見栄っ張りのダンス 久しぶりとなったデートの帰りだった。ラジオに飽きてCDを流していいか聞くアキラに、ブラッドは正面を向いたまま「好きにしろ」と返事をした。
早速とばかりにCDが収納されているコンソールボックスを漁るが、聞き飽きた曲ばかりでどうも気が乗らない。そんな中、グローブボックスを開いたのは気まぐれだった。
(……ん?)
手前に見覚えのないCDを見つけ、アキラは首を傾げながら手に取った。アーティストの名前はアキラでも知っているものだ。若者向けのジャケットに珍しいと思いつつ、プレイヤーに差し込む。流れてきた音楽はやはりロックとテクノが融合したような曲で、いつものフォークやジャズを流している彼らしくないと軽い驚嘆を覚えている時だった。
「…………」
「んだよ」
運転に集中していたブラッドが驚いたようにこちらを見る。驚いたと言うよりは、焦っているに近いだろうか。アキラも釣られて固まっていると、ブラッドの表情はすぐにいつものポーカーフェイスへと戻り、正面を向く。車内を流れるテンポの良い音楽に気分は高揚している筈なのに、どこか気まずい空気が漂った。
流してはいけない曲だったのだろうか。しかし、そうであれば止めろと言うだろう。アキラはシートバックへ背中を預けると、少し考えて、ブラッドへと言った。
「へー。お前、こういう曲も聞くのかよ。弟と趣味似てるとこあるんだな」
「…………」
「?」
その言葉に、ブラッドが一瞬、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
何かがおかしい。けれど、何がおかしいのか分からない。ブラッドは何も言わない。けれど、その横顔はどこか罰が悪そうにも見えた。
違和感が胸を這うが、それ以上話題にするのは避けた方がいいだろう。そう結論づけたアキラは、タワーに着くまでそれ以上ブラッドへと話しかけることはせず、静かにアップテンポな曲へと耳を傾けたのだった。
◆◇◆
「……ってことがあってよ。普段フォークとかジャズばっか流してるからなんか意外っつーか」
アキラは思い出しながら残りのピザを頬張る。チーズの多い具はトレーニング後の空きっ腹に丁度良い。
昨夜の違和感は翌日になっても晴れることはなかった。だから、世間話のつもりで休憩時間に偶然屋上で遭遇したブラッドの同期たちに聞かせたのだが、どうやらこの話題は彼らのツボにハマったらしい。話し終えるなり腹を抱えて笑うキースと、笑いを堪えながらまたピザを差し出してくるディノ。アキラはそれを受け取り齧り付きながら、二人を怪訝な目で見やる。
「なんなんだよ、オレなんか変なこと言ったか?」
「やべー、笑い過ぎて腹痛ぇ」
「……?」
ベンチに蹲り痙攣するキースでは話にならない。ディノを見れば、どこか困った表情を見せている。
この件について、二人は何か知っているようだ。分からないのは自分だけ。
(……んだよ)
除け者にされたようで面白くない。アキラは分かりやすく口をへの字に曲げると、二人へとジト目を向けた。すると、ようやく話す気になったのか、肩をすくめたディノが苦笑を浮かべながらおずおずと口を開く。
「アキラくん、少し言い辛いんだけど……それ、ブラッドの趣味なんだ」
「……は?」
アキラはどういう意味だと言わんばかりに首をかしげる。
(ブラッドの趣味……何がだ?)
理解出来ず首を傾けたままのアキラに、キースが顔を上げて言う。
「だーかーらー、そっちのフェイスみてぇなガンガンな曲の方がアイツの好みで、お前といる時は格好……ブハッ……格好つけて、フォークとか、ジャズ……とか……っ、ムリだ、腹痛てぇ……ッ」
「は?」
「こら、キース。笑い過ぎだぞ。ブラッドにそういった見栄を張る一面もあったことは確かに驚いたけど、むしろ何だか安心したよ」
「はぁ」
反射的に相槌を打ちながら、アキラはピザを口へと運んだ。流石にチーズの多いLサイズのピザは三枚目ともなると胃がもたれる。意味が理解出来ないアキラを他所に、二人は落ち着いてきたのか、楽しそうに話を続けた。
「ブラッドはさ、俺たちを乗せる時はいつも激しい曲を流すことが多いんだ」
「そーそー、飲み潰れてる時なんかは『吐くからやめろ』っつってんのにわざとボリューム上げやがって」
「はぁ?」
「気にすることはないよ、アキラくん。恋人に見栄を張りたいと思うことは何も悪いことじゃない。意識してもらえている証拠だよ。良かったじゃないか」
「はぁぁ!?」
そう言って笑顔を向けてくるディノに、アキラは驚きのあまり立ち上がり叫んだ。思考が追いつかない。
(待て待て待て。つまり、ブラッドはオレにくだらねー大人のプライドを見せてたってことか?)
あのブラッドが? まるでガールフレンドにするような俗な行動を?
意外を通り越して呆れすら覚える。混乱する思考の中、しかしアキラはふと感じた疑問に二人を見つめた。
「……おい、ちょっと待て。オレ、アイツと付き合ってるってお前らに言ったことあったか?」
「……」
「…………」
突然、時が止まったように固まる二人に、アキラは繰り返す。
「あったか?」
「よし、休憩も終わったし本日の会合はこれで終わりにするかぁ。ブラッド被害者の会、解散っと」
「そうだ、俺も午後のパトロールに行かないと」
「おいっ」
キースとディノはアキラの質問をまるで何事もなかったかのように聞き流し、その場をそそくさと立ち去っていく。
残ったのは手にある食べかけのピザと、空になった箱と、ビールの空き缶。せめて片付けていけ。
「ぐぬぬぬぬ……」
一人残されたアキラは晴天の下、苛立ちと煮え切らない思いを抱えて地団駄を踏みながら一口で残ったピザを口に含むのだった。
◆◇◆
「何をしている」
「…………」
傾きかけた夕陽が共有スペースを橙に染めていく。ブラッドは必要な書類を取りに自室へと入ったところで、そこに先客がいることに気付いた。
ベッドに腰掛ける後ろ姿に、ため息が漏れる。
「アキラ、断りもなしに人の部屋に――」
「テメェ、本当はこういうのが好きなんだってな」
思わず息を呑んだ。言葉を遮って振り返ったアキラの手には、数枚のCD。彼には見せたことも聞かせたこともないものだ。よく見れば、ベッドの上にはレコードもあった。部屋を漁ったのだろうか。本来なら怒りが湧くはずの行動は、しかし彼の持つ後ろめたい『それ』がブラッドの感情を動揺へと変える。
「…………」
ブラッドはしばらく考えて、アキラの言動からこの状況を把握すると、ゆっくりとベッドへと近寄った。横に並ぼうとするが、それよりも先に拒絶の声がかけられる。
「隣に座んな、顔見たくねぇ」
どうやら相当機嫌が悪いようだ。仕方なく反対側に回り込み座れば、背中に体重が乗せられた。高い温度が伝わり、背骨が熱くなる。
「怒っているのか?」
「……別に」
不貞腐れたような、拗ねた声が返ってくる。「嘘をつくな、怒っているだろう」そう指摘すれば、アキラがぐぅ、と唸りながら胸中を訥々と話し始めた。
「お前が何を好きかは自由だろ。そこに怒ってるんじゃねぇ。……格好つけてたのか何なのか知らねーけど、オレには隠してたのとか、それを他の奴から聞かされたのとか、なんか、そーいうのがすげームカつく」
ブラッドはその言葉にやはり、と同期の姿を思い浮かべる。どうしたものか。悩みながらも振り返り、顎を掬えば、アキラが眉を顰めて首を振った。
「アキラ」
「やめろって、そーいうので誤魔化すんじゃねぇ」
睨まれて、片眉が吊り上がる。ブラッドは考えるように口元へと手を当てると、少しして大きく息をつき、ベッドに放られたレコードへと手を伸ばした。
「これは、入所の時にフェイスから貰ったレコードだ」
言いながら表面を撫でる。贈られてからもう十年経つのか。月日の早さに懐かしさを覚えて目を細める。
「貰ったのはいいが、プレーヤーを持ってなくてな。実家でもよく聞かされていたのもあってか、恋しくなってすぐにデータを探した。車で曲を聞くようになったのはそれからだ。ジャンルも、気付けば徐々にあいつの好みに似たものを選ぶようになっていた」
「……?」
アキラが不思議そうに首を傾げる。ブラッドは続けた。
「お前に言われて、ドライブで聞く曲のルーツはあいつの影響だと思い出した」
そう口にして、言葉を濁す。視線を感じてアキラを見れば、白状しろと言わんばかりの強い緑が突き刺さった。ブラッドは観念して肩をすくめると、苦笑する。
「確かに、お前の前では辺幅修飾した自分を意識していたことは事実だ。……年甲斐もないと、幻滅されたくなかった」
何ともみっともない告白だ。三十路近くにもなって、十も年下の相手に虚勢を晒されるなど。彼相手だと調子が狂ってしまう。本質を突くような言葉が、いつもブラッドの隠した本心を撫でつけてくるのだ。話を終えれば、じわじわと気まずさが込み上げてくる。ブラッドは照れ隠しにレコードを見つめていると、肩に手が置かれ、視界に赤い髪が入ってきた。振り返れば、唇の端を熱が掠める。
「ブラッド、お前って案外馬鹿なんだな」
口付けを贈ったアキラは言いながら笑った。どうやら機嫌は治ったらしい。手に持つCDを掲げると、揚々とした声で話し始める。
「音楽の趣味に年齢なんて関係ねーだろ。いいじゃねぇか。知ってるか? 車で流してた曲のリーダーって、あの有名なロックバンドのボーカルと義兄弟なんだぜ。ま、オレはそっちの方が好きなんだけどな」
そう言ってアキラはにかりと歯を見せる。
「もっと教えろよ、お前が本当に好きなやつ」
「……あぁ」
どうやら彼相手には見栄も虚勢もプライドも必要ないらしい。ブラッドは頬を緩めながら頷くと、恋人からの二度目のキスを受け止め――ることは、残念ながら叶わなかった。
「あっ!」
思い出したように顔をあげたアキラが、深刻な表情を浮かべながらブラッドの肩を掴む。今度はなんだ。固まるブラッドに、アキラが声を張り上げる。
「そういえばお前、あの二人にオレたちの話したのか!?」
「……なんの話だ」
二人の間に起きた瑣末な問題は、これで幕引きではなかったらしい。ブラッドは眉を顰めながら、聞かされたアキラの話に頭痛を覚えてこめかみを押さえるのだった。