察しのいい男 ポキッ。……シャクシャク、シャク。
聞き慣れない音がする。
必要な書類を取りに一度部屋へと戻ってきたブラッドは、共有ルームに入るなり聞こえてきた軽快な咀嚼音に眉を釣り上げた。
ポキッ。……シャク、シャクシャク、シャク。
その音はキッチンから聞こえる。視線を向ければ、カウンターの向こうで赤い穂先がひょこひょこと揺れていた。すぐに音の犯人を理解し、ため息をつく。
「何をしている」
「うぉっ!? っ……ぁ、あぁっ、クソッ! いってぇ……っ」
ガンッ、ゴンッ!
面白いほど分かりやすい音に、思わず吹き出しそうになったブラッドだったが、すぐに息を止めて耐え切った。
しゃがみこんでいたのだろう。ブラッドの声に動揺して立ち上がり、カウンターの角に頭をぶつけたアキラの苛立たしげな顔が、隔たりの向こうから徐に現れる。
「んだよ、ブラッドか。驚かすんじゃねーよ」
不機嫌さを隠そうともせず、アキラはブラッドを睨みつけ毒づくと、右手に持つ袋から細長い棒を取り出し、それを口へと運ぶ。
ポキッ。……シャクシャク、シャクシャク。
なるほど、音の正体は彼の手に持つものにあるようだ。
ブラッドはそれに興味を惹かれ、顎をしゃくる。
「それは?」
「……? あぁ、これか? ポッキー。ジャパニーズ発祥のスナックだよ」
ポッキーと呼ばれる、チョコレートがコーティングされた細長い棒状のクッキーには見覚えがある。街でアイスクリームなどに刺さったスナックだ。
まさかそれがジャパニーズ発祥のものだとは思わず、途端にブラッドはそのスナック菓子に釘付けになる。
その様子にアキラは困惑の表情を浮かべた。
「え、お前、まさか知らねえの? スクールでも誰か一人は持ち歩いてただろ」
「見たことはある。だが、そのような音を立てているのを聞いたことがない」
「音ぉ?」
そう言ってアキラはまた袋からポッキーを取り出し、口に突き刺した。
ポキッ。……シャク、シャクシャク。
その気持ちいいほど軽快な音に、ブラッドは名称の由来を理解して頷いた。
確かにその音に相応しい名前だ。
「お前の周りのヤツ、よっぽどお上品に食ってたんだな」
アキラはそう言ってカウンターを回り込むと、ブラッドへと近付いた。
まだ制服姿を見るに、パトロールから帰ってきたばかりなのだろう。
袋の中身は残り六本といったところか。
「で、キッチンで何をしていたんだ」
ブラッドは袋に視線を注いだまま問う。
アキラは自身の行動を忘れたのか、首を傾げた。おそらく頭をぶつけたことも既に遠い記憶なのだろう。
「あ? ……あー、あぁ、今日はポッキーの日だー!っつって、近所のスナック屋がセールしてたんだけど、思ったより売れ行き悪かったみたいでさ。泣きつかれたから、仕方なくまとめ買いしてきたのを仕舞ってたんだよ」
ポキッ。……シャクシャク、シャク。
いっぱいあるから食ってもいいぜ。そう言ってアキラはまたスナック菓子を咥えた。
唇で挟み、器用に折る。厚みのない薄桃色が持ち上げられ、折れた反動でふるりと揺れる。
その動作につられて、ようやく視線をアキラへと戻したブラッドは言った。
「ポッキーの日?」
「ほら、十一月十一日って棒が四本並んでてポッキーみたいだろ。メーカーが決めたんだとよ」
「販売戦略か。メーカーも必死だな」
とはいえ、形は何にせよ、その戦略の結果アキラはポッキーを大量に買ったので、効果はあると言えるだろう。
販売戦略の意味を理解していないのか、首を傾げるアキラはまた袋に手を伸ばす。そして、取り出したポッキーを口へと運んだ時だった。
「そうだな、一つもらおう」
言葉と共に、顔が近付く。驚いて引いたアキラの背中に手を回し、顎をすくって逃げ道を奪う。
そのままブラッドは、唇に挟まれたスナック菓子の端に齧り付いた。
ポキッ。
「……ふぉい」
ポキッ、ポキッ。
「……ふらっほ」
ポキッ、シャクッ。
「……っ」
「……まだ終わってないが」
ブラッドの口へと消えていくスナック菓子。距離の迫る唇。
思わずアキラが顔を背けると、不服そうな声が聞こえてきた。
「っ、こっちにもあんだろ、こっち食えよ!」
物言いたげな視線に耳を赤く染めたアキラは袋を突き出す。しかし、残り四本のそれは、アキラが驚いた時に握り潰してしまい、小さく折れていた。
砕けたそれを見たブラッドは、辛うじて長さが残る一本を取り、アキラの唇に挟む。今度は焦らさず、根本まで一気に咥え込んだ。
「んっ」
唇が触れ、次いで薄く開いた扉に舌が滑り込む。
チョコレートの甘味と匂いの広がる口内を、コーティングを溶かせクッキーだけになったスナックが、舌で折られながら二人の間を行き来する。
ようやく全てを飲み込み口を離したブラッドは、またアキラが手に持つ袋から折れたポッキーを摘んだ。
それを見てアキラは思わず半眼になる。
「……ブラッド、お前、ポッキーゲームって知ってるか?」
「聞いたことがないな」
「あぁ、そう。じゃあいいや――って、もういらねぇよ! 一人で食え!」
また唇にポッキーを挟もうとするブラッドに、アキラは声を荒げた。
しかし、ブラッドに表情の変化はない。淡々とした目をこちらに向けている。
いや。よく見れば、その瞳の奥に燻る熱が見える。
アキラは背筋を粟立たせた。
「この状況で、お前の反応で、その単語が何なのかぐらいは予想がつく」
「うげ……」
察しのいい男は嫌いだ。顔を顰めるアキラに、ブラッドは口の端を持ち上げる。
「たくさんあるそうだな。丁度甘いものが欲しいと思っていたところだ。有り難くいただこう」
「だから普通に食えって、普通に」
まさか満足するまで俺の口から食う気じゃねぇだろうな。
そう言ってジト目を送るアキラに、ブラッドは「どうだろうな」と小さく目を細めた。