サンシャイン・ヒーロー 轟々と鳴り響く爆発音。発砲音。爆風で風が吹き荒れ、瓦礫の破片がブラッドの頬を裂く。
もうすぐ夜が明ける。夜闇に紛れた奇襲に苦戦していたが、今のところ死者は出ていない。しかし、それはあくまで報告上の情報だ。
霞む視界の中、ブラッドは目的の人物を探す。自然と警棒を握る手に力がこもった。辺りに気を配りながら駆けていると、ようやく視界の隅に赤を見つける。
「っ、おらぁ!」
宙を浮いたパーカー。その背中。赤に灯る黒い炎。
鳳アキラだ。
ブラッドは走り寄ると、炎の中で力強く降り立つ彼に近付いた。
「アキラ!」
声に反応して、アキラが振り返る。そしてブラッドを見て安堵の息を漏らすと、周囲を見回した。敵が襲ってくる気配はない。どうやらこの一帯は片付いたらしい。
「おう、ブラッド。無事でよかったぜ」
腰に手を当て、笑みを作るアキラ。ところどころ煤で汚れているが、目立った傷はないようだ。
ブラッドはそう思い、ホッとしながら視線を落とすと、焼け焦げた手を見つけた。オーバーフロウだ。
この程度で済んでいるということは、続けてきたコントロールの訓練は功を奏したらしい。
ブラッドは大きく息を吐くと、空いた方の手でアキラの左耳に触れた。
「インカムが繋がらないから心配した。無事でよかった」
「ん? あぁ、どうりでさっきから通信ないと思った」
耳に触れるブラッドの手に己の爛れた手を重ねながら、アキラは呑気に言う。
イクリプスは、ついに大々的な宣戦布告をしてきた。
五十七年前、宇宙から飛来した高エネルギー体、サブスタンス。それが全ての始まりだと。サブスタンスがこの地に墜落したことで降りかかった不遇や境遇、全ての怨恨を、彼らはジャックした回線で、ニューミリオン中にぶつけてきた。
それでも、事前に布告することで、ニューミリオンの市民を避難させることが出来たのは、イクリプスにとって最後の良心のつもりだったのか。
おかげで市民を安全な場所に逃がすことは出来たが、もう一度この地に戻ってくることは難しいだろう。
レッドサウスの倉庫街は焼けつくされ、ブルーノースの文化資産は瓦礫に埋もれている。
グリーンイーストも商業施設は破壊され、リトルトーキョーやチャイナタウン、リトルイタリーに見る影はない。
ロストガーデンと深く繋がっていたイエローウエストに至っては、イクリプスたちに占拠されている。
ひしゃげた信号機、塵の積もる道。崩れ落ちたリニア。
戻ってきても、帰る家はどこにもない。帰ることも出来ないこの土地を守ることに、果たして意味はあるのか。
ブラッドの脳裏で悲観的な思考が巡る。
「全面戦争ってだけあって、イクリプスも相当必死だな。手持ちのサブスタンスをどんどんぶつけてきやがる」
元々好戦的な性質を持つアキラは、戦い足りないのだろう。ブラッドの手をやんわりと離し、掌に拳を打ち付けている。
「他の奴らは?」
「無事だ。……といっても、半数以上は負傷してタワーに帰還している。このままジリ貧が続けば、こちらが押し負ける可能性もあるだろうな」
「マジかよ」
しかし、彼一人が戦い続けても意味はない。
三日目にもなる戦闘は、確実にヒーローたちを疲弊させ、戦力も削られている。サブスタンスの治癒能力にも、限界があった。
ブラッドは少し考えて視線を逸らすと、ぼそりと呟く。
「……お前も、手に負えないと思ったら撤退しろ」
AAA〈トリプルエー〉のアキラには、次の昇格試験で合格出来るほどの実力がある。オーバーフロウの力も強い。
それでも、いつ限界が来るかは分からない。その時、今のように仲間とはぐれていたら。敵に囲まれていたら。
想像しただけで、視界が暗くなる。
ブラッドの考えを理解したのだろう。アキラは目を見張ると、眉間に皺を寄せ始めた。
「おい、ブラッド」
低い声で睨みつけてくるアキラが、距離を詰めてブラッドの眼前に立つ。砂塵が足元を掠った。
「お前、オレたちが負けると思ってんのか?」
そう言って怒りを滲ませた翡翠の瞳に、炎が見える。
力強い、命の灯だ。
彼は決して諦めない。諦めないために走り続ける。それは、今も昔も変わらない。ブラッドは頭を振る。
「そうは言ってない。しかし、何事も最悪の事態を想定して動くべきだ」
「はっ、そこは昔みたいに効率的に勝利するって断言して欲しいもんだな。年取って弱気になったか?」
苛立ち混じりの皮肉に、ブラッドは自嘲した。
彼の言う通り、いつもの自分なら決して弱音など吐かなかっただろう。
ヒーローとしての誇りにかけて、決して立ち止まらなかったはずだ。本質的に、ブラッドはアキラと同類であるのだから。
しかし、窮地に立たされたこの状況で、ついに押し隠していた感情と直面して、考えたくない可能性に気付いてしまった。
「失いたくないものが増えただけだ」
そう言って俯くブラッドに、流石のアキラも思うところがあったのだろう。困った顔で、まだ傷の癒えないブラッドの頬へと手を伸ばす。
――その時だ。
「っ」
「アキラ!」
レーザー音と共に、アキラの体が後ろへと倒れた。見回せば、二人のイクリプスが銃を片手に廃ビルの屋上からこちらに照準を向けていた。
ブラッドは荒ぶる感情のまま睨みつけると、ビルの鉄筋を操り、イクリプスたちを押し潰す。
中指の感覚がない。見れば、鋼鉄化が始まっていた。オーバーフロウによる後遺症だ。
「ぐ、ぅ」
アキラの唇から呻き声が漏れる。横腹を押さえて蹲っていた。肉が抉れたのか、血が止めどなく溢れていく。
ブラッドはしゃがみ込み顔色を確認すると、アキラの頬を強く打った。
「う……」
「意識を保っていろ。今、救護班を呼ぶ」
サブスタンスの治癒能力があっても、出血が致死量を超えれば死に至る。危険な状況だ。
ブラッドは右耳に手を添えると、司令部へと繋ぐ。混線しているのか、通信が繋がりにくい。舌打ちが漏れる。
「ふ……ふー……はぁっ、はっ、くそ」
焦るブラッドを余所に、アキラは落ち着きを取り戻したらしい。大きく呼吸しながら仰向けに寝転がると、地面に置いていたブラッドの警棒を掴む。
「……アキラ?」
掴んだ警棒を口に銜える。震える掌に炎を纏わせた。
――何をする気だ。
ブラッドが言葉を発するより早く、炎がアキラの横腹を焼く。
「ぐ、ぅ、ううううぅぅぅぅうううぅぅ――ッッ」
肉の焼ける音。強烈な匂い。呻き声。警棒を食いしばる歯。鉄に負けて、歯が一本欠ける。
アキラは、自らの炎で傷口を焼くという強引な方法で止血すると、警棒を吐き出して、歯茎にぶら下がった歯を引き抜いた。
「はっ、はぁっ」
「無茶な……」
ブラッドが呆然と固まる。
多少の治癒で痛みは引いてきたのか。のろのろと起き上がったアキラは、ブラッドに強い視線を向けた。
「無茶じゃねえ。無謀でもねぇ。動けるって信じたから、こうしただけだ」
翡翠が燃える。燃えて、そのまま溶かされそうなほど熱い意志。
ブラッドは、その熱に耐えられなかった。視線を逸らすと、転がった警棒を握りしめる。
「……やはり貴様は撤退しろ。俺がタワーに連れていく」
そう言って立ち上がるブラッドに、アキラは体をぶつけてきた。よろけながらも受け止めれば、胸倉を掴まれる。
「ふざけんな!」
怒りに満ちたアキラが、今にも泣きそうな顔で叫ぶ。
「いいか、ブラッド。オレはヒーローだ! お前のパートナーである以前に、ニューミリオンを守る、ヒーローなんだよ! 忘れんじゃねぇっ!」
炎に包まれる建物の中、死にかけた少年が、ブラッドの脳裏を過ぎった。
彼を助けたのは、果たして正しい選択肢だったのか。
死地に向かわせるために救ったつもりはない。けれど、何の因果か再び自分の前に立ち、どこまでもヒーローとして在ろうとする彼に、どうしようもない後悔が押し寄せる。
ヒーローとはエゴの存在だ。分かりきっていた事実に、今はやるせなささえ覚える。
「だが……」
彼の言う通り、自分も年を取ったということか。言い淀んでいると、アキラは呆れたように大きなため息をついた。
「仕方ねぇな」
そう言って頭を掻くと、掴んでいた胸倉を引き寄せる。
ふらつきながらも伸ばされる背筋。顔が近付き、唇にかさついた皮膚が当たる。血の味がした。
唇を離したアキラは、真っ直ぐな目をブラッドへと向ける。
「ブラッド。そんなに心配なら、お前を信じるオレに誓え。この戦いに勝ったら、でっけぇホットドッグのウェディングケーキを用意するってな」
迷いのない、凛とした言葉。
ブラッドは目を瞬かせて、言葉の意味を考えたあと、恐る恐る口を開いた。
「……それは、プロポーズのつもりか」
「つもりじゃねーよ」
手を離したアキラは、一歩後ろへ下がると腰に手を当てた。そして傷を確認すると、体をねじってその場で跳ねる。
自分が本当に戦えるかどうか確認しているのだろう。諦める姿はどこにもない。
「おまじないだ。終わった後の楽しみがありゃ、何が何でも死ねねーだろ? 死ぬつもりもないけどな」
そう言ってストレッチを始める姿に、ブラッドは思わず噴き出した。くつくつと笑みを零すと、ゴーグルの奥から涙混じりのマゼンタをアキラへと向ける。
「そんなセンスのないケーキで俺が一念発起するとでも思ったのか」
「で、用意してくれんのか?」
「……用意しよう」
「おっしゃ」
いつもの調子が戻ったのか、アキラは歯を見せて笑う。
一本抜けた歯が、無性に愛しいと思った。
もう迷いはない。ブラッドは力強く地面を踏むアキラの横に並び立つ。
「終わったら、お前の淹れるコーヒーが飲みたい」
「そんなんでいいのか? 任せとけよ。オレの天才的な腕で泣いて喜ぶモン作ってやるぜ」
「それは楽しみだ」
「なんせ五年も淹れてきたからな」
砂糖は少なめ、ミルクは多め、だろ?
誇らしげに言うアキラに、ブラッドは笑みを浮かべる。
導いてきた子供が、自分を導くようになる。それは、教育者として身に余る幸福だ。
お前を信じるオレに誓え。
決して信じることを諦めないその言葉に、どうしようもなく胸が満たされる。
「お前らしい」
ブラッドは瞼を下ろすと、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
エリオス側の状況、イクリプスたちの動き、今までを思い出して、その先の正解を探す。学び、培ってきた経験は決して裏切らない。
そして、ようやく見えた先に思いを馳せて目を開ければ、指示を待つアキラが、こちらを静かに見つめていた。ブラッドは警棒を振り歩き始める。
「いいか、アキラ。このまま敵の本陣に向かう。オスカーたちも仲間の救護が済み次第、合流するだろう。……効率的に勝利する。そのための道を切り開くぞ」
「そうこなくっちゃな」
弾む声が心地いい。ブラッドは、イクリプスたちが占拠するイエローウエストへの道を進みながら、アキラを横目で見た。
「アキラ」
名前を呼べば、アキラが首を動かす。澄んだ翠の双眸が、昇ってきた太陽に照らされて、煌めきを放つ。
まるで生命の息吹のようで、少しだけ、ほんの僅かな躊躇が生まれた。
「……本当に、俺の横で未来を生きてくれるのか」
ブラッドの胸の奥底で残っている、滓のような弱音。
いつ死ぬかも分からない。それだけではない。十歳も離れているし、生産性のない男同士だ。それに、生活習慣だって、性格だって、好みの食べ物だって、何もかもが真逆である。決して離さないと決意したが、いつかその光が眩しすぎて逃げることだってあるかもしれない。
しかし、そんな不安の影すらも、太陽は見透かして照らしてしまう。
「オレを誰だと思ってんだ」
アキラはそう言って、ボロボロの掌で拳を作ると、ブラッドに向かって突き出してくる。
「不屈のワイルドフェニックスには、絶対君主の鉄壁を越える羽があるんだぜ。例え離れちまっても、ひとっ飛びで、お前の横に立ってやる」
何よりも頼もしい言葉だ。確かにここには、ニューミリオンには、信じられる〈ヒーロー〉がいる。きっと、彼こそが、いつか本当の〈ヒーロー〉となるのだろう。
(ならば俺は、俺を信じてくれるお前を信じよう)
ブラッドは小さく笑みを作ると、その拳に己の拳を当てた。
太陽がニューミリオンに朝を与える。
未来を導く、確かな光だ。