そして私はナマモノに沼った コンビニ店員は、やりがいのない仕事だ。客からは怒られてばかりだし、給料だってそんなに高いわけでもない。
それでも辺鄙な場所にあるガソリンスタンドの、しがないコンビニで働いているのは、家からまぁまぁ近くて、シフトに融通がきくから。近いと言っても、スクーターで十五分はかかるのだが。
「はぁ……」
ため息をつきながら、私はスマホを取り出した。
店長は留守だし、客もいない。暇ならサボっても構わないだろう。どうせ、一日にくる客の数なんて、二桁にも満たない。
ロックを解除し、エリオスチャンネルを開けば、ニューミリオン独特の人たち――生き生きと輝く、ヒーローたちが姿を現した。キラキラしていて眩しいぐらいだ。
チームの仲間と仲良く自撮りしてる写真、食べたご飯の写真、猫の写真。……これはおそらくレンくんだな。やっぱり。
私はレンくんのページを一通り見て確認すると、目当てのヒーローへと移った。鳳アキラ。AAAヒーロー。私の推しだ。
元不良ということもあって、昔はアンチも多かったが、今では皆、彼の虜。「アキラくーん!」と女性ファンが声をかければ「アキラ様って呼べ!」と返してくる掛け合いコントは、私たちの中で恒例行事となっていた。
おかげで今でもアキラくんは皆から「アキラくん」と呼ばれている。本人は、元メンターのブラッド様みたいに、様付けされてキャーって言われたいようだが。直接そんな話をしたわけではないけれど、バレバレだ。アキラくんがブラッド様を目標にして、意識していることは、周知の事実なのだから。
格好良くて、笑顔が眩しくて、仲間思い。年齢を重ねたことで深みが増し、見た目のワイルドさと意外と上品な中身は、纏う色気で調和されている。あの手を焼く直情型でヤンチャな弟気質が、こう育つとは、誰が思うだろうか。
(私は思ってたけどね)
私は七年前、ルーキーの彼に一度だけ助けられたことがある。エレメンタリースクール帰りだった幼い私は、怖くて怖くて泣いてしまって、そんな時、彼が強く抱きしめてこう言ったのだ。「絶対に助けるから、オレを信じろ」と。
その言葉と真っ直ぐな緑の眼差しは、今でもはっきり覚えている。そこから彼に転がり落ちるまでは一瞬で、追いかけ続けて七年。就職も、エリオスタワーの事務か、無理でも近場の会社にするつもりだ。
完全に人生を鳳アキラに狂わされている。けれど後悔なんかない。
「やっぱ投稿はない、か」
アキラくんは機械音痴なので、投稿が少ない。あってもブレた写真とか、短い言葉だけ。今日も更新がないのを確認すると、私はウィルくんのページに飛んだ。
ウィルくんのエリチャンの方がアキラくんのことを一番よく知れるし、投稿も多い。草花の写真に混ざって出てきた赤色をタップすると、私は隠し撮りされたのだろう、横顔のアキラくんを見て、うっとりとため息を吐いた。
「やっぱり格好いい……」
風が靡いてサイドの刈り上げが見えている。最近は隠れツーブロックが彼の主なヘアスタイルだが、ワイルドさと清潔感があって、今までの中でも一番好きな髪型だ。
「この、普段見えてないのに、ふとした時に見えるヤンチャさが好き……」
ウィルくん、ありがとう。おかげでまた寿命が伸びました。画像を保存すると、私は画面に向かって合掌した。最近流行っている、日本のジェスチャーだ。感謝の最上級を表すものらしい。
そうしていると、入り口の方から物音が聞こえてきた。どうやら客が入ってきたようだ。私は慌ててスマホを仕舞うと、素知らぬふりをして立ち上がった。
目の前を通り過ぎる客。冷やかしじゃなければいいが。つまらなさそうにするも、ベースボールキャップから覗く髪が推しと同じ赤だったせいか、私は無意識に客の方へ視線を向けて、固まった。
(え……?)
瞬きを繰り返す。首が、通り過ぎていった彼を追って動く。そんな、まさか。
(いやいや、他人の空似でしょ)
アキラくんのことを考え過ぎて、今は誰でもアキラくんに見えてしまうだけだ。けれどあの後ろ姿。赤い髪。身長。……似ている。
客は向かった先に目当てのものが無かったのか、踵を返すと戻ってきた。悲鳴を上げなかっただけでも褒めて欲しい。黒縁の眼鏡とキャップのバイザーで顔は分かりにくい。けれど、いつも写真で穴が開くほど見ている私には、顎や鼻の造形だけで、それがアキラくんだと確信する。
アキラくんは少しだけこちらに近付くと、奥へと曲がっていく。私はしゃがみ込むと、息を止めていた口を押さえた。
(むりむりむりむり。なんでこんなところに? 私、今日化粧が雑!)
来客もおじさんばかりで、来てもカップルだったため、どうせコンビニの往復だけだしと、すっかり化粧をサボってしまった。特に、今日は夜遅くまでアキラくんの情報を追ってて遅刻しかけたこともあり、いつもより肌のコンディションも悪い。
(最悪だ。七年ぶりなのに……いや、たまに会ってはいたけど)
パトロール中の彼を他のファンに混ざって見に行っては手を振ったり、握手会に参加したことはあるが、ハイスクール生の私がセントラルスクエアまで行って会いに行ける回数なんて、たかが知れている。更に言えば、オフであろう彼と会うのは初めてだ。
カウンターから顔を覗かせてアキラくんを見る。アキラくんは飲み物を手にしながら、コンドームのコーナーに立っていて……。
(ウソだ)
コンドームの箱を一つ手に取って、パッケージを見るアキラくん。その姿に、私は手足が冷えるような感覚を覚えた。
ヒーローはアイドルと違う。男なのだから、そりゃ恋人だっているだろうし、いつか結婚だってする。頭では理解していたが、やはり直面するとショックは大きい。
誰だ。どこの女狐が、アキラくんを誘惑したのだ。私は見えない憎き女に嫉妬の炎を燃やす。
そうこうしている間に、アキラくんはコンドームを決めたのか、レジへと近付いてきた。ミルク多めのコーヒー二つと、コンドーム。
一つは彼女の分だろうか、とか。ゴムのサイズを見て、アキラくんって意外と大きいんだ、とか。私の感情はぐちゃぐちゃだ。
コンビニなんかで働くんじゃなかった。私は鬱々とした気分でレジを通していく。アキラくんは、それをぼんやりと眺めていた。しかし、ふと、私の顔を見て、首を傾げ始める。
「んー……なぁ、どっかで会ったことないか?」
突然話しかけられて、思わず手に持つコンドームをカウンターの上に落としてしまった。動揺を隠せず俯くが、アキラくんは無遠慮に覗き込んでくる。
「やっぱりだ。お前、この前の握手会にいたよな?」
気付かれてしまった。気付いて欲しくなかった。気付いてくれて嬉しかった。どっちだよ、と自分にツッコミを入れながら、私は小さく頷くと、手早く袋に商品を詰めていく。
「いや~、やっぱオレって記憶力も天才だな」
そういう俺様なところも格好いい。が、コンドームを買っているのだからもう少しファンに配慮をして欲しい。おそらく彼の場合、自分がリアコ対象にされてるとは微塵も思っていないのだろう。そういう鈍感さも好きだ。いや、やっぱり今は辛い。
「十二ドルになります」
「あぁ」
アキラくんは少し多めに渡してくれて、釣りはいらないと言った。後でこのお金、自分のと交換して保存しよう。そういう考えが出る辺り、悲しくても私は彼のファンなのだと実感してしまう。
ずっと俯きながら接客する私。早くこの時間が終わって欲しい。いや、やっぱり終わって欲しくない。矛盾した気持ちに目の奥がツンとする。その時だ。
「おい、まだか」
凛としたテノールが店内に響いて、私は思わず顔を上げてしまった。聞き覚えのある声。見れば、入り口に知った顔が立っている。
老いても尚美しく、優美な、秩序を重んじるヒーロー。ブラッド様だ。サングラスをかけているが、その程度で彼から出るオーラが隠れる訳がない。
――何故こんなところに。その疑問は、アキラくんの返事で理解する。
「悪りぃ。今終わったとこ」
そう言って袋を持ったアキラくんはブラッド様に視線を向ける。
「オレと一緒のミルク多めで良かったよな」
「あぁ」
私は二人の会話を聞いて、目を見開いた。
え、アキラくんの連れがブラッド様で、でもアキラくんはコンドームを買ってて、でもコーヒーはブラッド様の分も含まれてて……どういうことだ?
ポカンと分かりやすく口を開けて固まる私。アキラくんは視線をこちらに戻すと、その姿を見て気付いたようだ。気まずそうな顔をする。
「あー……折角だからさ、握手しようぜ」
頬を掻いた後、そう言って手を出すアキラくん。私は無意識で手を出すと、力強く男らしい手が、握りしめてきた。
「また会えるの楽しみにしてるな」
歯を見せながら笑う姿も格好いい。どんなに成長しても、あの頃と変わらない。やっぱり彼が好きだ。私が眩しい笑顔に惚けていると、不意に顔が近付いてきて。
「悪りぃけど、ナイショな」
アキラくんは、そう小さく囁いて、すぐに手を離すと、そのままブラッド様の待つ入り口へ走り去ってしまった。ブラッド様は、私と目が合うと笑顔で手を振ってくれたが、すぐにアキラくんへしかめ面を向けている。
そうして二人が去った店内。空調音と羽虫の音を耳にしながら、私はたっぷり数分固まった後、首を傾げた。
「どっちがボトム……?」
いや、そこじゃないだろうと思いつつ、その日の私はどちらがボトム役なのか、あのコンドームはどちらが使うのかで、頭がいっぱいになってしまったのだった。
ちなみに、その日の夜、二人の関係を調べているうちにナマモノサイトに辿り着いてしまい、うっかり朝まで作品を読み耽って、また寝坊しかけたことは秘密である。