に会いたかった俺に、何か一言は?」
「……あけましておめでとう」
「ああ、本年もよろしく頼む」
「ん」
額に落ちてくる唇。アキラの背中に回った手は既にシャツの中に入り込んで、背骨の感触を楽しんでいる。アキラはそんなブラッドに口付けで応え、彼のシャツを緩めていく。けれど、後ろからドッと湧いた声に驚いたのか、びくりと肩を揺らした。そういえば、まだクイズ番組の途中だった。
「んぁ……な、なぁ、テレビ消せって」
「何故?」
「ヤるなら邪魔だろ」
「まだ見ている途中だ。いつも気にしたことなどないだろう」
言いながらジーンズへ伸びる手を手伝いながら、アキラは気まずそうにもごもごと口を動かす。
「オレ映ってるから、なんか気まずいんだよ……せめて番組変えろって」
「いや、このままがいい」
「ぐ……」
二ヶ月ぶりの逢瀬を喜んでいるのは、アキラだけではないようだ。いつもより性急な動きを受け入れながら、アキラはブラッドのシャツのボタンを外し終えると、思い出したように「あ」と呟く。
「ン、ブラッド、ちょっと」
「今度はなんだ」
「や、お前帰ってきたんなら、連絡入れねーと」
「誰に?」
「キースとディノ」
「……何故連絡する必要がある」
「だって、明日飲みの約束してたから」
「…………」
そう言うと、突然ブラッドは眉間に皺を寄せて黙り込む。止まる動きに、アキラは怪訝な表情を浮かべながら険しい顔を覗き込んだ。
「おい、聞いてたか?」
「後で俺から連絡する」
「は?」
ようやく口を開いたブラッドの言葉は、拗ねているのか低音を伴っていた。そういうことではない。アキラはジト目を向けるが、酔ったブラッドには通用しない。
「今は、目の前のことに集中しろ」
「ぼ、暴君……」
「勝手に約束を取り付けるお前が悪い」
それを言うなら、嘘をついて帰ってくるお前も悪い。言いたかったが、アキラは飲み込んだ。自分だって彼との時間の方が、何よりも大切だからだ。
代わりにブラッドの頬を両手でつまむと、引っ張りながら呆れた目を向ける。
「嫉妬したんならしたって言えばいいだろ」
返事は口付けで返ってきた。重なる熱に浮かされながら、アキラも積極的に唇を重ねた。後ろではコメントを求められているアキラが悔しそうな声で礼を告げているが、もう二人の耳には入っていない。
アキラはブラッドの首に手を回すと、鼻先を自分よりも頂きの高い鼻頭へと押し付けた。
「ブラッド、今年も……来年も、再来年も、ずっと隣にいろよ」
「当たり前だ」
言いながら強く引き寄せられ、ブラッドの胸に頭を預けたアキラは、腰を浮かせながらはち切れそうな胸を想う。
誠実な男が偽のスケジュールを作り上げてまで会いにきてくれた事実。二ヶ月会えなくても、海外ばかりいても、セレブが擦り寄るほどの魅力を持つトップモデルでも、不安はない。覚える前に、この男はこうして愛されている実感を与えてくる。
(でも、まぁ……アリーナレベルのアイドルが恋人なんて、格好悪りィだろ)
早く誰もが認めるアイドルになって、ブラッドの隣を歩いても胸を張れる自分になりたい。アキラは考えながら、ブラッドの頭を掻き抱くと首筋に顔を埋めた。
ブラッドには少し似合わない、自分と同じ香水の香りが、鼻腔を優しく撫で上げた。