爪痕を撫でる カーテンレールからの日差しが瞼の奥を刺激する。眩しさに脳を覚醒させたアキラは、起き上がろうとして動かない手足に眉をピクリと動かした。
(おも……)
体が鈍い。脳も、まだ寝足りないとぼんやりしている。普段は寝起きのいい方だが、何故今日はこんなにもずっしりとした疲労を蓄積しているのか。
考えて、すぐに昨夜のことを思い出し納得する。
(あー……そういや、そうだった)
熱く激しく求め合った――いや、昨夜はどちらかと言えば求められた。何回したかと思い出そうとするが、記憶は曖昧だ。とはいえ、思い出したからと言って何があるわけでもない。
冬になったからコートをあつらえに行く。
誘いというよりは宣言のような言葉に、モノを大切にしろだの小言を受けながら再びスーツに腕を通したのが昨日のこと。
訪れたビスポークテイラーは二度目ともあって、仕立て屋と軽く世間話出来る程度には和らいだ緊張感の中、スーツの時と同じく何も分からないアキラの横でブラッドは当然のように細かいオーダーを始めていた。
そして食事を済ませ、訪れたホテルの一室。最早、何度来たか分からない見慣れた場所。けれど、玄関先で押し倒されたのは初めてだったかもしれない。
スーツが汚れると制する手を噛まれ、怯んだ隙に気が付けば組み敷かれていた。おざなりな前戯で中へと押し入った昂りに、相手が余裕を失っていると理解する。
嫌でもないのに抵抗する意味はあるのかと快楽に流されて一回、そのままリビングに引きずられソファーで一回。いや、二回だったかもしれない。
呼吸も整わぬうちにシャワールームで一回、疲れ切って動けない体を抱えられベッドで――。
(……やめるか)
やはり数えるだけ不毛だ。アキラは遠くから聞こえる水音の主が機嫌を直していることを祈りながら、意思に抵抗しようとする腕を無理矢理動かした。シーツではない布地の感触を見つけると掴み、手繰り寄せる。
重い目蓋のまま、体を起こして白いシャツに腕を通す。彼が逢瀬のために予約する部屋は、いつもベッドが広い。手を伸ばしてみるが、それ以外の衣類は見当たらなかった。代わりに触れた枕を、なんとはなしに膝に乗せる。
ボタンを留める気力も、スラックスを履く意欲もない。下着は身につけているのだ。問題ないだろう。
欠伸を噛み殺す。やはり、まだ眠い。水音はいつの間にか消えていた。
旧式の、ドアノブが開く金属音が聞こえる。アキラはふわりふわりと定まらない思考のまま、目蓋を擦った。
「ん……はよ。いま、何時か分かるか……?」
この部屋に自分以外一人しかいないのだ。相手を確認する必要はない。膝に乗せた枕に頭が落ちていきそうになる。まだチェックアウトに余裕があるなら、二度寝してしまっても構わないだろうか。
しかし、ブラッドの返事はない。不思議に思って音がした方へ顔を向けた。まだ半開きの視界で、こちらを凝視して固まる男を捉える。
「……?」
視線が合うと、シャワーから上がったばかりのブラッドが、濡れた髪もそのままに大股で近付いてくる。その威圧感に、急速に脳が覚醒した。
ベッドの上で後ずさると、伸びた手がサイドボードの電話へ置かれる。そのまま受話器を取り、通話を始めるブラッドを怪訝な目で見つめた。どうやらフロントへ連絡しているようだ。チェックアウトを延長出来るか交渉している。
もしかして、自分の意図を汲み取ってくれたのだろうか。そんな淡い期待で見つめていると、ブラッドがバスローブを脱いでベッドへの乗り上がった。下着姿一枚となった体は、細身ではあるが引き締まっており、男性としての魅力は十二分にある。
己の肉体としての目標はオスカーだが、最近鍛えていてもこれ以上は筋肉が付かないのか、伸びが悪い。トレーニングメニューを変えても効果がないのなら、目標を変えるのも一つの手だろう。
なら、ブラッドはどうだろうか。朝日に照らされた目の前の裸体を見つめていたアキラだったが、そこで違和感に首を傾げた。
何故か、ブラッドに組み敷かれている。
「貴様……それは故意的なものか?」
「それ?」
「……そのシャツは、俺のものだ」
低い声で言われ、ようやく納得する。寝ぼけていて気付かなかったが、意識すれば確かに違う。袖が余っているし、サイズが若干大きい。
「え? ……あ、あぁ、悪りぃ。気付かなかった」
アキラは腕を上げ、袖口を見つめた。そういえば、手違いとはいえ彼の服を着るのは初めてのことだ。
顔に袖を近付ける。香水を使わない代わりに、清潔な彼らしい石鹸の優しい香りがした。ブラッドの眉間が深くなり、慌てて袖を離す。
「っあー……もしかして他人に自分の服着られるの、嫌なタイプなのか?」
機嫌を損ねてしまったのだろうか。内心で焦りを覚えていると、ブラッドの手がアキラの下着へと伸びた。
「おあっ」
引きずられ、布を無くした局部が姿を見せる。
膝を折り曲げていたアキラは、陽の元で曝け出したそれを隠そうと手を伸ばした。しかし、腕を掴まれ、頭上に持ち上げられる。
「へ? な、なん……」
嘆息が落ちてきた。嘆きたいのはこっちだ。
「随分と煽り上手になったな」
「何がだ?」
「……昨夜の言葉を覚えていないのか」
聞かれ、記憶を呼び起こす。心当たりはない。
情けない顔で見上げると、目を細めたブラッドが口元を緩めた。世の女性なら見惚れそうな顔だが、アキラにとっては違う。
「な、なぁ……ブラッド」
「安心しろ、チェックアウトまで時間はある」
散々酷使され、まだ柔らかい入り口を、指の腹で押される。それだけで疼く胎に小さく震えながら、アキラは諦めて背中に腕を回した。
自分の付けた爪の跡を、そろりと撫でながら。