WASABI「はぁ? きっかけぇ?」
突然の質問に、アキラは思わずストローを噛んだ。
眉を釣り上げて不可解な表情を見せれば、意味を理解していないのだろうと解釈したウィルが首を傾げて言い直す。
「そうだよ。きっかけ。馴れ初め…とも言うのかな」
口にして恥ずかしくなったのか、頬をかく。
アキラは噛んだストローを持ち上げると、先端をウィルに突きつけた。
「こら、行儀が悪いぞ」
「誰と、誰の」
「アキラ」
「誰と、誰の」
注意を聞く気はないようだ。ストローの先端から雫が落ちる。眉間に皺を寄せて睨みつけるアキラの機嫌は悪い。付き合ってもらってスイーツ店にきた時から良いとは言えなかったが、今はそれに輪をかけている。
ウィルは質問の仕方が悪かったかとため息をついた。
「アキラと、ブラッドさんの」
「なんで」
「なんでって……」
「ウィルには関係ない話だろ」
正論だが、関係ないとまで言われたら傷つきぐらいする。
ウィルは好奇心から余計な詮索をしたことに後悔しながら俯いた。プリンを口に入れても、さっきまでの多幸感はない。
あからさまに落ち込む姿を見て流石に言い過ぎだと思ったのか、アキラはストローをグラスの中に戻すと、溶けた氷を吸った。
「だって、お前……ぜってぇ怒るから嫌なんだよ」
「きっかけを聞いたぐらいで怒るはずないだろ」
「いや、怒るね。ぜってぇ怒る」
空のグラスの中でずず、と空気の音が漏れる。
ウィルは怪訝な顔でアキラを見た後、まさか、と目を見開いた。
「ブラッドさんを襲ったとか?」
「いや、なんでだよ」
「じゃあ殴ったとか?」
「お前な……」
呆れた半眼が向けられるが、ウィルは気にすることもなく口元に手を当てる。そもそも、彼らが恋仲だと知ったのはつい先月のことだ。五ヶ月前から付き合っていたと聞いて、更に驚いた。
ニューミリオンでは他の州と同様、同性とのパートナーシップ制度がある。今の時代、男性同士や女性同士の恋愛関係は珍しくもない。ウィルも結婚するならお互いを尊重し合える相手をと考えているが、恋愛対象の性別を気にしたことはなかった。
驚いたのはそこではなく、恋仲相手が十も離れた上司ということに、ウィルは違和感を覚えたのだ。
アキラがブラッドを選んだことよりも、ブラッドがアキラを選んだことへの疑問。真面目で責任感のある彼が、遊びで職場の部下に手を出すとは思えない。
「そんなに気になんのかよ」
「そりゃあ、一応ブラッドさんは俺たちの元メンターだし、アキラは幼馴染だし」
ウィルは、眉を下げてアキラを見た。
AA(ダブルエー)に昇格してから半年。入所当時よりは落ち着きの出てきたアキラが、ため息をついて窓から通りを眺める。その大人びた横顔に、彼もそんな顔が出来るのかとぼんやり思った。どこか他人のようにも感じられて、寂しさがウィルの胸を掠める。
彼らの関係を知ったのは、本当に偶然だった。
昇格して給与に余裕も出てきたため、たまには母をもてなしたいと、母の日に連れて行ったリトルトーキョーの料亭。その時、同じく食事に来ていた彼らと出会ったのだ。
最初は珍しい組み合わせだと思ったし、研修期間が終わっても元メンターと交流を続けているアキラを見て、その成長を嬉しくも感じた。けれど、隣にいた母はアキラとブラッドを見て「あら、アキラくん。恋人が出来たのね」と言い出したのだ。
ウィルは慌てて誤解を解こうとした。しかし、彼は自分たちの上司だと説明する言葉を遮って、肯定し始めたブラッド。ウィルは開いた口が塞がらず、呆然とするしかなかった。
アキラに至っては、ブラッドの言動が予想外だったのか、心慌意乱のいった状態だ。幼馴染どころか、母親の友人に知られたのだから、当然の反応だろう。
その場は母とブラッドの会話で終わったが、後日アキラを問いただせば「聞かれなかったし、わざわざ言うことでもねーだろ」と返された。
普段は、聞かなくても自分から教えてくる話したがり屋のくせに。肝心なことは、いつも巧妙に隠す。彼自身、その自覚がないからタチが悪い。
沈黙を続けていると、根負けしたのか、アキラがため息をついてジト目を向けた。
「怒らねーか?」
返事の代わりにウィルが頷く。アキラは肩でゆっくりと息を吐くと、重々しく口を開いた。
「そもそも、付き合うのはオレがAAになってからって、研修時代に話し合ってたんだけどよ」
「……うん? ちょっと待って、研修時代? 同室の時、アキラもブラッドさんも、そんな素振り見せなかったじゃないか」
「そりゃ、あいつ徹底的に隠してたからな。オレもAAになるまで、半分ぐらい忘れてたし」
当時のことを思い出しているのか、照れ臭そうに肘をついて口元を隠すアキラに、ウィルははぁ、と相槌を打つ。その口ぶりだと、告白してきたのはブラッドからのようだ。
てっきりアキラが詰め寄ったのかと思っていたウィルは意外だと驚く。
「で、研修時代に何があったんだ?」
「……やっぱ言わなきゃダメか?」
「勿体ぶるなよ。余計に気になったじゃないか」
唇を尖らせて続きを促せば、アキラがまた、ため息を落とす。説明が億劫なのだろう。気が乗らないまま言葉を続けた。
「あいつと実家でたまに出てくる稲荷寿司の話してたら、食いたいって言いだしてさ。作れって強請るから、作ったんだけど……魔が差して、一個だけ大量にワサビを仕込んだんだよな」
「は?」
「油揚げの中にワサビいっぱい詰め込んで、酢飯で隠した」
「アキラ、お前……」
悪戯にしては悪質だ。顔を顰めたウィルに、慌てたアキラが両手を胸元まで上げる。
「怒らねーって約束だったろ!」
「……はぁ。で? それをブラッドさんに食べさせたのか?」
「おう。すっげえ顔して悶えるからさ。流石にやり過ぎたと思って、AAになったら付き合うことになった」
「当たり前だろ。ブラッドさんだって、そんな大量のワサビを一気に食べれば……ん? おかしいだろ。なんでそれで付き合うことになるんだ?」
「ワサビ食べさせたからだろ」
首を傾げて、さも当然とばかりに答えるアキラ。
ウィルは呆気にとられる。
「アキラ、ワサビを食べさせたから恋人になるって……それ、文脈が繋がってないぞ?」
「でもよ、あいつ、ワサビ入ってるの知ってて食ったんだぜ。オレが作ったからってだけで。度胸あるよな。オレだったらぜってー食わねえ」
そう言ってアキラは目を輝かせ始めた。
ウィルはますます混乱する。一先ず話を整理しようと、残ったプリンを頬張った。口内に甘味が広がる。
多幸感は戻ってきたが、やはりアキラの話は理解できない。一体、彼の中でブラッドとの関係をどう結論づけたのか。果たしてそこに恋愛感情が含まれているのか、邪推さえしてしまう。
もしかしてアキラは盛大な勘違いをしていないか。
ウィルは尋ねようとして口を開くが、同時に右から小さなノック音が聞こえた。見れば、窓の外から話題の人物が顔を覗かせている。制服姿を見るに、パトロールの途中のようだ。
「あ……」
思わず肩を揺らせば、アキラも気付いたらしい。ジェスチャーでこっちに来いと手招いている。
ブラッドはそんなアキラを見て、ウィルに視線を向けた。同意するように頷くと、窓から姿が消え、しばらくして入店してくる。女性に人気のスイーツ店だけあって、ホールがざわつくが、気にした様子はない。
慣れているのだろう。視線が合った客に手を振っている。
「よー、お疲れ」
「お疲れ様です、ブラッドさん」
「入ってきたってことは時間あるんだろ? コーヒーでも飲んでいけよ」
言いながら奥の席へ移動するアキラの横に、ブラッドが腰かける。そして近付いてきたスタッフに珈琲とオレンジジュース――これはアキラの分だろう――を注文すると、正面のウィルに向き直った。
「見かけたのでつい、声をかけたくなった。先日はすまなかったな、ウィル。久しぶりだが調子はどうだ」
「お久しぶりです。イーストはサウスと雰囲気が違っていて戸惑うこともありますが、新鮮な気持ちで働かせていただいてます」
研修期間後は、それぞれ別のセクターに配属されて半年。料亭で出会った日を除けば、ブラッドと話をするのは昇格祝いぶりだった。
どことなく柔らかい雰囲気のブラッドは、背筋を伸ばして緊張するウィルに小さく微笑む。
「お前たちはオフか」
「そーだよ。んで、お前との馴れ初め教えろってうるせーから、説明してた」
「アキラ!」
幼馴染に聞くのと上司に聞くのとでは話が違う。
ただ幼馴染の近況を知りたかっただけなのに、これでは人の恋路に首を突っ込むお節介な男ではないか。
そんなつもりはなかった、と焦るウィルを不思議そうに見つめながら、ブラッドが小さく頷く。
「馴れ初め……あぁ、ワサビの話か」
「そーだよ。折角教えてやったのに、ワサビに何の関係があるんだって言われた」
スタッフがドリンクを運んできた。
ブラッドがテーブルに置かれたオレンジジュースをアキラの方に差し出せば、ブラッドのコーヒーカップにミルクと砂糖が注がれる。当然とばかりに彼の好みを把握して量を調整するアキラに、ウィルは改めて二人の関係を認識させられた。
年の差を心配していたが、お互い気は合うようだ。
初対面の頃はあんなにも険悪だった関係がここまで成長するとは。思わず感慨深さを覚えてしまう。
好みの味に調整されたコーヒーを飲みながら、ブラッドが肩をすくめる。
「どうせ肝心な部分を説明していないのだろう」
そう言ってカップを置くと、アキラを横目で見る。
「とはいえ、大したことではない。アキラが稲荷寿司に細工をしたことには気付いていた。だから、食べ物を粗末にするなと注意したら『それを食えるぐらい度胸のある奴が好きだ』と言うので、食べた。それだけのことだ」
ブラッドが補足した説明に、ウィルは益々首を傾げた。分からない。だから、何故それが恋人関係として繋がるのか。
「え、えぇっと……」
アキラの説明下手はいつものことだが、ブラッドも言葉の足りないことがままある。まさかそれがこの場で発揮されるとは。首を傾げていると、ブラッドがアキラとウィルを交互に見つめた。
「それで、お前たちのこれからの予定は?」
「ねーよ。食ったら解散。オレはボルダリング行くつもりだけど」
アキラは言いながら、足元に置いたリュックを指さす。ブラッドは視線で追いながら言った。
「なら、タワーでトレーニングに付き合わないか。時間に余裕があるから枠を取ったが、相手が見つからずキャンセルしようかと思っていたところだ」
「マジか!」
途端に目を輝かせるアキラに、ウィルは苦笑した。
研修期間の最終日、二人でブラッドに挑んだ時のことはまだ鮮明に覚えている。あの時は全く敵わなかったが「また機会があれば挑戦してこい」と涼しげに言い切られてから半年。ウィルもイーストに配属されてから、トレーニングは欠かしていない。
「ウィル、今度こそブラッドをぶちのめしてやろうぜ」
「ぶちのめすには賛同したくないけど……そうだな。俺も、少しぐらいは成長出来たか確かめたい」
拳を握りやる気十分のアキラにあてられて、ウィルも力強く頷く。そんな二人を微笑ましい目で見ながら、ブラッドはアキラの手を取った。
「夜も空いてるなら食事でもどうだ」
「……二人で?」
怪訝な目がブラッドを刺す。眉をピクリと上げながら、ブラッドは首を振った。
「いや、ウィルと……オスカーも誘ってみよう」
「研修チームの同窓会か。悪くねーな。ウィルはどうだ? 空いてるか?」
いや、今のはどう見てもお前と二人きりの食事を誘っていたぞ。
言いたかったが、流石に野暮だろうと口を噤む。
やはりアキラはブラッドとの関係を理解しきれていないようだ。ウィルが知る限り、初めての恋人なのだから仕方ない。
断って助け舟を出そうか。考えていると、こちらを見つめるブラッドが苦笑しながら小さく唇を動かした。
音にならない声に、ウィルは小さく頷く。
「うん、大丈夫。オスカーさんには俺から声をかけてみるよ。同じチームだしね」
「よっし。決まりだな」
トントン拍子に決まっていくこれからの一日に、アキラは嬉しそうに笑った。
やはり研修チームに思い入れがあるのだろう。
ウィルも同じだ。また久しぶりに四人で集まれることに、心が躍る。
二人の関係も様子を見るに、あまり進展はないらしい。アキラのペースに合わせるつもりなのか。大人の余裕に感心しながらも、先は長そうだと同情する。
そんな穏やかな空気を微笑ましく感じていたウィルは、知らなかった。
一週間後、今度は父を労おうと、父の日にワインで有名なディナーへ連れて行った時、ノースのホテルでチェックインの手続きをしている二人と出会うとは。
しかも、初めて体を重ねたのが二十歳――付き合う前と聞いて、しばらくブラッドの顔を見ることが出来なかったのは、言うまでもない。