グリーン・アイは交わらない オスカーから緊急の連絡が入り、会議が終わり次第すぐに研修チームの部屋へ向かったのが三十分前のこと。扉を開けるなり飛び出してきたものに驚いていると「ブラッドさん、捕まえてください!」と部屋から大声が聞こえてきた。すぐに反応して手を伸ばしたが時既に遅し。素早い動きであっという間に遠くへと消えていく背中に、能力を使おうとするオスカーを引き止めた。
聞けば、対応に当たっていたサブスタンスの影響を受け、アキラが十年ほど若返ったらしい。年齢だけではなく、記憶や思考も当時のもので、何度説明しても、ウィルのことすら分からなかったようだ。
「それで、オスカーさんに怯えたアキラが飛び出してしまって……」
「まさか扉が開いた瞬間逃げ出すとは思わず……不甲斐ないです」
「いや、追いかけるお前を止めたのは俺だ。気にする必要はない。それに、その状況で捕まえたとしても、余計に警戒心を持たれていただろう」
状況を理解し、項垂れるオスカーを慰めるブラッドは、すぐにスマホを取り出し連絡を始めた。
「ブラッドだ。小さくなったアキラが逃げ出した。エレベーターと非常階段に人を配置させてくれ」
エリオスタワーの居住エリアや研究室エリアなどは、一般客や関係者以外が立ち入ることが出来ないよう、各々が持つカードキーと生体認証で管理されている。
エレベーターに乗っても今の彼なら動かすことも出来ないだろう。非常階段に続く扉も同様だ。このフロアから抜け出すことはない。それでも念には念を入れておく必要はある。連絡を済ませると、ブラッドはウィルとオスカーと手分けしてアキラを探し始めた。
しかし、三十分経った現在、まだアキラは見つからない。各部屋に入れるわけはないし、精々廊下と共有スペースぐらいのものだが。まるでかくれんぼをしているような気分だとため息をつく。二人から連絡もない。エレベーターと非常階段を張る警備の者にも聞いたが、見かけていないと言う。
(まさか……)
ブラッドは、一つの可能性を考えて、エレベーターに乗り込んだ。一階まで降りると、観光客向けのエリア――特に販売スペースを見回す。
「大丈夫? お父さんとお母さんが君を探してたよ」
いた。土産物スペースの横、柱の裏から、赤い毛が覗いている。誰かと話しているようだ。近付けば、怪しげな中年男性がアキラに声をかけていた。
「オレの親、知ってんの?」
「あぁ、もちろん。早く行かないと、また会えなくなっちゃうよ」
「失礼、彼はこちらで保護している少年だ」
「っ!?」
話に割り込めば、中年男性はあからさまに動揺してみせた。しかし、アキラにとってはどちらも見知らぬ男性だ。ブラッドの制服を見て、体が強張る。ウィルとオスカーの仲間だと思われているのだろう。間違ってはいないが。
「もういーよ、親見つかったって言ってるし」
そう言ってブラッドを警戒しながらも中年男性を指さすアキラ。彼の方が信頼出来ると思ったのか。ブラッドは思わず鋭い目線を向ける。
「彼は本当に貴様の親を知っているのか?」
「はぁ? だって探してるって」
「なら、問おう。この少年の名は? 探していると言っていた親の特徴は?」
「あ、あう、あ……」
質問責めにすれば、中年男性は狼狽えながら後退りする。そのまま立ち去ろうとする姿に、捕まえようかとも思ったが、その隙にアキラが逃げる可能性を考えて、仕方なく小さくなっていく背中を見送った。
「あっ……」
離れていく男性にアキラは焦りを見せる。彼にとって唯一の両親に繋がる手がかりだと信じていたのだろう。ブラッドと二人きりの状況になり、警戒心を強くなる。距離を詰めれば、逃げるように壁際へ走った。エリオスタワーに子供用の制服など用意されていない。その場しのぎで支給された服は、白い半袖に半パンという如何にもな実験着で、ブラッドの眉が知らず顰められる。
「なっ、なんだよ。オレ、おじさんのこと知らねーぞ」
「……」
片眉が吊り上がる。二十も離れた相手は、彼にとっておじさんと呼ぶに値する年齢なのだろう。ブラッドは近付くと、逃げようとする体を捕まえて肩に担いだ。当然アキラは暴れ始め、声を張り上げる。
「誘拐犯! 変質者! 誰か助け――もごっ」
エリオスタワーとはいえ、ここは観光フロアだ。周りがざわつき、子供を拘束するブラッドを見る。ブラッドは内心焦りを覚えながらも、笑顔を浮かべて一般客たちを見回した。
「騒がせてすまない。彼はサブスタンスの影響で記憶が一部飛んでいる。このブラッド・ビームスがエリオスの技術で早急に治療し、直ぐご両親の元に届けると誓おう」
メジャーヒーローの知名度は信頼も高い。ブラッドさんが言うならと、一般客たちはすぐに穏やかな空気へと戻った。すっかり興味を失った人たちに、アキラは絶望しているのか、硬直したまま動く様子はない。ブラッドは大人しくなったことを確認すると、急いで居住エリアへと踵を返した。
◆◇◆
「いやぁ、すまない。まさかこの少年がアキラだったとは……。確かによく見れば似ているな」
アキラが居住エリアから移動出来た原因――ジェイが、困惑を浮かべながら頭をかく。アキラの状況を知らず、子供が迷い込んだのだと思ったらしい。両親の元に連れて行くつもりが、エレベーターの扉が開いた瞬間逃げるように走り去られ、ジェイも心配になって探していたと言う。
アキラはと言えば、ジェイの隣に座っていた。共有ルームで姿を見つけるなり、飛びついて離れないのだ。ブラッドが見つめれば、袖を握りしめて大きな背中へと隠れた。その姿に、以前アレキサンダーが脱走した時のことを思い出す。
「……」
「はは、すっかり警戒されているようだな」
ジェイが苦笑しながら、アキラの頭を撫でる。抵抗はない。同じ制服なのに、何故彼なら大丈夫なのか。ブラッドは胸中で不満を抱く。表情は変わっていない筈だが、ジェイには何もかもお見通しらしい。栗色の目が楽しげに細められた。
「懐かれないのが不満のようだな」
「……そんなことは言っていない」
「顔に表れているぞ」
「……」
今度はあからさまに不満げな顔をしてみせた。アキラはジェイに揶揄われているブラッドを興味深そうに見つめている。長閑な空気に警戒心が薄れてきたのだろうか。ブラッドは過去にアキラとした会話を思い出しながら立ち上がると、小さな体の前で跪いた。
「……アキラ」
「な、なんだよ」
「お前は、とても賢い」
「……?」
そう言って手を取るブラッド。脈絡のない言葉に、アキラは困惑の顔を浮かべた。怯えさせてはいけない、不審がらせてもいけない。言葉を考えながら、ゆっくりと本心を口にする。
「周囲が知らぬ者ばかりだと理解した瞬間、身を守るために必死で行動した。尊敬に値する」
「……」
「上手くエレベーターに乗り込めたことといい、その機転と素早さは天才と称していいだろう。……ただ、今は俺を信じて欲しい。必ず元に戻れるよう、尽力を尽くすつもりだ」
取った手を握りしめる。ブラッドは続けた。
「それまではオスカーとウィルのいる部屋で……そうだな、お前はゲームが好きだった筈だ。希望のソフトがあれば、手配しよう。しばらくそれで時間を潰して、待ってくれないだろうか」
アキラの眉がピクリと動く。手を握り返しながら、それでもまだ懸念があるのか難しい表情を見せる。
「……おじさんがそこまで言うなら、別にいーけど……でも、あのデカいのは嫌だ。怖い」
身長差を考えれば当然だろう。オスカーは二メートル近い。アキラにとっては、巨人のようなものだ。ブラッドは笑みを浮かべた。
「彼はとても優しい男だ。部屋でハリネズミも飼っている」
「ハリネズミ?」
「気になるなら見せてもらうといい。興味があると知れば、きっと喜ぶだろう」
そう言えば、途端にアキラの目は輝いた。動物は、子供の警戒を容易く解いてしまう。ブラッドに対する不審感は拭えたのか、アキラが手を握り返して立ち上がる。
「懐柔は成功したようだな」
「手を煩わせてすまなかった」
「なに、構わないさ。早く戻れるといいな、アキラ」
「おう、ジェイもありがとな!」
「……」
何故ジェイは名前を呼ぶのにブラッドはおじさん扱いなのか。無言で訴えると、アキラが見上げてくる。
「だっておじさん、名前知らねーもん」
「……ブラッドだ」
「ブラッドおじさんか」
「おじさんは付けなくていい」
眉を寄せると、アキラは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。それを見て、揶揄われているのだと気付く。
「メンターリーダーも子供には形無しだな」
「やめてくれ」
楽しげに笑うジェイに、ブラッドはため息をつく。
いつものアキラなら厳しく窘めるが、八歳の彼ではそうもいかない。また警戒心を強められても困る。子供に好かれるジェイとは違う。まだ退行したのが外見だけなら対処のしようもあったが。
どう扱っていいのか分からず、先行きに顔を曇らせていると、アキラが握った手を引いてきた。
「なぁブラッド、早くハリネズミ見たい」
しかし、打算のない澄んだエメラルドは、今の彼と変わらない。ブラッドは微笑むと、ジェイに別れを告げて、アキラと共に部屋へと戻るのだった。